第9話 僧侶としての日々
「レ、レイダーさん、もう一度言って頂けますか?」
「ん? 分かりました。では宜しく――」
「い、いいえ、最後だけで!」
「……先輩?」
なんだというのだ、と疑問を抱きつつもロウが告げた言葉に、アイシャは陶酔した顔を浮かべた。
「はうん……先輩……ついにわたしにも後輩が……」
どうやら、先輩という立場に、なにがしかの憧れがあったようだ。
「良かったですね、アイシャ。ロウはまだ分からないところも多いでしょうから、あなたが色々と教えてあげてください」
クリフからそう言われた途端、きりっとした表情を浮かべ、右手を大きく上げた。
「はい! 不肖、神官アイシャ、レイダーさんの支えになることを誓います!」
が、そのせいで、再び懐から野菜が幾つか零れ落ちる。
「はう!? はわわわわわわわわわ」
あたふたしながら床に這い蹲ったせいで、残っていた野菜も全て纏めて転がった。
「ああああああ!? なぜ? なぜこんなことに――ッ!?」
どこから手を付けていいのかと、混乱している様子を見せるアイシャに、ロウは心底から思った。
(大丈夫か、こいつ……?)
とんでもない奴を指導役に据えられてしまったのでは、という危惧を抱いたが、予想通りこの教会にはアイシャ以外の神官がいないようだ。
統括神官であるクリフが新人の面倒を見るはずもなく、選択の余地はなかった。
「とりあえず野菜を倉庫か何かに置いてきた方が良さそうですね」
全てを拾い上げたロウが助言すると、アイシャは目を見開いた。
「確かに! 名案です! 頭良いですね、レイダーさん!」
「……どうも」
全然褒められている気がしないと、やや疲れを感じながら、ロウはアイシャと共に教会の倉庫まで向かった。
その後、教会の周りを見ておいた方がいいとクリフから言われ、ロウはアイシャに連れられて外に出る。
「教会のお仕事としては、まず毎朝五時に起きて祭壇でお祈りし、その後、建物の前をお掃除します」
のどかな風景を眺めながらアイシャの隣を歩いていたロウは、彼女の言葉に足を止める。
「……朝五時? 本当ですか?」
「え? ええ、はい。教会が、ヴィシュア様を太陽に例えていることはご存知ですよね? ですからわたし達も、朝日と共に活動を開始するんです。主が目を覚まされているのに、神官がいつまでも寝ていられませんからね」
最悪だ。ロウは神官になったことを、早々に後悔した。
基本的に、暗殺者は夜に動き、朝と昼は体を休めている。
ロウも、起きるのはいつも昼頃で、寝るのは太陽が昇ってからだ。
朝五時など、完全に未知の領域だった。
(いや……これも、ティアに会う為だ。やってやるさ)
体の調子が崩れないといいが、とロウが不安になっていると、アイシャが顔を覗き込んでくる。
「どうされました? あ、もしかして、朝早く起きるのは苦手ですか?」
「ああ、いえ、農家の息子なので、そうではありませんが。ただ、さすがに朝五時というのは経験がないもので。父親はそれくらいに起きていたようですが」
「そうなんですか。でも、わたしも最初はきつかったんですが、今ではもう慣れました。レイダーさんもきっと大丈夫ですよ」
「だといいんですが。……あとそれと、レイダーじゃなくて、ロウでいいですよ」
「え、そうですか? でもまたレイダーさん、わたしより年上みたいですし」
「歳が上でも神官になったのは先輩が先なんですから、どうぞ、呼び捨てで」
「はっ。先輩!……なるほど。それはそうかもしれません。で、でも、いきなり呼び捨てというのは抵抗があるので、ロウさんでいかがでしょう!」
「ええ、それでいいですよ」
正直、どちらでも良かった。
レイダーという呼び方をされたことがない為に、気持ちの悪さがあっただけの話だ。
「分かりました! ではロウさん、続きを話しますが、お掃除を終えた後は巡回をします。巡回というのは、五十三地区を見回って、住民の皆さんがなにか困ったことがないかをお訊きすることですね。もしなにか相談されて、わたし達に出来ることであれば、スキルなどでお助けします」
「分かりました。そうやって住民の悩みを解決することが、神官としての評価に繋がるわけですね」
「……ん? 評価、ですか?」
不思議そうな顔をするアイシャに、ロウこそ怪訝に思いつつ訊き返した。
「いや、神官の地位って、いかに教会に貢献したかで決まって来るわけですよね」
「ええ、まあ、そうですね。大教会に集められる報告を吟味して、上の方が相応しいと思う人を昇格させたりします」
「だからそうやって誰かに手を貸すことで、功績を積んでいくのかなと」
「――ロウさん!」
突然に、アイシャがらしからぬ厳しい声を出したので、ロウは面食らった。
「はい。なんでしょう」
「そういった考えは、どうかと思います! 神官とは神に仕え、人々を助け、導く立場にあります。滅私奉公という言葉を御存じですか? 欲を捨て、使命に準じることこそが、神官としてのあるべき姿です。そんな風に、全てを自分の出世の為に捉えるのは、とっても良くないことだと思いますよ!」
年下に、真顔で、長々と、なにやら背中がむず痒くなるような、説教臭いことを言われる。暗殺者をやっていた頃には、ありえないことだった。
「はあ。すみません。ただオレ、家族にいつか偉くなって、神官総長様にお会いするんだって豪語してしまったもので。なるべく早く近付きたいなと」
「そのお気持ちは、理解できます。わたしも僧侶のジョブを得て、神官になった以上、いつかは尊敬する神官総長様にお目通り叶えばと思っていますから。でも! 我欲を第一に考えることは、神官としてあるまじきことです! それだけは、覚えておいて下さい!」
びし、とアイシャから指差され、ロウは頭を掻いた。
「了解です。先輩」
「は!?……えへへへへ」
どうやら、よほど『先輩』という言葉に弱いようだ。先程まで、アイシャなりに顔を引き締めていたようだが、いっきに弛緩してだらしのない笑みを浮かべ始めた。
「とにかく、功績のことは気にせず、コツコツとやるべきことをやっていきましょう! そうすれば、いつかは大教会にも所属できるかもしれません!」
固めた拳を振り上げるアイシャに、気の長い話だなとロウは密かに溜息をつく。
「ひとまず、案内がてら、巡回をしましょう。ついてきて下さい」
ロウの気持ちも知らず、アイシャは呑気な口調で言って、再び歩き始めた。
それから、彼女はあちこちの家を巡っては、なにか変わったことはないか、困ったことはないかと、丁寧に訊いて回り続ける。
その度に、住民から笑顔で出迎えられ、アイシャちゃん、アイシャちゃんと親しげに呼びかけられていた。
どうやら、彼女はこの近辺ではかなり好かれているらしい。
「あーら、アイシャちゃん、いらっしゃい!」
「おばあちゃん、こんにちは。腰の方は大丈夫ですか?」
十数軒目になる家を訪ねた時、中から現れた老婆は、アイシャの質問に眉根を寄せた。
「それがねえ、また痛み始めちゃったのよ。今日はまだマシだけど、昨日の夜なんて、立ち上がることすら出来なくて」
「あら、それは大変ですね。後ろを向いて下さい」
アイシャに言われた通り、背を向けた老婆に、彼女は手を翳した。
「《キュア》」
短く唱えるとスキルが発動。発生した緑色の光は、老婆の腰に吸い込まれていく。
「どうですか? また痛みますか?」
首を傾げるアイシャに、間もなく、老婆はすっくと背を伸ばして笑った。
「あら! すっかり良くなったわ! やっぱりアイシャちゃんのスキルは効くわねえ」
「良かったです! 明日もまた来ますから、安静にして下さいね」
「ええ、ええ、ありがとうねえ。ところで、アイシャちゃんの後ろに居るのは、新しい神官様かい?」
再び前を向いた老婆は、ロウの存在に気付いて目を瞬かせた。
「ええ、そうなんです。ロウさんと言います」
「……よろしくお願いします」
「まあまあ。良かったわねえ、アイシャちゃん。早く後輩が欲しいって、そう言っていたものねえ」
「そうなんですよー。えへへー。えへへへへへへー」
身悶えしながら、照れくさそうにするアイシャを、老婆はにこにこと見つめる。
「ちょっと、あんた、アイシャちゃんに迷惑かけるんじゃないよ? この子はねえ、本当に良い子なんだから。あんたもなんだか暗い感じだけど、もっと笑いなさい、そうしないとみんな恐がっちゃうわよ!」
が、一転、ロウの方を向くと、少し叱りつけるような口調で言った。
「……善処します」
「ホントにねえ、頼むわよ! 顔は良いんだから!」
老婆は声を張り上げると、ロウの腕の当たりを思い切り叩いてくる。
日頃の癖で瞬時に手を掴んでひねりあげそうになったが、どうにか堪えた。
「大丈夫ですよー。ロウさん、とっても良い人ですから。では、これで失礼しますねー」
アイシャは手を振ると、老婆の家を後にする。
「ロウさん、ごめんなさい。サミさん、ちょっと押しが強いところがありまして……」
しばらく離れたところで、自分のことのように申し訳なさそうな顔をするアイシャに、ロウは首を横に振った。
「いえ、気にしてませんから。ところで、こういうこと、毎日やってるんですか?」
「ん? 家を訪問することですか? ええ、そうですね。ほとんどは」
「その度にスキルを使ったりしているわけですか。疲れませんか?」
スキルは、使う度に体力を消耗する。
強力なものであればあるほど、その後に襲う反動も大きい為に、そうおいそれとは使えなかった。
アイシャが先程使っていた《キュア》というスキルは、体の内側に生じた問題――打ち身や腰痛、腹痛、胃痛など――を解決するものだ。
治癒術の中では下位に属するものの、それとて、連続で使えばそれだけ一緒に体力も減っていく。
今日、ロウが見ている限りでは、アイシャは十回以上のスキルを使っていた。
「まあ、多少は、疲れますね。でも、我慢できないほどではないので」
その言葉は、半分本当だが、半分嘘だ。
確かに動けなくなるほどではないが、アイシャの足取りは、教会を出た頃に比べると明らかに重くなっている。
かなりの疲労を感じているのだろう。
「どうしてそこまでするんですか? さっき、滅私奉公とは言ってましたが、その為に自分が倒れては意味がないでしょう」
「……確かに、ロウさんの仰る通りですね」
そこでアイシャは地面に視線を落とし、少しだけ悲しそうに笑った。
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