⑥
ステラの入学が近づくに従って、俺たちもバタバタと内偵調査の準備に追われることになった。
と同時に、どうにも気になる問題が浮上する。
リーチェの元気がない。
ステラの入学とはなんら関係がないとは思うけど、明らかに様子がおかしいのだ。時折心ここにあらずという感じでぼんやりしていることが増えたし、何やら塞ぎ込んでいるようにも見える。
もしや、ほかに好きな男でもできたのかと一瞬血の気が引いたけど、そういうわけでもなさそうだった。だって、俺を見るといつも通りにふんわりと微笑んで、うれしそうに駆け寄ってくるし。どさくさに紛れて抱き寄せると、恥ずかしそうではあるけど嫌がらないし。
いや、俺の婚約者、マジで天使か。可愛すぎるんだが。
気になって原因を探ってみたけどまったく見当がつかないこともあって、俺はたまらずリーチェに尋ねてみた。
「ねえ、リーチェを不安にさせているものは何なの?」
「え……?」
「リーチェの憂いは、俺が全部払ってあげる。だから、リーチェが何を気にしているのか、教えてくれないかな?」
「……それは……」
距離を詰めてソファの端に追い込むと、リーチェは退路を失って目を泳がせる。
「……じ、実は……」
観念したらしいリーチェは、今度の新入生に可愛らしいと評判の令嬢がいることを話し出した。どうやら俺も、その令嬢に心を奪われてしまうのではないかと不安に思っているらしい。
え、そんなこと心配してたの!?
リーチェってば、俺が目移りしないか不安になっちゃうくらい、俺のことを好きになってくれてたの!?
と内心身悶えする反面、ここに至ってもなお、リーチェは俺の想いを心から信じてくれてはいないのか、と思ってしまう。
「どんなに可愛らしい令嬢が入学してきたとしても、俺にとってはリーチェより可愛いと思える人なんかいないよ? リーチェはまだ、俺の愛が信じられない?」
「そういうわけでは……」
「この先誰に出会っても、俺の最愛はリーチェだけ。未来永劫、俺はリーチェだけのものだし、リーチェも俺だけのもの。いつもそう言っているよね?」
優しく微笑むと、リーチェは目を伏せて「……はい」と答える。でも全然想いが伝わっていないことは、一目瞭然である。
俺がどれだけリーチェへの愛を懸命に叫び続けても、リーチェは決まって、どこかさびしげな顔をする。まるで、その熱はいずれ冷めるのでしょう? とでも言いたげな目をして、何もかも諦めたように薄く笑う。
どんなに想いを伝えてもなかなか届かない歯がゆさに、俺の中のどす黒く狂暴な何かが一瞬頭をもたげた。ここでリーチェのすべてを奪ってしまえば、そしてリーチェを俺だけの檻の中に閉じ込めてしまえれば、なんて獰猛な独占欲に支配されそうになったところで、なんとか踏みとどまる。
もどかしさに焦れる気持ちを抑えつつ、俺はリーチェを腕の中に閉じ込めた。
そして、聖女候補ステラの入学と内偵調査についても、ここで話してしまおうと決意する。
俺が話し出すと、リーチェは心底驚いたといった表情で言葉を失ってしまった。そりゃそうだ。数百年ぶりに聖女候補が現れただけでも驚きなのに、「その娘が国家を揺るがす大罪への関与を疑われている」なんていきなり言われたら、誰だって耳を疑う。
ただ、グウェルの復活を目論むステラの思惑に関しては、リーチェに話すつもりはなかった。今はまだ公にできないというのもあるけど、余計な不安を抱かせたくなかったのだ。
だから、「国家を揺るがす大罪」なんて曖昧な言葉で誤魔化した。
でも、ステラを監視し確たる証拠を掴むために、俺とセウェルスが『案内役』なんて面倒くさい役目を命じられたことや、そのせいで当分リーチェと一緒にいられなくなることはきちんと伝えておかなければと思った。
とにかく、一ミリも不安にさせたくなかったから。
「陛下も宰相も『婚約者とは距離を置き、何事においても聖女候補を優先することで相手に優越感を抱かせ、油断させて機密情報を引き出せばいい』って言うんだよ」
「それは、いわゆるハニートラップ的な作戦、ということですね?」
「ああ。俺は『リーチェと距離を置くなんて、死んでもできるか!!』って言ったんだけど、この国のことを考えれば、そうも言っていられないし」
「仰る通りです」
「だから、『この作戦を遂行する代わり、ベアトリーチェ嬢を王宮に滞在させてくれ』って条件を出したんだ」
「……はい?」
「だって、しばらくリーチェに触れられないなんて、とてもじゃないけど俺の身がもたない。極秘任務の遂行中は、ストレスだってたまるだろうしさ。リーチェの癒しが必要だと思って」
「……陛下たちは、許可を出されたのですか?」
「もちろん。即OKだったよ」
嘘である。
何がなんでも条件を飲んでもらいたくて、俺はだいぶ屁理屈をこねた。国家の安寧を脅かす極悪人を監視するにあたり、その仲間にリーチェが狙われないとも限らない、とか。しばらく学園で不自由な思いをさせてしまうのだから、その分王宮で礼遇すべきだろう、とか。
見かねたセウェルスが半ば呆れ顔で加勢してくれたおかげで、なんとか許可してもらったようなものだ。陛下も宰相も、完全にチベットスナギツネの顔になっていたけど。俺は気にしない。
「とにかく、できるだけ早く悪党の化けの皮を剥がしてみせるから。しばらくさびしい思いをさせることになるだろうけど、我慢してくれる?」
「は、はい。もちろんです」
「その代わり、朝起きてから学園に行くまでの時間と学園から帰宅したあとは、ずっと一緒にいられるからさ。学園だとできないことも、ここでなら思う存分いろいろできるし」
「え? な、何を――?」
あらぬ想像をしてあたふたと慌てるリーチェが可愛すぎて、俺は思わずその唇を塞いでしまった。
◆・◆・◆
入学式でステラを一目見た瞬間、俺は無意識につぶやいていた。
「……ちんちくりんだな」
隣にいたリーチェが、なぜか目を丸くしている。
いや、『影』からの報告書で、一応容姿なんかも知ってはいたのだが。実際に目にしても、なんで原作のアンドレアがあれに惹かれたのか、まったくわからない。
控えめに言って、リーチェのほうが百万倍可愛いんだけど!!!
それでも一応、実物と会えば『物語の強制力』とやらが発動するかもしれない、と警戒はしていた。でも、まったくの杞憂だった。向こうのちんちくりんと隣に座る女神。比べるべくもない。
ただ、そこからの学園生活がマジでとんでもなかった。
案内役の俺とセウェルスは、ステラの学園生活をサポートするという名目で常に行動をともにする。授業時間は学年が違うからさすがに別々だが、それ以外の時間は監視も兼ねてずっと一緒にいる。
物語の筋書きをもとに戻そうと目論むステラは、これ幸いとばかりに俺に対する無駄なアプローチを繰り返すようになった。もともと平民だからなのか、はたまた転生したからなのか、やたらと距離が近いしまわりを気にせずベタベタと触りまくる。そのたびに、ぞわぞわと鳥肌が立って仕方がない。
しかも、「アンドレア殿下のことを、愛称で呼びたいです!」とか言い出して、やんわり断ったのに通じなかった。なんでだ。そういえば原作でも、ステラはアンドレアのことを「アンディ」と呼ぶようになる。セウェルスが「『殿下』をつけないのはさすがに不敬すぎます」と鬼の形相で言ってくれなかったら、マジでどうなっていたかわからない。
いったい何なんだ、あの珍獣は……!!!
リーチェを王宮に呼んでおいて、本当によかった。リーチェがいなかったら、多分もたなかったわ、俺。
それでも、学園で一人さびしそうに過ごすリーチェを目にするのはつらかった。ため息しか出なかった。リーチェがいるのに、なんで俺はこんなちんちくりんに……!! と憎悪の念を抱いたのは一度や二度ではない。
しかも、このちんちくりん、なかなか尻尾を出さないし……!!!
と、焦燥に駆られる俺の耳に、とあるふざけた噂が飛び込んできたのは数週間後のことだった。
――――アンドレア殿下は婚約者であるベアトリーチェ嬢から聖女候補ステラに心を移し、婚約解消を望んでいるらしい。




