第16話 屍山血河
レベル9999に付与される身体能力は、最早、人間の領域を遥かに超えている。
仮に相手がスキルを持っていようと、純粋な動きのみで圧倒することが可能だった。
ロウは歩きながら、外套の下に仕込んでいたナイフを投げて信者の頭部や心臓を貫き、近付いてくる相手は短剣で無造作に切り捨てた。
魔法はわずかな動きのみで避け、スキルで距離を一気に詰めて、喉元を掻っ切る。
広々とした部屋は、絶え間なく噴き上げる人間の血で赤く穢れていった。
騒ぎを聞きつけて、建物内に居た他の信者たちが何事かと駆けつけたが、歯向かってくる者は全て瞬きする間もなく絶命した。
時間にして、数秒あまり。
室内は先程までの喧騒が嘘のように静まり返り――至る所に、死体が転がっていた。
「そ、そん、な……」
たった独り残された、先程まで尊大な態度をとっていた教祖は、ロウを前にして情けなく腰を落とす。
「き、き、き、貴様、なんなんだ。こんな、こんなこと、ありえるわけがない! 神官服を着ているが、【僧侶】ではないな!?」
ロウが無言で見下ろすと、教祖は歯の根をかち合わせながら、震えて動きの定まらぬ指を突きつけて来た。
「いい、いや、いや、なんでもいい! 誰に雇われた!? ヴィ、ヴィシュア教会か!?金か!? 幾ら貰った!? その倍を払う! だから!」
「どいつもこいつも同じことばかり言うな。いちいち答えるのは面倒だからもう何も言わない」
ロウが手を振るうと、投擲したナイフが教祖の顔面すぐ横に突き刺さった。
「ひいっ!?」
跳び上がった拍子に、恐怖のあまり力が入らず、だらしなく広げていた彼の股間に染みが広がっていった。
失禁したようだ。
「――どうせこれから死ぬ奴に、何も言う必要なんてないさ」
ロウの呟いた言葉に、教祖は絶叫した。そのすぐ後で白目を剥き、昏倒する。
ヴィシュア教会に反旗を翻した組織の頭領は、あまりにもあっけなく、一人の暗殺者を前に敗北を喫したのだった。
「さて。目的は達成した、が……」
ここまでは裏の仕事。ここからは、表の仕事をやる時だ。
「とりあえず、教会に戻って朝を待つか。その前に」
ロウは腰に提げていたものを外し、具合を確かめる為に左右に引っ張った。
ウーニャについでに用意させたものだが、中々に頑丈だ。
「……下準備、と」
しゃがみこむと、気絶している教祖の体に、ロウは手を出した。
「ほ……本当なんですね? ロウさん」
明けて早朝。
ロウに連れられてきたアイシャは、目の前にある巨大な建物を、恐る恐る見上げた。
「ええ。確かに見ました、この建物に、あの黒ローブの連中が入って行くのを」
「そんな。じゃあ、まさか、ここが【ヴィシュア真教会】の本拠地……?」
後輩の話を疑っているわけではないが、さりとて易々と全面的に信じられるものでもない。
そんな表情をするアイシャに、ロウは頷いた。
「恐らくは。中に入って確かめてみます」
「そんな、危険です! もし本当にロウさんの言う通りなら、聖兵隊……いえ、聖騎士団に連絡しないと!」
尤もなことを言ってくるアイシャだが、それではロウの計画が上手く運ばない。
「忍び込んで、見るだけです。わざわざ聖騎士団まで呼んで、もし間違いだったらそれこそ大きな問題になりますよ」
理に適った進言に、アイシャはそれもそうだと思ったのか、俯いて唇を噛んだ。
「どういう訳か見張りみたいな奴らもいませんし、今が絶好の機会です」
更にロウが畳みかけると、迷っていた様子の彼女は、そこでようやく決断した。
「……分かりました。本当に、様子を窺うだけですよ。もし危ないと思ったら、すぐに退きます。【ヴィシュア真教会】の信者は全員がジョブ持ちだと聞いています。戦闘向きではない【僧侶】の二人では、絶対に敵いませんからね」
「ええ、先輩の指示に従います。行きましょう」
ロウの言葉に、アイシャは覚悟を決めたように拳を握り、深く頷く。
「わわ、わたしが先に行きます! 先輩ですから!」
あからさまに強がる様子で、右手と右脚を同時に出しながら、アイシャがぎこちなく歩き始めた。
「いえ、オレが先に。どの道、戦いになったら前に居ようと後ろに居ようと変わりませんから」
ロウはさりげなくアイシャの肩を引いて、前に出ると、建物の扉を開ける。
「そ、そうですか。す、すみません……ちょっとわたし、緊張してて」
ちょっとではないと思うがと心の中で突っ込みつつも、ロウは建物内に入った。
「……誰も、いません、ね?」
ロウが建物内を奥へ奥へと進んで行く内に、背中にしがみつくように隠れていたアイシャが、辺りの様子を確認しながら言った。
「ええ。妙ですね。やはりオレの見間違いだったんでしょうか」
昨夜、レイドの死体は片づけ、残った蛇も全て始末し、血も流しておいたから、何もないのは当然だ。他に居た信者たちは『天光の間』へ加勢に来た時にロウによって始末され、残った者は逃げ出したのを確認している。
という事実は隠し、ロウは素知らぬ顔で嘯いた。
「ど、どうなんでしょう。あ、でも、この先に扉がありますね。あそこに……?」
アイシャが指差す方を見て、ロウは頷く。
「かもしれません。行ってみましょう」
「は、はい! ききき、気をつけまひょう!」
盛大に呂律が回っていないアイシャに言われながら、ロウは部屋の奥――『天光の間』に続く扉――に向かって歩き始めた。
そうして、突き当りの壁にある扉を押して、開く。
「ど……どう、ですか? うっ……!?」
ロウに呼びかけたアイシャはしかし、そこでくぐもった声を出す。
「な、なんですか、この臭い……鉄? 錆……?」
ロウは振り返り、鼻を押さえているアイシャに言った。
「先輩はここに居て下さい」
「ど、どうしてですか?」
「あまり見ない方がいいかと」
再び前を向くと、ロウは感情を挟まず続ける。
「大量の――死体があります」
「……え?」
といささか気の抜けた声を上げた直後、アイシャはロウの言葉の意味を察し――盛大に、悲鳴を上げた。
「し、死体!? どうして!?」
「分かりません。誰かに殺されたようですが……?」
すっとぼけながら、ロウは部屋の中を進んで行く。
「ひえええ……ごめんなさい、わたし、目を瞑ってもいいですか?」
アイシャの引きつった声に、構いませんよとロウが答えると、彼女は服を掴む手に力を込めた。
ロウに引っ張ってもらおうという考えだろう。
「み、みみみ、みんな、お亡くなりになっているんですか……?」
ロウに導かれるままついてくるアイシャが、震える声音で尋ねてきた。
「ええ、そうみたいですね。一体、なにがあったのか……ん?」
素知らぬ顔で答えつつ、ロウはそこで、足を止める。
「先輩、なにか聞こえませんか?」
「ええ!? ななな、なにか!? そそ、それは浮かばれぬ死者の方の訴え的なアレですか!?」
「いや違うと思いますが……というか先輩、聖職者なのに幽霊が恐いんですか?」
「ししし、死を尊び、相哀れむのと、亡くなった方が形となって現れるのは、なんというか、捉え方が違うんですよ!」
つまり恐いんだな、と思いつつ、ロウは歩く方向を変えた。
「安心してください。多分、生きている男の人の声です。なにを言っているのかはよく分かりませんが。誰でしょう」
無論、先程初めて聞いたような体をとっていたのは、嘘だ。
ロウ自身が、声の主をこの屋敷にわざと残していったのだから。
「ひょひょ、ひょっとしたら生き残りの方でしょうか?」
「かもしれませんね……あ、居た」
「ひゃああああああああああああ!」
亡霊ではないと事前に言ってあったのに、わずかな可能性に怯えたのか、アイシャは素っ頓狂な声で叫んだ。
「大丈夫、やっぱり生きてますよ。目を開けて下さい」
「……そ、そうですか」
アイシャはロウの服から手を放すと、前に回り込んできて、思い切ったように瞼を上げた。
彼女の目には、縄によって厳重に縛られた、黒フードの男が見えていることだろう。
教祖は何かを必死になって主張しているが、口に布を巻かれている為に、判然としなかった。
ロウはしゃがみこんで手を伸ばし、話せるようにしてやる。
「――ハアッ! き、き、貴様ら、何者だ! あ、あの男の仲間か!?」
「あの男、ですか?」
ロウと同じように地面に片膝をつくと、アイシャが教祖に対して首を傾げた。
彼は口角泡を飛ばしながら、血の気の引いた顔でわめき散らす。
「あの仮面の、お、男だ! 恐ろしい……私の部下を残らず、一瞬で殺してしまった……! きき、貴様らもそうなのか!? わ、わわ、私に止めを差しに来たのか!?」
完全に混乱し切った様子の教祖に、アイシャはあくまでも優しい口調を崩さずに言った。
「落ちついて下さい。わたし達は、ヴィシュア教会の者です。ここにヴィシュア真教会の人間が出入りしていると聞いて、やってきました。あなたはそうなんですか?」
「ヴィシュア教会だと!? なぜ、教会の狗がここに……い、いや、いい。あ、あの男の関係者でないのなら、まだマシだ。わわ、私を助けてくれ! そうじゃないと、あいつがまたいつ戻って来るかも分からない!」
「その前に聞かせろ。お前の名前と、立場を」
ロウが圧を込めた低い声で命じる。
既に知ってはいる情報だが『僧侶』としての立場で、相手から直接聞くことに意味があった。
「わ、私は、ダード……ヴィシュア真教会の教祖だ」
「教祖って……もしかして、ヴィシュア真教会の頭領だと言われている?」
アイシャが驚いたように確認をとると、ダードと名乗った男は、がくがくと何度も頷いた。
助かりたい一心で、もはや身分を隠す気はないようだ。
「ロウさん、もしこの人が本当のことを言っているのなら、とんでもないことですよ」
アイシャがロウの方を見て、緊張に喉を鳴らした。
「ですね。とてもじゃないが、オレたちだけじゃ対処できない。然るべき人たちに来てもらいましょう」
ロウが取り繕って場に相応しい提案をすると、アイシャは異論なしとばかりに顎を引く。
「おい、今から聖兵隊を呼んで、お前のことを捕縛、連行してもらう。それでいいな?」
問いという形をとりながらも、実質的には強制執行の意味を持つロウの言葉に、男は奥歯を噛み締めた。
「ぐっ……い、いや、致し方ない。あの男から逃げられるのなら、まだマシだ」
「分かった。なら少しそこで待て。今から連絡する」
近くの屯所に報告して取り次いでもらおうと、ロウとアイシャは立ち上がる。
「は、早くしてくれ! もう、あいつに遭うのは二度と御免だ……!」
背後から聞こえるダードの悲痛な訴えに、アイシャはちらりと彼の方を見た。
「よほど、恐かったんですね。ですが、一夜でヴィシュア真教会を壊滅させ、大神官を捕らえるなんて、一体どなたがやったんでしょう?」
「さあ。真教会に恨みを持つ者の犯行か、もしくは別の目的があるのか。皆目、見当がつきませんね」
肩を竦めて虚言を呈し、ロウはアイシャと共に建物を出ると、屯所へ向かうのだった。
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