5 長兄の出立
ブリジットは、1度、自室に戻った。部屋にはマリーナだけになってもらう。机の引き出しの鍵を開けて、そっと引き出しを引けば、ノート程の大きさの1枚の絵が出てきた。それをそっと取り出す。
色鮮やかな水彩画で、優しい色使いだ。真ん中より少し右に描かれた2羽の鳥は、一本の木の枝に止まり、まるで番のように見つめ合っている。
「イヴァンシフ様………」
ブリジットは愛しい人の名前をつぶやいた。いつか、いつか、会いたい愛しい人。愛しい人と引き裂かれたことに、イリサスは関係するのか、それをはっきりさせることは難しい。だが、時期を考えれば、関係するのだと確信できる。
「イリサスお兄様………」
それでも、イリサスを憎む気持ちにはなれない。
愛しい人を思う気持ちと兄を慕い敬う気持ちと、どちらにも傾けない気持ちを、ブリジットは扱いかねて、目は虚ろになっていた。
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夕食の支度をセザリーヌの部屋にしてもらった。夕食といっても、少しのスープと少しのワイン。セザリーヌには、ブリジットが寄り添いながら、無理矢理スープを食べてもらったというくらい、セザリーヌは弱っていた。
「ねぇ、お母様、わたくし、今夜はお母様のベッドで眠りたいわ。よろしいでしょう?」
ブリジットは、無理に明るく、そして、まるで7歳ほどの幼女のように甘えた。
セザリーヌは、薄く笑い、頷いた。
ブリジットはセザリーヌの部屋の浴室で湯浴みをし、セザリーヌはメイドに体を拭いてもらった。メイドは、セザリーヌをソファーに座らせ、執事が医者に処方させた眠るための薬を水で飲ませて、その後、グラス半分のワインを飲ませた。それを見つめていたブリジットも、少しだけ眠るための薬を水で飲んだ。ブリジットがセザリーヌの手を引いてベッドへ行く。
「お母様、おやすみなさい」
セザリーヌは、小さく頷き、目を閉じた。
その夜、シャーワント公爵は、王城から戻ってこなかった。
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朝方早く、セザリーヌのベッドへメイドが来て、少しだけ二人を揺らした。二人は薄っすらと目を開けた。
「イリサス様がご出立なされます」
セザリーヌとブリジットは、メイドに上着をかけてられ、窓際へと案内される。肘上からの大きな窓は開け放たれ、春先のまだ肌寒い空気を室内へと運んできた。
丁度、イリサスが馬車に乗るところだった。イリサスに付き添い北の辺境伯までともすると名乗り出た執事が、セザリーヌたちの影に気が付き、イリサスに声をかけた。
イリサスが、3階の開け放たれた窓を見る。イリサスと目が合い、窓枠によろけたセザリーヌを、メイドが支える。イリサスは、真正面に向き直り、深々と頭を下げた。セザリーヌとブリジットの頬に涙が伝う。
ブリジットには、顔を上げたイリサスが、すっきりとした顔をしていたように見えた。
イリサスと執事が馬車に乗り込み、馬車はすぐに出立した。馬車が辻を曲がり見えなくなると、セザリーヌは膝から崩れ落ちた。メイドに支えられ、再びベッドへ戻った。
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ブリジットは、マリーナにお願いして、自室に戻り、顔を洗い、ソファーで、お茶をした。虚無感がブリジットを襲い、何もできない。クッションを抱いたまま、背もたれに埋まる。入れてもらって一口飲んだお茶はそのまま冷たくなった。
そうして何時間が過ぎたのだろう?朝食だと言われ、スープを口にはした。うたた寝と虚無感の間をフラフラと行き来していたブリジットの元へマリーナが慌てて現れた。
「ブリジットお嬢様、シャルロット様がお見えです」
「え?先触れは?」
ブリジットは、虚ろな瞳をマリーナに向けた。
「いえ、護衛の方も随分と少なく…」
「どうしたのかしら?こちらにお通ししてちょうだい」
自分を覚醒するべく、そこにあった冷たい紅茶をあおった。
マリーナに案内されてシャルロットがブリジットの部屋へと入ってきた。ブリジットは、ソファーから立ち上がって迎えの言葉を出そうとした。しかし、それより先に、シャルロットが駆け出した。シャルロットがガバリとブリジットに抱きつき、二人でソファーに倒れた。
何もいう必要はなかった。メイドに支えられながら、起き上がりソファーに座った二人は、そのまま抱き合って泣いていた。
シャルロットの兄第1王子アナファルトは北の離宮に監禁生活となるそうだ。近くにはいるが、おそらく一生会えないだろう。
シャルロットは、自分も同じように辛いであろうに、ブリジットを心配して、文字通り、駆けつけてくれたのだ。
二人は、お昼ご飯の代わりに、小さなケーキをいくつか食べる頃には少しだけ苦笑い程度ならできるようになっていた。そして、これからも励まし合い、支え合う約束をした。
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夕方、学園からドナテルが戻ってくるとの先触れがあった。セザリーヌは、気持ちを奮い立たせ、ドレスに着替えて玄関にむかった。
学園に迎えに来た馬車の中で、ドナテルは執事から、今日の家族の様子を聞いていた。
ドナテルが玄関に入ると、セザリーヌが抱きしめて迎えた。これはいつものことだ。だが、今日は、ドナテルがお迎えしてもらったお返しに、セザリーヌの頬にキスをした。セザリーヌの後ろに控えていたブリジットは、びっくりしていた。セザリーヌは涙を1筋だけ落とし、ドナテルの優しさに無理に笑って答えていた。ブリジットもその様子を見て、無理に笑った。
家族なのだ。そうやって、支え合っていく。ドナテルのキスにはそういう優しさが込められているのを、セザリーヌもブリジットも深く感じていた。
ドナテルは、ブリジットを抱きしめた。
「母上を支えてくれてありがとう」
ブリジットにだけ聞こえる声だった。
それから一刻もしないうちに、シャーワント公爵も戻ってきた。シャーワント公爵は、いつもは、セザリーヌの片頬にしかしないキスを両頬にして、ブリジットにはいつもは抱きしめるだけなのに、片頬にキスをした。ドナテルがあまりにも苦笑いを隠していないので、シャーワント公爵は、ドナテルの腹に軽くパンチを入れた。
「親子ね。ご帰宅なさって、わたくしたちになさったことが、そっくりなのですもの」
セザリーヌとブリジット、後ろに控える使用人たちもクスクスと笑っていた。
ドナテルの苦笑いの意味を理解したシャーワント公爵は、ドナテルの肩を抱き、歩き出した。
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シャーワント公爵が食事の前にと、応接室に家族を呼んだ。ソファーには、シャーワント公爵、セザリーヌ、ドナテル、ブリジットが座った。壁際には、セザリーヌの専属メイド、マリーナ、執事長、メイド長、執事2人が立っている。
「イリサスのことだ。それぞれある程度は聞いていると思う。今朝、北の辺境伯様とご一緒に出立した。執事見習いとして、1から勉強していくことになるだろう」
シャーワント公爵がこれからのイリサスのことについて、その部屋にいる者に説明した。
北の辺境伯の執事長は大変厳しいそうだ。しかし、その執事長に合格をもらえるまでに、イリサスが成長したならば、分家の執事になり、公爵家の領地に入ることを許すという。合格をもらえるまでは、仕事以外で辺境伯領地を出ること許されない。そして、それを破ったり、途中で仕事を放棄するようなら、平民にさせるという。
何年かかるかはわからないが、イリサスに会えないわけではないと理解したセザリーヌは、目に見えて顔色が変わり、目も安堵の色が見えた。その気持ちは、ブリジットもドナテルも一緒だった。
「よいか。気を落とすな。イリサスは人生の勉強に行ったのだ。留学であれば、数年国を離れることは当たり前であるし、そのまま移住となれば、数十年会えないことも当たり前なのだ。それでも、イリサスは生きて頑張っている。家族として、そう信じよう」
シャーワント公爵の言葉に、3人は涙を拭いて頷いた。
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シャルロットは、それから毎日のように公爵家を訪れた。シャーワント公爵の話の翌日には、シャルロットにも家族の気持ちを話して、ブリジット自身もある程度は吹っ切れたのだと伝えた。それなのに、シャルロットは、毎日のように来るのだ。
「シャル、あなたは王女殿下なのよ。安全の問題で、あなたが毎日出歩くのは、あまりよくないわ。わたくしがあなたに会いにいくわ」
「リジー、わたくし、こちらの方が自由を感じますの。視線が少ないからかしら?あと、こちらの皆さまを信用しているのもあるわ」
シャルロットがメイド長に笑顔を向ける。メイド長も笑顔で頭を下げた。
そうして、2週間が過ぎた頃、ブリジットはシャルロットが来たタイミングで、ドナテルを呼んだ。ドナテルは、あからさまにシャルロットに一目惚れをし、シャルロットもそれに気がついていて、それを受け止めた。
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