第11話 善意を蝕む悪
「あ――めんどくせ――ッ!!」
教会内にある自室――というより倉庫のように狭い部屋――に帰るなり、ロウはベッドに寝転がる。暗殺稼業とはまた違う部分での疲労に、体が、いや、心が根を上げていた。
アイシャと共に行動を始めてから、今日で一週間が経つ。
その間、彼女はこれでもかというほどに善行を積み続けていた。
ゴミ拾いや炊き出しだけではない。
ある時は教会で日曜学校を開き、子ども達に授業を教えた。
これはヴィシュア教会の支部が定期的に行っていることで、クリフが中心になっていたが、問題はその後である。
アイシャは、商売などで共に働いている為、昼間、両親が家に居ない子どもをそのまま預かり、夜まで面倒を見ていたのだ。
日曜学校に来ているのは、いずれも自意識の芽生え始めた年頃の連中ばかりである。
クリフが授業をしている時はともかく、彼が他の仕事で教会から居なくなった場所で、大人しくしているわけがない。
女の子たちは比較的、お喋りや人形遊びといったものに興じていたが、男の子たちは野生の猿のようにしてひたすら暴れ回った。
ロウも散々、蹴られて殴られ、背中に乗っかられて顔を引っ張られ、浣腸されそうになり、股間に頭突きをされかけた。よほど纏めて血飛沫を上げてやろうかと思ったが、僧侶の身の上ではそう簡単に出来るわけもない。
幾度も血管が切れそうになるのを、必死で堪えなければならなかった。
もちろん、アイシャもま無事であったわけではない。
四方八方から引っ張られ、ませた奴らに尻や胸を触られ、揉まれ、顔を埋められる始末である。その度に注意していたが、猿に人間の言葉が通じるはずもなかった。
それでも彼女は、帰る時に一人一人、子どもの名を呼び、笑顔で「また来てね」と手を振るのだ。
とてもではないが、ロウには真似できそうになかった。
またある日には、街角に立って、恵まれない者達の為、一日中大声で募金を呼び掛けた。
悪意を持つ輩に絡まれ、募金箱に塵を入れられても、声を荒げてはならない。
ロウは密かに石を拾って投げつけ、少し気晴らしをしていたが、アイシャはずっと健気に募金を訴え続けているだけだった。
(殺しちゃいけないというのは、これほど大変なことだとは思わなかったな……)
これなら警戒されている場所に忍び込んで、標的の首を掻っ切る方がよほど楽である。
しかもこの間に、定例の巡回はきっちりとやって、一人とておろそかにせず、住民を様子を見ているのだ。
たった一週間で、神官とは想像以上に地味で、面倒くさいものだと実感した。
しかもこんなことをしたところで、直接的な功績には繋がらない。
時間のある時に少し調べたところ、大教会勤めの僧侶はいずれも、魔獣討伐で貢献したとか、国同士の争いに従軍し、大勢の怪我人を救ったとか、地位ある者の重病を治癒したとか、そういう目に見えた活躍をした者達ばかりだった。
アイシャはそれでも、信じられないことに楽しそうな様子だが、ロウはそうも言ってられない。
もっと目立つことをして、ヴィシュア教会の上の方に目をかけられなければ、ティアに会う前に疲れ果てて動けなくなってしまいそうだ。
(なにか良い方法はないか? 手っ取り早く結果を出すようなものが……)
ベッドの上で唸りながら考えたが、良い案が思い浮かばなかった。
(こう、分かりやすい悪人でも居てくれればやりやすいんだが)
居るには居るだろうが、いずれも上手く自らの行いを隠しているだろう。
が、今までのように依頼されて暗殺をするわけにはいかない。
きちんと表立って裁きを受けさせるに足るような、そんな奴らが必要だった。
(まあ、そう都合良くはいかないか――)
やれやれと思いながら、ロウはとろけるような眠りに、身を落としていく。
昼間に十分な労働をしている為か、上質な睡眠をとれるようになったことだけが、転職した後の利点だった。
――が、思わぬ機会に恵まれたのは、それから数日後のことである。
ロウは、先週と同じく、アイシャと共に五十三地区の広場で食事を配っていた。
全員分にパンとスープが行き渡り、ひと心地ついたなと思っていた時だ。
「な、なにをするんですか!」
遠くの方で、甲高い声と悲鳴、それに皿が地面に落ちる派手な音がした。
見れば、以前にロウの笑顔を見て恐いと泣き叫んだミントと母親だ。
二人の前には、漆黒のローブを頭から被った者達が数人、立っている。
頭部には、ヴィシュア教会を象徴する太陽の紋章に似ているが、細部の違う模様が縫い込まれていた。
(あれ……? あいつら、どこかで見たな)
ロウが記憶を探っていると、ローブ集団の一人が親子に向かって大声を上げた。
「穢れたものを口にするな! これは愚かに堕したヴィシュア教会によって出されたものである! 食えば己の内側より毒に侵され、やがては連中の思うまま操られる人形となるであろう!」
「そ、そんな……アイシャさん達がご親切に作って下さったものなんですよ。毒なんて」
「騙されるな! 奴らの笑顔の裏には打算があるのだ! ヴィシュア教会は、貴様らのことを都合の良い奴隷としか思っていない! 支配する為には、如何なる手も惜しまぬであろう!」
耳に痛い程の叫びをぶつけられ、ミントが泣き始めた。
しかしそんな彼女を、ローブ集団の一人はフードをとって、睨み付ける。
「おい、そこの子ども。貴様がもっている食事も寄越せ! 私が廃棄してやる!」
ローブ姿の男の要求に、ミントは首を横に振り、持っていたパンを懐に隠した。
「貴様、逆らうか!? ならば粛清してやる!」
サキの首を掴もうと手を伸ばすローブの男に、母親が娘を庇う為に抱きしめた。
「や、やめてください!」
「どけ! 子どもが馬鹿ならば母親もか! 言うことを聞かなければ貴様もやるぞ!」
「おい、いい加減にしろよ!」
あまりのやり方に、周囲に居た者達が口々に抗議し始める。
「お前ら、なんなんだよ! 出て行けよ!」
「ここがお前らみたいな訳の分からない奴らが居ていいところじゃないぞ!」
が、ローブの男は、そんな彼らに鼻を鳴らして手を上げた。
「やれ」
背後に控えていた者達が、一斉にその身に青白い光を纏う。
スキルによる【魔法】を発動すると、虚空に炎や雷、氷を呼び出し、当たり構わず撒き散らした。
爆発音が響き渡り、石畳が抉れて瓦礫が舞う。
住民達は悲鳴を上げて逃げ惑い、場は阿鼻叫喚の図と化した。
「無力で無知なものほど理解が悪い。これで自分達の愚かさが身に染みただろう。さぁ、それを渡せ!」
男が、強引にミントからパンを奪おうとする。
「やめてください!」
堪らなくなったように、アイシャが走り出した。
サキ親子と男の間に入り、守るように両手を左右に伸ばす。
「貴様……ヴィシュア教会の手の者め、邪魔をするか。どけ!」
「嫌です! 帰って下さい!」
「うるさい!」
場に、甲高い音が響いた。アイシャが頬を強く叩かれたのだ。
勢いに負け、彼女はその場に崩れ落ちた。
男は一歩踏み出すと、決して放そうとしないミントの手から、それでも無理矢理にパンを奪いとる。
「か、かえして! ミントのぱん、返してよ!」
取り返そうと縋りつくミントを、男は容易に払いのけた。
地面に倒れる娘を、母親が青ざめた顔で介抱する。
「そ……それを、返して下さい……」
頬を赤く腫れあがらせたまま、アイシャが再び立ち上がった。
「それがなければ、食事をとれない人だっているんです! あなた方がどんな人だろうと、誰かの糧を奪う権利はないはずです!」
「黙れ、教会の飼い犬が!」
再び男から平手打ちを受けたものの、今度は、アイシャは倒れない。
歯を食い縛って耐え、真っ向から睨みつけた。
その、らしからぬ迫力に一瞬怯んだものの、そんな自分を誤魔化すように男は舌打ちする。
「ふん。このような安いもので人心を掌握し、傀儡にしようというのか。あまりにも浅はか。あまりにも悪辣。やはりヴィシュア教会は、神の名を騙る詐欺集団だ」
男は、持っていたパンを放り投げた。
地面に落ちたそれを、サキ親子とアイシャの目の前で、容赦なく踏み潰す。
「なんてことを!」
急いでアイシャが拾い上げたものの、原型をなくし、泥に塗れたそれは、もう口にできるものではなかった。
「ミントの、ぱん……」
か細い声を出し、やがて、ミントが泣き始める。
男は彼女に侮蔑の眼差しを送りながら、必死でパンの泥を落とそうとするアイシャに告げる。
「貴様とて、他のヴィシュア教会の連中と同じだ。ここにいる奴らを利用して、私服を肥やそうという算段なのだろう」
「……違います。わたしは、少してもここにいる方達の助けになればと」
「ほざけ。最早、言葉を交わす気すら起きんわ」
アイシャに向かって男が掌を翳すと、轟々と燃え盛る炎が顕現した。
だが、アイシャは悲鳴一つすら上げず、目を瞑ってサキと母親を守ろうと両手を伸ばす。
「そこにいる親子共々、自分の愚劣さを悔いながら死ぬが良い――ッ!?」
今まさにアイシャ達に魔法を使おうとした刹那、男は声もなく吹き飛んだ。
周囲にいたローブ集団がどよめき、慌てたように男の元へ駆けつける。
「ちょっと、やり過ぎなんじゃないか、あんたら」
ロウは言って、ローブ集団へと近付いた。
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