14.未知の異常と非日常
静寂が嫌に重い。
彼を睨んでいたつもりが、その視線に射抜かれていたのはこちらだった。
アラムは銃を下ろす。ダリィを酷い目に遭わせたのは、恐れているのは彼であって彼ではない。
「アラムの言う通り、この時代に私は存在している。だが今のアヴェルは意志無き道具だ。故に、それがどのような意図で動いてるのか分からん。…そして」
ロハネは歯切れ悪く告げると、俯きながら続けた。
「私ではその枷を外すこともできない」
苦虫を噛み潰したような表情は演技ではない、と思った。それに彼自身も言っていた。自分を知り過ぎると消滅する可能性があると。尚も無知を悔いる顔をするのは、彼が人を敬愛する故なのだろうか。
「…ごめんなさい」
その沈黙の中で口を挟んだのはダリィだった。
「ぼく、こわくて、たくさんなぐった。おにいちゃんも、いたかった、よね」
ステラにひしと抱きついたまま、ダリィの泳いだ目には未だに怯えが映っている。ロハネは肯定も否定もなく、ダリィを見て目を細めた。
「…ねぇダリィ。貴方、目が見えてないの?」
アラムが問いかけると、ダリィはアラムの方を向いて首を横に振った。ゆっくりと荒れた教会を見渡しながら言う。
「ううん、なにもみえないわけじゃない。みえにくい、けど、においでわかる。ぜんぶ。それと、けがしてもすぐなおるんだ」
ぐるりと教会の中を見渡してから、アラムに向けて不器用な笑顔を見せる。
「おかあさん、こまったらほくしさん、たすけてくれる、いってた。すてらに、あえた」
思えば、ダリィ達の家族は皆この教会を頼りにしている。ダリィがいなくなって駆けつけてきた母親に、母親も兄の姿もなく、途方に暮れて教会まで来たステラ。そして暗い所から抜け出してきた矢先、教会を目指したダリィ。入口のドアを壊したのは気が動転していたのやら救いを求めたのやら。
ただ、確かにアイアスを頼っているのはアラムも同じだ。今この場に当人ががいなくとも牧師の人望の厚さが垣間見える。色々聞くのはアイアスがいる時が良い。
ただ、教会を滅茶苦茶にしてしまったのが本当に申し訳ない。事の顛末をどう伝えようか思案している時…
「……?」
音がする事に気付いた。硬いものが擦り合う小さな音。
見れば、風のない屋内でダリィの手枷が揺れていた。アラムがそれに気付いた瞬間、ロハネがダリィに飛び掛かり、ダリィからステラを乱暴に引き剥がした。
猫のように首根の襟を掴まれたステラが声を上げると同時に、ダリィを中心とした床板が突如、インクを広げたように黒ずんだ。黒い広がりから音もなく出現したのは、無数の長い人の腕。その腕はダリィを中心として次々と彼の身体に纏わり付いた。ロハネはカタナを持った左腕を盾にしながら、一歩退いてステラを身体で守っている。
見間違える筈がない。この腕は、今朝ロハネが路地裏で再演して見せた腕、あの光景と同じものだ!
ダリィの顔は一気に恐怖に歪んだ。
「いやだ!いやだよ!はなして!!」
彼は枯れた声でパニックになりながら暴れている。無数の腕に拘束されていくダリィは、体勢を崩して床に倒れ伏した。
「ダリィ!」
アラムは黒い腕に向けて発砲する。無論、それがダリィに纏わりつく腕に効果を与える事はない。弾丸は水面に滴が落ちるように腕に波紋を作り、そのまま吸い込まれるのみだった。
「たすけて、おねえ、ちゃ…」
そう言葉を発しようとした顔を、黒い手が覆い尽くす。涙を流すダリィの表情が、インクが広がったような床に半分沈んでいた。
やめて、と、弾切れの銃を捨ててダリィに手を伸ばした時だった。ダリィの頭上に、雷のような翡翠の光が閃く。
見るとそこには抜刀したロハネがいた。彼はダリィを拘束する腕ではなく、インクを溢したような真っ黒な床板にカタナを突き立てた。
「◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️‼︎‼︎」
耳を劈く金切り声。錆びた歯車が軋むような声とも取れない不快な音。腕の数々が電撃を浴びたかのように人の腕の形を失い、軟体動物の触腕のような形になる。ロハネがカタナを突き立てた床からゴボゴボと黒い液体が溢れたかと思うと、液体がそこに収束し、インク溜まりが一気に引いていく。やがて触腕も黒い液体もカタナに吸い込まれるように消え、教会の中は静寂を取り戻す。どこかで燭台が音を立てて倒れる音がした。
「はっ……はっ……ッ‼︎」
ダリィは床に伏し、目を剥いたまま肩で息をしている。カタナは彼の鼻先に突き立てられていた。ロハネは刀を引き抜き、すぐ鞘に収める。
「な、何なの…アレ…」
一部始終を見ていたアラムが口を開く。ロハネはちらりと彼女に目をやった。
「アヴェルだ。手枷を追って現れたが、逃げられた」
見ると、伏せたダリィの両腕から黒い手枷が消えていた。先程の黒い塊が吸収して逃げたのだろう。
「ダリィ‼︎」
ステラが駆け寄り、ダリィの顔に抱き付く。ダリィはそれに対して、肩で息をしながらもステラに手を添えて頭を寄せ合った。
アラムは2人を横目に愕然としたままだった。
「嘘でしょ…アルタマイルが…あんな怪物を飼ってるって言うの…?」
一体誰が?
まさか、本当にアルバート大総統なのか?
突きつけられたものに鼓動が早まる。頭が理解を拒んでいる。大総統ではない。一変の疾しさも持たないあの人が、こんな怪物を飼ってる訳がない。
目が泳ぐ。その時、真っ直ぐな視線に射抜かれている事に気づく。ロハネの目だ。
彼は苛立ちを隠さない様子で言った。
「アルバートはどこだ」
アラムはそれに応えられない。
否、応えるべきかを迷っている。
それに、彼の顔。
アイウェアを外し、少し髪が乱れた彼の顔に、アラムは何故か既視感を覚えた。誰かまでは分からない。でも、確かに私はこの顔を見た事があるような気がする。
アラムは少し呆けてしまったが、その質問に対して首を横に振った。
「今、貴方もダリィもこの教会から出す訳にはいかない。まだアイアスが襲撃犯の人相が指定された理由を探している所なの」
アラムは顎を引いてロハネの視線に応じる。
「…今は大人しくして」
その言葉を受けて、またも彼は一変して無表情になった。「承諾」と短く告げると、藍色の髪を掻き上げ、踵を返すと傾れた長椅子の中にアイウェアを探しに行ってしまった。
アラムは一歩、二歩と後退し、背にあたった柱に身体の重心を預けてずるずると座り込んだ。
青年の兄と少女の双子が嗚咽する声。
大きな溜息。
彼が現れてから、ずっと日常の外を覗いている。
◆ ◆ ◆
アイアスは城下を一望できる城の展望台にいた。
彼の目の前には長い髪を風に靡かせるすらりの身長の高い女性の姿。
「そんなに知りたい?」
「えぇ」
凛と佇む女性…ニオ中将は、アイアスを横目でちらりと眺めてから、城下の更に奥に佇む壁に視線を向けた。あれはダスクの蔓延る禁域と国を隔てる強固な壁。アルタマイルを城塞都市たらしめるもの。
目の前の中将は、その壁の管理を担う管轄長だ。
「視察みたいなものかな。君が期待するような意味はないよ。第一、アグリムは誰も信用していないのさ」
冷えた空気が頬を撫でる。それでなくともこの人の側にいると、まるで冷たい鋼に触れ続けているような、底冷えする気がしてならない。
「それはまた。何故そうお思いで?」
すらりと高い痩身にヒールを履き、コルセットで締められた細いボディラインに肩掛けしたロングコート。体躯は針金細工のようにしなやかなのに、身にまとう飾緒や勲章が強靭さすら感じさせる。彼女はこちらに視線すら合わせてくれない。
近日に控える大総統の凱旋に関わる当たり障りのない集会が終わったのち、私の問い掛けに耳を傾けて立ち止まってくれた事がそもそも奇跡のようなものだ。この方にとってはただの気まぐれなのかもしれないが、それだけ近寄り難いのだ。あの少将以上に。
「彼って昔からあんな感じだけど、最近は特に酷いよね」
だが、話してみれば高圧的な訳ではない。取り付くまでのインターバルは長いが、言葉遣いも少将に比べれば柔い。
この方が嘆いているのはコーザ少将の事だ。先日、ダスクが襲撃してくる直前に行われていた集会の様子を諜報員に混じって傍聴していた彼女は、あの席では何も言わなかったとはいえ、諜報機関に何らかの疑惑を持っているらしい。
「先日部隊に援軍を呼びかけていたのも何ら不自然ではなかった。彼等は十全に役目を全うしている」
「何それ。アグリムに対する世辞?でなければ、意外に察しが悪い男だね。ちょっと見損なったかも」
その言葉にあまり落胆の色はなかった。というより話をしているというのにこちらに見向きもしない。ここまで他者に興味を持たない人も珍しいのではないか。
なにより異色なのは、重い責任の立場にあるのに単独行動をしてばかりな所だ。
大方部下の目を掻い潜っているのではなく、付いてくるなと指示を与えた上での行動だろう。一人で行動しても危険な目に遭うことはない。この方に対しては断言できてしまう。これまでもそうして見えない原因を排し、この都市を支えてくれているのだ。今だって例外ではない。
「話はそれだけ?」
「いえ、一つ聞きたいことがありまして」
本題はそこではない。
アラムとの通信を終えたのち、集会に赴いたアイアスは、その集会は手配状についての説明か何かだと思っていた。
だが、話し合いの中心になったのは近日行われる凱旋についての経費や配置、プロセスについての当たり障りのない事。
列車襲撃犯の人相など話題にすら登らなかった。誰も彼も興味を持っていない。まぁ、それもそうだろう。本部の人にしてみれば列車襲撃の犯人など然程気にかかるものではない。
唯一それが話題に登らない事に難色を示したのは目の前にいるニオ中将のみ。
中将の振る舞いには一つ心当たりがある。だからこそ彼女を呼び止めたのだ。中将が探るに値する、都市の中で秘密裏に起こり続けている事件。
「ここの所、貴女の単独行動が目につく。貴女はもしかして、ダスクの動向ではなく別のものを調査されているのでしょうか。…例えば、『ご遺体が消える現象』とか」
「……」
彼女は振り向くと同時にアイアスの目の前に迫った。女性に突然詰め寄られた彼は狼狽を隠せずに半歩引き下がってしまう。
目の前に立たれるとニオはアイアスより頭ひとつ分背が高い。なのに彼女は視線を合わせようともせずにアイアスを見下した。重い石が頭からのし掛かるかのような視線。また半歩引き下がった。
「カリヴァン。それをどこで知ったのかしら」
「……それは、」
こちらが言い淀んだ事に目を細める。彼女はすぐに興味がなさそうに踵を返し、立ち去りながら言う。
「それ以上は知らない方が良いよ」
ヒールの音。アイアスは膨らんだロングコートの背姿に言葉をかけた。
「私の教会で神の身許に行かれた人達が消えている」
その言葉を聞き、漸く彼女の足が止まる。
だが、立ち止まっただけで振り返りもしない。言葉も発しない。アイアスの次の言葉を待っているかのように、ただ沈黙しているだけだ。
「由々しき事態です。説明できないままでは遺族にも非礼です。私は牧師として知らねばならない。私を信頼頂けるのであれば中将へのご助力も惜しみません。…どうか」
アイアスは頭を下げる。例えそれが、中将の視界に入っていなくても。
やがてニオは少しだけ顎を持ち上げる。
「…消失事件」
彼女は徐に振り返り、アイアスに目を向けた。
「私はそう呼んでいる。死体を集めているのは間違いなく本部なんだ。でも誰が、いつ、どうやって、何の目的で。全てが不明。誰が主導しているかも分からない。分かっているのは諜報機関の頭領、アグリムが『黙認』してるって事。そして大総統は何も関わりが無い事。まぁ何か知ってはいるだろうけど。それ以上は言えないね」
アイアスが顔を上げると、先程まで遠くにあった筈の中将の顔が間近にあった。美しい以上に恐ろしく冷たいその表情を目前として流石に狼狽してしまう。
「自分で調べようとは思わない事だ。見て見ぬ振りをするのは得意分野だろう」
「私では役不足でしょうか」
「逆だよ。君は賢明だから関わらせる訳にはいかない。誰も信用出来ないのは私もアグリムと同じだし」
「…貴女は信用しないだけでは」
「他人からすれば同じ事よ」
鼻先を人差し指で小突かれる。
「カリヴァン。君は凱旋の準備さえしてくれれば良い。誰が敵かも分からない内はどんな不自然にも目を逸らすんだ。もしかしたら私が、君を頭から食べてしまう怪物かもしれないんだからね」
「………」
そのまま再びニオは立ち去ってしまう。アイアスはその背中に言葉をかけることもできなかった。




