第27話 奥の手
驚く……などという、段階ではない。
目の前に立っているのがアイシャとは思えない程に、ロウは度胆を抜かれた。
「先輩……どうしたんですか。オレは、教会を裏切った大罪人ですよ」
アイシャという人間を考えれば、問答無用で通報していてもおかしくはない。
しかしそれどころか、教会に忍び込んだ暗殺者が狙っているオーガストの居場所を当の本人に教えるというのは、どういうことだろうか。
「ええ、そう聞きました。ですがわたしは、ロウさんがそんな人間でないことを知っています。あなたは、わたしの為に怒ってくれた。教会側は決して評価してくれなかったわたしの行為を、認めてくれた。一方的に踏みにじられていた誰かの為に、戦ってくれました。そんな方が、自らの欲の為に他者を犠牲にするなんて、どうしても思えません」
「それも、先輩を、ひいては教会側を騙す為にやったことかもしれませんよ」
「いいえ、違います。ロウさんはそんな人ではありません」
「なぜそう思えるんですか」
「信仰とは対象ではなく、己の内に宿るものです。わたしは自分の目で見て、判断したものを、ヴィシュア様の導きだと思っています。ですから……ヴィシュア教の信者として、誰でもない、わたしがそう思ったから、ロウさんを信じます」
すらすらと、澱みなく。
躊躇いの一つも挟まずに言い切ったアイシャに、ロウは目を見開いた。
間もなく、腹の底からこみ上げてくる感情に、思わず顔を伏せる。
「……え、ど、どうして笑っているんですか? わたし、変なこと言いました?」
動揺するアイシャに、ロウは「いや……」と未だ緩む口元を手で押さえながら言った。
「先輩、あんた、本物ですよ。オーガストなんかより、よほど聖職者だ」
「そ、そんなことはありません! ですがわたしは、ロウさんが神官総長様の部屋に行ったのは、なにか別の理由あるのだと思って。もし、もしも神官総長様に何か問題があり、それを伏せてロウさんを悪人だと偽っているのであれば、是正すべきです。それが出来るのが、ロウさんだけなのだとすれば、微力ながらお手伝いしたいとそう思って……」
「その発想自体が、普通ならないことですよ。尊敬している人間を疑うわけですからね」
「神官総長様のことは今でも崇敬しています。ですが……だからといって、盲目的にはなりたくないんです」
そういうところが『本物』だというのだ。
ロウは尚もそう言おうと思ったが、やめておいた。アイシャを困らせるのは、本意ではない。
「分かりました。その御心に感謝します。……ティアにも同じことを言われたら、どれだけ嬉しかったか」
「ティア様が? どうされたんですか?」
「いえ、なんでも。とにかく――ちょっと話をつけに行ってきます」
ロウは歩き出し、アイシャの肩を叩くと、そのまま走り出した。
「ロウさん――ッ! 帰って来たら、また、炊き出し手伝って下さいね――ッ!」
後ろからの声に、手を振り返しながら。
大聖堂内には、夜中だというのに明かりが灯されていた。
だが揺らぐ炎による橙色の光が照らし出すのは、人気のない空間だけだ。
オーガストの姿は、どこにもない。
(居るとすればあの先か)
ロウは、祭壇の奥にある扉に目をやった。以前、オーガストが現れたところだ。
後に聞いたところ、懺悔室や待機室に繋がっているとのことだった。
「……でもまあ、そう簡単にはいかないよな」
ロウは微かに口端を歪めて、呟く。
ヴィシュア教会を象徴する太陽の像より、影が降り立つ。
今のロウと同じく、漆黒に染まった衣装を身に着けた男。
【静寂なる者達】の筆頭である【秘術僧兵】――ジュウドだった。
「ただ確信したよ。あんたがここにいるってことは、扉の向こうにオーガストが居るってことだ」
ジュウドは答えない。腰に差した双剣を抜くと、静かに構えた。
「ダメ元で頼んでみるが、見逃してくれないか? あんたの後ろに居るのは、とんでもない悪党だ。庇う道理はないはずだが」
「……俺は教会に従属する。個による感情や、守るべき対象の素性は関係ない」
低く、地を這うようなジュウドの声に、ロウは口笛を吹く。
「あんた喋れたのか。オーガストの操り人形だと思ってたよ。ま、人間だとしても、似たようなもんだが」
「『鴉』……お前こそ、ここから去れ。さもなくば、死ぬ」
「悪いがそれは出来ないな。死ぬつもりもない」
ロウは短剣を抜いて、ジュウドを真っ直ぐ見据えた。
「職業柄、終わりを迎えた奴の顔は腐るほど見てきた。自分があんな風になるのは当分、御免だね」
「消えぬのであれば、致し方なし」
浅い呼吸を数度。
「――任務を遂行する」
ジュウドが瞬きする間もなく距離を詰め、ロウの懐へと入った。
大聖堂に、連続する金属音が多重奏のように響き渡る。
刹那で何十発という攻撃と防御を繰り返したロウとジュウドは、最後の一撃を交錯し合い、互いに距離をとった。
素早くジュウドは懐から符を何枚も取り出して、周囲に撒き散らす。
燃え尽きた紙の全てから、天井近くまで膨れ上がる漆黒の巨体が生まれた。
左右に並べられた長椅子を蹴破り、踏み潰しながら、数匹の影の巨人がロウに向かって拳を振り上げる。
隕石のような殴打の嵐が、雨霰と降り注いできた。
衝撃は大聖堂の床を容易く破壊し、瓦礫を巻き上げていく。
ロウは一つ一つを見定め、スキルを交えながらかわしていくが、その間にもジュウド自身は接近し、双剣を振るい続けた。その合間に別の符を投げつけ、爆発させる。
「こいつは中々に派手だな――」
ロウは自らの顔面に張り付こうとする符を避けて、向かってくるジュウドの剣を自らの得物で受け止め、流し、弾き飛ばした。
「《転瞬》」
スキルによって背後に回り込み、ロウは短剣をジュウドの頭蓋目掛けて振り下ろす。
だが彼は即座に反応し、振り返り様にわずかな動きのみで、紙一重でかわした。
更にジュウドが後方へ移動するのに合わせ、頭上で巨人がロウ目掛けて、振り上げた拳を容赦なく落としてくる。
身を縮め、ロウは床を蹴って大きく退いた。
何度目かの破壊音が轟き、大聖堂の床が無惨に砕け散る。
(流石に隙が無い。小手先は通じなさそうだ)
暗殺者の持つ隠密系のスキルは、いずれも直接的な攻撃に欠けることが多い。
レベルによって強化された身体能力と合わせることで有用となるのだが、それとて圧倒的なまでの戦闘能力を持つ者が相手であれば、不利になった。
元々暗殺者は正面切ってのやり合うには不向きなジョブなのだから、当然だ。
ただ、手がないわけではなかった。
(――奥の手と行くか)
ロウは次々と繰り出される影の巨人からの猛攻を回避しつつ、ジュウドに対してナイフを投げることで牽制する。
そうして生まれたわずかな隙に、呟いた。
「《死眼殺命》」
スキルが発動する。
ロウの全身が光に包まれ、ジュウドや影の巨人の動きが遅延化した。
いや、ロウ自身の肉体が世界の法則から外れたのだ。
ジョブがレベルの最大値に達した時にのみ、手に入れられるスキル『奥儀』。
それは、いずれも常軌を逸した力持っていた。
ロウの《死眼殺命》は、数十秒間のみ、全ての身体能力を数十倍まで押し上げる。
故に十分に人外の速度を持つジュウドの動きですら、不気味なほどに鈍く見えたのだ。
またそれだけではなかった。
ジュウドの体、肩の辺りに赤い点が宿る。
(……今回は、そこか)
《死眼殺命》のもう一つの効果。それは対象一人に限定し、【赫孔】という赤い光を生じさせる。
そこを刃物で刺せば、どれほど頑強な肉体を持とうと、スキルで防御力を上げようと、鋼による鎧で覆い隠そうとも――たった一突きで、致命傷とすることが出来た。
まさに、一撃必殺の字の如く。
【赫孔】の場所は使う度に変わり、場合によっては相当に難しい箇所に現れることもあるが、今回は比較的に楽な方だった。
「悪いが時間がないんでな。そろそろ……決めさせてもらう」
ロウは腕を引き、ジュウド目掛けて、無造作に突っ込む。
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