第24話 【効率】バッドエンドを回避せよ。天使が授ける王の教え。
俺が小さく息を吐き、静かに背筋を伸ばしたその時、こちらの覚悟を察したように、みさきさんは手元のホワイトボードのマーカーをパチンと閉じた。
「色々お伝えしたいことはあるんですけど……まずは、トレーニングしましょうか」
スマホを返してくれたみさきさんの言葉には、どこか含みがある。
――あれ。これ、あとで食生活についてガッツリ詰められるフラグか?
一抹の不安が脳裏をよぎるが、彼女はそれを遮るように告げた。
「今日は、脚のトレーニングをやりましょう」
「脚っていうと……スクワット、ですか?」
「その通りです。大正解!」
即答したみさきさんは、なんだか嬉しそうだ。
「まずは荷重なし。《自重》でやってみましょう」
「なんか……部活以来ですね、こういうの」
軽く笑いながら、準備運動を済ませる。
そして、いざ。
大地を踏みしめ、ゆっくりと腰を落とす。
「……あれ?」
おかしい。うまくしゃがめない。
悲しいかな、邪魔をするのは腹の肉、そして長年のデスクワークで固まりきった関節。
「……マジか」
絶望が首筋を撫でる。
このまま年を取ったら――いつか転んだとき、自力で立ち上がることすらできなくなるんじゃないか。
そんな、あまりにリアルな「未来像」に胸の奥が冷たくなる。
「大丈夫ですよ」
みさきさんの声が、すぐ隣で響いた。
焦りを打ち消すように、穏やかで、落ち着いた声音。
「コツは、息を大きく吸ってお腹に溜めるイメージです。少し前傾しても大丈夫なので、膝を曲げるというより――股関節をしっかり折るイメージでやってみましょう」
そう言って、みさきさんがお手本を見せる。
すっと、淀みなく沈み込む。
安定した体幹が描くしなやかなフォームは、達人の演武のように美しい。
思わず、言葉を失ってしまう。
「じゃあ、もう一度やってみましょうか」
その声で、俺は現実に引き戻された。
無様でもいい。
このまま動けない身体になっていく方が、よっぽどみっともない。
その背中に、ほんの少しでも近づけるように――俺は、もう一度腰を落とした。
教わった通りに。息を吸って、腹に空気を溜める。
少しだけ前傾して、股関節から折りたたむイメージでゆっくりとしゃがむ。
「……あ。さっきより、いけてる気がします」
「いいですね、フォームが綺麗になりました!」
みさきさんは満足げに頷いたあと、さらりと付け加えた。
「スクワットって、“キング・オブ・エクササイズ”って呼ばれているんですよ」
「キング……、王?」
予想外の重厚な単語に、思わず聞き返す。
「はい。全身の大きな筋肉へ一度にアプローチできるので、効率がいいんです。ダイエットにも、すごくいい種目です」
――なるほど。
スクワットは最も効率よく経験値を稼げる最強のレベリング・スポットだったわけだ。
「だからこそ、正しくやるのが大事なんです」
その一言で、空気が一段、引き締まる。
「もう少しだけ足の幅を広げて……出来るところまでやってみましょうか」
みさきさんの瞳が、わずかに鋭くなる。
ゆっくりと息を吸い、俺は再び腰を落とす。
これは単なる運動じゃない。
脂肪に占領された領土を、一ミリずつ、確実に塗り替える。
これは、奪われた肉体の自由を取り戻すための『陣地拡大戦』だ。




