第29話 窮鼠
「……まさか、ジュウドを仕留めるとは」
薄暗い部屋に立っていたオーガストが、ロウの姿を認めて息を呑んだ。
いつものような、泰然とした様子はそこにない。
ロウが自分の元に来るのは、さしもの彼も、予想外のことだったようだ。
「レベル9500の【秘術僧兵】ですよ。いかな『鴉』とは言え、直接的な戦闘能力に劣る暗殺者が勝てる相手ではないはず。一体、どうやって……」
「あんたには一生理解できない方法だよ」
ロウは吐き捨てて、短剣を抜いた。
それだけで体がふらつく。限界が近かった。目的を達するには時間との勝負だ。
「もうあんたを守る奴は誰も居ない。そろそろ神に祈りでも捧げたらどうだ。外道に偉大な創造主が耳を傾けてくれればの話だがな」
「……待ちなさい。僕が死ねばヴィシュア教会はどうなります? 教会を信仰する神都の民衆は? 皆が惑い、混乱し、道を見失いますよ?」
説得するように手を前に出し、朗々と語り始めるオーガスト。
その姿は、ロウからすれば実に滑稽だった。
「あんた、意外に馬鹿だな。皆が求めてるのは聖女様だ。あんたが居なくなったところで、皆が悲しむのは最初だけ。その内、良い思い出にして、記憶の隅に仕舞われるさ」
「そのティアが、僕の死を知ればどうなると思います。誰かに殺されたとなれば、それはあなたの仕業であると思うはず。憎しみ、恨まれますよ」
「そうかもな」
ロウは、一歩踏み出した。オーガストに対し、短剣を静かに構える。
「だが別にいいんだ。あいつが寿命をまっとうするまでこの世界に存在してくれるなら、それでいい。オレを好きだとか嫌いだとか、そんなもんは些細なことだ」
――見つかるといいですね。ロウが、ロウで在り続けたいと思えるものが
かつてティアの紡いだ言葉が、脳裏を過ぎった。
ああ、そうだ。自分が自分で居て良かった、今はそう感じることが出来る。
知らずとは言え己が魂を削りながらも多くの人々を助け続けた聖女を、自分のような薄汚い殺し屋にすら、笑いかけてくれた女の子を。
この手で、救えたのだから。
「信じられない。たかが孤児の娘の為だけに……」
間近に迫るロウを前にし、オーガストの目に初めて、怯えの色が宿った。
もはやどんな詭弁を弄しようとも、ロウを止めることは出来ない。
そのことを、悟ったのだろう。
ロウは口から零れ落ちる血を手で拭い、オーガストに向かって短剣の切っ先を向けた。
「知ってるか、神官総長様。――腐った性根を臭わせていると、鴉がやって来るんだぜ」
青ざめ、小さく悲鳴を上げるオーガストに対して、ロウは刃を振り上げる。
「ま、待って下さい!! ロウ!」
が、ロウの短剣がオーガストの首を掻っ切るより寸前、背後から聞き覚えのある声が弾けた。
手を止め、ロウが振り返ると、そこには――ティアが立っている。
「……ティア? なぜここに」
「お父様に話があります。申し訳ありませんが、そこをどいて下さい」
ティアの真剣な眼差しは、何かを決意した者のそれだった。
ロウはわずかに逡巡したが、頷いてオーガストから離れる。
「おお……ティア。よく来てくれました。危ないところでしたよ。この暗殺者が僕の命を狙ってこの部屋に――」
「もういいのですよ、お父様」
窮地を脱したことを確信したのか、胸を撫で下ろした様子のオーガスト。
が、
「ロウから聞いた話が本当であったと、わかりました」
「……え?」
ティアの言葉に一転、呆然とした表情を晒した。
「お父様の部屋でこれを見つけました」
ティアは手に持っていた、装飾の施された腕輪を差し出す。
「以前、押収した中で、似たようなものを目にしたことがあります。魔道具ですよね? 教会側で厳重に管理し、保管庫に仕舞われているものが、どうしてお父様の部屋にあったのですか? これだけではなく、かなりの量がありました。契約書も幾つか残されていましたので、全て読ませて頂きました」
「な……あなた、僕の部屋に入ったのですか……!?」
思わず、といったように腕輪を取り上げようとするオーガストの手から、ティアは逃れた。
ロウもまた驚く。
ジュウドとの戦闘があった為に、部屋から脱出する際手に入れられなかった魔道具の現物を、わざわざオーガストの部屋まで行って手に入れて来たかと。
「はい。ロウの襲撃を受けて逃亡した為、再び隠す余裕もなかったのでしょう。引き出しの中にありました」
「ぼ、僕のことを疑ったのですか!? この暗殺者のデマカセを信じて!?」
既にオーガストの中から、冷静さは失われていた。明らかに狼狽したまま、頭を抱える。
それだけ、ティアの行動が彼の中で予想の範疇外だったのだろう。
「……はい。その通りです」
「なぜです!? あなたは僕のことを信頼し、尊敬していた。それなのにこんな男の言うことを……!」
「お父様は以前、私に聖女として皆を導け、と申されました。導きとは、ただ先頭に立って歩けば良いわけではありません。その者達がついてくるに相応しい人間になる必要があります。そうですよね?」
「な、なにを今この場で……」
「人々を導く者は、傲慢であってはならない。頑なであってはならない。偏りがあってはならない。ですから私は誰の話にも耳を傾け、一考しなければならなかったのです」
そこでティアは、ロウへと視線を送った。清らかな瞳に、申し訳なさを滲ませながら。
「ロウ、私は聖女として、あなたの訴えを無下にしてはならなかった。本当にごめんなさい。感情に先んじて聞くことすらしなかったなんて、本当に未熟です」
「いや……そんなことはない。オレも焦っていたとは言え、あんたの気持ちを考えずに話してしまった。誰だってああするさ」
深々と頭を下げるティアに、ロウは頬を掻いた。
彼女が自分のことを信用してくれたということに、妙なむず痒さを感じる。
「お父様、私は皆に真実を知らせます。その上で、あなたを公正な裁きに賭けようと思います。ですからロウ、お父様を殺めるのは、思い留まっては頂けませんか? 勝手な願いだとは、承知していますが……」
「……あんたはそれで大丈夫なのか? 義理とは言え、大事な父親なんだろ?」
よほど関係性が険悪でなければ、自らの意志で肉親を告発するというのは、かなりの精神的負担が強いられる行為だ。
(だったらもう、オレが強引に今ここで手にかけた方がいいんじゃないか)
彼女の制止を無視してロウがオーガストを殺せば、少なくとも『義父の人生を終わらせたのは自分ではない』と思い込むことは出来た。
ティアの今後を思えば、そのせいで怒りをぶつけられた方が、ロウにとってはずっとマシだ。
「大事だからこそ、きちんとしたいのです」
しかし、ティアはそこで笑みを浮かべた。まるでロウの考えを読み、その必要はないと諭すようにして。
「お父様が与え、皆が信じてくれた生き方に、恥じることのないように。私は……そう在りたいのです」
「……。そうか。分かった」
虚勢ではない。心の底から覚悟を以て伝えられた言葉に、ロウは頷いた。
ならば、もう、自分が止める必要はない。
「なら、オーガストを連行すればいい。オレは何もしない」
「……ありがとうございます、ロウ」
世界の誰よりも美しく、穢れのない笑みを浮かべるティアに、ロウもまた口元を緩めた。
「……けるな……」
その時、押し殺したような声が発し、ロウはオーガストの方を見る。
「ふざけるな……お前如き餓鬼に、僕のことを裁かせてたまるものか……!」
血走った目でティアを睨み付け、オーガストは懐に手を入れた。
「親もなく、僕が居なければ路頭に迷って死んでいた孤児如きに! そんなことをされるなら、ここで死んだ方がマシだ!」
彼は取り出した何かを、ティアに向かって投げつける。
「だがその前に――お前が死ねッ!」
ロウは、ほとんど反射的に、動いていた。
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