第17話 神官総長という男
――一週間後。
ロウは、アイシャと共に、場違いなところに呼ばれていた。
「……すごい、ですね。何もかも、うちの支部とは違います」
アイシャは可愛らしい顔が台無しになるのも構わず、あんぐりと口を開けながら、上を仰ぐ。
そこには豪奢な照明器具が下がり、美麗で複雑、芸術的かつ宗教的な天井絵が描かれている。
かつてヴィシュア神が地上に降臨した際の様子を表したもののようで、太陽を背に両手を広げた、光纏う人らしきものに、大勢が跪いていた。
ようで、というのは、姿が陰り、はっきりとは描かれていない為だ。
ヴィシュア教会では、たとえ空想だとしても創造主の顔や体を人の手によって明確化するのは恐れ多きものとして、禁じられている。
ジョブを授かる際に祈りを捧げるヴィシュアの像も、顔はなく、体も曖昧な状態で造られていた。
「さすがに――大教会の聖堂ともなると、他とは比べ物になりませんね」
ロウはアイシャと一緒に天井画を眺めていた視線を、前方へと移した。
数百人以上は収容できるであろうという部屋に、大量の長椅子が廊下を挟み、左右へ整然と並んでいる。
それらを睥睨するようにしてあるのは、渋い色合いを宿した木材と金によって造られた祭壇だ。
台には蝋燭が幾つも並び、中央の壁に嵌め込まれた、太陽の紋章を象った赤い像を仄かに照らしていた。
ロウとアイシャ以外に、周囲には人気はない。
会話が途切れると、耳に痛いほどの静寂が訪れた。
敬虔な信者からすれば、この上なく漂う神聖さに涙を流し跪くのかもしれない。
実際、アイシャは聖堂に入ったばかりの頃、立ち止まり、崩れ落ちるように両膝を床につくと、手を合わせて泣き出していた。
ただロウとしては、ひたすらに居心地が悪いだけである。
稼業とは関係なく、どうにも生来、こういった場所には息苦しさを覚える性質だった。
「ですが、ロウさん、わたしもここに居ていいんでしょうか? ヴィシュア真教会の拠点を突き止めたのは、ロウさん一人なのに」
申し訳なさそうな眉尻を下げた顔で、ロウを見てくるアイシャ。
数日前。支部に居たロウは突然、聖兵隊からの遣いによって、ヴィシュア大教会に召喚を受けた。
なんでもヴィシュア真教会――教会を脅かす大悪党の頭領を確保した功績を、神官総長が直接称えたいとのことだ。
傍に居たアイシャは素直に喜び、送り出そうとしてくれたが、ロウは自分一人でやったことではないと遣いの者に答えた。
先輩と一緒なら、呼び出しを受ける。
捉えようによっては不敬にとられる物言いに、アイシャは慌てふためいて遠慮しようとしたが、ロウは譲らなかった。
すると、一旦帰った遣いの者はまた来ると、要求を受ける胸を伝えて来たのだ。
そして、頭領であるダードを聖兵隊に引き渡した日からちょうど一週間後。
ロウとアイシャは晴れて、大教会の門を潜ったということである。
「先輩が一緒に居てくれたから、オレはあの建物に踏み込めたんですよ。一人だったら心細くて無理でした。悪党を逮捕できたのは、先輩のおかげです」
「そ、そんな……わたしなんて、大したことは……。で、でも、ありがとうございます。そう言ってもらえると、先輩冥利につきます。えへ。えへへへ」
むず痒そうに体をくねらせながら、アイシャは照れに照れ続けた。
――もちろん、嘘である。
が、ロウは殊の外、この不器用な先輩神官のことを気に入っていた。
誰にも評価されずとも、懸命に困った人間の為に尽くし、働く者など、世には早々いない。
ロウは基本的に己の利益を追求し、他人のことなど、さほどどうとも思っていない。
が、それは別にこれといった信条から来ているものでもなく、そうした方が圧倒的に楽だからだ。
道端に倒れる老婆を背負い、医院に連れて行くよりは、見なかったことにして通り過ぎた方が労なくて良い。
ただ、だからといってそうする者を愚かだと思ったことは一度もなかった。
自分がしなくても誰かがやるだろう――そうした気持ちをもたずその『誰か』に『自分』がなろうとする者は、それだけで評価に値すると考えている。
ヴィシュア教会は、彼女のやっていることをもっと知るべきだ。
よってアイシャ自身は望んでいないかもしれないが、ロウは彼女をこの場に連れて来たのである。
「え、えへへ……それにしても、夢みたいですね。まさか神官総長様直々にお目通りが叶うなんて」
ロウの内心など露とも知らず、アイシャは祭壇にぼうとした視線を送った。
その目は完全に、手の届かない意中の人を見つめる乙女のそれである。
「神官総長……様って、そんなにすごい人なんですか」
そういえばティアのことばかりが頭にあって、彼女の義父である男のことをほとんど調べていなかった。
ロウの問いに、アイシャは仰天したように丸い目を見開いた。
「なな、なにを言っているんですか、ロウさん! 【僧侶】のジョブに選ばれた、聖職に携わる者が、神官総長様を御存じないだなんて!」
よほど、意外――というよりはありえないことだったようだ。
ロウは急ぎ、適当な理由をでっちあげることにした。
「いや、オレ、実家でずっと母親の看病をしていたもので、その辺りに疎くて。母親が治った後も家を助けなきゃって想いが先行してて、その辺りを調べる余裕がなかったんですよ。勉強不足ですみません」
「ああ……なるほど! わたしの方こそ、ロウさんのご事情を鑑みずに勝手なことを言って申し訳ありません」
納得したように言って頭を下げる素直な先輩に、ロウは「いえいえ」と笑顔を見せた。
「では、不肖、このアイシャがご説明致しましょう!」
こほん、と咳払いを一つして、アイシャはなぜか教授めいた口調で指先を立てる。
「神官総長様――オーガスト=ディエン様は、正に理想の聖職者と呼んで差し支えはないでしょう。遡ること数十年前、貧しい家の出ながら世に尽くそうと【僧侶】のジョブを選び、ヴィシュア教会に属するとひたすらに人々の為に働きました。そのことが認められ、十年前に神官副長へと昇格。そこで、神官総長様は運命の出会いを果たします。――ティア様を養女として迎えたのです」
「……聖女様、ですか」
「おや! ティア様のことはご存知なんですね。ではその辺りは省略しましょう。ティア様は、主より直接授かったとしか思えない力によって多くの人々を救いました。神官総長様はそんなティア様を愛し、支え、己の人生を全て捧げたのです。教会側はそんなオーガスト様を誠この世を導く者とし、数年前に神官総長様へと任命しました」
「つまり娘のおかげで教会の頂点に上り詰めた、ということですか」
「ロウさん! 言葉が悪いです!」
叱られてしまった。ロウは頭を掻いて「すみません」と謝る。
「もちろん、そういった面が大きいことは事実です。しかし、神官総長様ご自身の功績やお人柄もまた、素晴らしいのですよ。そもそも神官副長様になられたのだって、当時に流行していた病に侵された人達を、身を挺して助け続けたことを評価されてのことです」
「病、ですか」
「ええ。原因不明の奇病で、かかった人達はみな、高熱が出て四肢が痺れて動けなくなるというものです。奇蹟による治癒もあまり効かずに困り果てていたところ、当時、一介の僧侶に過ぎなかったオーガスト様が治療薬を開発、無料で配ったことで解決しました」
「はあ。それは確かにすごいですね」
前例のない病の特効薬を生み出すというのは、並大抵の努力と技術では成し得ないことだ。ましてそれをタダで配布するというのは、確かに善行以外の何物でもなかった。
「分かって頂けましたか? 神官総長様は誰に対しても分け隔てなく接し、弱きを守り、悪しきものを全力もって退ける、正しく聖職者の鏡なのです!」
固めた拳を大きく掲げ、力説するアイシャ。よほど、オーガストのことを尊敬しているようだ。
「ありがとうございます。理解しました。その人と今日、会えるわけですね」
「その通りです! 滅多にあることではありませんよ! あー、緊張してきた……」
アイシャがわが身を抱きしめながら目を泳がせていると、祭壇横の扉がゆっくりと開いた。
来たか、とロウはそちらが注視すると、鎧姿の護衛を二人引きつれた男が姿を見せる。
「やあ、お待たせしてしまって、すみませんね」
男は開口一番、そう言って軽く頭を下げた。
年は、四十を少し過ぎた頃か。穏やかな顔に、柔和な目つき。
湛えた微笑みは自然で嫌味の一つもなく、その身に纏う雰囲気ももどことなく、親しみやすかった。
他と違う、豪奢で細緻な意匠を施された外套付きの神官服を着ていなければ、とてもではないが彼が『そう』であるとは認識できないだろう。
「あっ――いい、いえ、とんでもありませんっ!」
風を起こすほどに素早く、アイシャがその場に跪いて頭を垂れた。
「ロ、ロウさん、早く! 早く、座って! わ、わたし、拝見したことがあります。神官総長様です……!」
ぼうっと突っ立っているロウを見兼ねて、アイシャが小声で呼びかけ、服を引っ張って来る。
あいつがそうか、と思いながらもロウは彼女に従い、同じように床に膝をついた。
「いやいや、呼んだのは僕ですから。どうぞ、楽に」
温和な表情でそう言って、オーガストは手を振る。
「あ、ありがとうございます……! ほ、本日は神官総長様に直接お招き頂くという名誉に預かり、このアイシャ、身に余る光栄と震えるばかりでございます!」
馬鹿丁寧なアイシャの言葉へ、オーガストは鷹揚に頷いた。
「まあ、そう硬くならず。アイシャさん、でしたか。そちらの方はロウさんですね?」
「……はい、そうです」
ひとまず余計なことは言わないでおくか、と、ロウは簡潔に答える。
「いやぁ、ヴィシュア真教会には僕も困っていまして。拠点は突き止められたので、近々、聖騎士団の精鋭を揃えて本格的な行動に出なければならないと思っていたんですよ。ですが、あなた達のおかげで争い事は避けられました。感謝します」
「い、いえ、わたしはなにも……て、敵の頭領を見つけたのはロウさんですから」
オーガストの言葉に、そのまま消えてなくなるのではないかと思うほどに恐縮していたアイシャは、絞り出すような声を上げた。
緊張するあまり、まともに喋れていないようだ。
「そうだったのですか。ロウさん、ありがとうございます」
「とんでも御座いません。それに私が見つけた時、頭領は縛られた状態でおりましたから」
ロウは頭を下げた状態で、謙遜する振りをして答えた。
「ふむ。なんでも、真教会に所属する人たちが大勢、何者かに殺害されていたとか。そちらの犯人はこちらで探しておりますが……とにかく。事情はともあれ、あなた方がヴィシュア教会に多大な貢献をしたのは事実。なにか、見返りを与えなければなりませんね」
「そんな! 神官総長様、わたし達は、そんなつもりでやったわけではありません! ただ、教会や人々を害する人達を野放しには出来ないと、それで……!」
わずかに顔を上げ、焦ったように首を振るアイシャに、オーガストは優しげに微笑みかけた。
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