言葉なき心の通い合い
それからの俺の日常には、奇妙な日課が加わった。
依頼の合間、あるいは街の喧騒に嫌気がさしたとき、俺の足は自然とあの川沿いへと向いていた。茂みに身を潜め、携帯水筒の安酒をちびちびと舐めながら、対岸の二人を眺める。
それは端から見れば、ただの不審な覗き魔だ。だが、俺にとっては、酒場のくだらない愚痴や血生臭い討伐の依頼よりも、よっぽど価値のある「見せ物」だった。
季節はゆっくりと秋へ向かい、川面を渡る風が少しずつ冷たくなり始めていた。
「今日も街の人間は、私のことを見ようともしなかったわ」
女はゴブリンの膝に頭を預け、川面を見つめながらぽつりと言った。
ギルドの酒場で下働きをする彼女の立場は、お世辞にも良いとは言えないのだろう。泥酔した冒険者に絡まれ、マスターからは小言をぶつけられる毎日なのか、その乾いた心が、この冷たい森の中でだけ潤されているように見えた。
「ギャウ、ギャギャ……」
ゴブリンは女の言葉を理解しているわけではないのだろう。だが、彼女の悲しげな声のトーンを敏感に察知し、その醜悪な顔を歪めて、酷く痛ましそうな声を出す。
影を払うように、自分の大きな、緑色の手のひらで、女の頭をそっと撫でた。爪が皮膚を傷つけないよう、驚くほど慎重に、ゆっくりと。
「……ありがとう。あなただけね、私の言葉をちゃんと聞いてくれるのは」
女が愛おしそうに目を細め、ゴブリンの手の甲にそっと唇を寄せた。
ゴブリンの身体がビクリと跳ねる。濁った黄色い瞳が大きく見開かれ、まるで聖女に祝福を授かった騎士のように、その場で硬直していた。
(……おいおい、ゴブリンのくせに赤くなってやがるのか、あいつ)
草むらの中で、俺は思わず吹き出しそうになった。
ゴブリンといえば、人間の女を襲い、略奪するだけの邪悪な害獣。それが冒険者ギルドの共通認識だ。だが、目の前にいるあいつには、そんな凶暴性の欠片もない。ただひたすらに、目の前の哀れな人間の女を、どうにかして慰めたいという純粋な一念だけが、その小さな身体から溢れていた。
「ギャウ、ギャギャギャ!」
ゴブリンは立ち上がると、短いつる性の植物を器用に編み込み始めた。
不器用な指先を何度も動かし、時には爪を立てて失敗しながらも、彼は一本の歪な冠を作り上げる。そして、それを誇らしげに女の頭へと載せた。
「ふふ、可愛い。私、これが世界で一番欲しかったの」
女は満面の笑みを浮かべ、ゴブリンの首に抱きつく。
その瞬間、俺はゴブリンの身体が、かすかに緑色の光を帯びたのを見逃さなかった。
それは魔力が昂った時の光だ。通常なら、人間を殺し、その経験を糧にして魔物は進化する。だが、あいつの体内で今パチパチと弾けているのは、紛れもなく「女を喜ばせたい、守りたい」という、ひどく場違いで、ひどく純粋な感情のエネルギーだった。
(戦ってもいないのに、あいつ、魔力の総量が上がってやがる……)
俺は女の髪に揺れる歪な草の冠と、彼女を抱きしめるゴブリンの背中を見つめながら、エールを一口煽った。
二人の関係が深まるにつれ、何かが決定的に変わり始めている。この歪な愛の形が、この先あいつをどこへ導くのか、俺の冷めた好奇心は、少しずつ本物の興味へと変わりつつあった。




