川沿いのロミオとジュリエット
エールを喉に流し込むたび、俺の頭にはいつもあの奇妙な、しかしひどく綺麗な光景がよぎる。
始まりは、なんてことのない、よく晴れた日の依頼帰りだった。
街道から少し外れた川沿い。木漏れ日が水面をキラキラと照らす特等席を見つけた俺は、討伐依頼を終えたばかりの身体を休めるため、干し肉を齧りながら携帯水筒の水を煽っていた。冷たい水が喉を通り、ようやく人心地がついた頃だ。
のどかな昼下がり。昼寝でも決め込もうかと草むらに寝転がろうとした、その時だった。
対岸の茂みがガサリと揺れ、緑色の醜悪な頭が覗く。
――ゴブリンだ。
俺は反射的に腰の剣の柄に手をかけた。最弱の魔物とはいえ、奇襲されれば厄介だ。
だが、そのゴブリンの視線は俺に向いていなかった。その濁った黄色い瞳は、川辺の開けた場所に立つ、一人の人間の女をじっと見つめていた。
仕立ては安物だが、丁寧に洗濯されたエプロンドレスを着た若い女。ギルドの酒場で皿洗いや泥汚れの床掃除をしていそうな、どこにでもいる素朴な下働きの女だ。
(おいおい、冗談だろ。なんでこんな魔物の出る森に、冒険者でもない普通の女が一人でいるんだ!?)
まずい、襲われる。
俺が助けに入ろうと地面を蹴り、腰を浮かせた、まさにその瞬間だった。
「あ……っ!」
女が小さく声を上げ、駆け出した。恐怖に怯えた悲鳴ではない。まるで、待ち人がようやく現れたときの、弾むような歓喜の声。
「ギャギャッ、ギャウ!」
同時に茂みから飛び出したゴブリンも、短い手足を必死に動かして駆け寄る。
そして、川辺の真ん中で、二つの影は勢いよく抱き合った。
「…………は?」
俺の脳内に、文字通り巨大な疑問符が浮かび上がる。浮かびすぎて頭が重いくらいだ。
腰を浮かせた中途半端な姿勢のまま、俺は完全に固まった。
ゴブリンの短い腕が女の腰に回され、その醜悪な緑色の頭が、女の胸元に愛おしそうに埋められる。女は嫌がるどころか、愛おしい我が子、あるいは最愛の恋人を抱きしめるように、その背中に白い手を回して優しく撫でていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。今日、ギルドのマスターが機嫌悪くて、なかなか抜け出せなかったの」
「ギャ、ギャウ……ギャギャ」
「ふふ、怒らないで。これ、厨房の余り物だけど、あなたの好きな甘い干し葡萄。持ってきたのよ」
会話が、成り立っている。ように見える。
女の言葉に対し、ゴブリンは不満げに鼻を鳴らしたり、干し葡萄を受け取って嬉しそうに目を細めたりしている。その仕草の一つ一つが、お互いを深く信頼し合っている恋人たちのそれだった。
ゴブリンの悪臭がするはずの肌に、女は躊躇なく自分の頬を寄せ、慈しむように微笑む。女の細い指先が、ゴブリンの尖った耳を優しくなぞると、魔物はまるで飼い慣らされた犬のように気持ち良さそうに目を細めた。
(いや、ゴブリンと……人間だよな? 俺の頭がバグったか?)
何度も目をこすったが、視界の先にあるのは、どう見てもロマンス小説の一幕のような熱烈な逢瀬だ。
異種族の、それも害獣とされる魔物との恋。常識で考えれば、今すぐ引き離して女を街へ連れ帰るべきだ。しかし、あまりにも純粋で、どこか神聖さすら感じる二人の空間に、他人がケチをつけるのも無粋な気がしてくる。
何より、街で冷遇されているのだろうその女の表情は、今、世界で一番幸せそうに見えた。
「……まぁ、実害がないなら、放っておくか。人の恋路を邪魔して、不味い酒を飲む趣味はねえ」
俺は剣から手を離し、静かに草むらに身を潜めた。
これが、俺の奇妙な「監視生活」の始まりだった。




