第4話 嫌われ者
誰かが自分の方へと駆けてくるのが見える。
少女だった。年の頃は十代半ば頃だろうか。腰まで伸びた金色の髪が雨に濡れ、眩いばかりに煌めている。
切れ長の目には透き通るほど蒼い瞳があり、すっと通った鼻梁の下に、色素は薄いがぷっくりと膨れた小さな唇がある。
白に金地をあしらったローブに身を包んでおり、どことなく全体的に、気品溢れる雰囲気があった。
少女の後ろには年若い、しかしロウよりは幾らか上であろう女性が数人、彼女を守るように背を向けて立っていた。
いずれも、少女よりも質は劣るもののそれなりに上等な生地を使った、似たような衣装のローブを身に着けている。
(どこかの貴族の令嬢か? うっかり貧民街に迷い込んで、悪漢にでも追われているか)
たまにあることだ。世間知らずの上流階級が何かの拍子に魔窟に足を踏み入れ、世の中の無情さを知る。可哀想だが、運が悪かったという他はなかった。
ティア、と呼ばれた少女はロウの手前で立ち止まり、振り返る。
「あなた達も、早くこちらへ」
口から発せられたのは、硬質ではあるが、響きの良い声。鈴を鳴らすような、という表現がぴったりだった。
「い、いいえ! わたくし達はここで食い止めます!」
少女のお付きだと思われる女性達は、自分の主からの促しを、はっきりと拒絶した。
「ですが、あなた達は戦ったことなどないでしょう。置いていくわけにはいきません」
「構いません! リザナ様がいらっしゃらない今、ティア様をお守りすることがわたくし達の使命! それが果たせるのであれば、命など……!」
女性達が頑なに動こうとしないのに、少女――ティアは、困ったように、わずかに眉間に皺を寄せた。
そうこうする内に、雨に煙る通りの向こうから、別の集団が現れる。
いずれも漆黒のローブを頭から被った者達だった。顔を隠すフードの、額に当たる部分には、太陽を思わせる紋様が縫い込まれている。
(あれは……ヴィシュア教会か? いや、少し違うか)
創造主ヴィシュアが最初に男へジョブの力を与えた時。
夜中だというのに、辺りが太陽と見紛う眩い光で満たされたと伝えられている。
そのことから、ヴィシュアを信仰する教会は組織を象徴するものとして、太陽の紋章を掲げていた。ただロウの知るものと、集団がローブに刻み込んでいるものとは、細部や色合いが違っている。
「いい加減にしたらどうだ。悪しき魔女を引き渡せば、貴様達には危害は加えぬ」
「その女はいずれ世界にとって害をなす。今、断罪しなければやがて人々が苦しむことになるのだ」
「これは正義の執行である」
集団が告げると、少女のお付きである女性たちが怒りの声を上げた。
「なんという不敬な! ティア様はやがてこの世界を救う聖女様にあらせられます!」
「あなた達のような歪んだ思考の持ち主が、よりにもよって正義などと!」
「そちらこそ世界にとっての害悪でしょう!」
女性達の一人が前に踏み出して、更に攻め込む。
「あなた方の傲慢で背信的な思想によって人々だけでなく、我々ヴィシュア教会がどれほどの被害を被っているか、それを理解して――」
だが彼女は最後まで言い終わることが出来なかった。
ローブの集団の一人が手を上げて、何かを呟くと、女性の体が一気に燃え上がったからだ。
「――ッ!」
全身を炎に包まれた女性は、空気を失い喋ることも出来ず、その場でのたうち回った。
他の女性たちが絶叫し、急いで離れる。
(……ジョブ持ちがいるのか)
【魔導士】というジョブを持つ者が使える、【魔法】と呼ばれるスキルだ。
火、水、土、風、氷、雷といった自然現象を操ることが出来る。
「黙れ。我らは真の光を受けし者達。偽物のお前たちこそ背信的であろう。恥を知れ」
魔法によって女性を焼殺したローブ集団の一人が、抑揚のない声で告げた。
「なんということを……」
ティアはわずかに顔を顰めたかと思うと、そのまま飛び出して行く。
女性たちを庇うようにローブ集団の前に立ち、朗々と言い放った。
「あなた達の目的は私でしょう。ならば他の者達に手を出さないで下さい」
「ティア様、いけません!」
「あなた様を失ってしまっては、わたくし達は……!」
女性達はティアの腕を掴み、必死に止めるが、彼女は首を横に振る。
「自分の使命は理解しているつもりです。しかし、あなた達を見捨てては、この先誰を救おうとも、私は私自身を二度と愛せなくなるでしょう」
虚勢ではなく、本気で言っているのは、表情で分かった。
「私があなた達の言うように『聖女』であるならば――大勢を救うために少数を犠牲にするようなやり方は、相応しくありません」
堂々と、躊躇いなく、ティアは言い切る。
「さあ、来なさい。ですが私も――ただでは、死にませんよ」
ローブの集団が、わずかにざわめいた。
籠に囲まれていたはずのか弱い鳥が、蓋を開けた途端に、鷲のような獰猛さを剥き出しにする。
そのような迫力が、今の彼女にはあった。
「いいだろう。その覚悟は評価する。苦しまぬよう、一瞬で始末してやろう。……《フレイム》」
ローブ集団の一人が言って、手から炎の球を浮かび上がらせた。
それを始まりとして、他の者達も次々に、氷の礫や土の塊、火花散る激しい雷を呼び出していく。
(全員が魔導士……何者だ、こいつら)
魔導士ギルドというわけでもなさそうだった。口振りからすると、ヴィシュア教会と敵対する者達のようだ。
(そういえばなんかどこかで、そういう奴らのことを聞いたことがあるような……いや、まあいいか)
どうでもいいことだ。鬱陶しいからさっさと終わらせよう。
ロウはそう決断し、ふらりと歩き始め、ティアの隣に立った。
「……何者だ貴様は?」
ローブ集団の一人が、怪訝な声を上げた。
ティアや女性達に気を取られていたのか、あるいは振り続ける雨で視界を曇らせていたのか。ともあれ、今までロウのことには気づかなかったらしい。
「通りすがりのモンだが、喧嘩なら他所でやってくれないか。道の邪魔なんだよ」
「ほざけ。貴様こそ邪魔だ。我らは今、崇高な使命を果たそうとしている。妨害しようとするなら、容赦はせんぞ」
「へえ。容赦しないって、どうするんだ」
「その身で体験してみないと分からないのか、愚か者が――!」
ローブ集団の一人が、炎を放とうと手を翳す。
「……がっ!?」
しかし、その寸前で動きを止めた。
一人だけではない。他の者達もまた、体の自由が利かなくなっているのだろう。
現状が理解出来ないというように、ざわめき始めた。
「こ……これは、《形縛》……!? 貴様、暗殺者か!?」
ローブ集団の一人が己の足元を見て、驚愕の声を上げる。そこには、細いナイフが突き刺さっていた。他の者達も同様だ。
形縛――相手の周囲に刃物を突き刺すことで、動きを強制的に停止させる隠密系のスキルだ。
効果範囲が数センチと短い為に精密さが求められるが、威力は絶大で、成功すればどのような相手でも一分間は全く行動できなくなる。
「い、いつの間にやったのだ。まるで見抜けなかった……」
「刃物を出す瞬間を気取られているようじゃ、半人前だ」
ロウは濡れた髪をかき上げながら、羽織った外套の内側に差し込んだ大量のナイフの一本を取り出した。
ローブ集団に近付き、気持ち先頭に立っていた一人に向かって刃を突きつける。先程から皆を代表して喋っているこいつが、頭領だろう。
「さて、どうする。時間は短いから答えは手短に。大人しく引くか。それともまだ食い下がるか?」
相手は垣間見える口元を、最初は強く噛み締めていた。
しかし、やがては、ゆっくりと歪めていく。
「ふざけたことを抜かすな。暗殺者如き下賤な者に脅されたとて、我らは」
「あ、そう」
ロウはナイフを振って、相手の首を切り裂いた。
「……え」
呆然となったような声を上げた直後、頭領だと思われる者は大量の血飛沫を上げる。
そのまま、糸の切れた人形のように、背後へ倒れ込んだ。
わずかに、場に沈黙の時が流れた。
が――次の瞬間、ローブ集団は全員が恐怖に絶叫する。
ロウは表情を変えることもなく歩きながら、怯える者達を、次々とナイフで仕留めていった。
まるで逆回転する雨のように、天に向かって鮮血が噴き出していく。
時間にして数十秒あまり。
最後の一人になった者に、ロウは目を細めた。
「や、やめ――」
震える声でなにかを口にしようとした者に耳を貸す必要性を感じず、ナイフを額に突き刺す。相手は白目を剥いて崩れ落ちると、水飛沫を上げて仰向けになった。
「選択は与えた。助かる道を捨てたのはお前らだ」
ロウはナイフの刃についた血を拭うと、元通り、外套の裏へと納める。
「て、抵抗できない相手を一方的に殺すなんて」
「なんて残虐な……」
非難するような声にロウが振り向くと、女性達は血の気の引いた顔でそれぞれに身を寄せ合っていた。
「この方が効率的だろ?」
ロウが笑いかけると、彼女達は一斉に悲鳴を上げる。
「や、やはり、暗殺者は穢れた存在……!」
「このことは神都に帰り次第、報告しなければ。騎士を派遣し、排除して貰いましょう!」
女性達が、汚物でも見るような視線を送って来た。
とは言え、ロウが何かを感じることもない。
いつものことだ。暗殺者は世界にとって忌むべき存在。
今更、そのことについて、どうこう思うようなものでもなかった。
「――おやめなさい」
が、その時、静かで、しかし圧を感じる声が放たれる。
「命を救って頂いたお相手にそのような言い方、許されるものではありませんよ」
ティアの一括に、女性達は驚いたように目を見開いた。
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