時代は熟女だ!
電は、ガラスケースの前から動けなくなっていた。
その中にいるマダムペリアを見つめたまま、まるで周囲の音が聞こえていない。
殻は、そんな電の横顔を見ながら、嫌な予感を覚えていた。
この顔を、彼女は知っている。
昨日。
ギャセクシーを見ていたときも。
もっと言えば、電が「新品はやっぱりいい」と熱く語っていたときも、同じような顔をしていた。
だが今回は、少し違った。
電は明らかに困惑していた。
『……どうしたの?』
マダムペリアの声が聞こえる。
電は小さく首を振った。
「いや」
『ふふ。そんな顔をして』
「俺は……」
電は言葉を切った。
ガラスの向こうにいる彼女は、新品ではない。
それどころか、値札にはしっかりと中古品と書かれている。
さらに修理履歴まである。
かつて誰かに選ばれ。
誰かの手の中で使われ。
傷つき。
そして、直された。
それでも今、ここにいる。
「俺、新品が好きなんだ」
『まあ』
マダムペリアは、少し驚いたようだった。
『それは、よく存じていますわ』
「知ってるの?」
『先ほどから、ずいぶん熱心におっしゃっていたでしょう?』
電は少し恥ずかしくなった。
だが、マダムペリアは笑わない。
むしろ、そんな電を見守るように静かに言葉を続けた。
『新品は素敵ですものね』
「……うん」
『誰の手にも触れていなくて、傷もなくて。これから、あなたと一緒に時間を過ごしていける』
「そう」
『それが好きだという気持ちは、とてもよく分かりますわ』
電は少しだけ目を伏せた。
目の前にいる彼女は、そんな自分とは正反対だった。
『でも』
マダムペリアの声が、少しだけ柔らかくなる。
『新品だけが、素敵なものではありませんよ』
「……」
『私は、誰かと長い時間を過ごしてきました。いろんな場所へ連れて行ってもらって、いろんなものを見てきたわ』
電は黙って聞いていた。
『傷もつきました』
マダムペリアは、少し笑う。
『壊れたことだってあります』
電の視線が、彼女の値札へ落ちた。
修理履歴あり。
その文字が目に入る。
『でもね』
マダムペリアの声は、そこで止まらなかった。
『直してもらったんですの』
「……」
『だから、まだここにいます』
電の胸が、少しだけ締め付けられた。
新品にはないものがある。
新品には、何もない。
これから始まる時間しか。
けれどマダムペリアには、もう時間がある。
誰かと過ごした時間。
壊れた時間。
そして、もう一度立ち上がった時間。
「……すごいな」
『まあ』
「俺、そんなふうに考えたことなかった」
『そうでしょうね』
「ひどい」
『ふふふ』
その笑い方には、不思議と嫌味がなかった。
電は、ガラスケースの向こうの彼女を見つめた。
「新品は……確かにいいと思う」
『ええ』
「でも」
電は一度だけ、息を吸った。
「君は、新品じゃないからいい」
マダムペリアが黙る。
電は自分でも驚いていた。
さっきまで、新品しか目に入らなかったはずなのに。
今は。
この修理履歴すら、愛しく思える。
「君が今まで過ごしてきた時間も」
電の声が、少しだけ震える。
「君が傷ついたことも」
そして。
「直って、ここにいることも」
電は笑った。
「全部、君なんだろ?」
しばらく、マダムペリアは答えなかった。
それから。
『……そんなことを言われたのは、初めてですわ』
「そうなの?」
『ええ』
彼女の声が、少しだけ嬉しそうに揺れた。
『あなたは、本当に変な方ですね』
「よく言われる」
『ふふ』
電も笑った。
すると、マダムペリアは少しだけ声を潜める。
『でも』
「うん?」
『私は中古ですよ?』
「うん」
『修理もされています』
「うん」
『それでも、よろしいんですの?』
電は答えなかった。
ただ、マダムペリアを見つめる。
そして。
「君だからいい」
『……』
電の胸が熱くなった。
初めて。
誰かを新品だからではなく。
新品ではないからこそ、好きになった。
「俺、君が好きだ」
『まあ』
「一緒にいたい」
『ふふ……』
「何?」
『いいえ』
マダムペリアは、優しく笑った。
『ありがとうございます』
その瞬間。
電の中で、何かが決壊した。
「買う」
「ちょっと待って」
隣から殻の声がした。
電が振り返る。
「何?」
「いや、何? じゃないよ」
殻は信じられないものを見るような顔をしていた。
そしてガラスケースの中の中古スマホを指差す。
「あんた、新品至上主義じゃなかったの?!」
電は一瞬だけ黙った。
確かに。
昨日までそうだった。
新品が一番。
誰の手にも触れていないものがいい。
そう言っていた。
だが。
電は再びマダムペリアを見る。
「……」
そして。
きっぱりと言った。
「時代は熟女だ!」
「何で?!」
殻の叫びが中古スマホショップに響いた。
電は店員へ向かって歩き出す。
もう迷いはなかった。
「すみません!」
電が声を掛ける。
店員が近づいてくる。
「はい?」
「このマダムペリアください!」
店員がガラスケースを見る。
「こちらの端末ですか?」
「はい!」
「修理履歴がありますが――」
「知ってます!」
電は即答した。
「それでもいいんですか?」
「むしろいいんです!」
「何で!?」
殻が横から叫ぶ。
店員は困ったように笑った。
電は、ガラスケースの向こうのマダムペリアを見る。
そして、もう一度。
「俺が欲しいのは、新品じゃない」
殻が絶句する。
電は、静かに続けた。
「マダムペリアだ」
しばらくして。
マダムペリアは、電の手の中へやって来た。
新品の箱ではない。
けれど。
電は、それを抱きしめるように大切に持った。
『……これから、よろしくお願いしますわ』
「うん」
『ふふ』
「俺も」
電は、歩き出す。
その隣で。
殻だけが、まだ納得できていなかった。
「……新品至上主義って、そんな簡単に変わるものなの?」
電は振り返らなかった。
「恋とは、そういうものだ」
「知らないよ!」




