9 スズラン
『リズ、僕は貴女を必ず迎えに行きます。だから、どうか、どうか、僕を信じて待っていてください。
貴女の側にいる権利を他の者に与えないでください
貴女と一緒に空を見つめてみたい
イヴより』
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この手紙を知るものは誰もいない。2羽の鳥の絵とともに送られた手紙は、ブリジットの机の奥深く、ブリジットの心の奥深くに、じっと身を潜めているのだ。
「ど、どうして……」
ブリジットは、何をどう理解すべきかがわからない。ただ、目の前にいる男性からは、優しさと慈しみと愛情しか感じられない。
「そうか、君にとっては、はじめましてなんだね。僕はずっと君の姿絵を見てきたから、勘違いしてしまったよ」
男性が、さらに目尻を下げた。
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1年半も前になる。イヴァンシフとブリジットは、婚約を解消した。その背景には、両国で同じような問題が起こっていたことに起因する。
イヴァンシフのいた国ルシュコファ王国でも、第1王子キリーロブはじめ、高位貴族の子息たちが尽く男爵令嬢に落とされていた。しかし、イヴァンシフには、その男爵令嬢の誘いは全く効かなかった。ルシュコファ国王陛下は、イヴァンシフに密命を課した。その男爵令嬢を本気で落とし、王子たちの目を覚まさせること。
それからは王妃殿下の指示の元、男爵令嬢を籠絡するため、あらゆる手段をこうじた。さすが女性目線の王妃殿下の采配はズバリであった。
さらに、その甲斐あって、男爵領で製造されていた媚薬の密売組織の摘発に繋がったのである。どうやら、イヴァンシフが毎朝飲むお茶に薬の浄化作用が含まれていたようだ。それは、たまたま地方から採用したメイドが淹れたお茶をイヴァンシフの母である公爵夫人が気に入っていたものだった。
男爵家は、国家転覆罪で処罰され、薬の浄化をされた王子たちは、大問題を起こす前に助かった。
しかし、それが解決した頃には夏休みもとうに終わっていた。
そして、イヴァンシフに知らされたのは、キリーロブ王子とシャルロット王女の婚約解消と、自分とブリジットとの婚約解消であった。
イヴァンシフがそれに心を痛めていた時、イヴァンシフの1つ下の弟が、隣国タニャード王国の留学から急遽帰国した。
弟は、イヴァンシフと父親に土下座をして頼み込んだ。『隣国タニャード王国の侯爵令嬢と恋をしてしまった。自分は本気であるので、どうかマクレンツェ公爵家を継がせてほしい』という。
イヴァンシフは、これを自分にもチャンスだと思った。『イヴァンシフ』という名前では、今更ブリジットを娶ることはできない。だが、名前も爵位も変えて、ブリジットの元へ飛んでいけたら………
イヴァンシフは、父親を説得し、ルシュコファ国王陛下と王妃殿下への貸しを利用した。
学園へは特別生として、通学せずにテストのみで在席することを了承させた。弟には、公爵を継ぎたいのなら、行動で示せと煽り、1学年下にも関わらず、イヴァンシフの代わりにテストを受けさせた。弟の侯爵令嬢への気持ちは本物だったようで、大変好成績であった。
学園で社交をできなくても、それだけ根性と愛情のある弟なら、いくらでも挽回できるだろう。
そして、今年の年明け、イヴァンシフと、弟リュイヴァルは、入れ替わることに成功した。
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二人は学園の中庭にある東屋にいた。
「本当にイヴァンシフ様ですの?」
ブリジットの瞳にはまだ不安が消えない。
「今はリュイヴァルだよ。この国では、発音しにくいから、レイブと名乗ることになった」
「レイブ様……」
「リズ、君にはイヴと呼んでもらいたい」
ブリジットを『リズ』と呼ぶのはイヴァンシフだけであった。ブリジットは、ピクリと動く。
「イヴ……」
「リズ、何でも聞いて。あ、まだこの国の言葉はうまくないかもしれないけれど」
イヴァンシフいや、レイブは、照れていたが、とても流暢であった。
「そういえば、こちらの言葉ですわね。お勉強してくださったのですか?」
レイブの言葉があまりにも自然で、ブリジットは言われるまで、普通に会話していることに違和感を感じなかった。
「ああ、こちらで養子縁組をして、爵位を継ぐために必要だったからね。何も持たずに君の前には来れないよ」
「養子縁組……ですの……?」
ブリジットは、最近聞いたばかりの言葉に戸惑った。
「あれ?聞いていないの?お義父さんは、君には伝えたって………」
「ま、まさか、ガタリッチ侯爵様ですの?」
ブリジットの中ですべてが繋がった。
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イヴァンシフはブリジットとの婚約解消をそれはそれは悲しんでいた。その頃、イヴァンシフの遠縁となる売れない画家がイヴァンシフの家に住んでいた。その売れない画家は、年の離れた友人であり絵画仲間であるイヴァンシフの嘆きようを 見ていられなくなった。
売れない画家はイヴァンシフに約束した。
「この絵は僕が届けてあげよう。イヴの気持ちを手紙にしなさい」
そして、その売れない画家は、画家として食べていくことを諦め、本国への帰国を決めた。
「君が僕の養子になれるよう、まずは僕の地位を固めておく。慌てるな。卒業までに考えればいい。わかるね?」
それからイヴァンシフは、どうすればその画家の養子になれるかをずっと考えていた。
売れない画家は、ガーリウム王国では、立派な美術館の館長であった。ガタリッチ侯爵は、ずっと空席であったその職に復職した。それだけで、立派な地位であった。もちろん、管理者に任せてある領地も持っている。
ガタリッチ侯爵は、絵画教室という名目でブリジットを呼び、ブリジットには内緒でブリジットの姿絵を描き、イヴァンシフに送った。そして、イヴァンシフに、リンゴとスズランの絵を描いて送るように指示をした。
イヴァンシフの望んだきっかけは、わりとすぐにイヴァンシフの元へやってきた。ガタリッチ侯爵と入れ違いに、イヴァンシフの1つ下の弟が、隣国タニャード王国の留学から急遽帰国したのだ。
父親には、公爵家から爵位を譲渡すると言われたが、ブリジットを一人でこの国に呼ぶのは忍びないし、ブリジットの両親が賛成するとはとても思えない。なので、ガタリッチ侯爵との養子縁組が1番いいと判断したのだ。
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「ああ、僕の新しい名前は、レイブ・ガタリッチだよ。名前と一緒に学年まで変わったんだ。君と同じ学年になった。学園生活を楽しめそうで嬉しいよ」
レイブは満面の笑みをブリジットに向けた。レイブは先程からのずっと自然と笑顔になってしまい、自分でも抑えられなかった。公爵令息としての仮面はここでは役に立たないほど、喜びに湧いていた。
レイブを見つめるブリジットの目から涙が溢れた。レイブから差し出されたハンカチには、鳥の刺繍がしてあった。
「これは、僕の宝物だから、あげるわけにはいかないけど、今は貸してあげるよ」
レイブのお茶目な発言に、ブリジットは、泣きながら笑ってしまった。
「僕のもう一つの宝物を見るかい?」
レイブが胸ポケットから取り出した懐中時計の鎖には、青い組紐がキレイに絡められていた。
「まあ!素敵な使い方ね!」
ブリジットの涙はすっかり引っ込んだようだ。
「ルシュコファ王国でのメイド長がやってくれたんだ。学園でこれが流行ってね。ふふふ、婚約者がいる証になったんだよ」
レイブは鎖の部分を優しくなぞった。
「え?でも、わたくしたちは………」
ブリジットは俯くが、レイブは下から覗き込む。
「僕の気持ちはずっと繋がっていたもの。リズはどう?」
「わたくしだって………。他の方からの恋文はちゃんとお断りいたしましたわ」
今度は頬を染めて俯いた。
レイブがブリジットの手をとる。
『リズ、僕は貴女の側にいる権利がほしい』
流暢な大陸共通語。二人の手紙の言葉。そして指先に口づけをした。
『はい、イヴ、貴方の側にいつまでも』
二人は手をつなぎ、東屋を出た。そして、春の光の中、雲一つない青空を一緒に仰ぎ見た。
ブリジットは、レイブの腕に寄り添った。レイブは手を離し、ブリジットの腰を抱いた。ブリジットは、ドキドキする気持ちを抑えるようにギュッと握った手を胸の辺りに持っていった。そして、勇気を出して、レイブの胸にコテンと頭を寄せて空を見た。レイブもそれを受け取ったというように、手に力を入れた。
『ずっと、君との空は繋がっていた。でも、一緒に見る空は輝いているよ、リズ』
『ええ、貴方を信じて待っていたから、キレイな空が見られたわ、イヴ』
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美術館の館長執務室には、2枚のスズランの絵が飾られている。2枚なのに、1枚に見えるその絵の真ん中には、緑の中に白い小さなハートが浮かんでいた。
スズランは、二人に再び幸せを運んできた。
〜宰相公爵家のご令嬢は恋文添削をする fin〜
こちらで完結となります。
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