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【Season2】白い羽の彼女を守るため、ただの高校生だった俺は勇者になる  作者: 東雲 明
第10章 エクリプシス島編

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第141話 恐怖を斬る者

 黒い刃が、ミユウの白い翼を裂いた。


 声を出すより先に、喉の奥が焼け、握った剣の柄が掌の皮を削った。


 迷宮の床に刻まれたルーン文字が青白く瞬き、石壁の奥で誰かの足音が何重にも跳ね返る。目の前でミユウが膝から崩れ、銀髪が血のついた羽に絡み、俺に向けられた唇がわずかに動いた。


 あなた、と聞こえた瞬間、背後でアインの小さな靴音が止まった。


「パパ……?」


 振り返るな。


 そう思ったのに、首が動いた。石の通路の向こうで、アインがジュリアの手を握ったまま立っていた。


 二人の足元に、黒い水が広がっている。水ではなかった。


 迷宮の天井から落ちる青い光を吸い込みながら、影が床を這い、アインの足首に巻きつき、ジュリアの白い小さな羽を汚していく。


「パパ、こっち、きて……」


 ジュリアの声が、石壁に触れて細く割れた。


 俺は一歩踏み出した。靴底が床に張りつき、足首まで冷えが上がる。剣を握る右手が震え、左手で胸元の服を掴んだ。


 息を吸うたび、鉄の匂いと湿った石の匂いが肺に入り、こめかみの奥でルーン文字の光が点滅する。


 ミユウが倒れている。


 アインとジュリアが沈んでいく。


 俺の剣は、どちらにも届かない。


 影の中から、細長い腕が何本も伸びた。指先は骨のように白く、アインの肩に触れ、ジュリアの髪を撫でるように絡む。


 アインは歯を食いしばり、ジュリアを自分の背中に隠そうとした。小さな体が前へ出る。膝が震えているのに、目だけは俺を見ている。


「ぼくが、ジュリアをまもる」


「おにぃちゃん……」


 ジュリアがアインの服を掴んだ。


 俺の胸の奥で、何かが軋んだ。剣を振り上げようとして、腕が上がらない。肩に鉛を流し込まれたみたいに重く、指先が痺れ、柄の感触だけがやけに鮮明だった。


 ミユウの羽が床を擦った。


「あなた」


 顔を向けると、ミユウが血に濡れた指で俺を示していた。唇の端から赤い筋が落ちる。けれど、その瞳だけは濁っていない。俺の足元ではなく、剣でもなく、俺の胸の奥を射抜くように見ている。


「斬って」


 その一言で、迷宮の音が消えた。


 違う。


 ここにミユウはいない。


 ここにアインもジュリアもいない。


 俺は歯を噛みしめ、舌の裏に血の味を広げながら、目の前のミユウを見た。


 倒れ方が違う。ミユウなら、膝から崩れる前に翼で体を支える。アインなら、俺を呼ぶ前にジュリアの手をもっと強く握る。ジュリアなら、泣きながらでも、アインの背中に隠れたまま俺の服の裾を探す。


 床に刻まれたルーン文字が、また瞬いた。


 読み間違えた文字が、石の隙間で青く燃えている。


 喪失を見せる文字。


 足を止めるための文字。


 剣を鈍らせるための文字。


 俺は息を吐き、剣の柄を握り直した。掌の皮が裂け、ぬめった感触が指の間に広がる。痛みがある。


 なら、俺はまだ立っている。膝の震えも、胸を圧迫する空気も、喉に絡む鉄の匂いも、全部ここにある。


 幻に持っていかれていない。


 俺はここにいる。


「悪いな」


 俺は剣先を床へ向けた。黒い影がアインとジュリアを包む速度を上げ、ミユウの姿をしたものが俺へ手を伸ばす。指先が俺の頬に触れようとした瞬間、俺はその手首を見た。


 ミユウの手じゃない。


 傷跡がない。


 あの航海で、嵐の夜に俺を支えた時、木片でつけた細い傷跡がない。


 俺は笑わなかった。叫びもしなかった。ただ、足の裏に体重を落とし、腰を沈め、剣を引いた。迷宮の床が低く唸る。壁のルーン文字が一斉に光り、黒い水の中から無数の目が開く。


「俺の家族を、そんな雑な幻で使うな」


 剣が青く鳴った。


 アストラルフレイムの刃に、床のルーン光が吸い込まれていく。


 白い刃の中心に青い筋が走り、柄から肘、肩、胸へと熱が逆流した。痛みで骨が鳴る。けれど、腕は上がった。


 影の中のアインが俺を見た。


「パパ、たすけて」


 声は同じだった。


 けれど、その目にアインの光がなかった。


 本物のアインなら、震えながらでも前へ出る。俺の背中を見て、いつか自分も剣を握ると勝手に決める。小さな拳を握って、転んでも立ち上がる。


 こんな目で俺を縛らない。


 俺は床を蹴った。


 一歩目で黒い水が割れ、二歩目で壁のルーンが砕け、三歩目でミユウの姿をした影の懐へ入った。伸びてきた白い指を肘で弾き、首筋へ回り込む黒い帯を剣の腹で叩き落とす。影の腕が肩を掴み、爪が服を裂き、皮膚の上を熱い線が走った。


 構わず踏み込む。


 俺の剣は、人を傷つけるために握ったものじゃない。


 俺の剣は、迷いを斬るためにある。


 家族を守るためにある。


 目の前のミユウの顔が歪んだ。銀髪が黒く染まり、白い羽が泥のように崩れる。唇が裂け、聞き慣れた声の奥から、石を擦るような音が混じった。


「あなたが、守れなかった」


 刃が止まりかけた。


 その一瞬を、迷宮は逃さなかった。床から伸びた影が俺の足を縛り、壁のルーンが赤く変わる。


 胸の奥に、過去の映像が釘のように打ち込まれた。船室。嵐。ミユウの冷えた指。アインとジュリアの寝息。守りたいものが増えるたび、失った時の形だけが先に浮かぶ。


 息が詰まった。


 膝が沈む。


 剣先が床を擦った。


 その時、どこからか小さな声が聞こえた。


「ぼくも、パパみたいにつよくなる」


 幻の中ではない。


 記憶の中の、温かい朝の声だった。甲板の上で木剣を握り、何度も空振りして、手のひらを赤くしながら俺を見上げたアインの声。隣でジュリアが小さな手を叩き、ミユウが銀髪を風に揺らしながら微笑んでいた。


 あの日、俺はアインの頭を撫でた。


 強くなるっていうのは、斬ることだけじゃない。


 逃げずに立つことだ。


 そう言った自分の声が、胸の奥で刃になった。


 俺は左足を踏みしめた。影が足首に食い込み、皮膚の下まで冷たさが入ってくる。右手だけではなく、左手も柄に添えた。掌の傷が重なり、ぬるい血が鍔を濡らす。


 逃げない。


 止まらない。


 奪わせない。


 俺は息を吸い、刃を真っ直ぐ構えた。


「守れなかった未来を見せるなら、先に現在の俺を倒してからにしろ」


 迷宮が吠えた。


 壁が歪み、天井から石粉が落ち、黒い水が柱のように立ち上がる。影の中から、ミユウ、アイン、ジュリアの姿が次々と現れた。泣く顔。倒れる顔。手を伸ばす顔。俺の足を止めるためだけに並べられた顔。


 俺は全部見た。


 目を逸らさずに見た。


 その上で、一番奥にあるルーンの核を見つけた。


 床の中央、砕けた文字の下。青いはずの光が黒く脈打ち、俺の視線に反応して薄く震えた。あれが幻の芯だ。家族の姿を被り、俺の胸の弱い場所に爪を立てていた、迷宮の心臓。


 剣を振るには距離がある。


 影の数は増え続けている。


 普通なら届かない。


 だから、普通に斬るのをやめた。


 俺は剣を下段に落とし、体の軸を沈めた。足元の黒い水が膝まで跳ねる。影の手が肩、腕、腰に絡み、俺の動きを奪おうとする。だが、絡むならそれでいい。引っ張られる力ごと利用する。


 右足を半歩引き、背中の筋肉を締め、影に引かれる勢いに合わせて体を捻った。


 刃が走る。


 目の前のミユウが裂けた。アインの幻が割れた。ジュリアの幻が薄紙みたいに千切れた。声が一斉に砕け、迷宮の壁へ叩きつけられる。


 けれど、核にはまだ届かない。


 黒いルーンが脈打つ。俺を嘲るように、奥へ沈んでいく。


 逃がすか。


 俺は床を蹴った。影の腕が背中に食い込み、服が破れ、爪が肉を掠める。痛みが背骨の横を走った。だが、痛みは俺を止めない。むしろ、ここが現実だと刻みつける楔になる。


 剣を逆手に持ち替え、俺はそのまま黒い水の中へ突っ込んだ。


 足元が消えた。


 体が落ちる。


 暗闇の中で、無数の手が俺の体を掴んだ。胸、喉、顎、瞼。開いた口に冷たい泥が入り、息が詰まる。剣の重みだけが右手に残る。上も下もわからない。体の感覚が削られていく。


 その闇の中で、ミユウの声が聞こえた。


「あなたは、強い」


 今度は幻ではなかった。


 俺が勝手に覚えている、ミユウの声だ。


 弱いところを見せた夜も、剣を落とした朝も、何度もその声が俺を立たせた。俺が自分を疑った時、ミユウだけは俺の背中を押した。言葉だけじゃない。指先で、視線で、翼で、隣に立つ姿で。


 俺は歯を食いしばり、喉に入り込んだ泥を吐いた。肺が焼ける。視界の端で青い光が瞬いた。核だ。闇の底で、黒いルーンが脈を打っている。


 右手を伸ばした。


 届かない。


 影が手首を掴む。


 俺は左手で影を掴み返した。


 冷たい。ぬめる。人の手の形をしているのに、骨も血もない。握り潰すように力を込めると、影が悲鳴のような振動を出した。その振動を支点に、俺は体を引き寄せる。肩が外れそうになる。腕の筋が軋む。けれど、剣先が核へ近づく。


 あと少し。


 黒いルーンが最後の幻を出した。


 目の前に、俺自身が立っていた。


 剣を落とし、膝をつき、空っぽの目でこちらを見ている俺。背後には誰もいない。ミユウも、アインも、ジュリアもいない。床には折れた羽と、小さな木剣と、ピンクのリボンだけが落ちている。


 その俺が、口を開いた。


「どうせ、いつか失う」


 俺は剣を引いた。


 影が一斉に勝ち誇ったように揺れた。


 違う。


 斬るために引いたんだ。


 俺は胸の奥まで息を吸い、剣を両手で握り、闇の底に足をつけた。床なんてないはずなのに、確かに踏めた。俺の中にあるものが、足場になった。


 ミユウの手。


 アインの木剣。


 ジュリアの小さな声。


 船室の灯り。


 朝の潮風。


 全部、奪われていない。


 失う未来を見せられたくらいで、今あるものまで渡してたまるか。


「いつか、じゃない」


 俺は刃を振り上げた。


「今、守る」


 青い光が爆ぜた。


 アストラルフレイムが闇の底で弧を描き、黒いルーンの核を真っ二つに断ち割った。音はなかった。


 代わりに、指先から肩まで一気に熱が抜け、視界を覆っていた黒がガラスのようにひび割れる。


 ミユウの幻が消えた。


 アインの幻が消えた。


 ジュリアの幻が消えた。


 俺自身の幻だけが、最後までそこに残った。剣を持たない俺が、割れた視界の向こうで俺を見ている。俺はその胸に剣先を向けた。


「お前は、俺の影だ。消えなくていい」


 影の俺の瞳が揺れた。


「だが、前には立つな」


 剣を振った。


 影の俺は、青い粒子になって散った。


 次の瞬間、体が床へ叩きつけられた。肺から息が抜け、石の冷たさが頬に張りつく。右手はまだ剣を握っていた。指が開かない。掌の傷に柄の模様が食い込み、血が石の上へ細く広がる。


 迷宮の音が戻ってきた。


 水滴の落ちる音。


 石壁の奥を通る風。


 遠くで何かが崩れる低い響き。


 俺は腕に力を入れ、上体を起こした。体中が重い。背中の傷が服に張りつき、肩を動かすたびに皮膚が引かれる。


 けれど、目の前に黒い水はない。床に刻まれていたルーン文字は砕け、青い光だけが粉みたいに残っている。


 斬った。


 俺は、斬った。


 喉の奥から熱い息が漏れた。笑いでも、叫びでもない。ただ、体の奥に溜まっていたものが、やっと外へ出た。


「パパ!」


 通路の向こうから、アインの声が飛んできた。


 俺は顔を上げた。ミユウがいた。白い翼を広げ、アインとジュリアを背に庇いながら、こちらへ駆けてくる。幻ではない。羽に血はない。銀髪は泥に濡れていない。瞳の奥に、俺の知っている光がある。


 ジュリアがミユウの服を掴みながら、俺を見て唇を震わせた。


「パパ……」


 俺は立とうとした。膝が笑い、足裏が滑った。剣を支えにして、なんとか片膝をつく。ミユウが俺の前で止まり、伸ばした手を途中で止めた。俺の傷を見たのか、触れれば崩れるものを見るみたいに、指先だけが空中で震えた。


「あなた」


 その声で、さっきの幻が完全に砕けた。


 俺は剣から手を離し、ミユウの手首を掴んだ。温かい。脈がある。指先に触れた肌の熱だけで、胸の奥に刺さっていた棘が一本ずつ抜けていく。


「本物だな」


「ええ」


 ミユウは俺の手を両手で包み、膝をついた。白い翼が俺の肩の後ろへ回り、迷宮の冷たい風を遮る。


 アインが隣に駆け寄り、俺の剣と砕けたルーンを交互に見た。目が大きく開いている。息を弾ませ、拳をぎゅっと握っている。


「パパ、いまの、すごかった。ほんとうに、すごかった」


 俺はアインを見た。小さな頬に石粉がつき、額に汗が浮いている。逃げずに見ていた顔だ。


「見てたのか」


「うん。パパ、まっくろなの、ぜんぶきった。ぼくも、パパみたいにつよくなる」


 アインは胸の前で拳を握り直した。震えていた指が、今は真っ直ぐ折り込まれている。


 ジュリアがその袖を小さく引いた。


「おにぃちゃん、パパ、けがしてる……」


 アインの顔が変わり、すぐに俺の腕へ視線を落とした。俺は動かせる方の手で、ジュリアの頭に触れた。銀髪が指に絡む。幻の中で黒く沈んでいた髪ではない。柔らかく、少し湿っていて、迷宮の石の匂いが薄くついている。


「大丈夫だ」


 言った瞬間、ミユウの眉がわずかに寄った。


 まずい。大丈夫という言葉だけでは、ミユウには通じない。俺が無理をする時の声を、彼女は知っている。


 ミユウは俺の手を包んだまま、傷の具合を見た。指先が服の裂け目に触れる。背中の皮膚がひりつき、俺は奥歯を噛んだ。ミユウの瞳が俺へ戻る。


「あなたは、斬ったのですね」


「ああ」


「幻だけではなく、足を止めるものごと」


 俺は砕けたルーンを見た。青い粉が床の溝に積もり、風が吹くたびに細く流れていく。もう文字の形は残っていない。


「家族を使われた」


 ミユウの手に力が入った。


「あなた」


「でも、雑だった」


 俺は息を吐き、剣を拾い上げた。刃に黒い靄は残っていない。青い光が細く走り、やがて透明な白に戻る。


「お前なら、倒れる前に翼で支える。アインなら、呼ぶより先にジュリアを守る。ジュリアなら、アインの服を掴んで離さない」


 ジュリアが、はっとしたようにアインの服を掴み直した。アインが少し胸を張る。


「ぼく、まもるよ」


「知ってる」


 俺がそう言うと、アインの目がさらに強くなった。小さな体なのに、迷宮の青い光を受けて、影が少しだけ長く伸びている。


 ミユウは俺を見つめていた。賞賛の言葉をすぐには出さず、俺の呼吸、指先、膝の角度を確かめるように見ている。彼女のそういうところに、何度も救われた。派手な言葉より先に、俺が立っているかを見てくれる。


「あなたは、やはり強いです」


 白い翼の内側で、ミユウの声が低く響いた。


「幻に刃を向けることより、見せられたものから目を逸らさなかったことが」


 俺は返事をしなかった。喉に残る泥の感触がまだある。幻のアインが俺を呼んだ声も、幻のジュリアが沈む音も、完全には消えていない。けれど、それを消し去る必要はなかった。


 持ったまま進む。


 剣と同じだ。重いからこそ、握り方を覚える。


 迷宮の奥で、石扉が動いた。


 全員の視線がそちらへ向いた。砕けたルーンの先、今まで壁にしか見えなかった場所に縦の亀裂が入り、青い光が漏れ出している。扉の表面には、さっきとは別のルーンが刻まれていた。今度は読み間違えない。古い文字の線は荒れているが、意味はわかる。


 恐れを斬った者だけが進め。


 俺は心の中で読み、声には出さなかった。


 アインが俺の隣に立ち、ルーンを見上げた。


「パパ、なんてかいてあるの?」


「進めってことだ」


「じゃあ、いこう」


 迷いのない声だった。


 ジュリアがミユウの後ろから顔を出し、扉の奥の光を見た。小さな指がミユウの服を掴んでいる。けれど、足は引いていない。


「パパも、いっしょ?」


「当たり前だ」


 俺は剣を肩に担ごうとして、背中の傷に引きつった。ミユウの視線が刺さる。俺は剣を下ろし、軽く握り直した。


「無茶はしない」


 ミユウは何も言わず、俺の手首に布を巻いた。いつの間にか取り出した白い布だ。きつく結ばれ、傷口が圧迫される。痛みで指が跳ねたが、その圧が妙にありがたかった。


「あなたの無茶は、少しずつ基準がずれていきます」


「今のは反省してる」


「今の、は?」


 アインが小さく笑い、ジュリアも口元を押さえた。迷宮の冷たい空気の中で、その短い音だけが柔らかく転がる。俺は咳払いをして、扉へ向き直った。


 石扉が完全に開く。


 奥には長い階段があった。下へ続いている。壁には青い炎が灯り、階段の先は濃い霧に沈んで見えない。風が下から吹き上げ、俺の傷口を冷やした。鉄と石と、かすかな花の匂い。迷宮の奥に似合わない匂いだった。


 桜。


 エクリプシス島の外で見た、月明かりに舞っていた花びらの匂い。


 俺は一段目に足を乗せた。石がわずかに沈み、階段全体に青い線が走る。罠かと身構えたが、矢も槍も飛んでこない。代わりに、奥の霧の中で何かが光った。


 青い宝玉。


 まだ遠い。けれど、確かにそこにある。


 アインが息を呑んだ。ジュリアの指がミユウの服をさらに強く掴む。ミユウは俺の隣に並び、翼を少しだけ広げた。


「あなた」


「ああ」


 俺は剣を握り直した。


 さっき斬ったばかりの幻が、胸の奥でまだ薄く疼いている。消えない。消えなくていい。あれを斬ったから、俺はここに立っている。


 階段の下から、低い音が響いた。


 獣の唸りにも、石の軋みにも聞こえる。霧の奥で青い光が一度消え、また灯る。その瞬間、階段の壁に刻まれた新しいルーンが浮かび上がった。


 今度の文字は、警告ではなかった。


 試練の名だ。


 俺は読んだ瞬間、剣の柄を握る手に力を込めた。ミユウが俺の表情だけで何かを察し、アインとジュリアを背へ下げる。


「次は、何?」


 アインが小声で聞いた。


 俺は階段の奥を見たまま、答えた。


「斬れる相手だ」


 霧の向こうで、巨大な爪が石段にかかった。青い炎が一斉に揺れ、湿った風が俺の頬の傷を撫でる。


 俺は一段、下りた。

読んでくれてThanksです。不定期更新になりますが、これからもよろしくお願いします。

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