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第一章05『思えば初めてかもしれない』

 



 爆音が暴れ回っていた。

 見渡す限りの建築物を吹き飛ばしながら、その『巨体』は魔導都市の大通りを直進する。





 大通りに並ぶ高層ビル群はもはや根本から抉り飛ばされ、地面を覆うアスファルトは綿埃のように巻き上げられる。粉塵は破壊の軌跡をなぞるように舞い上がり、木端微塵になった破片や瓦礫は至る所に豪雨のように降り注いだ。


 容赦のない破壊の嵐。とっくに住民の避難が済んでいたのがせめてもの救いか。

 しかし、その『巨体』は人間側の事情をいちいち考慮しない。

 絶叫を迸らせ、本能のままに暴れ回る。


『ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』


 全長は約二〇メートル。高さというより縦に長い。

 複数の体節に区切られたその体は、生物というより人間の背骨を彷彿とさせた。その体節からは数十本もの脚が伸びている。

 そして背骨の先端には、凶悪な顔面。これは人間のものではない。一〇個の赤い瞳と、割れた口の中には乱杭歯がズラリと並んでいる。


 蜘蛛と百足を組み合わせたような、骨だけの魔獣。

 そんな化物が、迫る。

 進行方向にある風景を、丸ごと引き裂き、食い破り、踏み荒らしながら。




「なるほど、強敵だな」




 その地獄のような進撃を、たった二言で評価する者がいた。

 膝下まで伸びた栗色の髪を、一本の三つ編みにまとめた少女だ。

 外見は意外に華奢。この街では有名は『魔法学園』の制服の上に、軍服にも似た黒の衣装を羽織っている。


 そんな少女を、さらに異様たらしめている物がある。

 彼女の腰に括り付けられた、()()()()()()()()()()()()()()()』。


「特級駆除対象、通称『堕龍(だりゅう)の魔獣』。推定警戒レベルはステージ5。相手にとって不足はなし。……さて、どこまでやれるか」


 少女は鞘からレイピアを引き抜くと、目の前に構えて鋭く深く息を吐く。

 彼女が立つのは、魔導都市一番の大通り。

 より具体的には――――迫り来る魔獣の進行方向、その真正面。


開闢(セット)


 少女の口が、冷静に合図を告げる。

 直後、レイピアを握る少女の手に『黄金の模様』が浮かび上がった。

 それは服の上からでも見えるほど強い光を放ちながら、手から腕、腕から胴、胴から足へと、少女の全身を覆っていく。


 ―――『魔力回路』。

 魔法使いが強力な魔法を発動する際……より正確には、一定量以上の魔力を消費する際に体に現れる刻印。


「いざ」


 その一言と共に、少女はレイピアを握る手をゆっくり後ろに引いていく。

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち……と、射出寸前の弓のように力を蓄える。

 そして、名乗る。


「『執行部隊』魔獣対策本部・第七部隊隊長、ツクモ・アラン・シュヴァリエ。押して参る」


 瞬間だった。

 少女から放たれる殺気に、魔獣の方も気付いたようだった。


『ヒュォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』


 魔獣があからさまに足を速め、都市全体を揺さ振るような咆哮を上げる。

 それでもなお、少女は冷静に息を整え、ひたすら敵を待ち構える。


「……累衝(るいしょう)魔法//」


 直後だった。

 二つの存在が、最短距離で激突した。





波動(はどう)累衝『|最果テヲ踏ミ滅スル時ヲ知ル《Va où tu peux, meurs où tu dois》』―――《八〇〇倍》」





 魔法名と同時だった。

 ズドッ!!!!!! という爆音が、魔導都市を端から端まで一直線に貫いた。








      ***








 誰もが魔法を使える時代になったが、『魔法専門』の役職になると、義務教育程度の知識・技術では太刀打ちできない。


 たとえば、魔法を用いて芸術作品を手がける創作家。

 たとえば、『魔法道具』を開発する研究員。

 たとえば、魔法の秘密やさらなる応用法を探索する魔法学者。

 たとえば、魔獣討伐を生業とする精鋭魔法使い集団『執行部隊』。


 こういった役職には、より専門的かつ実用的な知識・技術が不可欠になる。そのための専門学校が、世界各地に設立された『魔法学校』である。

 中でも、世界中から入学希望者が集まる超名門校が、魔導都市に存在する。


 魔法教育機関『聖プリエステラ魔法学園』。

 魔法の最先端が集う場所。世界一の魔法産業都市・魔導都市の一番の象徴。

 そんな場所で――――




「なんで魔法も使えない奴がここにいるんだよ。出てけよ」




 そんな罵倒が。

 次々と。




「ちょっと! 近付かないでよ! 汚れるじゃん!」


「このゴミ捨てといてー」


「お前みたいな役立たずの給料も俺らの授業料から払われるとか、最悪じゃん」


「ちっ」


「なんでアナタみたいなのがここにいるのよ? 理解できないのだけど」


「誰がこんなの雇うわけ? 普通に魔法使い雇ってよ。ここ魔法使いのための場所だし」


「お前がいるせいでこの学校の格が落ちたらどうすんだよ。責任取れんの?」


「当たり前みたいにここにいるなよ。この校舎に入るの罪悪感とかないわけ?」


「誰だよお前を入れた奴」


「邪魔、どけ」


「はあ? 最悪なんですけど」


「魔法が使えないとか普通に努力不足だろ? 自分のせいじゃん」


「親がかわいそー」


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


「―――――――――――――――――」


「*********」


「××××××××××××××××××××××××××××××××××××」


「##############」


「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※……」








      ***








 女の子が降って来た日から、二日が経った。


「へえええええええぇぇぇ……」


 吐いた事のない種類のため息をこぼし、フェグルスは掃除用具を肩に担ぎ、聖プリエステラ魔法学園の中庭をトボトボ歩く。


 魔法学園の清掃作業員。

 それが、フェグルスの見つけた新しいアルバイトだった。

 ちょうど知り合いが魔法学園とコネがあり、そのツテを伝って、雇ってもらったのだ。


 ……で、噂が広まるのは早かった。


 うちの学校に魔法が使えない奴が来るらしい―――と、誰が最初に言い出したのかは分からないが、その話は瞬く間に広がり、フェグルスが魔法学園を訪れた一日目には、すでに全校生徒に知れ渡っている状態だった。。


 そして結果はご覧の通り。すれ違うたびに小言を言われ、跳ねのけられ、罵倒され、勝手に親が可哀想にされているのだった。


「なんも気にならん……無だ、無」


 庭園を横切るフェグルスを、昼休みのお弁当を食べている生徒達が遠巻きに見て、何かコソコソ耳打ちし合っている。

 嫌そうに顔をしかめ、言葉にせずとも分かる「なんでお前みたいなのがここにいるの?」オーラをびんびんに放ちまくっている。


「俺は無……俺は石……俺は木……」


 憂鬱になる権利すら、本当はないのだ。

 魔法使いのための学校に、魔法が使えない奴が踏み込んできたのだ。そりゃあ良い顔をされるわけがない。そうなる事を承知でこの仕事を請けておいて、勝手に憂鬱になるなんて図々しいにも程がある。


 それに、結局は『今さら』だ。

 魔法が使えない事への蔑み、見下し、嘲り……それは今までだって、ずっと受けてきた。今さら何を気にするという。



『てかそんなん関係ない』



「…………」


 不意に、フェグルスの脳裏をなぜか、二日前の記憶が過った。

 空から少女が降って来たあの日。


『てかそんなん関係ない。あんたが加害者で、あたしが被害者。あたしはあんたに正当な罰則を要求してる。それだけよ』


 あの時、度重なる異常事態に全く意識が向かなかったが……思えば初めてかもしれない。

 魔法が使えないという事実を、馬鹿にするでも、蔑むでもなく、「関係ない」の一言で片付けた人間は。


「……マジでなんだったんだあいつ」


 時間が経てば経つほどに、フェグルスの中で存在感を増していく少女の姿。

 そして考えれば考えるほど、妙な点に気が付いていく。


『ま、魔法使い如きが……よ、よくもあたしに、こここっ、こんな、恥を、かかっ、かかせて、くれたわね……』


『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ……殺してやる! あんたら魔法使い全員っ、粉々に切り刻んで殺してやらぁぁあああ!!』


『あんたは魔法使いじゃないみたいだし』


 なんとなく、気にはなっていた。あの少女の口から出る『魔法使い』という言葉には、どこか他人事の響きがあったのだ。

 まるで、魔法使いという枠組みから、自分だけを除外しているような……。


 そもそも全人類が魔法使いになった現代で、逐一他人を『魔法使い』と呼ぶ事自体が極めて稀なシチュエーションなのだ。

 だが、あの少女は……。


『この世界の人間なんか全員死ねばいいって思ってるけど』


 追われていて、殺されかけていて、傷だらけで。

 空から降って来て、凶器を持っていて、この世界の人間なんか全員死ねばいいとまで言い張った彼女は。

 本当に、何者――――


「ぶっ」


 思考は最後まで続かなかった。

 突然、頭から水でもぶっかけられたような衝撃が襲って来たからだった。




 ……ような、というか、本当に頭から水をぶっかけられていた。




 校舎脇をぼんやり歩いていたのが悪かった。自分をよく思わない人達が集まる場所で、注意力散漫で歩いていたら、そりゃあ校舎二階の窓から水をぶっかけられて当然だった。


 水の滴らせ、フェグルスは手で顔を拭う。直後に頭上から「あははははは!」と馬鹿にしたような笑い声が降って来た。一人じゃない。三人ぐらいいる。


 もはやソイツらの顔を拝んでやる気にもならなかった。

 怒っているわけじゃない。

 割と本気で「お似合いだ」と思っていた。


 似合っている。本当に。

 自分みたいに血にまみれた化物が、そもそも清掃員なんておこがましかったのだ。汚れた奴が汚れを拭こうとしても、余計に汚れるだけじゃないか。


 とすると……もしかしたら自分に水をぶっかけた連中は、むしろ親切だったのかもしれない。

 世界で最も汚れたこの体に、水をぶっかけ、洗ってくれたのだから。

 まあなんて慈悲深いのだろう―――なんて。


「……はは……」


 体は濡れているのに、笑いは乾いていた。

 こういう目に遭うとやっぱり思う。『運命』ってやつは上手く出来ている。罪を犯した者には、それ相応の罰が降り注ぐように出来ている。


 何をしても上手くいかず、失敗ばかりで信頼を失い、仕事はクビになり、金も稼げず、なじられ、罵倒を浴びせられ、嘲笑われ、水まで浴びせられ、


「――――こら!! そこで何をしている!!」


 そして、ただ水浸しで突っ立っているだけで、怒鳴られるのだ。

 本当にいい気味だ。自分にはピッタリの末路だ。

 これでいい。これで。

 本当に。





「貴様ら!! 他人様を頭の上から嘲り笑うとは何事だ!! 恥を知れ!!」





 予想外だった言葉に、フェグルスは咄嗟に顔を上げた。

 声の主は、すぐ真横に立っていた。


 たくましい声からは想像しがたいほどに、体は細い。だが一方で、その佇まいからは凛とした気高さが放たれていた。

 突き刺すような眼光、様になる立ち姿、全てが良く出来た彫刻のよう。


 何より目を惹くのが、腰に括り付けられた『レイピア』。


 そんな物を学校に持ち込んでいいのか? という当たり前の疑問は、なぜか浮かんでこなかった。

 それほどまでに、この『少女』が。

 レイピアを腰に付けている姿が、凄まじく似合っていて……。


「卑怯者共!! 今すぐ降りて来い!! 貴様らのその腐った性根、私が手ずから叩き直してくれる!!」


 言うや否やだった。三つ編みの少女はレイピアを鞘から引き抜くと、フェグルスに水を浴びせた男子生徒達にその切先を突き付けてみせた。

 校舎の窓から身を乗り出していた男子達は、レイピアにビビったのか、あるいは少女を恐れたのか「ヤバ」「逃げろ逃げろ」「んだよアイツ……」と口々に言って、あっという間に姿を消した。


「顔は覚えたからな!! ……ったく」


 少女は鼻息を荒げながらレイピアを鞘に納めると、今度はフェグルスの方を振り向き、


「大丈夫か? そんなわけがないか」


 水浸しのフェグルスを見て、「これはひどいな」と呟いた少女は、


「今はこんなものしか持っていないが、使ってくれ」


 制服のポケットからハンカチを取り出し、それを半ば押し付けるようにフェグルスに差し出した。


「我が校の馬鹿共が迷惑をかけた。本当にすまない」


「…………」


 謝られてしまった。むしろ謝るべきは、化物の分際でこんな所に足を踏み入れた自分の方だとさえ思っていたのに。


「……えー……と」


 差し出されたハンカチを、しかしフェグルスは素直に受け取る事ができず、思わず少女の顔をチラッと伺う。

 その視線に、少女は一瞬「?」と首を傾げ……だがすぐに「ああ」と勝手に納得して、


「大丈夫だ。私は気にしない」


 短い返答は、いまいち要領を得なかった。何を気にしないのだろう。他人にハンカチを使わせる事? それともフェグルスが魔法を使えない事?

 この際、どっちでもいいのかもしれない。

 どっちにしたって、言うべき事は同じなのだから。


「……ありがとう」


「礼には及ばん。当然の義務だ」


 魔法も使えない役立たずにハンカチを貸す事を『当然の義務』と言い切った少女は、やっぱり凛々しく、真っすぐ鋭く、そして優しく笑った。




 思えば初めてかもしれない。

 初対面の人間から、ここまで親切にされたのは。








        ***








 ハンカチのみならず、タオルまで貸してくれるとは思わなかった。


「すまない。本当なら更衣室と予備の体操服まで貸すべきなのだが……よりにもよってこんな時に更衣室は改装中で、服も全て貸し出し中だとは……」


 申し訳なさげに眉を寄せる少女は、「そうだ」と何か思いついたように、


「私の体操服でよければ貸そう。大丈夫、洗ったばかりだ」


「いやいや、いいって。さすがにそこまでは……」


「安心してくれ。私は気にしない」


「俺が気にしちまう」


 いくらなんでも気にしなさ過ぎだ、この少女は。

 ここまで親切だと、失礼だが、むしろ怖くなってしまう。


「ハンカチでも十分過ぎるくらいだよ。その上タオルまで。ホントに助かった、ありがと」


 顔と髪を拭きながら、フェグルスは素直にそう伝える。

 本当に、言葉だけでは伝えきれないほどにありがたかった。


 ハンカチだけでも相当救われたのに、少女はもう二度とフェグルスに水をかける無礼者が現れぬよう、彼が顔や頭を拭いている間、ずっと隣で、周囲に目を光らせてくれていたのだ。


 庭園の中でも特に日当たりのいい一角。

 フェグルスは濡れたタオルを近くのベンチに掛け、ハンカチを両手で丁寧につまみながら、


「こっちこそ汚して悪い、ハンカチ。これ私物だろ? しっかり洗って返す」


「そこまで気を遣わなくてもいい。ほら」


 何が「ほら」なのか、少女はフェグルスに掌を出した。「?」とフェグルスは少女にハンカチを返すと、彼女はそれをギュッと絞って、


「あぁ……!」


「む。どうした」


「いや……そんなギュッとしたらシワが付いちゃうだろ」


「……? 問題ない。こんな物はいくらでも買い直せる」


 言って、少女はハンカチをグシャグシャに丸めてポケットに突っ込んでしまう。

 なんという雑さ、せめて乾してからじゃないとシワだらけに……。変に神経質、フェグルスはポケットの中でシワを刻むハンカチに思いを馳せる。

 が、当の少女はハンカチの事など微塵も気にせず、


「……先程は本当にすまなかった。申し開きのしようもない」


 重たい声を出す。


「奴らの愚行は私の責任でもある。我が校の生徒を正しく導く事こそ、『生徒会』の(おさ)たる私の本来の務めだ。それを遂げられなかったのなら、やはりそれは私の責任だ」


 叱りつけるような語気でそう言うと、彼女はフェグルスの顔を覗き込み、


「水をかけられる以外にも、色々と嫌な事をされただろう?」


「え」


 言い当てられ、フェグルスは咄嗟に声を上げてしまう。

 嫌な事……されたかと訊かれれば、まあ―――



『ちょっと! 近付かないでよ! 汚れるじゃん!』『このゴミ捨てといてー』『お前みたいな役立たずの給料も俺らの授業料から払われるとか、最悪じゃん』『ちっ』『なんでアナタみたいなのがここにいるのよ? 理解できないのだけど』『誰がこんなの雇うわけ? 普通に魔法使い雇ってよ。ここ魔法使いのための場所だし』『お前がいるせいでこの学校の格が落ちたらどうすんだよ。責任取れんの?』『当たり前みたいにここにいるなよ。この校舎に入るの罪悪感とかないわけ?』『誰だよお前を入れた奴』『邪魔、どけ』『はあ? 最悪なんですけど』『魔法が使えないとか普通に努力不足だろ? 自分のせいじゃん』『親がかわいそー』



 ―――されたというより、言われた。

 が、それを素直に「はい! されました!」と言ってしまうと、見当違いな八つ当たりをしているみたいな気がして……。


「……あんま自分とこの生徒、悪く言うなって」


 咄嗟に誤魔化した。


「心配しなくても大丈夫だよ。別に何もされてねえから」


「なるほど。貴殿は嘘が苦手なようだ」


 普通にバレた。

 なんなら嘘が苦手な事までバレてしまった。


「すまない。初めから私がいれば何の問題も無かったのだが、急に『執行部隊』の仕事が入ってな。魔獣の討伐自体はすぐに終わったのだが、被害の報告に手間取ってしまった」


「謝る事はないだろ、あんたが俺に何かしたわけじゃないんだし」


「そう言ってくれるとありがたいが、事はそう簡単ではない。そもそも本来、貴殿のように学外からの使用人を雇用する場合、私にも知らせが来る手筈になっていたのだ。しかしそれが無かった。私が貴殿の事を知ったのはたった今だ。これは立派な大問題だ。……いや、さてはわざと私に黙っていたな? あの老いぼれ共め」


 少女は眉間にシワを寄せ、明確な怒りを露にしてみせる。

『あの老いぼれ』が、どの老いぼれかは知らないが。


「貴殿に水をかぶせたあの馬鹿共は、私が後で教育しよう。もう二度とこのような事はさせまい。が、今の今までそれを怠っていたのは私の落ち度だ。困っている事があれば何でも言ってくれ。何の詫びになるかも分からんが、持てる力の全てを尽くそう」


「…………」


 そこまで言われてしまうと、さすがに困惑するしかなかった。

 なぜそこまで背負おうとしているんだ? 彼女は。セートカイの長というのがどういう立場なのかは知らないが、見ず知らずの男が水を浴びせられたくらいで、申し開きだの詫びだの。そもそも水を浴びせたのは彼女でもないのに。


「そこまでしなくてもいいってホント。何でもかんでも自分のせいじゃ、体がいくつあっても足りないだろ」


「む」


「ていうか俺、なんともねえから、水ぐらい」


 ビチョビチョに濡れて体に張り付いた服を、フェグルスはバサバサ煽って風を通しながら、


「助けてくれたの、ホント嬉しかったよ。ありがと。ハンカチも助かった。だから責任とか詫びとか、そういうのは無しだ。あんたがそこまでする事ねえって」


 感謝を伝えたつもりだったが、ぶっきらぼうな口調のせいで、なんとなく彼女の親切心を突き放しているような響きが出た気がして、


「ぁいや、別に鬱陶しいとかじゃないんだ。その……誰かに何かをしてもらうのって、俺、ちょっと慣れてなくて……」


 果たして、伝えたい事はしっかり伝わったのだろうか。

 少女は一瞬きょとんとした顔で目を瞬かせ、そして、


「ふははっ。気を遣わせてしまった」


 何が面白かったのかは分からないが、そう言って笑ってみせた。

 その笑い方すら、歴戦の勇者のような雄々しさがあった。

 まるで、物語の主人公みたいな少女だった。


「貴殿がそう言うのなら、私はもう何も言うまい。……しかし責任云々は別にしてもだ。貴殿とて、何度も水を浴びせられるのは御免だろう」


「そりゃあ浴びないに越した事はないけど」


「ならばせめて、貴殿の身を守るくらいはさせてくれ」


「え? ……いや、ホントに大丈夫だぞ?」


「そうもいかん。誠に恥ずかしながら自覚した。こんな時代になってなお、我が校の道徳意識は地の底にあるらしい。再び貴殿に水を浴びせるような馬鹿が現れるかもしれん。……なにより」


 少女は、レイピアのように鋭い瞳をフェグルスに向け、


「貴殿のような者が不当な扱いを受けるのは心底我慢ならん。次の清掃場所へ向かう最中だったのだろう? 本日の業務はどれほど残っている」


「次の清掃場所で最後だけど。とりあえず今日は」


「把握した。ならばそこまで案内しよう。清掃中も私が見張りにつく。そうすれば誰も貴殿に手出しできまい」


「……そこまでは悪いってマジ。あと俺、今こんなだし」


 ビチャビチャになった服を引っ張ってみせて、


「乾くまでもうちょい待たなきゃいけないから、余計に時間食っちまう」


「構わん、いくらでも食うといい。ちょうど私も暇だった」


 嘘をつけ。学校にいるのに暇だなんてあり得るか。……とかツッコもうとしたフェグルスだったが、


「気を遣う事はない。これは私なりの誠意だ」


 ツッコむ前に、少女が言う。やはり鋭く突き刺すような声だった。

 そこまで真っすぐな誠意を見せられると、気を遣う事すら失礼に思えてくる。


「…………」


 誰かに何かをしてもらうのは、やはり慣れない。

 ハンカチを借りるのも、身を守ってもらうのも。


 差し出されたものは受け取るのが礼儀なのだろうが、しかしこんなにも真っすぐに、『差し出された』というより『突き出された』ような優しさを―――それも初対面の人間からどう受け取ればいいのか、一瞬フェグルスは分からなくなって、


「む?」


 そんな戸惑いが、おそらく少女にも伝わったのだろう。


「ああ、そうだな。素性も分からん奴にあれこれ言われても信用ならんだろう」


 勝手に何かを納得し、少女は右手を差し出してみせた。


「聖プリエステラ魔法学園・生徒会長、ツクモ・アラン・シュヴァリエだ。『執行部隊』の部隊長も務めている。よろしく」


 彼女は名前まで差し出してきた。

 本来なら、対等な者にこそ差し出すべきものを、ただの清掃員に対して。


 貰うのも、受け取るのも、未だに慣れていないフェグルス。

 でも、ここまで色んなものを差し出されておいて、今さら受け取れないとは言えるはずもなかった。


 なるべく他人とは関わりたくない―――そんな思いを、裏切る形になってしまうけれど。


「俺は……フェグルス」


 目の前に差し出された手だけは、どうしても振り払えなかった。


「……よろしく」


「うむ」


 慣れない所作でたどたどしく、そっと重ねられるフェグルスの手を、少女の方から力いっぱい握ってきた。




 そんなわけで、ほとんどなし崩し的に。

 化物は本日、知り合いを一人、増やしてしまったのだった。




 

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