第3話 伝説の悩み
前方から手を振ってやって来たのは、一人の少女だった。
褐色の肌を持ち、赤茶けた長い髪を首の辺りで適当に縛って垂らしている。
猫のような目には宝石のように煌めく翠の瞳が宿り、痩せた体にぴったりと張り付く衣装を身に着けていた。
「アニキ! アニキ! アニキー!」
少女はロウの近くまで来ると、叫びながらぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「一度呼べば聞こえてる。何の用だ、ウーニャ」
いかにも天真爛漫、明るさ満点といった風に見えるが、ウーニャは【死神の手】に所属している暗殺者。つまりはロウの同僚だ。
殺した人間もロウには及ばないものの、かなりの数に上り、ギルドの中でも相当に上位の扱いを受けていた。
「いやー、用なんてないっすよー。アニキを見つけたから嬉しくなって駆けつけただけです。アニキー!」
にこにこと屈託ない笑顔を浮かべながら、ウーニャは抱きついてくる。
「鬱陶しいな。離れろ」
「またまたー。こんな可愛い女の子に密着されて嬉しい癖に。おっぱい当ててるの気付いてるっすか?」
「そうなのか? あまりに薄くて板かと思ったぞ」
「ああ!? ひどいっすね!? 女の子の身体的特徴をあげつらうなんて! 謝罪を要求するっすよ!?」
少し離れると、ウーニャは頬を膨らませながら、ロウを見上げて来た。
「はいはい。ごめんなさい。これでいいか?」
「全然誠意が感じられないっす! こうなれば直接的な行為による慰謝料を要求するっすよ!?」
「なんだよ、直接的な行為による慰謝料って」
「あたしにちゅーしてくださいっす。ちゅー」
言って、ウーニャは目を閉じて、唇を突き出す。
「断る」
ロウはウーニャの唇を指先で摘まんで、容赦なく引っ張った。
「いひゃい! アニキ、ひどいっすよ! 言葉だけでなく手でもいたぶるなんて!」
「やかましい。要らんことをしたお前が悪い」
抗議してくるウーニャを一蹴して、ロウは歩き始めた。
が、彼女は当たり前のように後ろをついてくる。
「もしかしてアニキは嗜虐趣味があるんすか? 女の子に痛いことするのが好きなんすか? あたしはそういうのも全面的に受け入れるっすよ? この後どうっすか?」
「立て続けに質問するな。この後どうってなにがだ」
「宿行って……存分にあたしをいたぶってくれて……いいんすよ?」
前に回ってくると、ウーニャは自身の体を煽情的ににくねらせた。
「目を潤ませるな。首飛ばすぞ」
「それはさすがに絶頂する前に死ぬっすね」
どけ、とロウに手で押され、ウーニャは不満そうに両手を上げた。
「なんすかー。すげないっすよ。あたしはこんなにアニキのことを性的な目で見ているのに、いつになったらアニキはあたしを雌豚のように抱いてくれるんっすか」
「雌豚のように抱いて欲しいのかよ。じゃあそこでブヒブヒ鳴いてろ」
「そうしたら抱いてくれるんすか!? ブヒブヒ!」
「少しは躊躇えよ」
呆れて息をつきながら、付き合ってられないと、ロウは足を進める。
ウーニャと初めて出会ったのは、とある仕事先でのことだ。
正確に言えば、彼女が新人の頃、へまをして殺されかかっていたところを、ロウが救ったのである。
元から『鴉』に憧れていたというウーニャは、ロウにこっそりとついてきて、殺し方を学ぼうとしていたのだ。
追ってきていることには気づいていたものの、面倒くさいので放っておいた。しかし、ウーニャが標的の護衛を仕留めようとして返り討ちに遭った為、助けざるを得なかったのだ。本人曰く、少しでもロウの役に立ちたくてやったのだという。
当然、こっぴどく叱って同じことをやれば今度は見捨てると、わざと怖い顔で脅した。
自分に近付かないようにと思ってやったことだったが、目論見は外れることになる。
鮮やかに護衛を仕留めたロウの姿に感銘を受けたとかで、以来、ウーニャはやたらと懐くようになったのだ。
更に彼女はめきめきと実力を上げ、どれだけ撒いても追ってくるようになったので、今では諦めてやりたいようにやらせている。
「アニキはこの後、どうするんっすか?」
「帰るよ。家に」
「そうなんすか! ならあたしも帰ります! アニキの家に!」
「それは帰るとは言わん」
「いいじゃないっすかー。不健康にだらだらと性行為でもしましょうよー。暇ですし」
ロウの腕にぶら下がり、だだっ子のように頬を膨らませるウーニャ。
「いい若いもんが堕落的なことを口にするんじゃない。将来の為に学べ。励め」
「裏社会の人間がなに年より臭くてまっとうなこと言ってるんすか……何度も言ったっすけどあたし、胸は小さいけど感度は良いんすよ?」
「世界一どうでもいい情報を繰り返し伝えてくるな」
ロウが強引にウーニャを振り払うと、彼女は「いやーん」とわざとらしく黄色い声を上げて空中で一回転し、猫のように柔らかく降り立つ。
周りをうろつくだけでなく、やたらと誘ってくるようになったウーニャだが、本人曰く全て本気とのことだった。
ただ、平然と卑猥なことを口にするものの、彼女はまだ性行為未体験、つまりは処女だ。
なんでも、己にとって大切な乙女の部分は、最初にロウへ捧げると決めているらしい。
勝手に決めるなよ、と何度も突っ込んだが、まるで聞く耳を持たなかった。
「いいから独りにしてくれ。疲れてるんだ」
「なんすか、アニキらしくない。一人二人殺したくらいで、新人の初仕事みたいに。いつもはその辺のゴミを拾って捨てたみたいに、平気な顔してるじゃないっすか」
「……それが問題なんだよ」
ぼやいて、ロウは歩く速度を速めた。
あえてウーニャを置いていく勢いにすると、彼女はいつもと違う様子を察したのか、それ以上ついてくることはなかった。
再び孤独になった身で、薄汚れた王都の一角を進む。
いつしか、ぽつり、ぽつりと、細かな雨が降り始めていた。
(そう……オレも、かつてはそうだった)
天から落ちる水滴が、頬を濡らして流れていく。
不快な感触も、今は拭う気すら起きなかった。
(初めて仕事をした時、こんなに大変なものなのかと、愕然としたもんだ)
人を殺すということは、言うほど簡単ではない。
人体は思っている以上に頑丈で、そう易々と活動を止めることはないからだ。
たとえば刃物であれば、どの部分を、どういう角度で、どれほどの力で刺せば致命傷を負わせることが出来るかを、知識ではなく感覚として習得しなければ成り立たなかった。
失敗すれば返り討ち。武器を奪われ、逆にやられるということも少なくなかった。
鈍器であっても同じことだ。よく衝動的に殺害したという事件があるが、人間を一撃で仕留めるというのは相当に難しい。もし初めてで、勢いのままに成功したならば、かなりの幸運の持ち主であると言えるだろう。
結果、何度も、何度も体を痛めつけることになる為、体力も気力も根こそぎ消耗する。
スキルがあってもそこは変わらない。いかに肉体が強化され、特殊な技が使えたとしても、使い手が未熟であればその真価は発揮されなかった。
まして仕事で殺人をするのならば、正確性と迅速性が同時に求められる。双方を満たすには、かなりの修練と経験が必要だった。
肉体の疲労だけではない。
人生が終わる正にその瞬間、相手は絶望に満ちた顔をし、か細く残った命の灯火を、それでも保ち続けようと執拗に足掻く。
その姿は否応なしに、殺した本人に罪悪感を覚えさせる。
どれほど相手を恨みに思っていても、誰かの命を理不尽に奪い去っというその事実は、本人の心へしこりのように残り続けるのだ。
ロウもまた、例外ではなかった。
最初に目の前で標的を殺した時、自分に向けられた目を、未だに覚えている。
憎悪、悲哀、憤怒、後悔、怯懦――その瞳には、ありとあらゆる感情がない交ぜになった、深い、深い、穴の底でわだかまる泥のように、濁った色が宿っていた。
そうして、脳に焼き付いたその目が、夜、寝床に入る度に蘇る。
夢でうなされ、激しい動悸に跳び起きて、以降、まるで寝付けなくなった。
しかし、殺した数が一人、また一人と増えていく度に、いつしかそんな感覚も摩耗していく。
暗殺者として数年も経つと、どれほど返り血を浴びようとも、まるで平気になった。
人間が、ただの肉の塊にしか見えず、死の前に上げる叫びも鳥の鳴き声以下にしか聞こえなくなる。
人を殺すという行為に、慣れたのだ。
それはそれで、都合が良いと思っていた。仕事をする上で、不要な感情は邪魔になる。
相手がどういう存在だろうと、短剣を突き刺して血が出るのは同じこと。
ならばいちいち気に留めても仕方がない。そう思えるようになったのは、一人前になった証拠なのだと。
(だが……最近、どうも妙だ)
雨足は、徐々に強くなっていった。
激しく降り注ぐ水の粒は一体化し、滝のようにしてロウを叩きつける。
水で煙る道先は、まるで今の自分の将来であるように思えた。
(オレはいつまでこの稼業を続けるのか。どれだけの人を殺し続けるのか。ふと、そんなことが気になるようになった)
殺しが、嫌になったわけではない。
好きや嫌いなどいう段階は、とうに超えていた。
人間が呼吸することを辞められないように、ロウは人の命を奪うことを、放棄することは出来ない。
ただそれでも、無償に虚しさのようなものを覚えるのだ。
界隈だけでなく、世間ですらロウの『鴉』という異名は知れ渡っており、同業者の中には伝説の暗殺者と呼称し、尊ぶ者もいる。
しかし、だから、なんだというのか。
所詮は、何十、何百、何千という屍が築き上げた上にあるものだ。
血生臭い山の頂点に陣取って、称賛を浴びたところで、何の誇りにもならない。
(元々は……流されるまま、生きる為に始めたことだ)
ギルドでは人を殺したくて仕方がない者や、仕事と割り切って務める者も大勢いる。
だが自分はやりたくてやっているわけでもなければ、そこまで自分の人生と切り分けて考えられるわけでもない。
流儀としている『悪人しか殺さない』というのも、師匠から継承しただけのものだ。
「暗殺者という稼業をするならば、線引きはしておけ。さもなければ、殺人という行為に呑まれて己を見失う」
師匠の言葉は、なるほど、正しい。
自分が何の為に殺すのか、それを決めなければ、いずれ狂気の世界に囚われるだろう。
(……それでもオレは、オレ自身がこの先どういう生き方をしていくべきなのか、それをまだ見つけられていない)
誰でもない、己によって定めるべき道が、どこにあるのか。
いや、それはそもそも、定めるべきものなのか。
その迷いは、今もなお街を苛む土砂降りの雨のように、先行きを閉ざしていた。
と――。
「ティア様! お逃げ下さいませ!」
そこで、不意に前方から聞こえる金切り声に、ロウは伏せていた顔を上げた。
読んでいただき、誠にありがとうございます!
もし少しでも「面白かったよー」「続きも読みたいな」と思っていただけましたら、下のポイント欄の☆の数を増やしていただけると、大変うれしく思います!




