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部屋でまったりしていたら、焦ったようにドアをノックする音がした。
返事をすると、この国の王太子がとても人間業とは思えないスピードで転がり込んでくる。
「リーチェ!」
ソファの隣に座るや否や、アンドレア様は有無を言わさずぎゅうぎゅうと私を抱きしめた。
「会いたかった……!」
「今日もごくろうさまでしたね」
「ほんとだよ。何なんだよ、あいつ。やたらとべたべたくっついてきて、あちこち触りまくってさ。そのたびに鳥肌が立って仕方ないんだけど」
嫌な感触を思い出したのか、アンドレア様の体が大きく身震いする。
「おまけに礼儀作法もてんでダメ、粗野で無遠慮で、声も無駄にデカいしさ。ほんとにもう、問答無用でぶっ飛ばしてやりたくなって、何度セウェルスに止められたことか」
「よかったですね、セウェルス様が一緒にいてくれて」
「あいつがいなかったら、とっくの昔にあの聖女もどきを学園から追い出していたよ。それか、秘密裏に始末しちゃってたかも」
「え」
人の一人や二人は躊躇なく葬り去りそうな邪悪ささえ滲ませて、アンドレア様がまくし立てる。
驚くべきことに、ステラと出会ってもアンドレア様の心は微動だにしなかった。
ステラを初めて目にしたアンドレア様の第一声は、「……ちんちくりんだな」だ。
転生ものにありがちな『物語の強制力』とやらは、どうやら発動しなかったらしい。私の不安は、完全に杞憂だったのだ。
こうなると、のちに魔物の王グウェルが復活するという筋書きすらもすでに改変され、このまま何も起こらないのでは、という気がしてくる。
なんせ、原作とはだいぶ違った展開の連続なのだ。
むしろ、グウェルの復活がなくなったからこそ、アンドレア様とステラが惹かれ合う必要もなくなったのでは? なんて思えてしまう。
ただ、ステラが入学してからというもの、『案内役』を任されたアンドレア様の言動はどんどん過激で物騒なものになっていた(多分、セウェルス様もだと思う)。
見るに堪えないステラの厚顔無恥な態度に、怒りとストレスが極限近くにまで達しているかららしい。
「ただでさえ、あいつのせいでリーチェと一緒にいられないってのにさ。なかなか尻尾を出さないところが、また腹立つんだよな」
「敵もさるもの、ということでしょうか」
「こうなることを見越して、リーチェを王宮に引っ張り込んどいてよかったよ」
悪そうな顔をして、にやりと口角を上げるアンドレア様。
ステラの監視と籠絡という極秘任務を課すにあたり、陛下と国の上層部はアンドレア様とセウェルス様に対し『婚約者とは距離を置き、何事においても聖女候補を優先することで相手に優越感を抱かせ、油断させて機密情報を引き出す』というハニートラップ的な作戦を提案したらしい。
これには当初、アンドレア様が強く反発した。「リーチェと距離を置くなんて、死んでもできるか!!」と激昂したという。
でも、事の重大さを考えれば、そうも言っていられない。
アンドレア様は大人側の無茶ぶりを受け入れる代わりに、一つの条件を提示した。それは、『監視と籠絡の任務を遂行している間、ベアトリーチェ嬢を王宮に滞在させること』である。
表向きは、私の身の安全のため。
本音をいえば、「毎日リーチェに触れる時間がないと、俺の身がもたないから」。多分、アンドレア様の破廉恥な魂胆は、国の上層部にもバレていると思う。
そんなわけで、私は今、王宮の貴賓室に滞在している。
そして、朝起きてから学園に行くまでの時間と学園から帰宅したあとは、アンドレア様とずっと一緒に過ごしている。寝室は、さすがに別だけど。アンドレア様があわよくば、とあれこれ画策していたみたいだけど。
だから、オリアナ様たちの主張はてんで的外れ、見当違いもいいところなのだ。
なーにが、「お似合いですわよね」よ。「婚約解消も時間の問題」よ。
アンドレア様は、一ミリも心変わりしていないっての。相も変わらず、私にメロメロだっての。
なんてことは面と向かって言えないので、腹の底では舌を出しながら、適当にあしらっておいたのだけど。
「リーチェ、さっきは令嬢たちに何を言われていたの?」
すべてお見通しといった視線で、アンドレア様が私の顔をじっと見下ろしている。やや目が据わっているような気が、しないでもない。
「……見ていたのですか?」
「うーん、まあね」
「大したことは言われていませんよ?」
「ほんとに?」
とか言いながら、多分アンドレア様は一ミリも信じていない。というか、見ていたのならなぜわざわざ聞くのだろう? と思わないでもない。
「……あいつ、以前から時々リーチェのことを睨んでいたよな。名前忘れたけど」
「オリアナ様ですか? ケルヴァス侯爵家のご令嬢の」
「あ、そうそう。侯爵令嬢だっていうのに、品はないわ出来は悪いわ、ケルヴァス侯爵家の教育はいったいどうなってるんだ? 侯爵自身も、最近評判が悪いしな。もう家ごと潰しちゃったほうがいいんじゃないかな」
「……いやいやいや」
それ、王太子が言ったらシャレにならないやつでしょう……!
「だいたい、あの胸糞悪い噂は何なんだよ? なんで俺がリーチェ以外の女に、しかもあの聖女もどきの厚顔無恥な勘違い女にうつつを抜かさなきゃならないんだ? あー、ムカつく」
「私は気にしていませんから。大丈夫ですよ」
「俺が大丈夫じゃないんだよ。あの女も噂を真に受けてるんだか、どんどん態度が厚かましくなって色目まで使ってきやがるし。『案内役』としていつもそばにいるとはいえ、毎日毎日愛想笑いでこめかみをピクピクさせながら事務的なやり取りしかしていないのに、どうしてあんな噂が流れるんだか意味がわからない。俺が嫌々接してるって、見ればわかるだろう?」
「そうですね。私は遠目で見てもはっきりわかりましたよ。とことん嫌そうだなって」
「リーチェだけだよ。全部わかってくれるのは」
「高位貴族のほとんどは、ちゃんと気づいているようですよ? あの噂は、どうやらそれ以外の令嬢令息の間で広まっているみたいです」
「ケルヴァス侯爵令嬢は、高位貴族だと思うんだけど?」
「……あー、あの方は、いろいろと、ねえ……?」
とか言いながら、私は「ははは」と笑って誤魔化す。
「まあ、誰があんな噂を流しているのかは知らないけど、そのうち痛い目に遭うだろうよ」
――――果たして、アンドレア様が言った通りになった。
数日後、学園に登校したらオリアナ様が退学したと知らされた。
オリアナ様だけではない。あの日、彼女と一緒になって私を取り囲み、愚弄しようとした令嬢たちもまた、全員揃って退学していたのだ。
詳しいことはよくわからないものの、オリアナ様に限っていえば、急に隣国のとある伯爵のもとへ後妻として嫁ぐことになったらしい。隣国の伯爵は二回り以上年が離れているうえ、女性関係が派手だと有名な方である。
なぜ、いきなりそんなことになったのか。まあ、なんとなく、というか、だいぶはっきりと、察するものはあるのだけど。
きっと直接尋ねてみれば、何一つ隠すことなく、「リーチェに悪意を向けるやつなんか、この国にはいらないんだよ」なんてさらりと答えそうだけど。
私に関することとなると即トップギアで暴走しがちなアンドレア様ではあったものの、最近はその過激さに磨きがかかっているような気がしないでもない。
とにかく今は、オリアナ様の隣国での幸せを祈るのみである。
あと、突然退学させられた令嬢たちの幸せも。
彼女たちが学園からいなくなった途端、どういうわけかあの噂はどんどん沈静化していった。
結局のところ、噂の出どころは他ならぬ彼女たちだったのだとようやく気づく。
心ない噂が聞こえなくなっただけで、こんなにも息がしやすくなるのだと改めて実感し始めた矢先――――
一難去ってまた一難、とはよく言ったものである。
「ベアトリーチェ様、アンディ殿下を解放してあげてください!!」




