表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/17

魔獣の子

 


 ―――ニンゲン?

 ―――ニンゲンって、なに?




 それは、『彼』が三歳の頃の記憶。

 薄暗い森の中で、歳の離れた姉の胸に抱かれていた時の事。




「人間っていうのはね、私達とちょっとだけ違う生き物の事だよ」


 ゆさり、ゆさり、と優しく揺れる木製の椅子の上。

 そこに座る少女は、胸に抱いた『弟』を愛おしそうに見つめて、静かに笑う。


「ちょっと、ちがう?」


「そ、ちょっとだけ。でも、同じ世界に住んでるの。家族みたいなものかな」


 かぞく……と、『少年』は姉の言葉を繰り返しながら、その意味を思い出す。

 それは以前、彼女に教えてもらった言葉だった。同じ場所に住み、一緒にご飯を食べ、互いに支え合う生き物の事を『かぞく』と呼ぶのだ。

 だけど。


「じゃあ、どーしてニンゲンは、ここにいないの?」


「それはねー。私達と人間が会っちゃうと、喧嘩しちゃうからなの」


「けんか?」


「うん。ちょっとだけ仲が悪いんだー、私達」


 困ったみたいに眉を寄せる少女を見て、『少年』は首を傾げる。


「……ニンゲンって、こわいの?」


「んーん、ぜーんぜん怖くないよ。人間はとーっても優しいの。私も何度も助けられてきたんだから」


「ほんと? じゃあ、なんでニンゲンと、ぼくたちは、けんかしちゃうの?」


「それはねー」


 幼い『弟』からの質問に、少女は一拍考えてから言った。


「まだ、お互いの事をよく知らないからかな」


「……?」


「いつか分かるようになるよ。『     』がもっと大きくなったらね」


 少女は『弟』の名を呼びながら、その頭を優しく撫でる。


「大丈夫だよ。なんにも心配なんていらないんだから」


「だいじょーぶ?」


 少女の真似をして、『彼』も同じ言葉を口にする。

 それを微笑ましく見つめながら、少女も繰り返す。


「そ、大丈夫。いつかお姉ちゃんが、全部なんとかしてあげるからね」


「……だいじょーぶ」


「うん」


 あの頃の『彼』にとって、彼女の言葉は全てが魔法だった。

 頭を撫でられながら、彼女の「大丈夫だよ」という声を聞いていれば、本当に大丈夫なのだと思えた。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 彼女の言葉を、心の底から信じていた。

 幼かった『彼』にとって、それは当然の事だった。






        ***






 ―――ねえ、おねえちゃん。

 ―――ニンゲンに会ってみたい。




 それは、『彼』が五歳の頃の記憶。

 木漏れ日が差す森の中を、少女と手を繋ぎながら散歩していた時の事。




「え、人間に?」


 散歩の足を止め、少女は驚いた顔で『弟』を見つめた。

 彼女のその反応に、『彼』は少しだけ驚いて顔を伏せる。もしかして、何か悪い事を言っちゃったのかも……そんな風に思ったのだ。

 そんな『弟』に、少女は、


「あ! ごめんね、違うの。ちょっとびっくりしちゃって」


 そう言うと、彼女はしゃがんで、『弟』と目線を合わせる。


「大丈夫。怒ったりしないから、会いたい理由、言ってみて」


「……ちかくの町でね、ニンゲンがおまつりやってたの。だからぼくも行きたい」


「お祭り? ……『    』はそのお祭りで、人間達と一緒に遊びたいんだね」


 俯いたまま、『彼』は小さく頷く。

 それを見た少女は、一瞬考えるみたいに黙り込むと、すぐに『彼』の髪を撫でながら、


「……私達、まだ人間とは遊べないの。ごめんね」


「ううん、だいじょうぶ」


 森の端から、人間達が楽しんでいる姿を見ているだけの毎日だった。

 自分も彼らと一緒に遊びたい。あの輝く光景の一部になりたい。……そんな事ばかりを考える日々だった。

 そして、それが無理な願いだという事も、頭のどこかでは理解していた。


「大丈夫だよ」


「おねえちゃん?」


 不意に、少女の腕が『彼』の背中に回される。

 引き寄せた『弟』を、彼女はさらに強く抱きしめる。


「大丈夫、お姉ちゃんが何とかする。絶対に『    』を、人間の友達にしてみせる。喧嘩なんかしないで、皆が助け合えるような世界にしてみせるから。……ね、『    』は人間と、友達になりたい?」


「ともだち?」


 それも以前、彼女から教えてもらった言葉だった。

 家族ではないけれど、同じくらい大切な存在。一緒に遊んだり、一緒に笑ったりして……いつも一緒にいたいと思える相手。それを『ともだち』と呼ぶのだ。


 人間のともだち。

 もしもそんな存在に、自分がなれるとしたら。


「……なりたい」


「分かった。じゃあお姉ちゃんが、人間と友達になれるようにしてあげる」


「え、でも」


 不安がって声を細める『彼』に、それでも少女は、


「大丈夫」


 魔法の言葉と共に、大きな笑顔で『彼』の頭を撫でる。


「お姉ちゃんが絶対に、『    』のお願い、叶えてみせるから」


「……おねがい、かなうの?」


「そう、叶うの。叶えてみせる。だってお姉ちゃんはとーっても強いんだから。なんでもできちゃうのよ」


 なんでも? と尋ねる『少年』に、少女は「うん、なんでも」と頷いた。


「だからね、何も心配しなくていいんだよ」


「……うん」


 唯一の家族のその言葉に、『彼』は小さく頷いた。彼女がそう言うのだから本当に大丈夫なのだと、素直に信じようとした。

 でもそれは、彼女を信頼していたからではなかった。

 ただ単に「彼女を疑ってしまえば、他に信用できる存在がいなくなってしまう」という事が分かっていただけだ。

 独りぼっちになるのが、怖かっただけだ。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 ―――魔法のように繰り返されるその言葉は、いずれ自分を裏切るのだろう。

 ―――自分だけじゃない。その言葉はいずれ、彼女自身をも裏切るのだ。


 あの頃の『彼』には、それがなんとなく分かっていた。

 分かった上で、彼女の言葉を信じようとした。


 目の前の現実から目を逸らし、あり得ない希望を信じようとした。

 だからそれはもう、立派な罪だった。






        ***






 ―――お姉ちゃん?




 それは、『彼』が七歳の頃の記憶。

 引き千切られた姉の死体を、ぼんやり眺めていた時の事。




「お姉ちゃん」


 地面に転がる少女の残骸に、何度も何度も声をかける。

 でも、彼女の表情は変わらなかった。

 いつものように、優しい笑顔を見せてくれる事もなかった。

 そして、「大丈夫だよ」と言ってくれる事もなかった。


「お姉ちゃん」


 涙は出なかった。

 それどころか、悲しいという感覚すら薄かった。


 ――――ほら、やっぱり。

 ――――結局こうなるじゃないか。


 そんな諦めの感情だけが、ずっと胸の奥で渦を巻いている。

 やっぱり自分は人間ではないのだと、嫌でも実感してしまう。


「…………」


『少年』は顔を上げ、ゆっくり周囲を見渡す。

 そうして初めて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 森全体を埋め尽くすほどの、何十何百という人間の群れが、その瞳に強烈な感情を宿して、自分を睨み付けている。

 その頃の『彼』には、彼らが抱いている感情を、本当の意味で理解できていた。


 憎しみ、恨み、怒り。

 敵意、悪意、殺意。

 そしてその感情の矛先は、自分であるという事も理解できていた。



 ――――ごめん、ごめんね……お姉ちゃん、間違えちゃった。



 ふと『彼』の脳裏を過ったのは、つい昨日の出来事だった。

 彼女は、何度も何度も謝って、泣いていた。



 ――――『    』のお願い、叶えられなかった。私、たくさん間違えて、たくさん悪い事しちゃった。……ごめん、ごめんね。



 何を間違えたのか。どんな悪い事をしたのか。

 そもそも彼女が何をしようとしていたのかも、『少年』は知らなかった。



 ――――『    』は、生きて。



 ただただずっと。

 彼女の言葉だけが、『少年』の耳の奥で響き続けている。



 ――――あなたに出会えて、私、幸せだったから。私の全部は、あなたに救われたから。だから今度は、あなたが皆を救ってあげて。私にはできなかったけど、『    』は私より強いから、きっとできるよ。……だから、大丈夫。



 唯一の家族の、最後の言葉。

 それを思い出しながら、『彼』は目を閉じる。





「今までありがとう。さよなら、『フェグルス』」





 直後だった。

 大勢の人間が、たった一人の『少年』に押し寄せた。















        ***














 その日、人類は『魔獣』への総攻撃を開始した。



 これまで一〇〇年近くに渡り、謎の有害生物・魔獣によって生存圏を脅かされてきた人類。しかし、自然現象へ意図的に干渉する『魔法』技術の発展に伴い、人類は徐々に反撃の狼煙を上げてきた。



 そして一〇年前。

 ついに人類は、魔獣の殲滅を目的とした大規模侵攻に踏み出した。

 その戦いは後に『魔獣大戦』と名付けられ、人類史初の種族間戦争として記録される事になる。



 しかし実際のところ、魔獣大戦は人類側の一方的な害獣駆除作戦であった。

 すでに著しい発展を遂げていた魔法の技術力は、もはや魔獣の力など脅威としなかったのである。

 順調に作戦が進めば、ほとんどの魔獣は半年もあれば一掃できるはずだった。





 だが意外にも、その戦争はたったの一ヶ月で終わる事になる。





 魔法の技術力が魔獣の力を大きく上回った結果、当初の予定より早く魔獣の殲滅に成功した……というわけでは、しかしなかった。

 多くの魔獣の討伐には成功したものの、その討伐数は予定していた数の三割にも満たない。



 それでも魔獣大戦は、終わらざるを得なかった。

 その理由として、魔獣大戦を記録した当時の文書には、こう明記されていた。







 ある日、魔獣殲滅に赴いた全勢力の九割が、一夜にして壊滅したのだと。



 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ