第23話 オーガストという男
すると間もなく、患者たちは、自身の体を見下ろしてどよめいた。
「おお……あれだけあった息苦しさが消えた」
「嘘みたい。全身が熱くてたまらなかったのに……」
「もう咳も出ないし、歩くこともできるぞ……!」
先程まで、死の床にあった者ですら、何事もなかったかのように立ち上がる。
血の気が引いた顔にも紅が差し、青白い肌には血色が戻っていた。
「すごい……わたしが使う《ヒール》とは比べ物になりませんね」
呆気にとられたように立ち尽くすアイシャ。
(確かに、こいつは普通の【僧侶】が使うスキル――《奇蹟》とは比べ物にならないな)
これだけ大量の患者を、数秒も経たずに余さず全快させるなど、ロウとて見たことがない力だ。
聖女と謳われるだけのことはあった。
「ああ、ありがとうございます、聖女様」
「聖女様さえ居てくれれば、わたし達は安泰だ」
「どうか……どうか、我らをお守りくださいませ」
石畳にひれ伏す患者たちの前で、ティアはわずかに笑い、彼らに手を振る。
だが立ち去ろうとしたところで、ふと止まり、わずかに体を傾けた。
リザナたちが素早くティアを支えると、彼女は頷き、再び姿勢を正す。
遠目では何があったのかまでは、分からなかった。
しかしレベルを限界まで上げたロウだからこそ得た動体視力は、ティアの様子を詳細に捉える。
彼女の、苦しそうに顰めた横顔を。
――昔はそうではなかったのですが、【僧侶】となって奇蹟を使うようになってから、体調が優れなくて。年をとるにつれ、悪くなっている気もします
不意に、ティアの話を思い出した。
あれだけ大規模のスキルを使えば、体に変調をきたすのも無理はない。
「…………」
が――ロウの中で、なにかが引っかかった。
暗殺者から僧侶に転職し、畑違いの教会へ所属してから見聞きした、様々なこと。
それぞれが点として存在し、そこかしこに散らばっていたものが、線で繫がっていく。
極め付けが、先程ティアがスキルを使った際に起こった現象。
(そういえば、以前の『祝福の義』の時も少し妙だと思っていたが……)
まさか、と、ある考えが頭に浮かんだ。
「……いや、しかし……」
にわかには信じ難いことだ。
しかしそれでも、可能性はあった。
「……どうされたんですか? ロウさん」
「いえ……」
先程から黙りこくっている為か、顔を覗き込んでくるアイシャへ曖昧に答えながら、ロウは目の前の景色を見つめる。
ティアへの崇拝に近い気持ちを次々と口にしながら、教会の前を去っていく患者たち。
誰も彼もが、聖女の力に有難味を覚えてこそすれ、それ以外の何かを感じ取っている様子はない。が、今のロウにはそれが、剥がれかけた一枚の絵画であるように思えた。
奇跡を起こす聖女と、祈りを捧げる民衆の構図。
一見して、平和そのものに思えるその裏に隠された物が、なんなのか。
――知っている者は、自分一人であるのかもしれなかった。
明かりを落とされた室内に、人の気配はない。
既に時刻は深夜を過ぎていた。
神ですら眠りにつくかもしれぬその時に、動く者はいない。
――ヴィシュアの教えに背く、暗殺者以外は。
「さて……」
スキルを使うことで無事に目的の部屋に忍び込んだロウは、真っ直ぐと執務机に向かい、しゃがみこんだ。
引き出しに手をかけるが、鍵がかかっている。
が、この程度は予想していた。針金一本あれは、簡単に開錠できる。
一秒もかからずに封印を解くと、ロウは上から順番に引き出しを開けていった。
一段目。懐中時計に各地域から贈られて来た手紙。二段目。何も無し。三段目。羽ペンと白紙が何枚か。四段目。書類。単なる報告書。
「……ん」
五段目。何もなし。――が、ロウは違和感を覚えた。
引き出しの厚さに比べると、下に敷かれた板との間が浅すぎる。指で軽く叩くと、乾いた音が鳴った。
ロウは板の隙間に手をかけて、軽く力を入れた。鈍い音と共に、それは外れる。
中には、幾枚かの書類が仕舞ってあった。
(こいつか……)
ロウは書類を手に取って、内容を確かめる。
文章を読んでいく内に、それが、自分の予想していた通りのことあることが分かった。
「……やっぱり、そういうことだったか」
最悪だ、と、舌打ちした。出来れば、当たって欲しくはなかった。
単なる思い違いで在れば、どれほど良かったか。
しかし――事実は、あくまでも冷徹に、あるがままを伝えて来るだけだった。
加えて書類の更に下には、決定的な証拠まである。
『それ』を手に取ったロウの中に、迷いが生じた。
(どうする。これをティアに見せるべきか……?)
しかし、そんなことをすればどう思うだろうか。
彼女の為にも真実を明らかにするべきだろうが、その時の顔を想像するだに、胸が疼痛を覚えた。
何百、何千という人間を手にかけていたロウが、今、一人の少女が傷つくことを恐れている。滑稽だと嘲笑われるかもしれないが、それでも、躊躇いは確かにあった。
「――困りますね」
逡巡の中に居たロウは、暗闇の中で突然に響いた穏やかな声に顔を上げる。
《夜破眼》というスキルによって昼さながらの視界を確保した目に、部屋の主の姿が映った。
「さすがに許可もなく執務室に立ち入るのは、無粋ではありませんか?」
ロウは答えることなく立ち上がり、目の前に居る人物を見つめる。
温厚な顔立ちながら、肌で感じられるほどの威厳を保つ、ヴィシュア教会における尤も偉大な男。
――神官総長、オーガストその人である。
「……悪かったな。申請したところで承諾してはもらえないと思ったんだ」
ロウが肩を竦めると、部屋の明かりが灯った。
入り口に供えられた照明が、おぼろげな光でオーガストの横顔に陰影を作る。
「こんな夜中になんの御用ですか?――ロウさん」
オーガストは変わらぬ口調で、はっきりと名を呼んだ。
『鴉』の衣装と、仮面を被っているロウに。
「へえ。オレの正体はとっくにご存知ってわけか」
「あなたが大教会へ所属した時に、ね。あなた方の業界ほどではありませんが、うちもそれなりに情報網は発達しているのですよ。こと神都において、僕の知らないことはありません」
「分かっていて、暗殺者であるオレを泳がせていたっていうのか?」
「目的を探る意味もありましたが……あなたの働きは少なくとも、教会側にとって利益を生んでいました。で、あればすぐに捕らえる必要もないと、そう判断したわけです」
「だが、いつでも動けるようにオレのことは監視していた、か」
「はい。相手があの『鴉』ですから、生半可な相手では気付かれてしまうでしょう。一流の者を派遣させて頂きました」
つまり、オーガストの側にはロウに匹敵するほどの能力を持つ人間が居るということだ。
「それであんたにとって都合の悪いことが起きたから、こうしてわざわざ出向いて来たと。……こいつを探り当てられるのは、さすがに不味かったか?」
ロウが手にもった書類を叩くと、オーガストは優しげな笑みを浮かべたままで頷いた。
「オレもそうじゃないのかとは思っていたが、まさか本当だったとはな。一体どうなってるんだ? お偉い神官総長様が――魔道具の売買で儲けてたなんてな」
発見した書類には、オーガストが裏社会の業者と取引したことを証明する内容が記されている。
「それだけじゃない。麻薬の流通や孤児院の子どもを風俗店へ流す契約、徴収した寄付金を私的な金庫へ預けることから、薬漬けした信者を奴隷として貴族へ売り払うことまで、ありとあらゆる犯罪が勢ぞろいだ。よくもまあ、オレたち暗殺者を背信者だなんて言えたもんだな」
オーガストは黙ったまま答えなかった。
以前は慈愛に満ちたその表情も、今では裏側の醜悪さを隠す出来の悪い仮面にしか見えない。
「……どうして僕が魔道具を秘密裏に流通させていると気付いたのですか?」
「とある奴と魔道具の話になってな。その後で、神都に帰って来た時、ティアが【奇蹟】を使っているところを見た。その際、一瞬だけだが、スキルが効果を発揮する前に奇妙な光が発せられた。以前に彼女が『祝福の義』でスキルを使った時も同じだったから、気のせいじゃない。あれは彼女が身に着けていた指輪によるものだ」
「それだけで魔道具だと?」
「いいや。加えてあんた、出世する前に流行り病を治療薬で抑えこんだらしいな。オレも聞いた当初はすごい奴がいるもんだとしか思っていなかったが……あれもあんたが仕掛けたものだとすると、ティアの尋常ならざるスキルの力を合わせて、色々と見えてくる」
聖女の誕生と、それによる驚嘆すべき救いの御業。
加えて最近、再び蔓延し始めた奇妙な病。
人々を癒やし、彼らに平伏され、崇め奉られていたティアの姿。
「あんたは自分が出世する為に、わざと病を流行らせ、それを薬で治療して見せた。で、それが全くバレなかったことに味を占めて、同じことをしたんだ。魔道具を使い、ティアを聖女に仕立て上げることで人心を集め、再び上にこうとした。目論み通りに教会の頂点に座したことで、今度はその立場を安泰させる為に、定期的に神都の住民に聖女の必要性を感じさせるようにした」
その一環が、今回再び起こった奇病の流行というわけである。
「なるほど。大した洞察力ですね。……その通りですよ」
あっさりと、オーガストは認めた。自らの罪を暴かれたというのに、表情にはわずかな変化もない。
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