第31話 悪くない人生
ヴィシュア大教会が伝説の暗殺者『鴉』による襲撃を受けてから、一週間後――。
ティアは神都の民衆を集め、衝撃的な事実を告げた。
神官総長であるオーガストが、裏で数々の非道な犯罪行為に手を染めていたこと。彼が聖騎士団によって捕縛され、投獄されたこと。
そして、聖女の存在が偽りで、その力は魔道具によるものだったことを。
彼らより先に話を聞いていた教会関係者達と同じく、全てを知った民衆は、信じられないと口々に絶叫した。
神都は混乱の坩堝と化し、教会への信頼も失墜の一途をたどり始める。
が、それでも瀬戸際で留まったのは、聖女ティアの言葉だった。
「皆が教会を信じる気持ちを失ったのであればそれは仕方のないこと。離れていく者も責めはしません。ですが私はそれでも皆を愛し――尽くすことを、誓います」
この、切々とした訴えは、多くの信者の胸を突く。
かくして一度は教会を見放しかけた者達も、ティアの下であればと、再び支持することをその場で誓った。
誰もが、過去の経験から知っていた。
ティアの力は偽物だったかもしれないが、彼女の行いや、自己犠牲の精神は本物であると。そうでなければ、自らの命を賭してまで、誰かを救い続けることなど出来るわけがないのだと。
かくして、聖女から救世の【奇蹟】はなくなったが――彼女は、新たな神官総長としてヴィシュア教会を率いることとなったのだった。
「たーいしたもんっすねー。力じゃなくて、心だけで信仰を勝ち取るなんて」
神都の一角にある建物の屋根、大教会前の広場を見下ろせる場所で、ウーニャが呟く。
彼女の視線の先には、あれだけの事件があった後も変わらず大教会に集う人々の姿があった。
「全てはヴィシュア神の導きのままにってことっすかねえ?」
ウーニャは眼差しを傾け、皮肉交じりの口調で尋ねて来る。
「どう思います?――アニキ」
「神なんて関係あるか。全部、ティア自身が決めてやり続けた、その結果だ」
ロウは鼻を鳴らして、賑やかな神都の様子を眺めた。
既に、流行り病にかかる者はいない。
オーガストの持っていた魔道具は全て没収、ティアの指示で処分された。
神都は、偽物の聖女によって、平穏を取り戻したのだ。
「……はあ。まあ、アニキを助けてもらった以上、あの女……ティアにケチつけるつもりはないっすけどねえ」
それでも気に入らないというように、ウーニャは口を尖らせた。
一週間前――。
オーガストによる最後の足掻きによって死んだはずのロウは、しかし、目が覚めると死した者が落ちるというあ冥界ではなく、ティアの部屋に居た。
更には目の前にはティア本人がいて、ロウの意識が戻ると分かるや、泣き笑いのような表情になって抱きついてきたのだ。
事情が分からず、戸惑うロウに、ティアの傍らに居たリザナが苦虫を噛み潰したような表情で説明した。
死にかけているロウを自室まで連れて来ると、ティアは毒を除去する為に、魔道具を介した【奇蹟】を使い続けたのだという。
どれだけリザナが止めても聞かず、ロウの体調が改善するまで、スキルの発動を止めることはなかった。
「なぜ、そんなことをした。魔道具は、あんたの命を縮めると言っただろう」
助けてもらって責めるようなことは言いたくなかったが、それでも、ティアのことを考えると黙ってはいられない。
ロウの言葉に、ティアは下唇を噛んで黙り込んでいたが、やがて呟くように答えた。
「分かりません。ですが……なにをしてもあなたを救わなければならないと、私の心が訴えかけて来たのです。私に嘘つき呼ばわりをされ、拒絶されても尚、お父様を止めようとしたあなたを、このまま死なせてはならないと」
「……あんたの人を救いたいという想いも、度が過ぎてるな」
思わず苦笑してしまったロウに、ティアは首を横に振る。
「いいえ。それだけでは、ありません。あなたであるからこそ。……私の為に命を賭けたあなただからこそ、たとえ自らの魂を捧げても、私は助けたいと思ったのです」
ティアはそこで、柔らかな笑みを浮かべた。
それは、あの日、あの時、あの場所で。
ロウが心を射貫かれた、あの、笑顔だった。
形に出来ない何かが、ロウの胸の内に広がっていく。
ああ――いいのか、と。そんな罪悪感にも似た気持ちを、ロウは抱いた。
無慈悲に命を奪い続けて来た自分に、これほどまでに温かなものが与えられていいのかと。
もしもこれが、ヴィシュアの慈悲深さによって生まれた恩恵なのだとすれば。
なるほど、今こそ心から誓ってやろう。
(オレは、あんたが祝福し、遣わせたティアを――汚れたこの手で、あらゆる邪悪から守ってやる)
どんなことが、あろうとも。
今まで培ってきた全てを、投げ捨ててでも。
胡散臭く、信用できず、敵だらけのこので。
ティア一人の為だけに、神へ祈りを捧げ続けてやる。
「で、アニキ、これからどうするんすか?」
――ウーニャの問いかけに、過去を回想していたロウは現実に引き戻された。
「神官を続けるさ。せっかく転職したんだしな」
オーガストによるロウへの容疑は、全てが濡れ衣であったと、ティアは自身の口から教会の皆に伝えた。
そのおかげで、職務自体を続けることに支障はない。
リザナを始めとして、一部の人間からは未だに嫌疑の目を向けられてはいるが――。
それも特に気にするつもりはなかった。
「そうっすか。……あーあ。アニキが戻ってくれると思ったのになぁ」
ぼやくウーニャに、ロウは薄い笑みと共に答えた。
「そいつは悪かった。だがオレは見つけちまったんだよ。生きる意味――虚しさを消す方法を」
「むう。でもあたしはいつまででも待ってるっすからね。暗殺者の……『鴉』の帰る場所はギルドと、あたしのベッドの中しかないんすから!」
「……へえへえ。が、あんまり期待しないようにな」
ロウは教会の屋根を蹴って、地上に降り立つ。
神都の民衆へ、熱のある演説を行っているティアを眺めていると、声がかかった。
「ロウさ――んッ!」
視線をやると、アイシャが手を振ったまま、駆け寄って来る。
「良かった、ここにいたんですね。これから炊き出しの準備をするんですけど、手が足りなくて。良かったら、手伝ってもらえませんか?」
「……先輩は相変わらずですね」
教会が、アイシャやティアのような人間ばかりであれば、ロウのような存在は必要なかったのかもしれない。
だが現実には、権威や信仰を餌に無垢な獲物を狙う者は、他にも大勢いる。
ならば彼女たちの代わりにその腐った肉を、自分が喰らってやろう。
それが、『鴉』の役目であり、存在意義だ。
「わかりました。行きましょう」
必要とされるその時までは、どれだけつまらなく、地味で、報われないとしても――。
再び、平凡な神官として生きてやる。
漫然と血を浴び続けるよりは、ずっとずっと、マシなのだと。
救世の聖女――ティアと出会えて、そう思うようになれたのだから。
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