第57話 【変身】美容室という名の「聖域」でリビルド完了!
あれよあれよという間に時は過ぎ、いよいよ運命の日。
俺は午前中から予約していた美容室の前に立っていた。
ガラス越しに広がる洗練された空間と、明らかに“場慣れ”している人たち。
(……ドレスコードとか、ないよな?)
中を覗き、様子を伺う。美容室の放つ謎の結界が俺を阻んだ気がしたが、踏みとどまらずに前進する。
「……よし」
意を決してドアを開けると、カランと乾いた音が響いた。
「いらっしゃいませー!」
奥から現れたのは、小柄で可愛らしい女性だった。ふんわりとした髪型とは裏腹に、腰元のハサミ入れだけが妙に本格的だ。
「本日担当させていただく佐藤です。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくお願いします……」
屈託のない笑顔に、無駄のない立ち振る舞い。
俺は案内された席に、初めてのダンジョンに足を踏み入れた冒険者のように、ぎこちなく腰を下ろした。
鏡に映る自分は、服だけ新調した“昨日までの俺”。
彼女は髪の状態を確認しながら、いきなり核心を突いてきた。
「今日はどうしましょうか?」
いくつかの選択肢は浮かぶが、同時に強烈な自意識という名のノイズが走る。
(この顔でその注文、身の程知らずって思われないか?)
言葉が詰まる。
「……お任せ、で……」
逃げの一手。だが、佐藤さんは俺の表情を見て、ニヤリと笑った。
「……もしかして、今日デートですか?」
「!? い、いや、その、最近筋トレを始めて、たまたま……ジムのトレーナーさんと……趣味の話が合ってですね」
不意打ちに対し、“挙動不審の極み”を発動してしまった俺を見て、彼女はすべてを察して小さく頷いた。
「なるほど。じゃあ――“ちゃんと勝ちにいく髪型”、作りますね。任せてください!」
ニッと笑い、ガッツポーズを決めて見せた。そしてハサミを持った瞬間、彼女の纏う空気が変わり、プロの表情になる。
「普段は、どんな感じでした?」
彼女が手にする銀色のハサミは、さながら停滞した運命を切り裂く「魔道具」に見えた。
「えっと……短めに、くらいで……」
「なるほど。じゃあ今日は、少しだけ踏み込んでみてもいいですか?」
「……踏み込む、というと?」
一瞬の間。そして彼女は、さらっと言った。
「サイドをスッキリ刈り上げて、ツーブロック入れましょう」
(Two block!)
脳内に一筋の雷光が走る。
それ“選ばれし者の特権”じゃないのか。
(いやいや、俺にそれは――)
だが、ふと鏡を見る。
そこにいるのは、2ヶ月前とは明らかに違う、輪郭が見え始めた自分だ。
頬の肉が落ち、顎のラインがシャープになりつつある。
(……今なら、乗れるか。このビッグウェーブに)
腹を括った俺は短く答えた。
「……お願いします」
「了解です!」
バリカンの心地よい振動が頭蓋を揺らす。サイドの髪が容赦なく削がれていくが、不思議と心地いい。
無駄を削って、整える。やっていることは、ダイエットと同じだからだろうか。
彼女の手にしたハサミによって、不要な「過去の自分」が選別され、床に散らばっていく。
仕上げに、課長の助言通り眉も整えてもらい、
顔の“情報量”が整理された。
最後にスタイリング。彼女の指先が魔法をかけるようにワックスを馴染ませ、丁寧に髪を立ち上げていく。
「少しトップに高さを出すだけで、かなり印象が変わるんですよ」
そして、すべての工程が終わり――。
「……お疲れ様でした。どうですか?」
鏡を見た瞬間、言葉を失った。
そこにいたのは――“くたびれた中年”じゃない。
短く整えられた髪、引き締まって見える輪郭、そして整った眉。
皮肉にも、かつて「別世界の住人」だと距離を置いていた、仕事のできる男たちの空気を、少しだけ纏っていた。
「……これ、本当に俺ですか?」
思わず漏れる。佐藤さんは、軽く肩をすくめた。
「はい。八天さんの素材、ちゃんと活かしただけですよ」
店を出る。
風の当たり方が違う。頭が軽い。視界までクリアだ。
(……準備、完了ってか)
思わず独りごちる。
「さあ――」
次は、本番。
約束の地へ向かう足取りは、髪を切る前よりもずっと軽快だった。




