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第2話 【鴉】と呼ばれた男

「――何者だ!?」


 バードックは振り返るも、そこには濃い闇がわだかまっているだけであった。

 だが間もなく、窓から差し込む月明かりの下に、ある人物が姿を見せる。

 高い身の丈を、夜を溶かし込んだかのような漆黒の衣装で包み込んでいた。

 肩程まで乱雑に伸ばした髪もまた、黒。

 体格や声からして男だろうが、にわかには判別し難かった。


 その顔が、不気味な仮面で覆われていたからだ。


 衣装や髪と同色を下地にし、金の縁取りをあしらったそれは、鼻から口にかけて奇妙に突きでて下向きに湾曲している。

 さながら、鳥の顔を思わせるように。


「性欲結構。世継ぎの為にも毎夜励むその精神、大事にしないといけないな」

「答えろ! 何者だと訊いている!」


 激昂するバードックを気にもせず、仮面の人物は前に、踏み出した。


「ただなぁ。あんた、ちょっとやり過ぎだ。領民から金をとるだけに飽き足らず、気に入った人妻まで奪うとは、さすがに見過ごせない奴だって出て来るさ」

「ち、近付くな。わしを誰だと思っている!? どこから入り込んだかは知らないが、呼べばすぐにでも番兵がやってくるぞ!?」

「呼びたければ呼べばいい。駆けつけるまで十秒か、それとも一分か?」


 仮面の奥にある表情は、読み取れない。

 だがバードックにはなぜかその時、理解できた。

 目の前の人物が、薄く、冷たい笑みを浮かべていることを。


「あんたを殺すには――十分すぎる時間だ」


 無意識に喉の奥から小さな悲鳴が漏れて、バードックは思わず、その場から下がった。

 殺気を感じたのか、声色に本気を見たのか。

 バードック自身、はっきりと形に出来たわけではないが――本能に近いところで、はっきりと悟ったのだ。


 はったりではない。


 この人物は、その気になればすぐにでも自分の命を奪えるのだと。


「だ、誰に頼まれたんだ! 金か!? 依頼主がお前に払った額の倍をくれてやる! だからここから去れ!」

「悪いがギルド経由で仕事を受けたんでね。オレも誰があんたを殺せと言ったのかまでは把握していない。後、確かに金は人生に必要だ。ただそいつが全てじゃあない。特にオレにとってはな」


 仮面の人物は肩を竦め、懐に手を入れた。


「臭うんだよ、あんた。性根が腐り切った、ひどい臭いだ。オレみたいな奴は、そいつに惹かれちまう。――鼻がひん曲がるような屍肉を、ついばみたくなるのさ」


 その瞬間、バードックは思い出した。

 身分や立場の関係なく、不正を行う者を密かに始末する者の噂を。

 そいつは己の標的を、必ず腐臭を撒き散らす死肉に例えるという。

 故にこう呼ばれていた。


「……鴉(カラス)……」


 屍を喰らう、漆黒の使者。


(じょ、冗談じゃない。鴉に狙われた奴は、どんな防備を敷こうとも必ず殺されるというじゃないか! 嫌だ……! まだ死にたくない!)


 バードックは戦慄し、起死回生の策を編み出すべく、普段あまり使わぬ脳を力の限り回転させた。


「……そうだ」


 その甲斐あって、ある妙案を思いつき、急いで振り返る。

 そこには、屋敷に連れ込んだ娘の姿があった。

 バードックはベッドに飛び込むと、逃げようとする娘の体を掴み、その後ろに回る。

 次いで首に腕を回し、動けないように拘束した。


「そ、それ以上近づくな! もし一歩でも動けば、この娘の首をへし折ってやるぞ!?」


 娘が恐怖に絶叫する。


「き、聞いているぞ。鴉は悪人の命しか奪わず、その為の犠牲すら決して出さない流儀だと。この娘が死んでもいいのか!?」

「なるほど。痛いところをつかれたな」


 鴉は首を傾げて、ため息をつくような音を出した。

 上手くいったと、バードックはせせら笑う。


「さあ、この屋敷から出て行け! お前のような薄汚い殺し屋が居ていい場所じゃないんだ!」


 正に形勢逆転。我ながらよくやったと、バードックは胸中で自分を褒め称えた。


「だが……少し訂正しておこう。オレは犠牲を決して出さないわけじゃない。必要とあれば善人だろうと悪人だろうと殺す。まあ、避けるべき時は避けるがね。それと」


 鴉は呟くと、懐から短剣を取り出した。刃が月光を照り返し、青白く輝く。


「オレに人質は意味を持たない。――《転瞬》」


 謎の言葉を口にした刹那、鴉の姿が掻き消えた。

 同時にバードックは振り返り、瞠目する。

 いつの間にか背後に迫っていた鴉が、短剣を振り払っていた。


「浅知恵、ご苦労さん」


 喉が熱くなるのを感じた。

 直後、目の前に大量の赤い液体が迸る。

 それが、己の首が掻き切られたが故に噴き出た鮮血であることに、気付いたその時。

 バードックの視界は暗く閉ざされ、意識はどこまでも深く、落ちていった。


「お疲れ様です、ロウさん。こちら、報酬です」


 受付嬢のサリエラが、カウンターに大きな革袋を置いた。

 中に詰まった大量の金貨が、鈍い音を鳴らす。


「毎度」


 ロウは革袋を掴むと、肩に担いだ。


「これで連続依頼達成数、また更新ですね。今回も実に鮮やかなやり方であったと調査員が褒めていましたよ」


 肩程で綺麗に切り揃えた紫の髪を揺らしながら、サリエラが眼鏡の奥にある目を細めて笑う。


「別に大したことはしてないさ。いつものようにやっただけだ」

「またまた御謙遜を。ロウさんは我が【死神の手】の稼ぎ頭なんですから、もっと偉そうにして下さいよ」

「人を殺して胸を張るようになっちゃ、お終いだ。師匠にも怒られる」

「相変わらずですねえ。大工が家を建てる、料理人が食事を提供する、漁師が魚を獲るのと同じで、我がギルドは殺人を生業にしている、それだけのことです。なにも引け目を感じることはありません」


 可愛らしい顔で恐ろしいことを、平然と口にするサリエラ。

 なにも彼女に限った話ではない。

 暗殺者ギルド【死神の手】に所属している連中は、誰も彼もが似たようなものだ。

 ロウのように人殺しを忌むべきものと認識している方が珍しかった。


「オレにはそんな風に考えられなくてね。この【ジョブ】が向いてないのかもしれん」

「あはは、今年聞いた中でも最高の冗談ですね、それ」


 やだなぁ、とばかりに手を振って、サリエラは続ける。

「ロウさん、今まで何人、いえ、何百人の命を奪って来たと思っているんですか。あなたほど暗殺者に向いた人はいませんよ」


「……人生ってままならないものだよな」


 ロウは苦笑交じりに答えて、「そんじゃ」とサリエラに背を向けた。

 古びた床板を軋ませながら、ギルドの拠点を出る。

 見上げた空には厚い暗雲が立ち込めており、今にも雨が降りそうだった。


(ま、どうせ出かける用事もないからどうでもいいことか)


 家に帰って昼寝でもしようと、ぶらぶら歩き始める。

 石畳の通りには、捨てられたゴミが散乱し、見るからに柄の悪い連中がそこかしこにたむろしていた。

 王都オルデランの端の端。俗に貧民街と呼ばれるここには、行き場を失くした者達が最後に辿り着くところだと言われている。

 故に法も及ばず、うっかり足を踏み入れようものなら、身ぐるみ剥がされるだけでは済まなかった。

 下手をすれば体を解体されて、内臓さえ盗まれる。特殊な趣味を持つ者や闇医者に高く売れるからだ。


 ただそれ故に【死神の手】のような暗殺者ギルドが拠点を構えるのには、うってつけなのだ。尤も世界的にその存在を危険視されている為に、表向きは商人ギルドとして活動してはいるのだが。


(本当にオレ達が大工や料理人と同じなら、こんなにこそこそする必要はないだろうに)


 ロウはサリエラの言葉を思い出しながら、周囲に居る胡乱な目つきをした者達を、ちらりと見やる。

 通常であれば難癖をつけて絡んでくる輩も、相手がロウだと分かると、慌てたように視線を逸らした。

 少なくともこの界隈で、【死神の手】に所属している人間に突っ掛かる者はいない。

 口を開くより先に、首がすっ飛ぶことは確定しているからだ。


 暴力と搾取を生業にしている者達ですら避ける存在。それが、暗殺者だった。


(まあ、世界中に嫌われてる立場だ。仕方がないがね)


 ジョブ――と呼ばれる『恩恵』が人間に与えられたのは、遥か昔の話。

 世界の創造主といわれる神ヴィシュアが、ある男に授けたことが始まりだという。

 男はジョブによって身体能力が向上するだけでなく、様々な不可思議な技を使いこなせるようになった。

 それ以後、男はヴィシュアの代弁者として彼の者を模した像を造り、皆に神を信仰すれば自分のような力が備わると説いて回ることになる。


 男の言葉に従い、他の者達がヴィシュアの像を前にして祈ると、かくして同様の奇蹟はもたらされた。

 ただし祈りを捧げた者全てではなく、ジョブは選ばれた人間にのみ宿り、また、それぞれに相応しいものが異なる。

加えて、ジョブによって、付与される身体能力の強弱も、使える力も違っていた。

 いつしかジョブによって生み出される技はスキルと呼称されるようになり、その傾向に沿って分類されていく。


 やがてジョブを持つ者はそれぞれに同業者組合――ギルドを創設し、様々な場面で活躍するようになった。

 依頼を受けて犯罪者を捕らえる者もいれば、ダンジョンと呼ばれる危険な場所に挑んで宝を手にする者もいる。

 世界にはびこり、人間に敵意をもって襲い掛かる『魔獣』を呼ばれる異形を討伐することで、金銭を得る者も居た。

 ロウの体に備わる【暗殺者】のジョブは、力や防御力が他に劣る代わり、素早さや身の軽さに特化している。また、スキルも隠密行為に適したものが多いことから、古くより魔獣退治だけでなく、対人に使われることも多かった。


 しかしいつしかその行為が、ヴィシュア神を信仰し全国に支部を持つ組織【ヴィシュア教会】に猛烈な非難を受けるようになる。

 人を救うために与えられた神聖なる力を、人を殺すことに使うのは、造物主に対する離反だというのだ。

 ヴィシュア教会は、初めてジョブを授かった男が開いたものである為、世界的に多大な影響力を持っている。

 教会の決定は、ヴィシュア神の決定であるとすら、されていた。


 故に、各国は協会の方針に追従し、暗殺者のジョブを持つ者を強く非難するようになる。

 やがてそれが明確な罰則となり、暗殺者のスキルを魔獣以外に使う者はそれだけで死罪に値すると決定されるまで、そう時間はかからなかった。

 今では暗殺者というだけで、世間から忌むべき目を向けられる始末だ。

 ただ、ロウとしてはその点に関して特に不満を覚えたことはない。

 かつて師匠が、言っていたからだ。


『どう理屈をつけようが、人殺しは人殺し。誹りを受けるのは当たり前だ。だから、理不尽さを感じる心は捨てろ。溜め込まず、そういうものだと受け流せ』


 師匠は、両親を病で亡くし、貧民街をうろついていたロウを拾い、育ててくれた。

 またそれだけでなく、ロウに自分と同じ暗殺者のジョブ適性があると分かると、その技術の全てを叩きこんでくれたのだ。

 おかげで師匠が亡くなった今も、ロウは『鴉』などと異名を持つほどに数々の仕事をこなし、少なくない金を得て、生き永らえていられる。


 命の恩人であり、育ての親であり、ジョブの先達である師匠の言葉は、ロウにとって絶対だ。故に、彼が言うことには素直に従うようにしている。

 暗殺者は日陰者。そう仕向けた世間を恨んではならない。

 そこに、特にこれといった疑問はなかった。


(それでも……オレも、歳かね)


 言ってまだ18ではあるが、最近、どうにも妙な心地だった。


「あー! アニキー!」


 と、ぼんやりしていたロウの耳が、甲高い声を捉える。

読んでいただき、誠にありがとうございます!

もし少しでも「面白かったよー」「続きも読みたいな」と思っていただけましたら、下のポイント欄の☆の数を増やしていただけると、大変うれしく思います!

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