精霊を愛する魔術士
「……ッ、来た! 掴んだぞ、この揺らぎ! ああ、今日も僕のすぐ近くにいるんだね! 姿は見えないけれど、僕には感じられるよ、愛しい精霊!」
青空の下、何もない空間に向かって情熱的に手を差し伸べるゼツ。通りすがる冒険者たちが「またやってるよ…」と露骨に目を逸らしていく。
「ねえゼツ、お願いだからその空き樽に愛の告白をするのはやめて。あとそのポーズ、腕がピンと伸びすぎてて遠くから見ると謎の標識に見えるわ」
隣で深い深いため息をついたのは、エルフのリーンだ。
「空き樽!? 馬鹿な……! 確かに今、僕の皮膚をかすかなマナのゆらぎが通り抜けたんだぞ! ほら、この甘く芳醇な空気感! まるで果実の精霊が舞い降りたかのような!」
「それ、昨日まで甘口の赤ワインが入ってた樽。ただのブドウの匂いよ」
「……ワインの残り香だと!?」
「そうよ。ちなみにその樽の底、ちょっと濡れてるから触らないでね。昨日、通りすがりの犬が排泄していった気配もあるから」
「うわあああっ!? 触る寸前だった! 危ないところだったぞリーン! 精霊の気配かと思ったら犬の……いや、しかし待ちたまえ。ワインの残り香と犬のあれが混ざった空間を、僕は精霊の降臨と誤認したということか!?」
「そこショック受けるところ? 自分の鼻のバカさに絶望しなさいよ」
「くっ……! 精霊に愛された凄腕の精霊術師である君が羨ましいよ、リーン。僕にはこの程度の微かなマナの揺らぎ(とワインの匂い)しか拾えないのに、君にはその愛くるしい姿がはっきりと見えているんだろう?」
「まあね。見えすぎて困ることもあるけど」
そう言いながら、リーンがふと人差し指をすっと立てる。
すると、どこからともなく小さな風の微精霊がふわふわと集まってきて、彼女の指先の上でくるくると楽しそうに踊り始めた。リーンが「あっちの落ち葉、片付けておいて」と囁くと、微精霊たちは嬉しそうに小さな旋風を作って路地裏を掃除し始めていく。
「ああっ!? リーン、今何か僕の視界の外で、ものすごく素晴らしい精霊術の宴が行われていた気がするぞ! 今、指先に何か乗っていただろう!?」
「何も乗ってませーん。ゼツの気のせい」
あっさりと微精霊を追い払いながら、リーンは呆れたように肩をすくめた。
「とにかく、今日のゼツの周りにいたのは、精霊じゃなくてただの『羽虫』が二匹くらいね」
「虫!? 僕は羽虫に向かって『愛しい精霊よ』と微笑みかけていたのか!?」
「そうよ。すっごいキモかった」
「言い方!!」
「でもまあ……私が見ているものは、そんな精霊の姿ばっかりでもないけどね」
「ん? 何か言ったか? 風で聞こえなかった」
「別に何でもないわよ! ほら、今日の依頼報告に行くわよ。ギルドの受付さん、ゼツが遅いと『また路上でエア精霊と談笑してるんですか』って顔するんだから」
「失礼な! 僕は談笑などしていない、一方的な愛の打ち明けだ!」
「威張って言うことじゃないでしょ! ほら、早く歩く!」
「あ、待ってくれリーン! 頼むから僕がまた羽虫やワイン樽に向かって熱弁し始めたら、脱線する前に教えておくれよ!」
「はいはい、毎度のことでしょ。……まったく、私が隣にいて見張ってないと本当にダメなんだから、あなたは」
呆れ顔で小走りに先を行くリーンの口元が、ほんの少しだけ緩んでいることに、精霊のことしか頭にないゼツが気づくはずもなかった。




