オープニング1『平穏な逃走劇』
「うォォォォォォあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
高層建築物がいくつも建ち並ぶ巨大都市。
その中心街を、白髪の少年が腹の底から絶叫しながら『逃げ回って』いた。
状況はもちろん最悪だ。
支給された服はすでにボロボロだし。顔も体も砂埃まみれだし。いつの間にか靴が片方脱げて消えてるし。ついでに財布も落としたし。
そもそも今、『アルバイト』の真っ最中だったのに。
「なんで!! なんで!! こんな時に!!」
少年は一瞬だけ後ろを見ると、「ひっ」と短く悲鳴を上げる。
直線勝負じゃ追い付かれる! ―――そう思い、目の前の十字路を転びそうになりながら左へ曲がる。
直後だった。
ズドァッ!!!!!! と、凄まじい轟音が炸裂した。
少年のすぐ背後で、いくつもの建築物がまとめて吹き飛んでいた。
……『追跡者』は、全長七メートルを超える化物だった。
二本足で地面を踏み、その上に胴・腕・首・頭の順に並ぶ、人間と同じパーツで構成された全体像。
にもかかわらず、その姿は人間とは似ても似つかない。
見上げるような巨躯は、縄の如く膨れ上がった筋肉と、黒一色の体毛に覆われている。さらには四本の腕、その先端から突き出すサーベルのような鉤爪。極めつけに、頭部は人間のものではなくヤギのそれ。
魔獣。
そう呼ばれる怪物が、少年一人を追って突っ込んで来る。
頑丈な鉄筋コンクリートで造られた建築物を、体当たりだけで消し飛ばし。
見渡す限りの地上に、瓦礫と破片の豪雨を撒き散らし。
舗装された道路を抉り返し、路上の車を一〇台単位で巻き上げて。
最新技術で造られた大都市を、木端微塵の地獄に作り替えながら。
『ゴォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
「ひぃ!?」
魔獣の咆哮だけで、体が数センチ浮いた。
……気がした。
「こ……こんっ、こんなん!! どうしろって!! 魔法なんて使えねえんだぞコッチは!!」
どうしようもないから、逃げるしかなかったのだ。
とはいえ、この体格差ではいずれ追い付かれる。逃げ続ければ魔獣が諦めてくれるという保証もない。そもそも自分が逃げるほど街には被害が広がっていく。
よりにもよって、魔獣が出ようものなら即座にすっ飛んで来るはずの魔獣討伐組織『執行部隊』が、なぜか今日に限って出動が遅い。
泣きたくなるような不運の連続だが、嘆いてばかりもいられない。
これ以上被害を広げないためには、自分が魔獣をどうにかするしかないのだ。
けど、具体的にはどうやって?
周囲の人に助けを求める?
―――魔獣が規格外過ぎて、皆とっくに逃げてしまっている。
狭い路地裏とかに逃げ込んでみる?
―――強固な建物を薙ぎ払える相手じゃ無意味だ。
いっそ対話でも試みるのはどうだろう?
―――魔獣と意思疎通が不可能なのは、ここ数十年の研究で分かっている。
じゃあどうする。
「くそ……っ」
チラ、と。
少年は一瞬だけ己の手に視線を向け、しかしすぐに首を横に振る。
―――自分に宿る『力』を振るえば、最悪、もっと被害が広がりかねない。
一度でも振るったら最後、この『力』は自分でも制御が利かなくなる。
また『力』に呑み込まれる。目に映る全てを壊してしまう。
だからダメだ。この『力』を使うのは。
……だが、このまま逃げ続けても被害が広がる事に変わりはない。
何より今、街の住民は一斉に避難しており、周りには人がいない。
今なら『力』を使っても、誰かを巻き込む心配がない。
やるなら、今しかない。
「クソ!!」
叫びながら、少年は足を止めて背後を振り向いた。
素直に殺されるためではない。
迫って来る魔獣を、真正面から迎え撃つために。
『ゴォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』
雄叫びと共に、ドンッ!! という爆音が響いた。立ち止まった少年を見て、魔獣が地面を蹴ったのだ。
この体格差、質量差……どう考えても白髪の少年に勝ち目は無い。これほどの巨体が相手では、単純に突進されただけで即死してしまう。
だが、少年は逃げなかった。
力いっぱい右手を握り締める。押し寄せる恐怖に拳が震える。魔獣に対する恐怖じゃない。自分自身の『力』に対する恐怖だった。
しかし、怖がってはいられない。
もう、やると決めてしまったのだ。
身長一七〇センチ程度の少年と、全長七メートルを超える怪物が。
真正面から――――――激突。
「何してんスかー? 先輩」
その直前、どこからともなく声が響いて来た。
次の瞬間だった。
ズドッッッ!!!!!! と。
赤黒い『閃光』が、魔獣の上半身を背中側から吹き飛ばした。
まるでレーザービームのような一撃。恐ろしい速度で魔獣の上半分を消し飛ばしたその『閃光』は、空間に強い残像を焼き付けながら、そのまま数千メートル先まで空気を引き裂いていく。
直後、莫大な衝撃波が発生し、周囲の全てが巻き上げられた。
建築物の瓦礫はもちろん、粉々になった石畳も、まだ道に立っていた街灯も、乗り捨てられた竜車の荷車も、何もかもが平等に宙を舞う。
だから、当然―――
「お、」
―――『閃光』の間近にいた少年も、例外ではなかった。
「お、あ、ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ぶあっ、と体が浮いた時には遅かった。爆風に持ち上げられた少年の体は、あっという間に一〇メートルもぶっ飛ばされていた。
で、浮いた体は最後まで立て直しが利かなかった。
少年は足から着地できずに、顔面から地面に突っ込んで行く。
「ぶぼァァあああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ざりざりざりざりぃぃいいいいいいい!! と、顔面が擦り削られる音が響く。
……あまりの痛さに、少年はのたうち回るしかなかった。
「いっ……づぁぁああああああああああああああああああああああああクソァァあああああああああああああ!! なんっ……何なんだ一体!! ……っくぁぁあああああ、いってぇぇぇぇ……!!」
何なんだ! とは言いつつも、本当はなんとなく状況を察していた。
あの赤黒い『閃光』……完全に見覚えがあったのだ。
少年は顔面を押さえながら、恐る恐る立ち上がる。
目の前で、下半身だけになった魔獣がドズンッ!! と地面に倒れる。
しかし少年は、初めから魔獣など見ていなかった。
彼の視線は、魔獣のさらに先。
魔獣の背後に立っていた、一人の『少女』に向けられていた。
「いやいやー! 緊急事態だから超テキトーなお片付けになっちゃいました! 遺憾の意ッス! 甘口につけて六〇点ってとこスかね!」
言いながら、その『少女』は自分が殺した魔獣の死骸にヒョイっと飛び乗ると、少年を物理的に見下し、ツーン! とふんぞり返る。
相手を挑発するような目つき。憎たらしく上がった口角。
赤みがかった髪にネコ耳カチューシャを付けた『少女』は、そこそこ質量のある胸を強調するみたいに腕を組む。
そして、ここらでは有名な『魔法学園』の制服を着た彼女は―――
「どう思いまスー? 『フェグルス』せーんぱいっ!」
上から目線の笑みを浮かべながら、少年の名を呼んだ。
***
時は二〇五三年。
世界中に『魔法教育』が行き渡り、全人類が魔法を使えるようになった時代。
それと同時に、魔獣と呼ばれる化物が現れ、人類に牙を剥くようになった時代。
これはそんな魔法時代の、どこにでもある、平穏な日常のお話。




