第二話:森のざわめきと、絶望の爪牙
パーティーを追放されたその足で、俺は冒険者ギルドへと向かった。 カウンターの受付嬢から差し出されたのは、薬草採取や小型魔獣の駆除といった、文字通りの「底辺の依頼書」の束だった。どれもこれも、英雄気取りの元パーティーメンバーが見たら鼻で笑うような、日銭稼ぎにもならないようなものばかりだ。
「……これしかなさそうだな」
選り好みをしている余裕などない。所持金はわずかばかりの銀貨一枚と銅貨数枚。今日の宿代と明日の食費を稼がなければ、本当に野垂れ死にだ。 俺は比較的安全とされる周辺の森の「討伐兼素材採取」の依頼を一枚引き受け、ギルドを後にした。
背中には愛用の大楯。 ずっしりと重い鉄の塊が、今の俺の境遇の重さをそのまま表しているようだった。 「不遇スキル」「足手まとい」「荷物持ち」――酒場で浴びせられた言葉が、冷たい風と共に脳裏をかすめる。悔しさがこみ上げてはきたが、ぐっと奥歯を噛み締めてそれを飲み込んだ。愚痴をこぼしたところで、誰も助けてはくれない。生き残るためには、この不格好な大楯にしがみつくしかなかった。
やがて、町の外れにあるうっそうとした森の入口にたどり着いた。 木々が鬱蒼と生い茂り、昼間であっても薄暗い。周囲からは小鳥のさえずりではなく、どこか不気味な獣の気配が漂ってくる。 ――気を引き締めろ。ここからは一人だ。
警戒を怠りながら、草木を踏み分け、依頼の目印となる薬草を探して奥へと進んでいく。 最初のうちは静かなものだった。時折、ウサギに似た小型の魔獣が足元を走り抜ける程度で、これなら簡単な依頼というのも頷けると感じていた。
しかし、森の奥へ進むにつれて、妙な違和感が背筋を駆け抜けた。 ――静かすぎる。 さっきまで聞こえていた小鳥の声や風のざわめきが、ぴたりと止んでいる。まるで、巨大な何かが周囲の気配をすべて押しつぶしているかのように。
「っ……ななんだ?」
嫌な予感がして、足を止めた。 その瞬間。
ガサリ……!
頭上の木立が激しく揺れ、不気味な唸り声が響いた。 次の瞬間、空気を切り裂くような重い風圧とともに、頭上から巨大な影が降ってきた。
ドッ!!!
大地が大きく揺れ、砂煙が舞う。 俺は反射的に持っていた大楯を前方へと構え、身を低くした。 砂煙が晴れ、目の前に姿を現したその巨体に、俺の血の気が一気に引いた。
「……嘘だろ……」
そこにいたのは、クマに似ていながら、およそ常軌を逸した姿をした魔獣だった。 いや、違う。前足が――4本ある。 通常の2本に加え、その胸元からさらに禍々しい2本の腕が生え、それぞれの先端には鋭く光る漆黒の鉤爪が備わっていた。全身を覆う剛毛は鉄のように逆立ち、赤い目は殺意に満ちて俺を射抜いている。
ドゥーム・グリズリーの亜種か、あるいはそれ以上の危険種。 森の簡単な討伐依頼なんてレベルじゃない。これは、本来なら中位以上のパーティーが慎重に挑むべき上位の魔獣だ。
グルルル……ッ!
魔獣が低い威嚇の声を漏らしたかと思うと、その巨体が弾かれたように突進してきた。 速い。巨体に似合わず、目にも留まらぬスピードだ。
「くっ……!」
来る! 咄嗟に大楯を構え、全身の力を込めて踏ん張る。 ガツン、と凄まじい衝撃が両腕を伝わり、骨が軋む音がした。衝撃のあまり足元の土がえぐれ、俺の身体は後方へと大きく押し戻される。 『シールドバッシュ』の自動的な防御判定が働き、どうにか直撃だけは防いだ。しかし、ただの受け止めでは魔獣の勢いを殺しきれない。4本の前足から繰り出される猛攻は、まるで鉄槌のように次々と大楯を打ち据える。
ガン! ガァンッ!
衝撃の度に内臓がひっくり返りそうになり、口の中が生臭い鉄の味で満たされた。 ――守るだけじゃダメだ。押し返さなきゃ、いつかこの楯ごと押し潰される!
「うおおおおっ!」
必死の思いで『シールドバッシュ』を発動し、相手の巨体を押し返そうと力を込める。 しかし、相手は格上の上位魔獣。俺の矮小な力など、大河の逆流に木の棒を突っ込むようなものだった。 4本の腕から放たれる凄まじいラッシュの前に、俺の足元は崩れ、ついに膝をついてしまう。大楯の表面には深く生々しい爪痕が刻まれ、すでに限界を迎えようとしていた。
冷たい汗が額を伝い、視界がチカチカと明滅する。 (……ここまでか?) 脳裏によぎるのは、理不尽に会社から駅のホームへと放り出され、あっけなく命を落としたあの日のこと。そして、この世界でもまた、ろくな実力も発揮できずに、誰にも知られずこんな泥まみれの森で犬死にするのかという、どうしようもない絶望感。
「また誰にも知られずに、こんな場所で死ぬのか……?」
悔しさが、怒りが、心の底から沸騰するように湧き上がってくる。 泥臭く生き延びて、あいつらを見返してやりたかった。こんなところで、名もなきモブとして消え去るなんて、絶対に、絶対に御免だ。
――死んでたまるか!!
俺の魂の叫びに呼応するように、世界が、そして俺の魂が変質した。 その時、頭の奥底に、冷徹でありながらも確かな、神のそれとも世界のそれともつかない声が響き渡った。
『――スキル「逆境の守護」を獲得しました』
その刹那。 世界の色が変わり、音か消え、俺の全感覚が極限まで研ぎ澄まされた。 驚異的なまでに広がる視野の中、あれほど圧倒的だった魔獣の動きが、まるでスローモーションのように鮮明に捉えられていく。
――見える。ここだ、次の攻撃の隙は……ッ!




