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ロストアンデルス  作者: 忠犬
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13.点と未来、線

二撃。

型も作法も何もない。子供が闇雲に、感情任せに腕を振り回しているかのような。

男が繰り出した拳を躱せば、その腕は勢いそのままに側の長椅子の背凭れをいとも簡単に砕いた。

人がまともに受ければひとたまりもない。軌道は至極単純とはいえ、重い一撃が軽いフットワークで何度も身体を掠める。一歩引けば一歩を詰めて来る。一撃が長椅子を穿つ威力のせいで下手に踏み止まって受ける事も出来ない。

ロハネは男の足元を見て、わざと長椅子の端にかけられた花瓶を倒した。男は素足だったのだ。割れた花瓶を踏んで怯んでくれないかと思った。だが男は割れた花瓶を踏んでも全く怯まなかった。

「おまえ!!おまえぇえ!」

回らない呂律で懸命に叫んでいる。とうに枯れた声でなおも叫び続けている。周囲の障害物に目もくれず、執拗に、盲目的に、ロハネだけを狙ってくる。

退路をなぎ倒された長椅子に阻まれ、鞘で拳を受け止める。得物から伝わる衝撃に腕が弛緩した瞬間、反対の手で胸倉を掴まれ、ぐいと顔を引き寄せられた。

鈍い音と共に視界が反転する。頭突きを受けた。硬くて重い石を頭にぶつけられたかのような衝撃。尚も足の力を緩めない。ここで臆せば押し負ける。今度は獣のように鋭い牙を剥き、大口を開けて迫って来る。咄嗟に右腕を盾にすると、男は右手首に噛み付いた。

「うぅううう!!!」

濁音のついた音で男は唸っている。淀んで血走った眼。爪を立て、牙を剥くその様は人の形をした獣に相違ない。

「貴様。その枷は…!」

持てる力を以って対抗する。少しでも気を緩めれば押し負ける。ロハネとて常人を超えた身体能力がある。尚もこの男は彼と対等、いや、それ以上に張り合っている。

右手首がギチギチと噛み潰される音がする。血は出ない。そんなものはない。血も骨も、ロハネには元から存在しない。あるのは腕が噛みちぎられんとする痛み。だが、人と違って深く牙が突き刺さろうと、噛み切られたとしてもすぐに再生出来る。人とはかくあると『残された』痛みさえ結局は紛い物でしかない。


アラムは鞄から銃を取り出し、耳を塞いで怯えるステラを抱えながら男に銃口を向けた。男の足を捕捉した所で、ロハネが乱暴に投げ倒される。

「うそ、」

こちらに来る。そう予感して身構えた。だが男はアラムに見向きもせず、倒れたロハネに直進し、馬乗りになって殴打を始めた。それも、顔だ。彼が逃げられないように肩を押さえて、もう片側の腕で何度も殴り付ける。

耳を塞いだまま二人を凝視するステラの目を覆った。子供に見せられる光景ではない。

「つぶれろぉおぉあぁ!!」

理性がない。人らしさを微塵も感じさせない。躊躇いのない連撃。アイウェアが外れ、地面に落ちる。

ロハネが双眸に射抜くような怒りを称えた。その目は空と森の青を足したような翡翠色をしていた。

彼の顔は襟から侵食するように黒い粒に包まれ、瞬く間にマスクに覆われる。彼の着ている服と同じようなデザイン。マスクというより真っ黒な装甲。目の端や頬で紋のような線が発光している。装甲が重なり合った隙間からロハネの双眸が鋭く光っていた。

尚も男は攻勢の手を緩めなかった。硬い石を殴り付けるかのような音。装甲が凄まじい強度なのだろう、おおよそ人の顔面を殴る音ではない。

男の拳から血が流れる。だが、拳を振り上げてる間に傷は塞がって消える。ロハネを殴り続けるたびに、彼の拳は血で汚れては再生を繰り返している。

ロハネが拳を受け止め、反対の手に持つカタナの頭を男の鳩尾に叩き込む。男は大袈裟なまでに吹き飛ばされ、背で長椅子をなぎ倒した。

ロハネはゆっくりと立ち上がるも、視界が歪んだのかぐらりと膝を折り、すぐに頭を押さえて蹲み込んでしまった。


ステラが嗚咽する。アラムは彼女の目を塞ぐ掌から涙の温度を感じていた。濁点混じりに呻いた男が音に反応してこちらをぎらりと睨む。

深く被ったフードの奥から覗く泥のように濁った赤黒い目の色。焦点が合っていない。確かにこちらを見ている筈なのに、どこか遠くを見ている。

男は立ち上がり、ゆっくりとこちらに迫ってくる。アラムは一等強くステラを引き寄せ、男に銃口を向けた。

一歩、二歩と、唸りながら近づいて来る。関節の空気が弾ける音が不気味で、死がどんどん近付いて来ているように思う。

長椅子三つ分まで差し迫ったあたりで、男ははたと焦点の合わない目を見開いた。

鼻をひくひくと動かした後に、静かに、枯れた声で言う。

「…す、すてら…、」

「…えっ…?」

それがきっかけだった。

男はフードの奥で、大粒の涙をボロボロと溢し始めた。

先程まで猛る獣と相違なかった様子を一転させ、すがるように手枷と血でボロボロの手を伸ばしてくる。

ステラに触れさせないように、アラムは身体を盾にするようにしながら後退る。

「すてら、ぼくだよ…?」

声は震えていた。

目は悲壮を称えている。

真っ黒な鎖がじゃらりと音を立てて揺れる。そんな音さえ耳に届かないような激闘をついさっきまで繰り広げていたというのに。

枯れた声の奥底に、聞き馴染みのある声が重なった。

ステラが囁く。

「…ダリィ?」

唐突に男がぐいと後方に引っ張られ、組み敷かれる。ロハネが男の首根を踏み付け、腹にはカタナの鞘を突き立てていた。顔は装甲に覆われたままだった。ただ表情が見えないだけで、いつもの彼とは別の異質さを感じさせた。その佇まいが放つ言葉の通じない処刑者、或いは冷酷な殺人鬼のような、静かで、それでいて強烈な人とは異なる逸脱感に息を飲んだ。

右手を柄に掛け、ゆっくりと抜刀する。彼の瞳と同じ、光を翡翠色に反射する冷たい光が露わになった。

一閃。

「やめて!」

声を上げたのはステラだった。手を振り払われ、ロハネと男の間に割り込むように男の顔に覆い被さった。抜身の刀を振り上げたロハネの動きがピタリと止まる。

男はまだ泣いていた。殺されかけたにも関わらず。仰臥した状態で肩を揺らして嗚咽している。

「ダリィ。ダリィでしょ。ステラは分かるよ。ずっと一緒だもの」

ステラが男の顔に向かって懸命に呼びかける。涙に濡れた顔で、懸命に跳ねる息を抑えながら。

「痛かったね。もう泣かないで。ステラも泣かないから…」

ロハネは何も言わずに足を退け、カタナを鞘に収めた。硬く結んだ糸が解けるように、顔の装甲が剥がれ、粒になって消える。

「す、すてら、どうし、て」

手枷のついた大きな掌が、覆い被さったステラに触れた。

「本当に…ダリィなの…?」

どういうことだ。ダリィの面影は殆どない。それどころかどう考えても別人じゃないか。ダリィはステラの双子の兄だ。なのに目の前にいるのはアラムより手足が長くて大きい青年で、汚れたローブを被って、剰え手には枷がついていて罪人のようで。なのに。

アラムは駆け寄る。男の様子を観察する度に、金髪から覗く瞳の奥に、彼の意志を感じた。

「ダリィ、私が分かる?」

男は涙で滲んだ目でこちらを見ながら、ゆっくりと首を縦に振った。

「…おねぇちゃん」

確信する。彼は、ダリィだ。

見たと言ってもやはり目の焦点は合っていない。遠くを見ている。まさか、目が殆ど見えていないのか?

「どうしてこんな…一体あなたに何があったの」

男は上半身をゆっくりと起こした。やはりその動作にもパキパキと関節の空気が弾ける音が伴った。

「くろいてが、かべのなかで、ぼくを、ずっとずっと、まっくらで。なんねんも、なんじゅうねんも、おりのなかで、こわくて」

何十年?

ダリィが失踪したのはつい昨日の話なのに。

話している途中で、歯をガタガタと鳴らしながら頭を抱えて怯え始める。余程恐ろしい体験をした事が、恐怖が痛い程伝わって来る。

「ぼく、したから。にげてきた。そのときにかんじたにおいと、おんなじなんだ」

「匂い?」

男が震える手で指さしたのは、ロハネだった。

アラムとステラの視線がロハネに集まる。彼は心外そうに翡翠の目を丸めた。

「………」

アラムはロハネに銃口を向けていた。だが一体何を信じれば良いのかわからない。この男がダリィだというだけで何もかもが信じられない。だけど本当に彼が、ダリィをこんな姿にしたのなら引き金を引かなければならない。

男を見ていたロハネの焦点がアラムの銃口に重なる。彼は目を丸めたまま、銃口とアラムを交互に見た。

「…ロハネ。私はとても後悔している」

貴方に唆されたことが、一片でもその言葉を信じてしまったことが。

彼は何も喋らなかった。だが、その表情に徐々に平静が戻る。平静というより、どこか諦めたような表情にも見えた。

「私、貴方に聞いたよね。もう一度同じ質問をするわ。貴方は何者なの」

やはりこんな得体の知れない怪物、信じるべきじゃなかった。彼の存在が、私が今まで過ごしてきた日常を遥か遠くのものに感じさせる。これまでになかった非日常が目の前にある。

「聞いてるのよ!何か答えなさい!」

怒号が散乱した教会全体に響く。頭を支配するのは、強い怒り。大切な隣人を壊された怒り、双子を引き裂いた怒り。矛先の無かった怒りが全て、彼に集中するかのような。

ロハネは言い淀む。何か言いかけて、止める。だけど目は真っ直ぐアラムを見ていた。やがて彼は言葉を紡ぎ始める。

「認めざるを得ない」

ロハネは男の手枷を指さした。

「その手枷は確かに私と同じもので造られている。だがそれは私であって私ではない」

「…どういうこと」

「それはこの時代の私だが、同時に意思なき道具。漸く点が繋がった」

感じる。今ここで弾丸が切れるまで発砲した所で、この怪物を倒す事はできないのだと。

「ずっと考えていた。何故私がアルバートとたった二人残されたのかを。何故命が途絶えた世界で、人の形をした私が残されたのか」

彼は銃口を向けられているにも関わらず、ゆっくりと目を閉じた。


目蓋の裏側、脳裏に焼き付くように残っている光景がある。最も古い記憶の中にある、初めて目にしたアルバートの顔。

何もかもを掻き混ぜ、混沌とした記録が錯綜する頭でふと、明日の空模様を考えた時、己という意志が生まれた。私はそんなごく小さな認識から発生した。今尚もその痛みを忘れないくらいの、酷い頭痛を覚えていた。外から打ち付けられる痛みというより、脳髄が疼くような痛み。様々な音を掻き混ぜたような耳鳴り。耳なんて無い。頭もなければ心臓すら存在しない。そもそもその時は人間の形をしていなかった。だけど『私』の意思はしっかりと五感を()()()()()()胴体はこんな形で、五感を感じる口と鼻と耳と目と、四肢があって。髪もあったな。大きさはこれくらいかな。色は確か…

私の思考に従って黒い塵が蠢く。そうして形作られたものが、この人間を模した身体なのだ。

漸く目蓋を開けた時に映った、既視感のある人間の顔。私は物々しいポットの中で液体に浸かっていた。硝子の向こう側で人間が自分を睨んでいる。憎き怨敵を眼力で射殺さんとする眼のまま、涙をこぼしていたのをハッキリと覚えている。

今ならその理由が分かる。

「私が街を破壊したからだ。そしてそれは今、既に影で燻っている」

ゆっくりと目を開ければ、そこには驚愕に言葉を詰まらせるアラムの顔があった。

「それって…貴方…」

一つ間を置く。彼は他人事のように淡々と語った


「人の手で造られし無形の怪物。コードネーム『アヴェル』。最悪のシナリオへ導く兵器の名だ」



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