⑤
「ベアトリーチェ様、アンディ殿下を解放してあげてください!!」
私を呼び止めたのは、言わずと知れた身の程知らずの勘違い女、もとい、聖女候補のステラだった。
アンバーの瞳はうるうると潤み、肩は小動物のようにふるふると震えている。初めて間近で見る淡いピンクベージュの髪も小柄で華奢な体つきも、無性に『庇護欲』とやらをかき立てるものなのね、と妙に感心する。
ただ、アンドレア様がよく言う「あのちんちくりんが」のセリフも同時に思い出されてしまって、ついつい口元が少し緩む。
呼び止められたというのに黙ってニヤニヤしている私を前にして、ステラは少し怯んだ。ちょっと不気味だったらしい。
でも次の瞬間、意を決したように言い募る。
「け、権力にものを言わせて、アンディ殿下の婚約者の座に居座り続けるなんてひどいと思います! あなたに縛りつけられている、アンディ殿下がかわいそうです! いい加減、自由にしてあげてください!」
今にも泣きそうな顔のステラには大変申し訳ないのだけど、内心、ちょっと困った。
だって、ツッコミどころしかないんだもの。
これ、どこからツッコむべき? いや、むしろツッコまないべき? でもそれもどうなの? なんて悩む私にはお構いなしで、ステラはさらに言葉を続ける。
「アンディ殿下はお優しいから、きっとあなたに本当の気持ちを言えないんです! でも、入学してからいつも一緒にいる私にはわかります! 殿下は内心あなたのことを疎ましく思っていて、本当は婚約も解消したいはずなんです! だって、私にはいつもにこやかで親切なのに、あなたを見かけるとため息ばかりついてるんですから!」
……それは、私の隣にいられない現状を嘆いているだけなのよ。
以前、私を膝の上に乗せながら、アンドレア様自身がぶーぶー文句を言っていたんだもの。「愛しいリーチェが目の前にいるのに、なんで俺はこんなちんちくりんの相手をしなきゃならないんだと思うと、ため息しか出ないんだよ。とほほ」とかなんとか。
「アンディ殿下を癒してあげることもできないあなたは、殿下に相応しくありません! あなたと結婚しても、殿下が幸せになれるはずはないんです! だから婚約を解消してあげてください!」
何をどうやったらそんな結論に行き着くのかわからないけど、ステラの様子はなんだかやけに自信ありげで、違和感しかない。自分なら、アンドレア様を癒してあげられるとでもいうのだろうか? 聖女候補だから?
さすがに私も黙っていられず、渋々口を開いた。
「私がアンドレア様に相応しいかどうかを決めるのは、あなたではないと思いますけれど?」
「私はアンディ殿下の気持ちを代弁してあげてるんです! どうせあなたはアンディ殿下にしょっちゅう迷惑をかけて、困らせてばかりなんでしょう!? だから殿下に敬遠されて、今みたいに放置される羽目になるんですよ!」
「あら、アンドレア様には『もっと俺に世話を焼かせてほしい』とか、『リーチェに翻弄されるのが俺の趣味』などと言われることも多いのですが……」
「は!?」
「ああ、でも、確かに『リーチェが可愛すぎて困る』とか、『リーチェが好きすぎて心臓が持たない』とか言われることも多々ありますね」
「はあ!?」
「アンドレア様がステラ様の『案内役』の任を受けてから、私たちが一緒にいられる時間が劇的に減ったのは事実です。でもそれは、真面目なアンドレア様が職務を忠実にこなしているからでしょう? むしろ当たり前のことですし、放置されているなんて思ってもみませんでしたが」
「な、何よ、偉そうに! 本来殿下と結ばれるべきなのは、この私なのよ! それなのに、殿下との距離が一向に縮まらないのはあんたが邪魔立てしてるからでしょう!? あんたなんか、いずれ殿下に断罪されて捨てられて、あっけなく死ぬくせに!」
「……え?」
「あんたが婚約解消してくれなくても、こっちには切り札があるんだからね! 魔物が復活したら、一番にやられて死ねばいいのよ!」
「――――ステラ嬢」
いつのまに、どこから現れたのかは知らないけれど、気づいたら私の目の前にはアンドレア様が立っていた。
私に背を向けているから表情はわからないものの、その声はぞっとするほどの殺気を帯びている。
「今の話はどういうことなのか、説明してくれないかな?」
「……え? な、何がですか……?」
「リーチェに向かって、『魔物が復活したら』と言っただろう? どういう意味かと、聞いているんだよ」
「……そ、それは……」
「数百年前の聖女と剣聖が魔物の王グウェルを封印して以降、この国で魔物の存在が確認されたことは一度もない。それなのに、どうして『魔物が復活したら』なんて言葉が簡単に出てくるのかな?」
「い、いえ、それは、あの……」
「もしや君が、魔物の復活を目論んでいた張本人ということか?」
アンドレア様のストレートな追及に、ステラがわかりやすく絶句する。
その反応で、アンドレア様はすべてを察したらしい。さっと合図をした途端、わらわらと現れたのは近衛騎士のみなさんである。今までどこに隠れていたのやら。
そして、あっという間にステラを拘束してしまう。
「ちょっと! や、やめて! やめてよ!」
「重要参考人だ。連れていけ」
必死で抵抗するステラには目もくれず、アンドレア様の冷徹な声が指示を出す。
「セウェルス」
「はっ」
「至急、陛下と宰相に連絡を」
「かしこまりました」
私に一礼してから駆けていくセウェルス様を見送って、アンドレア様は即座にくるっと振り返った。
「リーチェ」
「なんでしょう?」
見上げると、アンドレア様はなんとも言えない複雑な表情をしていた。
怒っているような、でもホッとしたような、それでいていつになく真剣な目をしながら、私の頬にそっと触れる。
「リーチェのおかげで、ようやく悪党の尻尾が掴めたよ。ありがとう」
「お役に立てたのでしたら、何よりです」
「今日は帰りが遅くなりそうだから、俺を待たなくていい。ゆっくり休んでて」
「わかりました。アンドレア様も、無理はしないでくださいね」
「わかった。大好きだよ、リーチェ」
そう言って、アンドレア様は私の額に優しくキスをする。
と思ったら、何食わぬ顔で私のこめかみやまぶたや頬にもキスをして、そのまま唇まで塞ごうとしたから全力で止めた。
「ちょちょっ……! アンドレア様――!?」
「だって、今日はこれから長丁場になりそうだからさ。今のうちに、リーチェ成分を最大限摂取しておこうと思って」
「な、なんですか、その『リーチェ成分』というのは! 私は怪しげな薬物か何かですか!?」
「うーん、怪しくはないけど、俺をリーチェ中毒にしたという意味では立派な薬物かもね」
「はい!?」
薬物令嬢。
新たなジャンルが爆誕した瞬間だった。




