第40話 【完遂】スキル『ヒップヒンジ』を会得し、70kgの鉄塊を攻略せよ!
みさきさんの鮮やかなお手本に圧倒されたあと、いよいよ俺の番が回ってきた。
「聖剣」を引き抜くための、試練の始まりだ。
「まずはしっかりとフォームを覚えましょう。腕をまっすぐ下ろしたまま膝を曲げて……。バーを掴んだら、最初は引くというより、足で床を全力で『押す』イメージです」
「こ、こうか……?」
「腰が丸まらないように気をつけて。お尻を支点にして、体を起こしていきましょう」
言われるがまま動作してみるが、今一つ体の動きが噛み合わず、正直かなり格好悪い。
「このお尻を支点にする動きを『ヒップヒンジ』といいます。人間が最も大きな力を出せる動作で、スクワットやデッドリフトの大きなポイントです」
スクワットとデッドリフト、両方の基幹となる基礎スキル。
これは是非とも習得せねば。
ぎこちない反復を繰り返す中で、意識の重心を落とし、骨盤を支点にするように調整すると――バラバラだった各部位の動きが、わずかに繋がった。
何度か軽い重量で軌道を確認し、神経を研ぎ澄ませる。
そして、その時が来た。
「フォーム、いいですね。では……70kgで5回、いってみましょう!」
「なな、70……!?」
鉄の塊が、シャフトの両端に鎮座する。
スクワットのような「回数の暴力」はない。だが、一発の重みはこれまでのトレーニングとは次元が違う。
俺はバーベルの前に立ち、パワーベルトを締め直す。
腰を落とし、冷たく湿った鉄を握りしめた。
「……ふんっ!!」
両足で大地を全力で踏み抜く。
一瞬、背骨が重力に押し潰されそうになるが、腰に巻かれたベルトと「ヒップヒンジ」がそれを跳ね返した。
じわじわと、鉄の塊が重力に逆らって浮き上がる。
「いいですよ! あと3回、しっかり胸を張って!」
視界がチカチカと点滅する。
心臓が早鐘を打ち、全身の血流が背中に集中する感覚。
4回、そして最後――5回目。
「ぬ、ううううおぉぉっ!!」
肺の中の空気をすべて絞り出し、俺は70kg5回を「完遂」した。
床に置かれたバーベルが、ドォンッという重厚な音を立ててジムを震わせる。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
顔面は真っ赤になり、額からは滝のような汗が流れ落ちる。
だが、不思議だった。
あの、心臓が口から飛び出しそうになるスクワットの絶望的な苦しさとは、少し違う。
体の芯が熱い。背骨の裏側が、強烈な刺激に歓喜しているような感覚。
(……ああ、そうか)
荒い呼吸の中で、俺は直感した。
キツい。文句なしにキツい。
けれど、この「重力と真っ向からぶつかり合う」ような感覚は、嫌いじゃない。……いや、むしろ好きだ。
今日、俺は鉄塊と戦うための新たなる「武器」を手に入れた。
2セット目も完遂し、3セット目に移ろうとした時だった。
「今日はここまでにしましょう」
みさきさんのストップが入る。
「デッドリフトは全身の神経を強く使う種目です。やりすぎると、次のトレーニングに響いてしまうので」
まさかの撤退命令。物足りなさを感じるくらいには、体が変わってきているらしい。
「最後は――自重トレーニングの王様。“懸垂”をやってみましょう」
みさきさんが軽やかにバーを掴む。しなやかな筋肉の躍動とともに、無駄のない軌道で顎がバーを越えた。
その姿に、俺は一瞬、言葉を忘れて見惚れてしまう。
「……最初はジャンプして飛びついてから、耐えながらゆっくり降りるだけで大丈夫です。やってみましょう!」
慌てて意識を現世へと引き戻し、俺もバーを掴んだが、ぶら下がった瞬間にすべてを察した。
体が、重い。
「せ、いっ……!!」
ジャンプして無理やり高い位置を取るも、三秒も持たずに、俺の体はあっさりと重力に敗北した。
さっき目の前で躍動していたみさきさんの背中が、途方もなく『遠い』ところにあるのだと、残酷なほどに突きつけられる。
「……三秒も持たないなんて」
肩を落とす俺の隣に、みさきさんが静かに歩み寄った。
「八天さん。三秒“も”、耐えられたんですよ」
「……え」
「私も最初は、ぶら下がって耐える事もできませんでした。……一回できるようになるまで、丸二年かかったんです」
「二年……」
「だから、焦らなくて大丈夫です」
その言葉が、深く心に刺さった。
「できなかった」事は変わらない。だが、それは決して“ゼロ”ではなかったのだ。
懸垂一回。
たったそれだけのことが、俺にとって何よりも大きな「目標」になった。




