第2話 やらせねえよ?(焦)
広間には、殺された龍二の恋人・京香さんのすすり泣く声と、風の音、その風に乗って窓を叩く雨音だけが響いていた。
自分のスマートフォンで警察への電話を終えた女将・磯部文代さんが、青ざめた顔で言った。
「警察の方がおっしゃるには、今夜中に島へ来るのは難しいそうです。嵐が収まり次第、船を出すと……」
つまり、早くても明日の朝までは、殺人犯と同じ島で過ごさなければならない。
しかも、この島には宿以外の建物がない。
もともとは大企業が保養所として所有していた無人島で、バブル崩壊後に長らく放置されていた施設を、今の主人が買い取ったらしい。夏の間だけ民宿として営業し、客の送迎も主人が自分の船で行っている。
昨日ここへ到着したときは、ずいぶん贅沢な隠れ家だと思ったのに、今となってはあまりにも見事なクローズド・サークルだ。不動産というものは、天候と死体一つでここまで印象が変わるらしい。
「光一……」
名前を呼ばれ、俺は広間の反対側へ目を向けた。友人の佑梨が、不安そうな顔でこちらを見ている。
肩まで伸びた髪を耳にかけながら、胸元で両手を握りしめていた。顔色は悪い。それでも先ほどまで、恋人の遺体から離れようとしない京香さんの背中をさすり、懸命に声をかけていた。
こういうときでも他人を気遣えるのが、佑梨という女の子だ。あと、なんといっても顔が可愛い。しかもまあ、その、大きい。何がって?いや察して。
下衆な考えと言われるかもしれないけど、大学生の恋愛にそういう要素はあってしかるべきでしょう。
そう、佑梨は俺が密かに想いを寄せている相手でもある。
「とりあえず、俺たちは離れない方がいいよな」
剛が低い声で言った。
俺とは大学に入ってからの付き合いで、背が高く、体格もいい。身長が160cm前半の俺はできれば隣に並ぶことは避けたいくらいだ。
黙っていれば頼りになりそうな男だが、思ったことを五秒以内に口へ出す困った一面もあるので、揉め事を起こすことが多いのが玉に瑕。
剛の隣には、茜が寄り添っている。
「うん……剛も、どこにも行かないでね」
「行かねえよ。大丈夫だから」
そう言って、剛は茜の肩を軽く抱いた。
なんだ、お前ら。人が死んでいる横で、自然な流れでいい感じになるな。
前々から、まあそうだよな?クソが!とは思っていたが、どうやらこの旅行中に何かしらの進展があったらしい。クソが!
一方、俺と佑梨の間には人ひとり分以上の距離が空いている。世の中は不公平である。
「部屋に戻った方がよくない?」
茜が周囲を気にしながら、小声で言った。
「四人で一つの部屋に集まって、鍵をかけてさ。朝まで誰も出ないようにすれば……」
「俺もそれがいいと思う」
俺は即座に同意した。
犯人は宿の主人、磯部寛治。
クローズド・サークルの殺人事件も、犯人が分かっているなら、対処は難しくない。
俺たち四人で部屋に籠もり、扉の前に家具でも置いておけばいい。寛治が何を言っても外へ出ず、嵐が過ぎるまでやり過ごす。
朝になって警察が来たら、それとなく寛治を調べるよう誘導する。別に俺が事件を解決する必要などない。名探偵でもなければ、正義の味方でもないのだ。殺人犯を捕まえるのは、税金から給料をもらっている警察の仕事である。
さて、念のため寛治が今後どう動くつもりなのかだけ確認しておこう。
俺は広間の隅に立つ寛治へ、再び意識を合わせた。
【夕食のとき、龍二と揉めていたあのガキは都合がいい】
揉めていた?
寛治の視線が、剛へ向けられる。そういえば、夕食の席で龍二が酔って茜に絡んだとき、剛が止めに入っていた。龍二がベロベロだったこともあり、二人は一触即発の状態になった。
最後には剛が、
「もう一度やったら、ぶっ殺すぞ」
などと、殺人事件が起きる直前には絶対に言ってはいけない台詞まで口にしている。あいつは普段から、思いついたことを五秒以内に口へ出す男なのだ。
【あの男の荷物から凶器が出れば、誰もが疑う】
は?
【あいつを放置しておくのは危険だからと、一人だけ別室に閉じ込めるよう誘導する。あとは夜中に殺して、龍二を殺した罪に耐えきれず自殺したことにすればいい】
おいおい。ちょっと待て。
俺は剛を見た。
事情を知らない本人は、もはや茜を抱きしめて、その茶色い髪を優しくなでなでしている。
いや、お前このままだと死ぬぞ?
【だが、あの男に罪を着せるのが難しそうなら、別の奴でも構わない】
寛治の視線が動いた。剛の隣にいる茜を通り過ぎ、その先の佑梨で止まる。
【女のどちらかを犯人に仕立ててもいいな。最後に殺して自殺したことにするなら、力の弱い女の方が楽そうだ】
俺の中で、朝まで部屋に籠もる計画が音を立てて崩れた。
まじかよ。剛に罪をなすりつけるだけでなく、殺すつもりらしい。しかも、茜や佑梨にまで魔の手が迫る可能性がある。
っていうか、俺が候補じゃないのはなんで?いや、助かるけど。
【あのチビガキでもいいな】
しっかり候補だった。っていうかチビガキって言うな、殺すぞてめー。
……いやはや、このまま四人で部屋へ戻っても、安心はできない。
寛治は宿の主だ。合鍵を持っているだろうし、建物の構造も熟知している。電気を落とすことだってできるかもしれないし、ボヤ騒ぎでも起こして部屋から出すこともできるだろう。
何より、剛の荷物から凶器が発見されれば、周囲は俺たちより寛治の言葉を信じるかもしれない。それでも俺たちが剛を庇えば、共犯者扱いされる可能性だってある。
だめだ。朝までやり過ごすだけでは、全員を守れない。
今、この場で寛治が犯人だと暴くしかない。
そして、広間にいる全員を納得させ、協力して朝まで寛治を拘束する。
それしかない。
めんどくせえ。
なぜ俺が、夏休みの旅行先で殺人事件を解決しなければならないのか。
だが、友人を殺させるわけにはいかない。ましてや佑梨に何かあったら――。
俺は寛治から視線を外し、佑梨を見る。彼女は不安そうに、俺たち三人の顔を順番に見つめていた。
絶対に駄目だ。
何としても、寛治をここで止める。
ただし、俺には一つ、非常に厄介な問題がある。
俺の能力「思考盗聴」は、一日に一度しか発動できない。
一度発動すれば、そこから一時間だけ他人の心を読むことができる。同時に複数の人の心を読むことはできないが、時間内なら何度でも対象を切り替えられる。
まあ、便利な能力だろう。なにより名前がいい。(命名は俺です。)
問題は、能力を使った後だ。
俺に心を読まれた人間が、その時点から二十四時間以内に、俺が他人の心を読める可能性を意識し、それを俺に向けて言葉にすると――俺は死ぬ。
冗談でも、疑問形でも、比喩でも駄目。
「心でも読んだのか?」
その程度の軽口で即死である。
つまり現在、この広間には京香さん、実子ちゃん、文代さん、そして寛治という、俺を一言で殺せる人間が四人もいる。
一瞬使ったことを後悔したけど、目の前で殺人事件が起きて、犯人が同じ建物にいる可能性が高いのだ。使わない方が怖いだろう。まさか、その犯人を俺自身が追い詰める羽目になるとは思わなかっただけで。
さて、寛治を犯人だと暴くには、当然、証拠が必要になる。
何かないのか。俺は再び寛治の心へ意識を合わせた。
【ひとまず、凶器の包丁をあの男の鞄に忍ばせないとな】
寛治は、また剛を見た。反射的に俺も剛を見る。
俺たちの荷物は、当然俺たちの部屋にある。部屋の扉には鍵をかけてあるが、寛治がこの民宿のオーナーである以上、合鍵くらい持っているだろう。この混乱に乗じて広間を抜け出し、剛の鞄に包丁を忍ばせることはできてしまう。
やばい。そこまでさせてしまうと、かなり旗色が悪くなってしまう。
俺は左手首のスマートウォッチを確認した。能力を発動してから、すでに10分近くが経過している。
残り、およそ50分。急がなければならない。




