第41話 【悲報】彼女への淡い幻想と、ガラスに映る自分
着替えを済ませ、バッグを肩にかける。受付の向こうで待っていたのは、窓から差し込む夕陽に縁取られて、どこか幻想的にすら見えるみさきさんの笑顔だった。
「八天さん、今日もお疲れ様でした! デッドリフト、本当にナイスファイトでしたね」
「……ありがとうございます」
努めて平静を装い、短く返す。
改めて、思う。
まるで異世界から迷い込んできたかのように、整った横顔。
鍛え上げられた身体が描く、しなやかで力強いライン。
バーを前にした瞬間の、あの氷のように研ぎ澄まされた表情。
見惚れてしまうほどに完成された、無駄のないフォーム。
そして、俺の泥臭い「ダイエット」を、本気で肯定し、支えてくれるその真っ直ぐさ。
(……もし)
ほんの一瞬、思考が現実の境界線を越えて、遥か彼方へと飛躍する。
(彼女が、俺の隣にいてくれたら)
ジムの帰り道、今日のトレーニングを笑いながら振り返って。
コンビニの前で、プロテインを片手にどうでもいい話をして。
ホットスナックの棚に手を伸ばす俺に、いたずらっぽく怒った顔で、指を交差させNGマークを作ってみせて。
そんな、どこにでもありそうで――どこにも存在しない“IF”。
だが。
自動ドアのガラスに映った自分を見た瞬間、その幻想は音もなく砕け散った。
そこにいるのは、背筋がほんの少し伸びただけの、くたびれた中年。
彼女の隣に並ぶには、あまりにも不釣り合いで、絶望的なまでにレベルが違いすぎる。
(……何を考えてるんだ、俺は)
浮ついた思考を無理やり現実へと押し戻す。
「失礼します」とだけ告げて、逃げるようにジムを後にした。
夜風が、火照った身体を容赦なく冷やしていく。
本来なら心地いいはずの風なのに――胸の奥はなぜか重い。
70kgを引き上げた達成感は、確かに背中に刻まれている。
それでも、心の底には澱のような感情が静かに、深く沈んでいた。
俺はその「心の重力」を抱えたまま、夜の街を歩く。
……まあ、いい。
今夜くらいは、この冴えない現実から一時的にログアウトしてもバチは当たらないだろう。
久しぶりに、現実を忘れさせてくれる異世界アニメでも見るか。
それとも――まだ見ぬ英雄の物語を、一冊めくってみるか。




