知らない間に
電は、しばらく動かなかった。
部屋に戻ってきて、いつもの場所へ座っただけだった。
ただ、目の前にあるものが、いつもとは違っていた。
机の上にはギャセクシー。
その端子には、一本のケーブル。
そして、その先には白いモバイルバッテリーが繋がっている。
可愛らしいシールが貼られた、殻のモバイルバッテリー。
電は、それを見つめたまま、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……これ」
「ん?」
漫画を読んでいた殻が顔を上げる。
「何?」
電はモバイルバッテリーを指差した。
「誰?」
「誰って?」
殻は電の指先を追う。
そして、ようやく意味が分かったらしい。
「ああ。私のモバイルバッテリー」
「……」
「さっき電のスマホ、2%だったから」
殻は何でもないことのように言った。
「そのままだと切れちゃうでしょ。だから繋いでおいたの」
「……そう」
電は頷いた。
それ以上は何も言わない。
ただ、視線だけがモバイルバッテリーから離れなかった。
ギャセクシーは、充電されている。
先ほどまで2%だった数字も、少しずつ増えている。
電にとっては、ありがたいことのはずだった。
それなのに。
なぜか、胸の奥がざわつく。
電はギャセクシーを手に取った。
「ギャセクシー」
『……電くん』
返事が返ってくる。
いつもの声だった。
それを聞いて、電は少しだけ安心した。
「俺がいない間、何してた?」
「……」
殻の手が止まった。
「電?」
電は殻を見ない。
ギャセクシーの画面だけを見つめている。
『充電してたの』
「誰に?」
殻が眉を寄せる。
「……何?」
電は聞こえていないふりをした。
ギャセクシーからの返事を待っている。
『……この子に』
電の視線が、ゆっくりと横へ動いた。
白いモバイルバッテリー。
「この子?」
『うん』
「……そう」
電は小さく頷いた。
「だから私のモバイルバッテリーだって」
殻が言う。
「分かってる」
「じゃあ、何でそんな顔してるの?」
「……」
電は答えなかった。
ギャセクシーを両手で持ち直し、画面を確認する。
充電中。
数字は、さっきより増えている。
「ギャセクシー」
『うん』
「楽しかった?」
「……」
殻の表情が変わった。
「電?」
電は返事をしない。
ただ、ギャセクシーからの言葉を待っている。
『えっと……』
「うん」
『電くんがいなかったから……』
「うん」
『寂しかったけど』
電の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
『この子が助けてくれたの』
「……そうか」
電はモバイルバッテリーへ目を向けた。
「助けてくれたんだな」
「……」
殻は黙って電を見ていた。
さっきから何をしているのか分からない。
けれど、電が妙に真剣なのだけは伝わってくる。
「ねえ、電」
「ん?」
「それ、スマホだよね?」
「ギャセクシー」
「……はいはい」
殻は諦めたように漫画へ視線を戻した。
ページをめくる。
その音が、部屋に小さく響いた。
電はしばらく黙っていた。
やがて、もう一度モバイルバッテリーを見る。
ケーブルが繋がっている。
ギャセクシーと。
自分がいない間に。
「……でも」
電が呟いた。
「俺がいない間に、勝手に繋がるのはどうなんだ?」
「何の話?」
殻は漫画から顔を上げた。
電は答えない。
ギャセクシーを胸元へ引き寄せる。
それでも、ケーブルは外さなかった。
充電中の表示が、静かに数字を増やしている。
「ギャセクシー」
『うん』
「俺、怒ってないから」
『……』
「ただ、ちゃんと話してほしい」
『……うん』
殻は、しばらく電を見ていた。
それから、深いため息を吐く。
「……何でスマホに事情聴取してるのよ」
電は真剣な顔でギャセクシーを見つめたまま答えた。
「大事なことだから」
「何が?」
「恋人のこと」
「……」
殻は口を閉じた。
そして、もう一度机の上を見る。
ギャセクシー。
モバイルバッテリー。
二つを繋いでいる一本のケーブル。
殻は何も言わなかった。
ただ、電がその光景を見つめ続けていることだけが、妙に気になった。




