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ロストアンデルス  作者: 忠犬
13/17

12.幸運、とびきりの不運


「どこに行ったの。おにいちゃん…」

「泣かないでステラ。おにいちゃんは絶対帰って来るわ」

その翌日、アラムとロハネの姿はバザーにあった。

ここは売り上げで生計を立てている人々が寄り集う場所。ダスクの強襲があったとはいえ1日たりとも人が集わない日はない。瓦礫は道の端に避け、目立つ損壊のある店はありあわせの資材で補強されている。店の通りに入る前から人が資材運びでごった返し、昨日よりも賑やかな活気に満ちていた。

「強かだ」

穏やかな小鳥の鳴き声、浅い日差しに空に浮かぶ入道雲。彼はバザーの賑わいを見た時、一番に切り出した。商売に勤しむ商人の声を聞いてか、路地から資材を運ぶ人々の姿を見てかは分からない。壇上の移ろいを眺める観客のような言い草に対してアラムは「そうだね」と適当に相槌を打った。

アイアスに頼まれたのはダリィに関しての情報収集だった。

それだけではなく、母が出掛けて一人取り残されたダリィの双子の妹、ステラの面倒まで見ることになった。

元はアイアスの教会を訪ねてきたらしいのだが、あの牧師は日中留守にしている。一人教会に残すのも忍びないというので一旦アラムが預かることになってしまった。

全く、なんて母親なのだ。こんな時まで外出とは。あのダリィを心配していた顔も嘘だったとすら思える。どこまでも自分勝手で、怒る気にもならない。

私の母親を置いて一人呑気に街を出ていたどこかの誰かと同じで嫌気がさす。


ロハネはステラに驚く程無関心だった。ステラにはそんな彼が高圧的に見えるらしく、ずっとアラムのスカートを握って泣きながら俯いている。無理もない。

アラムはダリィの足跡を辿る為に朝のバザーで聞き込みをする事にした。常駐していた店主達なら何か知っているだろうと思った。別にロハネを連れて来る意味は無いが、本人が同伴したいと言い出したので連れて来てしまった。特に何も言わなかったので彼はカタナを帯刀してきてしまったが、黙っていれば反りのある杖のような造形をしているから問題ないだろう。

一度は周囲の眼を危惧したが、実際ロハネはバザーの人や少尉の目に触れても何も言われなかった。

アイアスの言い方から察するに、一夜明けた現在でも列車強襲犯の顔は割れていないようだ。だって人相を特定しているなら中佐が知らないのは流石におかしい。騒ぎを起こしておきながら、そして大総統補佐官までいながら列車にいた全員がロハネの顔を見ていないという事になるのだろうか。

車内で顔を隠していたのか?仮に出来たとしてもそんな器用な真似を思い付く奴には見えないけど。


まぁ、考えはしようと当人に追求する程の興味はない。

「おはようボガートおじさん」

家からバザーの通りに出る道の丁度真横にある、魚売りのおじさんの店。幸いにも店は瓦礫を免れて無事だったようだ。店の前に立っていたボガートはアラムの顔を見るなり髭を釣り上げてニカっと笑った。

「やぁ!おはようアラム!今日は随分とお連れさんが多いね」

ボガートは一番にアラムの背後にいるロハネを見た。

「そう」

「中尉に継ぐお供かい?」

「うん」

説明が面倒だ。そういう事にしておこう。

「おはようステラ。可愛い顔が台無しだよ。君の笑顔は花のように愛らしいのに」

ボガートは涙目のステラの前にしゃがみ込み、ステラの頭をわしゃわしゃと撫でた。ステラは涙目のまま、甘えるようにボガートの腕に手を添える。

「ほら軍人さん。ステラは撫でられるのが好きなんだ。アンタも撫でてやってくれ」

ロハネはボガートに向けられた人懐っこい笑顔に狼狽を隠せないでいる。アイウェアの奥の目を泳がせた後に困ったようにこちらを見てくる。何で付いてきたのよ。

店の品揃えはいつもよりも良くなっていた。アラムが目を向けた所で、何か切り出すよりも早くボガートがステラをあやしながら言う。

「大漁だろう?皆昨日から修繕に働き詰めだからね。息子が一肌脱いでくれたんだ」

店の奥を指さした。奥では日に焼けた青年が泥のように机に突っ伏している。顔は腕に隠れて見えないが、海藻のように癖のある短い金髪が特徴的だ。彼が日も登らない内から漁に勤しんでくれたのだろう。

あの状態を見るに、店に着いた途端に寝てしまった訳か。

「そういう訳でワシも妻と張り切って作ったんだ。どうだい?これなんて今朝一番の出来だ。持っていってくれ」

棚に手を伸ばし、差し出されたのはサーモンの切り身とオリーヴ、スパイスの詰められた瓶詰。いつかサーモンの瓶詰が好きだと言ったことをまだ覚えていてくれたのだろう。否応も聞かずに紙袋に詰めて差し出される。相手の釣り上がった髭を見て思わず顔が綻んだ。

「ありがとう。確か200リンよね?」

リンは、アルタマイルの通貨。私が鞄から財布を取り出そうと手を突っ込んだ所で、ボガートはアラムに右掌を見せた。

「お代はいらないよ。昨日怪我人を診てくれたんだろう?それに、いつもウチを贔屓にしてくれているからね。お礼だと思って貰ってくれ」

「いいの?」

ボガートは目を細めて深く頷いた。感謝を言いつつ紙袋を両手で受け取る。

「おじさん。おにいちゃんがいなくなっちゃったの」

「ダリィが?」

潤んだ目で見上げるステラの視線に、目を丸くして顎髭を掻く。

「そういや客足が落ち着いた頃にこの前を通ったな」

「それってダスクが襲ってくる前?」

口を挟むと、ボガートは深く頷きながら言った。

「そうだねぇ。ダリィが一人で歩いてるなんて珍しいから声を掛けたんだ。そしたらニコニコ可愛い笑顔で、アラムにお礼を言いに行く、なんて言ってね」

「ここの道を通ったってこと?」

来た道を指差したら、ボガートはもう一度深く頷いて見せた。

ダリィはアラムの家に来ようとしていた。その時間帯、アラムがロハネに事情を聞いていた頃だ。それも、ボガートが見たのはダスクの強襲があった前。対してアラムは爆発音が聞こえるまでずっと家にいた。

この角を曲がったところでどこかへいなくなってしまったということになる。ダリィはアラムの家を知っていた筈だし、先週だって家に来ていた。迷子になるはずがない。

「ありがとう、助かったわ」

「いいってことよ。お仕事頑張ってね」

じゃあね、ステラ。と、ボガートはステラに再度視線を合わせて手を振る。ステラもその笑顔を見て少し涙を落ち着かせ、手を振り返した。


来た道を引き返す。日の光が両側の建物で塞がれた所で、アラムの表情は曇った。

いよいよきな臭くなってきた。手を握り締めるステラの小さな掌が熱い。

「何か手掛かりでも残っていればいいんだけど」

靴や誘拐の痕跡なんて残っていないだろうか、と思って辺りを見回す。お礼を言いに来ただけならきっと何も持っていなかっただろうが、今のままでは推察するにも情報が少ない。

俯いて道をくまなく見渡せど、それらしきものは見当たらない。ダメ元でダリィの名を何度か呼んでみるも、返事があるはずがない。

「確かにここを通ったのか」

今まで黙ってついてきていたロハネが話を切り出す。彼の声に大袈裟なまでにステラの肩が跳ねた。そんなに怖いか。

「おじさんが道に入ったのを見てるんだもの。ここで何かあった筈よ」

「正確な時刻は」

「なに?」

不自然な問い掛けに思わず眉を顰める。

「私がバザーに行ったのが昨日の7時半ぐらいで、貴方を拾って帰ったのが8時ぐらいかしら」

「昨日8時以降」

ロハネはしゃがみ込み、地面に触れた。

「限定的な時間を再演する事ならできる」

再演?

私が聞き返す間も惜しく、彼は持っていたカタナの鐺を地面に突き立てた。

「アカシアの眼を起動する」

彼のアイウェアに走り描いたような紋が浮かんだ。その光は瞬く間に彼の腕を伝い、カタナを覆う。コゼットとアラムに未来を見せたあの時と同じだ。

その鐺を中心に波紋が広がり、星屑のような弱々しい光の粒が辺りを漂い始めた。

星屑が集まり、徐々に人の形を作る。顔立ちが分かるほどの精巧な作りではなかったが、背丈や挙動からダリィを連想させる動き方をしていた。

星屑で出来たダリィは歩みを止めていた。私の家の方向ではなく、ずっと不自然に路地を眺めている。

その方向にあるのはロハネがいた袋小路だ。土地勘のあるダリィなら何もないことくらい分かっているはず。

突然だった。

ダリィが見つめていた路地の方から、無数の腕が伸びてきた。

腕は瞬く間に驚きで固まるダリィを絡み取り、強引に路地の方向に引っ張っていく。

「なっ…!!」

星屑の幻影だと分かってはいたものの、思わず手を伸ばしてしまった。アラムの手は星屑で出来た腕をすり抜け、幻影は無数の腕に絡み付かれた形を保ったまま路地の方へと消えた。

「なんで…!」

アラムはロハネを置いて路地へと走った。その先には冷たい壁に囲まれた行き止まりがあるだけだった。ロハネがいた時と同じ、冷たくて暗い建物の隙間。

「………」

何だ。私は何を見せられたのだ。

ダスクではなかった。ダリィを引っ張っていたのは確かに長い人の腕の形をしていた。それも一本や二本ではない。数えきれないような数の気味が悪い数の腕。

「すごーい!」

途方に暮れていた時、背後からロハネがやってきた。アイウェアの紋は消え、いつもと変わらない表情をしている。

ステラには先程の無数の光が織りなした幻影の全貌までは見えなかったのだろう。ロハネが見せたトリックに目をキラキラと輝かせ、先程とは一転して彼に引っ付いている。

行き場のない感情を覚えた。

「…ここって、貴方がいた場所でしょ」

「そうだ」

頭が徐々に冷静さを失う。振り返る。その涼しげな顔をした胸倉を掴んでやりたい気分だったが、ステラがいる。小さな女の子を不安にさせてはいけないと、理性が先行する。まじまじとアイウェア越しの瞳を見据える。

「ねぇ、何か知っているんじゃないの?」

目は嘘をつかない。だが、アラムが見据えた表情には驚きすら映っていなかった。どこまでも冷淡に、どこまでも無表情で。

「分からない」

欺瞞、疾しさ、下心、隠し事

真っ直ぐに見つめ返してくる瞳にはそんなもの一切ない。目で分かる。何も知らないのだ。彼は。

仮に関与していたとしても、こんな幻影をアラムに見せるメリットがない。

ただ、ここであった真実を再現しただけなのだろう。沈黙が流れる。大きな溜息をついた時だった。


「もし、そこの御仁…」

唐突に後ろから声を投げ掛けられた。語尾が消え入りそうな音だった。

聞き慣れない呼び方に振り向くと、そこには二人の男女がいた。二人に気付いたステラがロハネの背後に隠れる。

青年成女と呼ぶには幼さの残る顔をしている。アラムより少し年上くらいだろうか。二人はこの辺りでは見慣れない服を着ていた。袖口の広い裾、履き潰しかけの足袋に土で汚れた袴。手には皮のアタッシュケースを持っている。ここより遥か東にあるニザン特有の着物だ。

「な、何か水をさしてしまったかな。申し訳ない。この辺りでは珍しいものを持っていた故、つい後をつけてしまった」

青年が目を伏せた所で、アラムは思わず「もの?」と復唱してしまう。伏せ気味だった青年の目が真っ直ぐアラムを見た。

「左様。それは刀であろう?」

青年はロハネの左手に握られたカタナを指差した。確かにその通りだけど、なぜ分かったのだろう。

「やや珍しき造形だが、其方の持ち方や反りの形状からしても間違いなく刀だ。郷土のものを見えるとは幸運だ!もしや、其方は郷を同じくする同士か⁉︎」

興奮気味に喋る青年に対し、「ナオト」と、肩を叩いて諫める右後方の女性。初対面の相手に人懐っこく喋る青年に反して、彼女は先程からこちらを訝しげに観察している。

アラムはロハネに視線を向けたが、彼は質問に対して首を横に振った。そこで青年ははっと我に帰ったようで、一呼吸置いてから続けた。

「失礼、此方はナオト・イセイと申す。隣の彼女はナギサ・ハルミネ。故あってこのアルタマイルに観光に来た者だ」

アッシュ色の髪に空のように蒼い瞳の青年…ナオトは、深く一礼をした。後方の女性も一つ間を置いてお辞儀をする。

「初めまして。私はアラムで、こっちはロハネとステラよ。観光に来たにしては、随分と粗末な服装に見えるけど?」

ナオトは恥ずかしげに後髪を掻きながら言う。

「やや、まだ到着して四半刻も経っておらなんだ。まずは換金からせねばな!」

「換金?」

「左様。ニザンから僅かばかり金を持って来たのだ。どこか買い取って貰える店を教えて頂けると有り難いのだが」

「あー…」と、アラムは言葉を濁す。そうだ、確かニザンでは金鉱は非常に価値の高い鉱石だ。だが、アルタマイルの建造物や歴史は魔石で発展したルーツがある。鉱石の需要は薄い。

「悪いけど、この都市では一握りの金鉱なんて宿賃一泊分程度にしかならないわ」

「な、なんと!?ニザンでは土地が買える値もつくというのに!」

鎖国された場所でさえなければ貿易で大儲けだろうな、だなんて頭の片隅で思いつつ。

「ううむ…参ったな…これでは衣服も買えぬな。ははは」

頰を掻いて笑ってる場合か。呑気な口調だったが、それは結構死活問題なのではないか。

「…もしかして、その重そうなアタッシュケースの中身は全部金なの?」

「うん?あぁ、いや…全部というわけでは」

胸の前で横に振った掌は豆だらけだ。出来ては潰れてを繰り返し、岩のように分厚く、硬くなった掌。青年の爽やかな顔とは些かアンバランスだ。恐らくはケースを持つ掌も。

余程重いケースを交互に持ち替えて歩き続けたのだろう。何やら彼等には事情がありそうな気がする。


まず背景として、この街にはニザンから亡命して来た人が珍しくない程度にいる。大尉のアヤトや諜報員のクガセがそれだ。ニザンの社会情勢については混乱した内戦国である事以外あまり分からない。何せあの海に浮かぶ孤島は鎖国していて他の干渉を拒んでいる。ニザン都市内部がどうなっているかなど純粋に興味がないため人に聞いたことがないし、そもそもこの国にいる二ザン人はアルタマイル生まれのニューエイジが殆どだ。

と、そこで、ぐぅ、とお腹の鳴る音がした。

ナオトが目を少し丸めて振り向く。彼の背に隠れるようにしていた女性はお腹をおさえて熟れた林檎のように顔を真っ赤にした。

「済まないなナギサ。昨日から何も食べずに歩き詰めだったからな…」

「な、ナオトこそ…」

ナオトは振り返り、アラム達に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、彼女に耳打ちした。

「街に着いたら旨いものを食わせたかったのだが、約束を守れそうになくて済まない」

その様子を見ていたアラムは下げていた鞄から硬貨を一つ取り出し、ナオトに硬貨と先程ボガートに分けて貰った紙袋を差し出した。

「これ、私のイチオシ。サーモンとオリーヴの瓶詰。そのまま食べても美味しいけど、パンに乗せるともっと美味しいの。そこの道を曲がってバザーに出たらパン屋さんが数件あるから、この硬貨で好きなパンを買って食べて」

「えっ」と、ナオトとナギサと呼ばれた女性は瞠目した。

「ほ、本当に良いのだろうか」

アラムは深く肯く。

「無一文なんでしょう?腹が減っては戦ができない、って、ニザンの諺よね。遠慮しないで。ちょっとした歓迎よ」

「歓…?」

差し出したものを控え目に受け取るナオトに対して、アラムは微笑んでみせた。

「ようこそ、アルタマイルへ」

「ようこそ」と、ロハネの影に隠れていたステラもアラムの言葉を復唱した。悪い人達ではないとステラも気付いたようだ。

その言葉を聞いた二人は、一つ深呼吸をした後に深く頭を下げた。

「かたじけない。この恩は必ずお返しする」

うんうん、と、アラムは頷きながら賑やかな喧騒が聞こえる方向を指差す。

「バザーはあっちよ。私達はここで用事があるから、気にせず行って頂戴」

そこでわざとらしくロハネの腕に自分の腕を絡めて見せた。ロハネと東洋の客人達はぎょっ、と肩をいからせる。

「か、重ね重ね失礼した!では、また縁があれば再び会いましょうぞ、優しき恩人よ」

ナオト達はまたも一礼して、そそくさと道を引き返す。この短い間に何度彼は頭を下げただろう。ニザンの礼や作法だろうか?腰が低いな、と思う。

ナオトとナギサの姿が見えなくなったところで、アラムは腕を振り払った。同時に振り払われた。部外者を遠ざける演技のつもりだったが、この沈黙と空気が微妙に痛い。

「不明。悪寒を覚えた」

「私もよ」

「ねーねー。なんの用事?」

その時、ふと鞄から音が鳴り響いた。リンクトークンが共鳴している音だ。鞄から取り出したトークンはマークに登録した色に光っている。操作して耳元に当てる。

「なに」

『アラム、大変なんだ』

声はやはりマークだった。声色は興奮を抑えて喋っている事が窺える。彼は今城の中にいるのだろう。


『列車を襲撃した犯人の顔が割れた』

「は…?なんですって」

『本当なんだ。補佐官からの伝書が既に回ってる。君が今、彼と同行しているのは危険過ぎる』

そうか、昨日ラジオで言っていた。凍らせる才能を持つのは補佐官だとも知っていた。何故今まで考慮しなかったのだ。補佐官がロハネの顔を見ている可能性を!

どうしよう

どうするべきだ。

ロハネをどこかに隠しておくべきか。いや、彼を一人隠した所で見つかってしまう。街の中には四六時中、ハインツのような巡回兵が見回っている。そうでなくとも既にハインツがロハネの顔を知っている。見つかってしまうのも時間の問題。

『アラム、中佐に替わるぞ』

吃るあまり相槌を忘れてしまった。が、程なくして『聞こえるかい』と、優しい声が響いた。アイアスの声だ。

「アイアス、どうすればいい」

本当はこんな聞き方したくない。こんな丸投げな聞き方は嫌いだ。なのに見つかって罪人にされる未来を考えると頭が真っ白になってしまう。覚悟はしていたつもりだが、いざそれが目の前の事実になるかもしれないと思うとつくづく自分の思考の甘さを痛感する。

『落ち着いて聞いてくれ。確かにこちらでも伝書は受け取ったんだが、どうもおかしい』

「おかしいって…何が?」

通話越しに紙がひらめく音がした。まさに今、アイアスは伝書を手に持っているのだろう。

『記された特徴さ。背丈は170半ば程というのはまだしも、赤いゴーグルに金髪。粗末なローブに両手には千切れた枷を嵌めているとある。ご丁寧に人相まで添えられてね。君が昨夜連れて来た彼とどこも一致しない』

言葉が出ない。どういうことだ?確かに列車を襲撃したのはロハネの筈だ。だって見つけた時の彼には確かに補佐官のセンテンスである氷の華がまとわり付いていたし本人もオズバーンの顔を見ている。

『伝書自体は正式な場所からのものだ。何せ補佐官のサインが付いている』

「な、ん」

訳がわからない。頭が混乱する。

『アラム、私は君を信じている。補佐官だって信じてるんだ。彼女は適当な仕事をする人じゃない』

アイアスは一呼吸置いた。

『埋葬された死者の件にしても今にしても、最近は異常なことが多い。…いや、違う。未来の来訪者を布石に、この街の異質さに私達が気付き始めているだけなのかもしれない。…私はこちらで手配書を作った人を調べてみる』

上層にロハネの替わりに列車を襲撃したとされている人物は一体誰なのだろう?ゴーグルに金髪の指名手配犯なんて心当たりがなければ当てもない。

「ただ、君が彼を連れている以上、処遇についての追記がない今は下手に動かない方がいい。ひとまず私の教会で人目を避けなさい。鍵は開けてある』

アイアスは一呼吸置いてから続けた。

『いいかい。怯える必要はない。仮にこれが間違った情報だと気付かれても、彼が誰も殺していないのは補佐官も知ってる』

アイアスに会ったときを思い出す。こういう物言いを酷く不快に感じた記憶がある。気丈に振る舞おうと、強がろうと、或いは他者を傷付けてしまおうと。奥底にある感情を全て見透かされているような。

だが今は、彼が心から私を信じて、味方になってくれていることや経験の無さから来る不安の穴を埋めてくれることを何よりも心強いと感じた。

「…うん。ありがとう」

『私はこれから召喚に応じねば。また何か動きがあればすぐに連絡するよ』

「分かった。待ってる」

短く告げて通信を切ると同時にステラの手首を取って走り出す。初めは唐突の事態に足を縺れさせていたが、すぐに歩調を合わせて走ってくれた。ロハネは勝手に後ろからついてくる。

「どこに向かう」

「昨日の教会よ。貴方の顔が上層に伝わってしまったかもしれない」

人目を避ける裏道なら太い道を通るよりも近道を知っている。加えて歩いて15分ほどの道のりだ。走れば10分とかからない筈。

「教会」

突如後ろから足を救い上げられて変な声が出た。あろうことか、彼は持っていたカタナを帯刀し、アラムとステラを抱えて走り出したのだ。

抗議に声を張り上げようと思ったが、その走りはアラムが先行して走るより何倍も早く地を駆け抜けた。

「掴まれ」

アラムが思い描いていた近道を知っている。辿ろうとしていた道を、まるで頭の中を覗かれているかのように駆け抜ける。それだけではなく、彼は高い壁や障害物さえ人を抱えた状態で易々と飛び越えて見せた。教会まで一直線。ダストボックスも、網が貼られた道さえ越えて。

人の跳躍力や反射神経では不可能な速度を肌で実感する。建物の谷間に吹き抜ける風にでもなったようで、ステラはロハネの首に抱きつきながら大興奮していた。不思議な事に、落下と着地の衝撃をあまり感じなかった。流動体の体を持つ彼が、意図的に私達に伝わる衝撃を吸収しているのだと感じた。

あっという間に、目の前には教会が見える。門前で降ろされた所で、ステラはロハネに「もう一回!」とねだって彼を困らせている。

そんな二人を尻目に、アラムは教会の扉に手を伸ばした。

「え…?」

扉は半開きだった。しかも取手が両方壊れている。強引な力で外から引いたように。

閂は壊れていない。戸が空いているにも関わらず壊されたのだ。嫌な予感を感じつつも、アラムはゆっくりと扉を開けた。教会の中は天窓から差し込む光で明るい。奥の祭壇の前で一人、組んだ両掌を掲げながら跪く灰色のローブが見えた。

「かみさま……かみさま…」

震えた声。叫び過ぎて嗄れたようにも聞こえる。掲げた両掌からはジャラリと鎖が垂れていた。

てっきり既に先回りした兵士が待ち伏せしているのかと思った。だが、これはそれよりも更に最悪な状況にあるのは直感で理解した。

アイアスの言葉を思い出す。襲撃犯として周知されている特徴。粗末なローブに両腕の黒い手枷。

祭壇の前にいる人影がゆっくりと立ち上がる。錆びた機械が動くかのようにゆっくりと。深く被ったローブから覗く金髪。割れた赤ゴーグルを首にかけている。

静かな教会にパキパキと軽い音が谺す。関節の空気が弾ける音だ。ローブ姿の男がゆっくりと状態を起こすたびに聞こえる。猫背姿でこちらを睨んでくる。金髪から覗くのは、燻んだ赤い瞳。こちらを威嚇するかのように歯を剥き出しにしている。ギザギザと、まるで鮫のような鋭い牙。その異様な佇まいは、ローブ姿の男が魑魅魍魎に似た類だと察するに余りある。

「その、におい」

瞳は、酷く怯えていた。男は震える手でこちらをゆっくりと指差した。関節の空気が弾ける音。指先が震えているせいでアラムとロハネのどちらを指差しているのかは分からない。

「お、おまえ…おまえぇえええ!!」

男は、急に襲いかかってきた。

今までの動きを一蹴する速度で、素早く地を蹴って弾丸のように、こちらに飛び込んでくる。

飛びかかってくる男とアラムの間にロハネが割り込む。彼は男が繰り出した右拳を左手に持ったカタナの頭で突き、怯んだ男の胴に間髪入れず蹴りを入れた。

洗練された動きだった。突如襲いかかってきた敵に対して焦燥が無ければ躊躇もない。熱いものに触れて手が引っ込むぐらいの反射速度で、ロハネは男に迎撃して見せたのだ。

呻き声を絞り出し、整頓された長椅子を薙ぎ倒しながら倒れ伏す男。長椅子に掛けられた硝子の花瓶が派手な音を立てて割れた。

音に怯みながら、ステラが腰に抱きついてきた。アラムはステラを守るように引き寄せる。

今の状況、アイアスが見たらさぞ嘆くだろうな、とは頭の片隅で思いつつ、眼前の男を教会の外に出してはいけないとも強く思った。詳細は分からないが、この男はロハネに代わって指名手配されている男でまず間違いない。そんな者をみすみす逃した方が危険だ。

これは思わぬ幸か、不幸か。

アラムは汗を握りながら、一歩引いた。

「…ロハネ、あいつを教会の外に出さないで」

うるるるる、と鳴きながら、崩れた長椅子から這い出てくる男。燻んだ目でロハネを睨みつけている。

応じるかのように、アイウェアの奥の瞳は真っ直ぐに男を見据えた。

「善処する」

再び正面から、男が襲いかかってきた。

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