第19話 再会
「……失礼します」
ノブを握って、扉を開けると、ロウは初心な少年のように緊張しながら室内に足を踏み入れた。
広く、整然とした部屋だ。
聖女と呼ばれるからにはもっと荘厳な雰囲気を予想していたが、反してティアの自室は無駄なものが一切なかった。
あるには天蓋つきの寝台と、鏡台があるだけだ。
正面には大きな窓があり、その傍には気品溢れた、しかし最低限の細工のみがなされている机と椅子があった。
ロウが長く、長く求め続けた人物は――その椅子に、ちょこんと人形のように腰かけている。
太陽の光を溶かし込んだかのような、黄金の長い髪。蒼穹を思わせる、蒼く透き通った瞳。
ほのかに紅色に染まった頬は瑞々しい果実のようで、ぷっくりと膨らんだ小さな唇は薔薇のように赤い。
身に纏った神官服の衣装と相まって醸し出される神聖さは、天より降誕したという話も、あながち与太ではないと本気で思ってしまいそうになった。
間違いない。あの日、あの時、暗雲垂れこめるロウの胸を貫き、光を齎した張本人。
(――ティア)
ロウの心臓が急速に脈打ち始めた。
いつもは乱れのない心が、絡まった糸のようにして様々な感情の入り混じる形となる。
(ようやく……ようやく会えた)
あの時の衝動は、たまたまだったのではないか。
あるいはティア以外の何かが要因となって、起こったのではないか。
心のどこかで、そう思うこともあった。
しかしその不安は今、完全に払拭される。
彼女の顔を見ただけで、こんなにも、胸を掻きむしられるようになる。
世界が急に、色を帯びたように思えて来る。
ああ――これは間違いが、ない。
いつしか失ったしまった、生への意志、実感、渇望。
そういったものが、彼女の顔を見ただけで、ふつふつと蘇ってくるのを感じた。
なぜか、はまだ分からない。だが、確実にそうだと言えた。
ティアは自分にとって特別で、再び会えて、良かったのだと。
「ロウ=レイダーです。この度は貴重な機会を頂き、誠に恐悦至極に存じます」
丁寧に言って一礼したロウに返って来たのは、ティアではなく、別の声だった。
「十分だけでありますよ! ティア様は忙しいのであります!」
きゃんきゃんと鳴く犬のような人物に、ロウは怪訝な顔を向ける。
白銀の全身鎧を身に着けた、年の頃は十六、七だと思われる少女だった。
銀色の短い髪に、団栗を思わせる目には林檎のような赤い瞳が宿っている。
背が小柄なせいか、防具が体に合っていないように感じ、鎧を着ているというよりは着られているといった方が正しいように思えた。
背中に負った突撃槍も、子どもが大人の武器を黙って拝借してきたというような趣がある。
(誰だっけこいつ……)
どこかで見たことがあるのだが、とロウが脳内を探っていると、
「いいのよ、リザナ。私も少し、休憩したかったところだから。お相手してもらえるとうれしいわ」
ティアが名を呼んだところで、ようやく思い出した。
彼女と初めて会った時に居た、護衛役だ。
そういえば教会内でティアを見かけた時にも傍にくっついていた気はするが、彼女以外に興味が無かったロウには視界で捕らえていても認識していなかった。
「そうでありますか……ティア様がそう仰るのであれば、自分は従うであります。しかし貴様、己の身分も顧みずティア様とお話がしたいなどというその傲岸不遜さ、許し難いであります! 神官総長様に申し付かった為に特別許してやりますが、少しでも不審な行動をとれば、その時点で自分の槍が吼えるでありますよ! 覚悟するであります!」
威嚇するように言って、ロウを睨み付けたリザナは、背中にあった槍の柄に手をかける。
装備や武器、教会に所属しているところを見ると、彼女も【聖騎士】のジョブを持つ者だろう。
【聖騎士】は防御と力に優れ、持っているスキルはいずれも強力なものばかりだ。
単純な物理的攻撃という点では間違いなく、全てのジョブの中で最強だった。
(ティアの身辺を警護しているからには、見た目に反してこの女も相当にやるんだろうな)
でなければ、聖女と謳われ、オーガストに――いや、教会にとって何よりも大事な少女の近くには置かないだろう。
「やめなさい、リザナ。誰かれ構わず私に近付く人に敵意を向けるなと、あれほど言ったでしょう」
今にも飛びかかりそうな勢いであったリザナは、しかし、ティアにたしなめられるとすぐにシュンとした。
「……申し訳ないであります。ですがティア様のことになると、つい」
「その気持ちは嬉しいわ。だけれど、常にそうやって気を張っているとあなたも疲れてしまう。もし倒れてしまったら、それこそ私は困るのよ」
「はっ! 承知いたしました! では全力で気を抜くであります!」
「……気を抜く人の言葉と強さではないわね」
困ったように言ったティアに、リザナは恥ずかしそうに頬を赤く染めて、頭を掻く。
「お忙しいところを大変申し訳ありません。ですが僧侶となりヴィシュア教会に身を捧げた以上、生涯の一度だけでもティア様に拝謁したいと、分不相応ながら斯様に考えたわけでありまして」
ロウは一歩踏み出すと、熱い絨毯の敷かれた床に片膝をつき、ティアに向かって頭を垂れた。
「ぶしつけに過ぎる願いをお聞き頂き、誠にありがとうございます」
固い口調を取り繕いながら、ロウは己の中に生まれた迷いと葛藤していた。
(……ティアはオレのことを覚えているのか?)
いくらか話はしたが、それとて、数カ月も前のことだ。
それまでの間、ティアは立場上、数えきれないほどの人間と会い、話したことだろう。
ほんの少しの間だけ言葉を交わした暗殺者など、記憶から消えていてもおかしくはなかった。
(尋ねてみるか?……いや、困惑させてしまっても悪いか)
なるべくなら、自分のせいで、ティアに負の感情を芽生えさせたくはない。
奇妙な気分だった。
物心ついてから今まで、ロウは他人のことを気遣ったことなどない。
好かれようが、嫌われようが、懐かれようが、疎まれようが、どうでもいいことだったからだ。
そこまで誰かに対して関心を抱き、心を通わせたいと思ったことはなかった。
しかし今は、別だ。ロウは、ティアを不快にさせたくはないと、強く思っていた。
自分のことを悪く思って欲しくはない。出来れば、またあの時のように、笑わせたいと。
そんなことを思ったのは、生まれて初めてのことだった。
(だが……どうして、彼女に対してだけそう思う? 他の奴とティアは、なにが違う?)
そこにはまだ、答えが出なかった。
が、そうであれば、探っていくだけだ。
(言葉を交わし、はっきりとさせていく。初めましての体でもいい。そうしてみよう)
ロウは決断し、ゆっくりと顔を上げた。
「以前より、ティア様のお話は様々な方より拝聴させて頂いておりまして――」
「どうしたのですか?」
言いかけたロウの前で、ティアはゆっくりと、小鳥のように首を傾げる。
「今日は随分と、他人行儀な話し方をするのですね」
「……え?」
「あの時に会ったあなたは、もっとぶしつけでしたよ。それがとても、面白かったのに」
そこでほんのわずかに、口元を緩め――。
「……少し見ない間に変わってしまったのですか? ロウ」
ティアは、親しみを込めてと名を呼んだ。
「オレのことを……覚えているのか?」
思わず立ち上がったロウに、リザナが武器に手をかける。
だがティアに手で制されて、彼女は渋々、元の体勢に戻った。
「もちろん、忘れるはずがありません。あれほどまでに鮮やかに人を殺す方を、私は見たことがありませんから」
少しだけ砕けた口調になるティアに、ロウはどう返していいのか、分からなくなる。
彼女に記憶されていた、というその事実だけで、平静さが奪い取られてしまった。
「ですが、どうして暗殺者から僧侶に? 私の知る限り、ジョブの【転職】が出来るのはレベルが最大になった方だけであったはずです。そこまでの実力がありながら、まるで正反対のジョブを選ぶというのは、不思議です」
「――あんたに、会う為だ」
ロウの答えに、ティアは虚を衝かれたかのような顔をする。
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