第10話 アイシャという少女
「僧侶として名を上げている人達って、戦場に行って負傷した兵士を治療したり、魔獣退治に行く人たちに同行して手助けしたりして、どんどんレベルアップするんですけどね。わたし、体もあまり強くないし、ドジだし、そんな勇気が出ないから、ジョブがあまり成長しなくて。だから……これくらいしか出来ないんです」
「だから無理をしているっていうんですか」
「はい。こうした行動は、あまり評価には繋がりませんが、それでもいいんです。ロウさんに言ったように、神官は自分の為に行動しちゃダメだと思いますし……皆が笑顔になってくれるなら、わたしはそれで十分ですから」
「……どうしてそこまでして、僧侶のジョブを?」
ロウの問いかけに、アイシャは顔を上げ、どこまでも広がる空を見つめる。
「幼い頃、村に病気が流行ったことがありまして。ヴィシュア教会から駆けつけた神官様が、助けてくれました。その人は、汗みずくになりながらも村を走り回って、それこそ、倒れる寸前まで村の人達の為にスキルを使い続けました。わたしも、その人に救われた一人です。その姿が、本当に素敵に見えて……だから、ジョブ適性があると分かった時、迷いなく僧侶を目指しました」
「そう……でしたか」
どう返していいか分からず、ロウがそれだけ言うと、アイシャは元通りの人好きする笑みを浮かべた。
「はい。だからわたしは、人を助けます。功績と関係なく、目の前で苦しんでいる人を。ヴィシュア教会は、その為に在るんですから」
あまりにも、眩い。
ロウは、そう感じた。
お人好しや自己犠牲も、ここまで来れば評価に値する。
自分とはまるで正反対に居る彼女に、ロウは初めて、敬意を抱いた。
「先輩。ご指導ご鞭撻、宜しくお願いしますね」
皮肉でも、嫌味でもなくそう告げると、アイシャは深く頷く。
「ええ。頑張りましょうね、ロウさん!」
こうして、ロウの第二の人生は、幕を開けた。
「はーい! 順番に並んで下さいねー! 皆さんの分はありますから!」
数日後。ロウはアイシャと共に、神都第五十三地区の端辺りにある広場まで来ていた。
ロウ達の前には長机があり、その上には大量の深皿と、まだ湯気が立っている大きな鍋が置いてある。中身は、農家から分けてもらった野菜と鶏を煮込んで作ったシチューだ。
机の向こう側には、アイシャの呼びかけで集まって来た大勢の者達が列を作っていた。
老若男女様々な顔ぶれだが、皆一様にどこかうらぶれた風貌をし、身に着けている衣服もひどく汚れ、あちこちに穴が空いている。
近くに居るだけで鼻が曲がるような異臭が漂ってくるが、仕事上その手のことには慣れっ子のロウはともかく、アイシャも気にする素振りはなかった。
内心ではどうか分からないが、表面上だけでも平然としているだけで、大したものである。
アイシャ曰く、この辺りには様々な事情で仕事が出来ず、衣服どころか、住む家も、日々の食べるものにも事欠く者達が、大勢住みついているとのことだった。
神都に敷かれた規則上、たとえ簡易的な天幕のようなものであるにしろ、許可なく広場で暮らすことは不法占拠に当たる。
しかし同時に、『全ての人を愛した』と言われるヴィシュア神を信仰する立場としては無下に追い出すことも出来ず、黙認されているのが現状だった。
加えてアイシャは、腹を空かせた者達の為、定期的に広場に来て、こうして食事を作って振る舞っているのだという。
いつもはクリフと二人でやっているというシチュー作りに、昨日はロウも協力した。
それでも数十人以上の住民に食わせるものだ。一晩かかって、ようやくといったところだった。
(……よくやるよな、こんな地味なこと)
笑顔で住民たちにシチューを配るアイシャを横目に、ロウは感心半分、呆れ半分といった気持ちで居た。
この行為自体、教会側から言われていることではなく、あくまでもアイシャが自主的にやっていることだ。
よって、何かと忙しい統括神官であるクリフに迷惑はかけられないと、ロウが来る前はアイシャ一人でやっていたのことだった。
いや、今回も一人でやると言っていたのだが、目を放すと何をしでかすか分からないアイシャに任せるのも不安だと、ロウは助手を申し出たのだ。
実際、食事を配り始めてまだ一時間も経たない内に、彼女は三度ほどシチューを零しかけ、二度ほど熱い皿を何も考えず素手で掴み、悲鳴を上げた。
今までよくやってこれたなと、称賛したくなるほどである。
「いやぁ、アイシャちゃん、いつも本当にありがとうなぁ」
顔が髭だらけになった中年男性が、アイシャから皿を受け取って、顔を綻ばせた。
「アイシャちゃんにもらう食事は本当に力になるんだよ。そのおかげで、ようやく仕事が見つかってね。給料を貰ったら、部屋を借りるつもりなんだ」
「まあ、本当ですか! 良かったです!」
アイシャが手を叩き、我が事のように喜ぶと、
「足を怪我したせいで前の職場をクビになって、どこも雇ってくれず、一時は死ぬことすら考えたけど。そんな時、温かくて美味しいこのシチューをもらって、どれだけ嬉しかったか……」
男性は涙ぐみ、己の過去を映すように、シチューを見下ろした。
「大変でしたね、モルグさん。でも、もう大丈夫ですよ。モルグさんのように一生懸命な方を、ヴィシュア様が見捨てるはずがありません。きっとこれから、上手くいくはずです」
つられて目元を潤ませるアイシャの言葉に、男性は何度も頷いて、去っていく。
(本当に神が見捨てるはずがないなら、そもそも、仕事自体失っていないはずだが……)
ロウは胸中で突っ込みつつも、口に出すのはやめておいた。野暮というものだろう。
それに聖職者の場合『それも与えられた試練なのです』とか、都合の良い解釈で片付けてしまうに違いなかった。
「あいしゃちゃん!」
次に現れたのは、幼い女の子だった。傍らには、親と思われる女性が居る。
「まあ、ミントさん、いらっしゃい」
優しく微笑むアイシャに、女の子は机の端を掴むと、嬉しそうに彼女を見上げた。
尻尾を振って懐く子犬のようだ。
「こんにちは、アイシャさん。いつもありがとうございます」
母親が頭を下げると、アイシャは「いえいえ」と手を振って、二人分のシチューを皿に注いだ。
「あら……新しい方がいらしたんですか?」
そこで、母親から視線を向けられた為、ロウは会釈して「ロウです」と答えた。
「そうですか、ロウさん。ロウさんも、ご苦労さまです」
ねぎらいの言葉にロウが再び顎を引いていると、なにやらじっと見られている気配がした。
ふと目をやると、サキと呼ばれた女の子が凝視している。
「なにか用か」
ごく自然に声をかけたつもりだったが、女の子はびくりと体を竦ませた。
更には母親の影に隠れ、怯えたような顔をしたままで覗いてくる。
「このおにいちゃん、こわい……」
「こら、ミント、失礼でしょう。ロウさんにもご挨拶しなさい」
母親に叱られるも、ミントはいやいやとするように首を振り、更に身を潜めてしまった。
(なるべく殺気は消したつもりだったが、微かでも感じ取ったか)
子どもや野生動物にはよくあることだった。
明確な根拠があるわけではなく、本能的な部分でロウに対して身の危険を覚えたのだろう。
「……あのー、ロウさん? 少しお願いしたいことがあるんですが……もう少し、笑えませんか?」
と、そこで、アイシャが恐る恐るといったように話しかけて来た。
あまりに突拍子もない申し出に、ロウは「は?」と間の抜けた声を出してしまう。
「ああ、いえ、その、人には向き不向きがあるというのはわたしも承知しているのですが。この辺りに住んでいる方は、警戒心の強いことが多くて……その、ですね。あまり表情が変わらない人がいると、近付いて来られないこともあるんですよ」
「オレの顔が恐いと?」
「ああ! いえ! そそそ、そういうわけではないのですが!?」
アイシャはその場で跳び上がると、その拍子に机の角に手の甲をぶつけ「いひゃあっ!?」と蹲った。
「ほほ、本当ですよ? わたしはそんなこと、思ってませんよ? でも、でもですね、なんていうか、色々なことがあって、必要以上に人と接触することを嫌がる方もいて、そういった場合、その、笑顔って一つ障害を超える要素になりえるというかなんというかああ手がじんじんするぅ……」
赤く腫れた部分を摩りながら言うアイシャ。
それは顔が恐いと言っているも同然では、とロウは思ったものの、一理はあると判断した。
「笑顔、ですか……」
ちらり、とミントの方を見ると、彼女は今も尚、狼を前にした子兎のような顔をしていた。
(僧侶として生きる以上、そういった術も必要ってことか)
今まで笑ったことなど数えるほどもないが、これから先、求められる場面も増えてくるかもしれない。これもティアと会う為だと、ロウは決意した。
「……なあ、あんた、ミントって言ったか」
ロウが呼びかけると、ミントは再び小さく震え、何事かと見つめて来る。
「安心していい」
深呼吸し、身体の調子を整え、気合を入れて――ロウは実行した。
「オレは、恐くないぞ?」
強引に口元の筋肉を動かし、弓なりに曲げていく。
目元にも力を入れ、なるべく親愛を示すように細めた。
その結果――。
「――あああああああああああああああああああああああああああああああ! こわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
ミントは信じられないものを見たように目を一杯に見開いた後、その場で声を上げた。
更には滂沱の涙を流し、母親の腰に顔を押し付けてしまう。
「お母さん、気持ち悪いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ぶっ殺すぞこのガキ。
とロウは反射的に懐のナイフを抜きそうになったが、どうにか耐えた。
「いやああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫し続けるミントに、周囲の者達が何事かと見て来る。
「あわ、あわわわわわ、ミントさん、ミントさーん。平気ですよー」
慌てたように、アイシャがもつれる足取りで何度も転びそうになりながらも机を回り込んでミントに近付いた。
「恐くないですよー。このロウさんは、確かに、その、あまり笑顔が得意ではないかもしれませんが、とっても良い人なんですよー?」
どうにかして落ち着いてもらおうとアイシャがあやすと、ミントはしゃっくりを上げながらも、しばらくするとどうにか泣き止んだ。
「す、すみません、ロウさん、うちの娘が……」
何度も頭を下げる母親に、ロウは口元を引きつらせながらも、「い、いいえ、こちらこそ」と答える。
(なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ……)
職業柄、人に恐がられるのには慣れているが、今のはそれとは少し違う気がした。
なんというか、胸の深い部分を、鋭利なもので突き刺されているような感覚だ。
「ごめんなさい、ロウさん、無理をさせてしまって」
親子がシチューを受け取って去っていった後、アイシャが心底から申し訳なさそうに小声で言った。
「……いえ。オレの方こそ、上手く出来なくて、すみません。昔からどうも感情表現が不得手な方でして」
「そんな! と、とっても素敵な笑顔でしたよ?」
「子どもに気持ち悪いと言われましたが?」
「おぐっ。そ、それは、そのぅ……きっとミントさんも、いつか慣れて下さいますよ!」
つまり今は泣くほど恐いということを肯定しているのだが、アイシャ自身は気づいていないようだった。
「まあ、自然な笑顔になれるように、努力します」
「は、はい! 頑張って下さい! わたしもご協力しますから!」
なにを? という疑念を抱いたが、ひとまず、ロウは流すことにした。
それからたっぷり二時間に亘ってシチューを配り続け、ようやく作業は終わりを迎える。
「どうにか全員に行き渡ったみたいですね」
やれやれと手を払いながらロウが言うと、アイシャは「ええ」と達成感のある表情で笑みを浮かべた。
「巡回は午前中で終わりましたし、後は教会に帰るだけですか」
ようやく休めるなとロウが思っていると、アイシャは鍋を持ち上げながら言った。
「ええ、ロウさんは戻って下さい。わたしはまだやることがありますので」
「まだ? なにをするんですか?」
「これから、ゴミ拾いです。一日経っただけで、結構あちこちに出ちゃうので」
「……待って下さい。それは巡回中にもやってましたよね?」
「はい。ですから、右隣の五十四地区と、左隣の五十二地区ですね」
「どうして他の地区まで? 管轄外ですよね?」
なにを考えているのかとロウが投げかけた質問に、アイシャは当たり前のように答える。
「まあ、ついでみたいなものですよ。五十二地区と五十四地区は五十三地区より少し広いので、手が回らないと思いまして」
「……頼まれたわけじゃないですよね?」
「ええ。わたしが勝手にやってます。ですから、ロウさんは机と鍋を片付けたら、後は自由にして下さって結構ですよ」
組み立て式の机の脚を閉じながら、鼻歌混じりに告げるアイシャに、ロウは頭痛がしてくるような気がした。
(どこまで滅私奉公なんだ、こいつ……)
このまま、分かりましたと返して、教会に帰ることも出来た。
しかし、どうにも見捨てられないなにかが、このアイシャという少女にはある。
(オレも感化されてお人好しになったか……?)
基本的に自分本位である暗殺者社会には決して居ない人材に、ロウ自身の内側へ、何かの変化が起きているのかもしれない。
あるいは、自分でも知らなかった部分が、明らかになっているだけなのか。
「お付き合いしますよ」
ともあれ、踵を返すにはどうにも引っかかる事柄を、ロウは前向きに受け止めることにした。
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