第26話 それでも君を
「先ほどリザナから、ロウ、あなたのことは聞きました。神官の振りをして教会に潜入した大罪人だと。ですが、あなたと話し、あなたのことを知った私には、到底信じられるものではありませんでした。暗殺者というジョブを選び、多くの人を手にかけてきた。それでも――ロウ、あなたは己の欲の為に罪を犯すような方ではないと、そう思っていたのです」
ロウを映しこんでいるであろう、空を溶かし込んだような瞳が、侮蔑の色を帯びて行った。
「それなのに、よりにもよってそんな嘘を吐くなんて。お父様は、決してそんな方ではありません。今すぐ訂正、謝罪して下さい」
「いや、でもティア、本当なんだ。信じられないのは分かるが、オレはこの目で見た」
「やめて下さい。もう聞きたくありません」
「信じてくれ。オーガストは、ティア、あんたのことを使い捨ての道具としてしか……」
「やめてッ!」
強い拒絶の言葉と共に、ティアは耳を塞ぎ、体を震わせた。
「お願い……ロウ、もう帰って」
「……ティア」
「これ以上、あなたのことを嫌いになりたくないんです。だから――」
床に膝をつき、消え入りそうなほどの弱々しい声で、ティアが零す。
「……お願い、帰って……」
その時。ロウは、ティアとの間に、深く暗い溝が出来たのを感じた。
越えられぬ、越えることの許されぬ、絶対的な一線が。
「……分かった」
最早、なにを言っても無駄なのだろう。
ティアはロウとオーガストを天秤にかけ、後者を選んだのだ。
共に過ごしてきた時間を鑑みれば、無理もなかった。
「帰るよ。つまらないことを言って、悪かった」
目を瞑ったまま何も答えないティアに背を向けて、ロウは部屋の窓に足をかける。
「だけど、これだけは聞いてくれ」
届くはずもない言葉を、それでも紡いで。
「オレは、ティアにだけは――嘘はつかない」
ロウは窓枠に足をかけると、宵闇へと飛び立った。
「……で、どうするんすか? アニキ」
夜空が嘲笑しているかのような三日月を見上げ、ウーニャが小さく言った。
「さて、な……」
ロウは彼女の隣で、眼下を見下ろしながら返す。
暗闇の中、松明の明かりが無数に見えた。
ティアの部屋から出て、数十分後。
大教会の敷地では、聖騎士と聖兵による大捜索が行われていた。
今のように屋根の上に居なければ、すぐに見つかってしまうだろう。
ロウはすっかり裏切り者で、極悪非道の大罪人だ。それを疑う者など、誰一人として居なかった。
「あのティアっていう女に嫌われた以上、アニキがこの教会に固執する必要なんてないっすよね? 【死神の手】に戻って来ないっすか?」
「……ま、そうだな」
素っ気のないロウの返事に、それでもウーニャは笑顔の花を咲かせる。
「おお! やっとその気になってくれたっすか! そうと決まれば長居は無用。こんなところ、とっとと逃げ出すっす!」
「いや。まだだ」
しかしロウが首を横に振ると、彼女は「ええー?」と露骨に肩を落とした。
「まだここに何か用があるんすか? ティアを説得でもするつもりっすか? アニキ、しつこい男は余計に嫌がられるっすよ?」
「お前が言うんじゃねぇよ」
うんざりするほど自分に付きまとい続けた癖に、とロウはウーニャの頭を小突く。
「そんなことはしない。ただ、落とし前はつけさせる。――オーガストをこのまま生かすわけにはいかない」
「は? 殺しに行くんすか? でも多分、警備は厳重っすよ?」
「知ったことじゃない。ティアを利用した罪はてめえの体で償ってもらう。その後、無理にでもティアの指輪を奪って壊す。ギルドに帰るのはそれからだ」
「アニキー。アニキを嘘つき呼ばわりしたような女になんでそこまでするんすか?」
「……オレにも分からん」
闇夜に姿なき息を吐きながら、ロウは素直な想いを口にした。
「だが、ティアにはこの先も生きていて欲しい。それが、オレの生きる意味になる気がする」
「……まじっすかー……」
複雑そうな面持ちで、ウーニャが頭を掻きむしる。
「もう、そんなん、無理じゃないっすか。あたし終わりじゃないっすか」
「あ? どういうことだ?」
「なんでもないっすよ。まあ、アニキはどうせ止めたって聞きはしないだろうから――」
その時、ロウは周囲に複数の気配を感じ取った。
おぼろげな月明かりの下、円となって囲うように、黒装束の覆面達が立ち並ぶ。
「……お前らがオーガストの言っていた【静寂なる者達】ってやつか」
答える代わりに、彼らはそれぞれ、腰から抜いた短剣と符を構える。
「悪いは今のオレは機嫌が悪い。手加減は出来ねえぞ」
言って、ロウが動こうとしたその瞬間だった。
すぐ傍を銀の風が駆け抜けて、覆面の一人に飛びかかり、血飛沫を上げさせる。
「なんだ、案外大したことないんすね」
返り血を浴びてその身を真っ赤に染めたウーニャが、ゆっくりと立ち上がった。
彼女の手は、円盤状の刃を持った特殊な武器の、中央に空いた穴を握っている。
突然に仲間が減ったことに驚いた覆面達が一斉に飛びかかろうとするが、ウーニャは旋転しながら己の得物を投擲した。
空気を切り裂き周回する刃が、覆面たちを強制的に退かせる。
「アニキは行って下さいっす。こいつら程度ならあたし独りで十分っすから」
戻ってきた武器の穴に指先を入れ、回しながら、ウーニャは気楽な口調で言った。
「……いいのか?」
「アニキがやりたいことならやればいいんすよ。あたしは無償の愛を注ぐだけっす」
歯を見せて笑うと、ウーニャがロウに背を向ける。
「最後に一個だけ言っておくっす。アニキのティアに対する気持ちは何も難しいもんじゃあないっすよ。あたしにはよく分かります」
警戒しながらもじりじりと距離を詰めて来る覆面達を前にして、ウーニャが衝撃的なことを口にした。
「そいつは――恋っすよ」
そのまま覆面の一人に肉薄し、ウーニャは刹那で相手の喉元を掻っ切る。
ロウはわずか呆然としたまま、立ち尽くした。
ウーニャの言葉があまりに自分にとって縁遠く、すぐには実感が沸かなかったのだ。
しかし、やがては彼女に背を向けて、呟く。
「死ぬなよ、ウーニャ。お前は鬱陶しいが、嫌いじゃない」
そのまま踵を返して、走った。
(……恋、か。なるほどな)
未だ、己の中で確信を得たわけではない。
だが、不思議なことに、その言葉は今の気持ちに一番しっくりときた。
なるほど。自分はあの時、ティアに恋をしたのだ。
それは恐らく、ロウが生まれて初めて目にしたものだったから。
打算も、欲望も、保身も、目的もなく。
ただ、相手を思いやるためだけに浮かべた笑顔など。
故に、宵闇に舞う虫が光に惹かれて近付くように、心が動いて求めたのだろう。
(……我ながら単純に過ぎるな)
ロウは苦笑したが、決して嫌ではなかった。
少しだけ、ロウにしつこくするウーニャの気持ちが分かった気がする。
だからと言って彼女に応えるつもりはないが。
それでも、再会したら少しくらいは優しくしてやろうと、そう思った。
(オーガストはどこに居る? オレの襲撃を受けた以上、またやってくる可能性を踏まえると、同じ場所には居ないだろうが)
ひょっとすれば、既に大教会からは出ているのかもしれない。
ロウは屋根を蹴って跳び上がると、地上に降り立った。
周囲に聖騎士や聖兵の気配はない。
(ひとまず、大教会内を探索してみて、居なければ外に行くか)
素早く行動を決めると、目の前にある西塔へと向かった。
しかし、すぐに足を止める。
暗がりに、誰かの姿を認めたからだ。
一瞬、懐から短剣を抜こうとしたが、寸でで思い留まった。
「……先輩?」
少しずつ近づいてきたのは、アイシャだ。
「ロウさん。こんなところに居たんですね」
彼女は思い詰めたような顔で、抑えた声を出した。
「……オレのことを聖騎士や聖兵に伝えますか?」
ロウの問いに、アイシャは無言のままで、視線を落とす。
「気にしないで下さい。それが神官としての務めでしょう。先輩はなにも間違ってはいない」
教会側の人間で、オーガストを神聖視するアイシャが、彼の命令を無視できるはずもなかった。
やがて、アイシャは何かの想いを振り切るようにして、顔を上げる。
「――神官総長様が、大聖堂へ入るのを見ました。もし探しているのなら、そっちに行って下さい」
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