4 長兄の卒業式
ブリジットの部屋のソファーセットには、すでにお茶の用意が始められていた。
「メイド長、そのお話は、マリーナは知っているのかしら?」
「いえ、おそらく噂程度かと」
ソファー席につくと、ブリジットはいつもの席に座る。メイド長は話をするために、向かいのソファーの後に立った。
「メイド長、大切なお話のようですし、立ってお話をされるのは落ち着かないわ。それに、わたくし………」
ブリジットが目線をメイド長から、テーブルに落とした。
「もし、わたくしが一人で受け止められなかったら、と、不安なの。マリーナと一緒でもいいかしら?」
セザリーヌでさえ、一人で受け止められずに、先程専属メイドが支えていた。ブリジットには、そんな話を一人で受け止めることができるとは思えない。メイド長も賛成してくれて、メイド長がブリジットの向かい側に座り、マリーナはブリジットの隣に座った。
マリーナは最初は、「床で」と固辞していたが、メイド長が許したので、ブリジットの隣に座り、初めから背中を支える形をとっていた。厳しいはずのメイド長が、マリーナがソファーにつくことを許すなど、余程の話に決まっているのだ。
「ブリジットお嬢様、まずは、お茶を」
メイド長に勧められ、一口いただく。いい香りが鼻を抜け、心が少し落ち着く。
「お嬢様、これ以上聞きたくないとお感じになりましたら、いつでも止めていただけますか?」
ブリジットは、メイド長の目を見て頷いた。
「おわかりかと思いますが、お話はイリサス様のことでございます」
イリサスは、2年前イリサスの学年に編入してきた男爵家のご令嬢にとても執心した。それは、婚約者である侯爵令嬢を蔑ろにし、勉学を疎かにし、高位貴族であることを拒絶するような状況であった。
それは、イリサスだけでなく、イリサスのクラスメイトであった第1王子、騎士団団長侯爵令息、魔法師団団長伯爵令息。これら4人が皆その男爵令嬢一人に夢中になり、4人が揃って最上級学年でCクラスに落ちるという醜態を晒した。
さらに、4人ともその男爵令嬢とは、あってはならない程の男女関係を築いてしまい、実はそれぞれの婚約者からすでに婚約解消をされているのだ。
「え?では、イメルダリア様とイリサスお兄様は?」
「すでに半年ほど前に婚約解消されております。旦那様は、侯爵家に慰謝料もお支払いになっておられます」
半年前といえば、ブリジットの婚約も解消になった頃だ。ブリジットは兄の醜聞が関わっているのだろうと予想できた。
メイド長の話はまだ続く。
それぞれ婚約解消にはなったものの、令息たちが立ち直ることを願う親たちが、婚約解消については、卒業まで秘匿することにしてもらい、令息たちの再教育に勤しむこととなった。
確かに、夏休みのイリサスの状況は、再教育という言葉がぴったりな状況だったことは、ブリジットも知っていた。
「お父様とお母様から見て、イリサスお兄様はお立ち直りになったとお考えなの?」
ブリジットは、背中に寒さを感じて、マリーナの手をギュッと握る。恐恐とメイド長の目を見た。メイド長は、とても悲しそうに首を左右に小さく振った。
「まだ、わかりませんわ。ですが、奥様は、旦那様がイリサス様をお立ち直りになったと判断することはないとお考えです」
「どうして?イリサスお兄様は、夏休みに頑張ってらしたではないの?」
ブリジットは、小さな声は震えていた。
「旦那様のお仕事は宰相閣下でございます。つまりは、政務の長。政務の長が、身内を優遇させるわけにはいなかないと」
メイド長は目を伏せた。きっと随分前からそれを知っていたのだろう。
「イリサス様のおクラスがCクラスにお決まりになった頃から、旦那様はイリサス様のお仕事場をお探しでございました」
「っ!」
ブリジットは息を飲んだ。もう1年も前から考えていたらしい。
「で、でも、その頃はイメルダリア様と婚約なさっていたでしょう?」
侯爵令嬢のイメルダリアを娶るのだ、半端な立場では許されない。
「公爵家の領地繁栄にお力を注がれる事で納得していただくおつもりで、旦那様も領地運営に携わるご予定だったようです。しかし、夏には婚約は解消になりましたので、旦那様は吹っ切れたようです」
メイド長は、目を上げて悲しそうにブリジットを見た。
「ど、どういうこと?」
「イメルダリア様のご心配をされなくてよくなったので、イリサス様のお仕事場を決める事が簡単になったということですわ」
大袈裟に言えば、どこかの下働きでも構わないということだろう。そう想像して、ブリジットは、震えた。公爵家の長男が……どれだけ耐えられるのだろうか。
「お兄様に救いはあるの?」
「イリサス様の本日の動き次第と思われます」
「ま、まだ何かあるの?」
とうとうブリジットの涙は溢れた。並の令嬢ならあまりの酷さに気を失っていたかもしれない。公爵令嬢としての気概が、震えながら泣きながらもブリジットをその場に座らせていた。
メイド長が知りうることを話した。
イリサスはじめその4人の令息が、自分たちの婚約者をその男爵令嬢へのイジメの首謀者として、国王陛下に訴えた。それはすべて冤罪であった。そもそも学園のイジメ如きを国王陛下に訴えることがおかしい。
冤罪であることも、国王陛下以下重鎮たちが呆れていることも知らない イリサスたちは、本日の卒業パーティーで、ご令嬢方を糾弾する予定であると吹聴しているらしい。
「イリサスお兄様に、冤罪だったと教えてさしあげなければっ!」
ブリジットが腰を浮かすが、メイド長は首を振る。
「それをご自分たちでお気づきになられるかも、イリサス様たちのこれからを考える判断材料とされているのです」
ブリジットは、目を伏せて、ストンとソファーに落ちた。
「イリサスお兄様がご令嬢の皆様の無実にお気づきになられたら、お兄様はどうなるの?お父様は、お兄様を助けてくださるの?」
胡乱な視線のままのブリジットは、それでも救いがあるかを知りたかった。
「ご領地の端にあります分家に仮に入り、そちらの今後の繁栄状況を見て、お決めになるそうです」
イリサスにとって、よくても領地の端への勤務。王都育ちのイリサスに耐えられるものなのか?そもそもそれがイリサスにとって、最善であるとはどういうことなのか?
ブリジットは、涙を拭いてくれるマリーナに縋った。もう、メイド長の顔を見ることができない。
「そ、それで……もし、糾弾とやらをイリサスお兄様がなさってしまったら………?」
「北の辺境伯様のご領地で執事見習いとなります」
メイド長も、ポロリと涙をこぼした。マリーナは、すでにブリジットとともに泣いていた。
「お母様……と…ドナ兄様は…………?」
ブリジットの目線は絨毯に落ちたままだ。マリーナも俯きながら、ブリジットの背に手を置いていた。
「奥様は、すべてご存知です。ドナテル様は学園でのお仕事がおありになり、旦那様とお話されるお時間がなく、ご存知ありません」
メイド長は、まっすぐにブリジットを見ていたが、その瞳からは涙がとめどなく流れ、時々ハンカチで拭っていた。
ドナテルは現在生徒会役員で、卒業式と卒業パーティーの準備が忙しくなるという話は、ブリジットもドナテルから聞いていた。なので、ここ2週間、ドナテルは学園の寮から戻っていなかった。
〰️
ブリジットは、マリーナの腕で涙を流して一息つき、冷めた紅茶を一口飲んだ。小さく呼吸を整える。そして、自分よりずっと辛いであろう母親セザリーヌの部屋へと行くことにした。
セザリーヌの部屋にブリジットが入った時、セザリーヌは、ソファーに横になっていた。母親がとてもとても小さく見えた。ブリジットは、そんなセザリーヌを見たことがなかった。
「お、かぁさ、ま………」
セザリーヌがゆっくりと起き上がる。顔は泣き濡れて、ここ1年で痩せてしまった頬は真っ白だった。
「リジー……」
ブリジットの顔を見たセザリーヌの瞳からは、また涙が溢れた。ブリジットは、駆け出していた。セザリーヌを抱きしめる。二人は淑女らしからぬ声で、オイオイと泣き崩れた。
本来なら、大変喜ぶべき長男の学園の卒業式に参列もせず泣き濡れるセザリーヌの背中を支えながら、セザリーヌの専属メイドも泣き濡れていた。
ソファーでセザリーヌと抱き合うブリジットの足元には、マリーナが寄り添い、一緒に泣いていた。
〰️
そして昼過ぎ、卒業パーティーに付き添っていたはずの執事が帰ってきた。執事長が話をして、セザリーヌの部屋へと向かう。
『コンコンコン』
セザリーヌは立ち上がった。
「ど…どうぞ」
セザリーヌの声は震えていた。執事長が入室する。
「只今学園から連絡がございまして…」
執事長が目を伏せた。
「イリサス様は、北の辺境伯様にお世話になられますことがお決まりになりました」
セザリーヌが倒れた。
「お母様!!」
ブリジットも床に座り込みセザリーヌを支える。セザリーヌの息は今にも止まってしまいそうなくらい細かった。
「それで、わたくしたちは、どうすればいいの?」
ブリジットはセザリーヌの代わりに気丈に振る舞った。
「旦那様からのお言付けで、奥様とお嬢様には、お部屋にてお待ちいただきます」
イリサスに会って話をしてはならないということなのだろう。
「わかりました。今日はわたくしもこちらで休みます。
お母様、お着替えになって、ベッドへ参りましょう」
執事長が頭を下げて部屋を出た。
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