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ロストアンデルス  作者: 忠犬
16/17

15.『した』


アラムが柱に背を預けたまま茫然としている時、ポケットにしまったリンクトークンが共鳴した。

アイアスからだ。アラムは齧り付くように画面を操作し、端末を耳に当てる。

「何か分かった?」

『やぁ、アラム』

余裕をなくさない返事。言葉遣いには何の変化もない。一呼吸置いたのちに電話越しの声は言う。

『すまない、これといった情報は得られなかった。ただ、本部の人が何か隠蔽しているのは間違いない』

落胆はしなかった。大凡予想通りの回答だ。

「…そう。当人達には話を聞いた?補佐官とか…」

『いいや、手配書の発行は軍部の広報だが、彼等は補佐官の指示に従って通達を出したそうだ。とすれば、尚更補佐官には聞けない。オズは先日の集会で「侵入者の顔は見ていない」と報告していた。表裏のない彼がコーザ少将の前でまで嘘をつくと思えない。仮に補佐官が彼の顔を知っているのに意図的に別人の顔を報告しているのだとしたら、それに疑問を呈する私が怪しまれる事になる』

アラムは私だったらそんな事を考えずに当人に話を持っていこうとしていたと思う。だが、アイアスの話を聞くと、それがどれ程短慮な行動なのかが分かる。

『それで、さっきから大きな物音が聞こえるけど、君はちゃんと私の教会にいるのかい?』

ぎくりと肩が跳ねた。向こうにまで届いている騒音は、ダリィとロハネが共同作業で長椅子を移動させている音だ。

ひびの入ったアイウェアを探し出すなり、教会を元通りにすべきだと言い出したのはロハネだった。彼は先日、アイアスが教会を傷付けたくないと言っていたのを覚えていたらしい。それに共感したダリィとステラを交えていそいそと片づけを始めてしまったのだ。

壊した長椅子は仕方ないとして、破損の少ないものをなるべく元通りの位置に戻している。力作業は勿論ロハネ。ダリィは目が良くないのに椅子を几帳面に揃えているし、ステラは何処からか持ち出した箒で床の割れた花瓶を履いている。何と言うか、100%元通りに出来ないと分かりつつの清掃を見るのはやるせない。流石のロハネも壊れたものを直す事はできないようだ。

「…えっと、怒らないで聞いて欲しいんだけど、教会で…その」

通話越しに相槌すら打ってくれない沈黙が痛い。彼は次の言葉を黙って待っている。

「一波乱あって…壊してしまったの。色々と。ごめんなさい」

『一波乱って、一体何が?』

「指名手配されている子と教会で鉢合わせたの。それでロハネとその子が戦闘になってしまって…」

『なんだって』

通話の奥でガタリと椅子を引く音。アイアスが立ち上がったのが直感で理解出来る。

『君にはステラを預けていた筈だ、彼女に怪我は?誰も怪我をしていないのか⁉︎』

「大丈夫よ。私もステラも、誰も怪我はしてない」

戦っていた2人に関しては滅茶苦茶怪我をしていたが、既に治っていると言ったほうが適当か。

大きな溜息が通話越しに聞こえた。

『そうか、それなら良いんだ。まさかまだ危険な中で通信を取ったんじゃないだろうね』

「いえ、今は掃除してるの。ロハネとステラと、その子で」

『そ…、何で…?』

「それでね、アイアス…驚いて聞いて欲しいんだけど」

驚かないで、とはとても言えない。自分だって俄かに信じられていない。

ちらりと猫背でステラに喋り掛けているダリィを見る。ダリィはまだフードを被っているせいで表情までは伺えない。

「赤いゴーグルに金髪、ローブ、手枷のついていた風貌の男。だけど、彼は自分をダリィと名乗ってる。私を知っていたし、ステラも間違いないって。それも、この失踪した1日で貴方ぐらい背丈が伸びてる」

『んん…?』

多弁なアイアスが言葉を失った。

「彼が言うには”した”から逃げてきたと」

相槌も返ってこない。こういう時、決まってアイアスは頭の中で何か考えている。やがてゆっくりとした口調で「した」とだけ言葉が返ってきた。

「アイアス?」

『それはどこの事を指すんだ?』

「分からない。でも、本部が彼に濡れ衣を着せようとしている以上、連れ込むのはマズくないかな?」

「…どうだろう」

そこで通話向こうからドアが開く音と同時に『中佐、先日交渉されていた魔石の…』とまで聞こえ、そこから先はザリザリとしたノイズと共に無音になった。服か手かでトークンを抑えているのだろう。アイアスの言葉があるまで素直に待つ。数秒も待たない内にまたもザリザリとノイズが聞こえた。

『それと、ちゃんとノックしてくれよ……すまないアラム。話したいのは山々だが、こちらは今忙しくてね。イベントが迫っているのもあって公務が多いんだ。それと、恐らく君と私が直面している件を調べている人が本部にいるが、その人も慎重を極めて行動している。私達もそれに倣って時期を見据えるべきかもしれない」

思わず口から感嘆が出る。口調から協力を得られている訳ではないのだろう。ただ、同じ異変を調べている人がいると知るだけで何だか心強くなる。電話向こうの声は更に続ける。

『一旦は大総統の凱旋が終わるまで目立った動きは慎みたいと思っているんだが、どうだい』

「…そうね、貴方が動けないのなら尚更。だけどダリィはどうするつもり?」

『勿論教会で預かるとも。だから今日はなるべく早く戻るよ』

「忙しいって言ってた癖に」

『何とかする。部下がいるから」

後半部分の言葉がやや小声だった。どうせ彼の書斎には誰も居ないだろうに、先日見た悪辣な顔が目に浮かぶようだ。

「それまでどうか教会に居てくれ。君の不在は私の責任だ』

「ううん、大丈夫よ。待ってるから」

『それからもう一つ、ハインツ少尉が君に会いたがっていたよ。面と向かって礼を言いたいと』

「そうなんだ。近日中に会いに行くわ。アグナスさんの経過も気になるから」

アイアスは朗らかに笑う。結びの言葉と同時に通信を切った。彼がこちらの話をどこまで信じてくれたのか分からない。自分の目で見た事だけを喋ったが、あの中佐の事だ、全てを鵜呑みにはしていないだろうと察しはつく。

溜息をついてから顔を上げた時に突然ロハネの顔が視界一杯に入って飛び退いた。勢い余って柱で後頭部を打つ。アラムは痛みに悶えて頭を抱えながら蹲った。

「それは?」

じくじくと疼く頭を押さえながら見上げた先、ロハネはアラムが手に持ったトークンを指さしていた。

「あぁ、これ?」

差し出すと、彼は素直に受け取る。

「リンクトークン。通信の主流に使われている魔石の入った機構よ。ここを操作すれば相手を選んで話が出来る」

画面を指差しながら教えてやると、ロハネは慣れた手つきでスイスイと画面を操作し、端末を耳に当てた。飲み込みが早くて感心する。待て。誰にかけているんだ。

『どうした、アラム』

コールから間髪置かずにマークの声が聞こえるなり、ロハネは目を丸くした。

「アラムではない」

『何だお前か…』

あからさまに落胆の声が聞こえた所でロハネの手からトークンを奪った。



◆ ◆ ◆



アイアスは本当に早く教会に帰ってきた。17時を少し過ぎた頃ぐらいだ。彼が戻ってくる頃には壊れた長椅子や割れたランプ、花瓶以外を元に戻す事ができていた。壁の傷はどうしようもないけれど。

教会の取手や内部を見ても、彼は然程怒りを露わにしなかった。元より牧師の教会は飾り気が少ない。祭壇や一番目立つステンドグラスが無傷だった事が逆鱗に触れなかったのだろうと思う。ステラにはダリィの事を口外しないよう言いつけつつ家に戻すよう指示された。

アイアスに言われた通り、ステラを家に送り届ける頃にはすっかり日が傾いていた。ロハネと共に家路を歩く。

ロハネは教会に居た時とは打って変わって俯きながらアラムの後ろを歩いていた。

「浮かない顔ね」

横目に言葉を掛けると顔を上げてこちらを見たが、すぐに道の石造りのタイルに目を向け直した。

言葉に詰まっているというより、言うべきか否かを決めあぐねているようにも見えた。

「…アラムが私を発見しなければ、アヴェルに遭っていたのは私だった」

仕草に反して感想のような言い方。

「アヴェルが貴方を狙ったの?」

「私は奴が『浮上』してくる時、近くにいる事を探知出来た。それは向こうも同じ筈だ」

街灯のランプが光の減少を検知して点灯し始める。周囲に街を歩く人は少なく、互いの足音だけが聴こえた。

「私の出現が彼の人生を歪めた」

街灯の光を受けて彼の顔を見る。姿こそ落ち込んでいるように見えるが、彼はずっと無表情だった。

時折、ロハネに感情があるのかないのか分からなくなる時がある。怒りを称えたかと思えばふっと表情が凪ぐ時、今のように言葉に一切の感情や表情が無い時。

少なくとも自分と同じものではないのは明白だが、どこまでが本物か、偽物かが分からない。それを問うた所で答えは無いのだろう。

「悔しいの?」

ロハネは少し黙り込んだが、少ししてから顔を上げて言った。

「いや、残念だ」

アイウェアの奥にある翡翠色と目が合う。

彼が教会の床から現れた多腕の怪物と同じだなんて到底思えない。だがロハネは間違いなくあれと同じもので出来ている。先日、実際に彼が溶けたのを目の当たりにしたのだから。

アラムは特に何も言わないまま再び前を見た。

「全部貴方のせいではあるけど、貴方が悪い訳じゃない」

銃殺事件があったとして、咎められるべきは発砲した人間や製造者であって誰も銃そのものへ責任を追及しないのと同じように。

その後に続く会話はなかった。アラムは黙って歩く。彼も黙って後をついてくる。


コゼットの待つ家につき、ドアを開けると、ロハネと歩いた辛気臭い空気を一蹴するかのように美味しそうな夕食の香りが広がった。

「あら」

ぱっと花開くようなコゼットの笑顔の隣で、大男が頭を上げた先にある魔石電球に頭をぶつけた。マークだ。

「おかえりなさい、アラム!」

コゼットは持っていたタオルをキッチンに置き、扉まで美しく真っ白な髪を揺らしながらアラムに駆け寄ってきた。

「ただいま。今夜は調子が良さそうね」

「えぇ、今日は身体の痛みもなくて幸せです。夕食、まだですよねアラム。マークさんが来て下さったお陰でもうすぐ出来る所なんです。手伝って頂けますか?」

「勿論」

鞄をコゼットに預け、アラムはキッチンで手を濯ぐ。

「…で、何で来たの」

隣で窮屈そうに肩を縮めながら、野菜を刻んでいるマークにちらりと視線を向ける。マークはちらりと扉の前で立ち尽くしているロハネに目をやってから、アラムに耳打ちをした

「アラム達が心配なんだ。俺はなるべく奴とアラムやシスターだけと居させたくない。いつ妙な気を起こされるか分からないんだぞ」

「警戒し過ぎよ。心配ないわ」

布で手の水気を拭き取りながらキッチンを見回す。

フライパンで香ばしい香りを放つニシンのキッシュにチキンソテー、鍋にはトマトのオートミール、マークが刻んでいるのはサラダの野菜らしい。もう添えられた皿に盛り付けさえすれば殆ど完成だ。

アラムはロハネに目を向けた。何とはなしに部屋を眺めていた彼とすぐ視線が合う。

「来て、手伝ってくれる?」

目を瞬きさせてから、首を傾げてこちらに来る。あまつさえカタナを手にしたまま。

「それは仕舞って」

武器を指差すと、ロハネはカタナとアラムを交互に見てから、ソファに武器を置いて再びこちらに歩み寄って来た。こちらから特に指示をした訳ではないのに、彼は洗い場で手を濯ぎ始めた。アラムが帰宅して一番に始める行動を目敏く見ていたらしい。ただし、彼は手套を被っている(ように見える?)ままで手を濯いでいた。思えば、彼の衣服や手套は何で出来ているのだろうか。推察するに布ではないのだろうが、服まで彼自身の一部なのだろうか。試しに彼の襟部分を触ってみる。襟の手触りは布と同じだが、外套部分は鋼のような革のような不思議な感触がする。ダブルコートと装甲が一体となった鎧とも制服とも取れない服装。嫌そうな顔をしているロハネが視界に入り、彼に触れるのをやめる。多分マークは私の背後で絶句している。ロハネにタオルを渡しながら言う。

「ごめんね、突然。キッシュとチキンソテーの大皿、オートミールと取り皿は4人分用意するから、テーブルに持って行ってくれる?」

「承諾」

ロハネが両手に4人分の食器を器用に持ってテーブルに移動した時、コゼットがリビングに帰ってきた。

「まぁ、ありがとうございます。人数分用意下さっているのですね」

「人数分?」と彼は口の中で復唱する。ロハネは手元の次にコゼットを見上げて、アラムの方を振り返った。

「貴方も食べるのよ」

目を白黒させているロハネが何か言う前に、コゼットが言葉をかける。

「一緒に頂きましょう。私が作った自信作を是非貴方にも味わって頂きたいです」

コゼットの押しに半歩下がりながら、ロハネは何度も何か言いかけては口を閉じ、板の上の魚のようになっている。やがて一旦考えたのちに渋々と小さな声で「承諾」と言った。

コゼットが満足げに微笑み、キッチンの大皿をテーブルに持って行ってくれた。あんなにも楽しそうなコゼットを見るのはいつ振りだろうか。いつも部屋で痛みに耐えながら伏せているコゼットが、彼女がかつてシスターだった頃と同じように笑って、足取り軽く弾んでいる。彼女は賑やかな雰囲気が好きだ。いつもと異なり、頭数2つ多い食卓を囲むのもきっと嬉しいのだろう。

マークが彩り鮮やかなサラダを用意し終え、あっという間にテーブルには豪華な夕食が並んだ。全員が椅子に座り、食事前の祈りを捧げる。ロハネは辺りを見回してから、周囲に倣って祈りの姿勢を取る。

「全ての糧に感謝を込めて、頂きます」

コゼットに復唱するや否や、アラムはスプーンを取ってオートミールを口に運ぶ。マークはパンを千切って口に放り投げ、コゼットはキッシュを切り分ける。唯一祈りを捧げる姿勢のままで目を泳がせながら硬直しているのはロハネだ。

「美味しい。コンソメとトマトの加減が絶妙ね」

「ふふ、アラムの口に合って良かった」

切り分けたキッシュの皿をアラムの置きながら、コゼットは照れくさそうに笑った。彼女は同じように、ロハネの目の前に同じようにキッシュの盛られた皿を置いた。

「さぁ、貴方もどうぞ」

ロハネは眉根を寄せて嫌な顔をしているが、押しに断れない様子でアラムの手元を見てからスプーンを手に取り、キッシュを切り分けて渋々口に運んだ。

「…どう?」

自然とロハネに注目が集まる。食卓には不釣り合いな、食器の音すらしない沈黙。

やがて彼がぷるぷると身体を震わせたかと思うと、これまで見た事がない程にアイウェアの奥にある目を見開き、スプーンを持つ反対の手で頬を押さえては口元を押さえてと、わたわた慌しく手を動かしている。仕草から彼の言いたい事が面白い程伝わってくる。滑稽さすら感じる姿を見て、アラムはコゼットと顔を見合わせて笑った。

「…何かを」

ロハネは目の前のキッシュを眺めながら言う。

「口に含んだのは初めてだ。20余年、私はこの感動を知らずにいたのか」

彼は笑っていた。無垢にすら感じるような笑顔。そのままスプーンでキッシュを器用に掬っては口へ運んでいる。

「食べにくいでしょう?こっちを使うのよ」

アラムがフォークを差し出してやれば素直に食器を持ち替える。ただ、使い方が分からないようで、ペンのような持ち方をしていた。

「違う違う、何でスプーンは持ててフォークが使えないのよ!」

困惑するロハネの表情を見て、マークとコゼットが笑った。こんなに賑やかな食卓は一体いつ振りなのだろうか。

「ロハネ」

ふとその様を眺めていたマークに名を呼ばれ、ロハネはマークに視線を向ける。

「そのグラスを貸してみろ」

マークはジェスチャーで自分の目元を指差す。ロハネは意図が読めないのか、小さく首を傾げてから自分のかけていたアイウェアを差し出した。それを受け取ったマークがアイウェアのグラス部分に入った罅を眺めたかと思えば、指でゆっくりと擦り始める。チリチリと彼の指先から登る煙。マークはヒビ割れた面を焼いている。ヒビ割れを擦る内に亀裂は消えてなくなった。マークが自らの才能を使ってグラスの割れを直したのだろう。グラス部分から亀裂の消えたアイウェアを差し出しながらマークは言った。

「今はアラムの言う事を信じるよ。お前は悪い奴ではない、とな」

アイウェアを受け取ったロハネは、割れが消えているのを確認すると、マークの顔を見て笑う。

これまで彼等の間に漂っていた、少し険悪な空気が和らいだ気がした。

これもコゼットの作った美味しい夕食のお陰だろうか。



◆ ◆ ◆



「そうか、本当に君はダリィなんだね」

天井で魔石の光が星のように瞬く教会の中。

頷いた痩せぎすの青年が長椅子の隅に座っている。当教会の牧師は部屋全体の傷を眺めるように、あちこちの傷に触れては行っては来てを繰り返していた。

「ほくしさま、ほんとうに、しんじて、くれる…?」

フードを脱ぎ、草臥れた金髪の隙間から燻んだ赤目が覗く。牧師は歩調を緩めず、視線すら壁の傷に向けたままで応える。

「勿論信じるよ。辛い事の連続だったね。君の心労を思うと、掛ける言葉すら見つからない」

ダリィはふっと口元に作り笑いを浮かべると、すぐに俯いた。その後に続く言葉はない。ボロ雑巾のようなローブの中でもじもじと親指を突き合わせている。

「だけどすまない。君には現実の問題と向き合ってもらわなければならない」

冷たくも凛とした声。足取りはゆっくりとダリィの元へ向かっている。手を後ろに回し、彼の後毛が歩調に揺られていた。

「ダリィはまだ年端もいかない子供の筈だ。つい昨日も君の母親は君を探して教会へ来た。だが誰しもがアラムや私のように、君がダリィ本人だと受け入れられる訳ではない」

アイアスは俯いたダリィの目の前で立ち止まった。牧師の足が目の前で止まった事を視界端で捉えながらも、ダリィは俯いた顔を上げなかった。

「君が選ぶんだ。あの母親に全てを打ち明けるか否かを」

沈黙。『あの母親』と牧師が態と告げた言葉が胸に突き刺さる。アイアスは、ダリィの母親の人柄を知っている。そして彼が母親がどんな人柄なのか分かっているのだと、ダリィ自身も察していた。

「…ぼく、しってた。おみせのばん、かわってほしいとき、おかあさん、ぐあいわるいって、うそをつく」

ダリィは徐に顔を上げる。僅かに骨の中の空気が弾ける音がした。

「ステラとあそんでるとき、うるさいって、なんどもおさら、わった。おかあさん、ぼくたち、みてくれない」

ダリィの燻んだ紅い瞳が潤む。言葉がもつれて出てこなくなるのを、彼は必死で堪えた。

「おかあさん、いまのぼくをきっと、うけいれてくれない。ステラ、かわいそう」

膝に大粒の涙が溢れた時、ダリィは両手で溢れる涙と鼻水を強引に拭った。自分より妹を慮る兄の姿を前に、牧師は彼の肩に手を置き、言葉もなく優しく摩った。やがてダリィが涙や鼻水を拭い終えた所で、言葉を綴った。

「疑惑が晴れるまで、君は教会で預かろう。その後に待つ君の家庭の問題は児談機関が介入する。君たちにとってより良い結果となるよう、私達が味方になるよ」

牧師の言葉に、ダリィは顔を上げた。アイアスの表情が視界に入る。優しい牧師の表情を見ると、またもダリィは目を潤ませた。

「代わりと言っては何だが、私に教えて欲しい事があるんだ」

「ぼくが、ほくしさまのちから、なるなら。なんでもいって!」

腕を振りながら興奮気味に喋るダリィを他所に、アイアスは一歩、二歩と下がりながら、後ろの長椅子に腰掛けながら言った。


「君が何十年と拘束されたという、”した”について」



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