09・元宮廷魔法使いの言う事には
見覚えた顔ではあったが、恐ろしく老け込んで見えた。
老齢を理由に辞職を申し出た時さえ、かくしゃくとしていたように思うが。
部屋へ案内してくれた看護人は、「お見舞いは有難いです。ご家族は殆どおいでになりませんので」とそっと告げた。
確執が深い上、裁判中であるとも聞く。
きっとこの男は、悠々自適の引退生活を送るのだろうと思っていたのだが。
レースのカーテンが風にひらめく明るい病室で、老魔法使いは寝台から身を起こし、枕に背中を預けて窓の外を眺めていた。
手元には魔導書が開かれているが、目で追う様子もなく、端が風にかすかに揺らめいている。
私が入った事に気が付くと、彼はゆっくりと視線をこちらへ向け、視界へ私の姿を入れた。
「陛下……」
老魔法使いは眼を見開いた。
「このようなむさくるしい所へ……」
寝台から出ようとする老魔法使いを押しとどめ、私は椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「今日は体調が良さそうだな」
老魔法使いは、愛人が去った直後に病が発覚したそうだ。
医師に余命を宣告され、そこで初めて家族を思い出し、自宅へ戻ったがもぬけの殻だったという。
ゴーレムが静かに、掃除をしているばかりだったと。
息子は魔法塔に部屋を持っていると聞いていたので、慌てて息子の元を訪ねると、息子は一瞬、誰だかわからないような顔をしてこちらを見たという。
その後の事も、人づてに話に聞くばかりだった。
妻は手に職があり、とっくの昔に自身で生活環境を整え上げているため、屋敷にはほぼ寄り付いておらず、息子ももとより職を得て魔法塔に住んでいた為、屋敷は無人だが、「父上のものですから、お好きに住まれたらよろしいでしょう」と息子は淡々と告げたそうだ。
身内どころか使用人の一人もいない屋敷で。
「ゴーレムは母上の作ですが、屋敷の維持には申し分ない働きをしていますよ。食事の支度も父上の身の回りの世話も出来る筈ですが、見た目が無骨すぎるというなら、人に近い姿かたちの自動人形でも作成されればよろしいでしょう」
何と言う事もないように、息子は言ったという。
「人間がよろしいのなら、使用人を雇われても良いと思いますが」
一緒に住むという選択は無いのか、と魔法伯爵は息子に迫ったらしい。
残された余命はあまりないと医師に告げられたのだ、短い余生を共に過ごす親子の情はないのか、と。
息子は「無理ですね」と言下に答えたらしい。
隣国との共同事業の事前準備の為に国境へ行く事が決まっている為、そもそも数年は王都にもいない、と。
では妻は、となるが、署名入りの離縁届が置かれていた以上、戻る気はないのが明らかな上、息子に尋ねても居場所は判らないという。
薬房にいることもあるが、辺境へ薬草採取へ出かけている事もあり、更に言えば顧客に呼ばれて遠出している事もある。忙しいのだと。
「注文窓口は母上の実家ですので、尋ねれば居場所は判るかもしれませんが、転々と移動しているようですから捕まえるのは難しいと思いますよ。帰って来いと伝言する?まあ、伝言はしてくれると思いますが。え、命令?誰がです?実家が?父上が?」
無駄でしょう。
息子はやはり淡々と告げた、そうだ。
あまりの事態に激昂した後呆然とする父の為に、息子はここ、完全看護の療養院を世話した。
人間がお世話してくれる場所を選びました、と。
その後、生活費や養育費が全く支払われていなかった事や、そうやって得た財産である魔法道具を殆ど手切れ金として愛人の名義にした事などが発覚し、息子はやはり淡々と弁護人を立てて裁判所へ訴えを起こした。
愛人へは、相当額の慰謝料を要求しているらしい。
相手の弁護人は腕利きらしいが、息子が立てた弁護人も負けず劣らず頭が切れる御仁らしく、丁々発止のつばぜり合いが行われているとか。
「本日はどういったご用件で」
老魔法使い、魔法伯爵は昔と同じ、どこか危うさを湛えた瞳で問うてきた。
先ほどまで、窓からのそよ風に吹かれて、どこか枯れたように見えていた老人が。
私は少し躊躇ったが、左手をその視線の前へ上げて見せた。
老魔法使いは眉を寄せた。
「指輪が崩れて消えた。叔父がそれに気づいて、そなたを訪ねてみるべきだと」
そう言われて、漸くそれに気が付いたように、老魔法使いは、うっすらと痕が残る薬指に目をやった。
「崩れて、消えた?」
小さく呟く。
そして瞳は異様な輝きを帯びた。
「興味深いですな。聖女殿の指輪はどうなったのでしょう」
「さあ。もうあれは傍にいないので判らんが、私の指輪がなくなったのであれば、あれの指輪も同じ事になったのではないか」
老魔法使いは私の薬指に向かって瘦せ枯れた右手を伸ばしてきたが、私は思わずすっと引いてしまった。
だが彼の指からは微かな魔力の光が弾けて私の指を撫でて行った。
背中が粟立った。
「僅かばかり、残滓がある……」
老魔法使いは顎に手をやると考え込んだ。
じっとあらぬ場所へ視線が彷徨う。
そして指先がせわしなく動き、宙に何度も魔力の印が浮かんで消えた。
「聖女殿の魔力は衰え切って、もう残りわずかという所ですか。ずっと以前から、減りゆく一方とは思っておりましたが、想定より早い」
独り言のように呟く。
「聖女殿の力の衰えに伴って、呪い避けの指輪の魔力は削れていった事でしょう」
不意に私の方へ爛々とした目を向ける。
「私の指輪は役に立ちましたでしょう?」
いっそ無邪気に老魔法使いは微笑んだ。
「エルヴィエラ様の魔力は放っておくには惜しく、聖女殿の魔力は徐々に減衰する兆候があった。それらを補い合った私の魔法道具が、この国の災厄を解決し、辺境と魔境の開拓を百年分も進ませたでしょう?」
己の功績を誇るように、青白かった頬を染め、にこにこと私を見る。
瞳の狂気は私をぴたりと見つめて離さない。
「とはいえ、崩れて消えた直接の原因は聖女殿の力の減衰ではなく……、おや、なんと、エルヴィエラ様は腕輪を外して壊してしまわれましたか」
彼は多少驚いたように呟いた。見てきたように。
「外れないように強力な呪を込めておりましたのに。腕を切り離しでもしない限り……」
そこまで言って、老魔法使いは眼を見開いた。
「切り落とされたのですか」
そしてまた私を見る。唖然とした顔で。
私は答えることが出来ない。
彼はそんな私の顔を見ながら、愉快そうに笑いだした。
「思い切られたものですな。あのエルヴィエラ様が」
くつくつと心の底から面白げに笑う。笑い続ける。
「そんなに笑う程面白い事か?」
不快に思って顔をしかめるのが自分でも判った。
これまでの私は、どんな感情も表に出さないようにしてきたものだったが。
彼はますます面白そうに笑った。
「私は、あの方の性格を踏まえてあれを作ったのですよ。実直すぎる程実直で、優しく気が弱い。どうやっても外そうとなどはなさらないと思っておりましたのに。人とは変わるものですな……」
笑いやめて、彼は不意に真面目な表情になった。
「どういう心境の変化だったのでしょう」
くるくると変化する男の情緒についていけず、私は、自分のペースを取り戻すために一つ大きく息をついた。
「……奪われ過ぎて、生命活動を脅かされる程だったそうだ」
「おや……」
「何度も心臓が止まりかけたと聞いた。それで……」
「おかしいですね。きちんと調整したはずだったのですが」
老魔法使いは最後まで聞かずに首をかしげた。
「確認もしたんですが……」
ぽつんと宙に浮かんだ魔法印をじっと見つめる。
「うん?」
楽しげに解析していたが、一か所をまじまじと見つめる。
そしてもう一度首をかしげた。
「計算上はこれでいけるはずだったんですが……。お話を聞く限り、どうも聖女殿の力の減衰が早すぎたようですねえ……。
指輪からは、三割程度の力を引きだすようにお話し下さったんですよね?」
問われて、指輪を渡した時の事を思い出す。
私は、それを、愛の証として贈った。
『力を増幅する魔法道具』であり、『三割程度、力を増強する物だ』と。
『あまり使いすぎると反動で身体への負荷が酷くなるようだから、調子を見ながら注意して使うように』とも言った。
「制限する魔法式も組み込んであるんですが……」
しげしげとそれを見つめながら、考え込む。
そう、一気に魔力を奪い取るようなものではないと聞いていた。
そんな事をして、魔力供給者を殺してしまっては意味がない。
老魔法使いの指先からは幾つも光が弾け、魔法印が幾つも浮かび上がって重なる。
暫くそれを見つめ続け、そして、老魔法使いは指を止めた。
「押し出した跡がある」
呟いてそっと手を上げ、宙の印をなぞるように指を動かした。
そして、信じがたいような顔をした。
「聖女殿の指輪ではなく、エルヴィエラ様の方から……。そちらから流れる方には制限をつけていなかったわけで……。
何か、一時的に、爆発的に魔力が増大するような事が起こったようですが、その時に、聖女殿の指輪へ半ば強引に力が押し出されたようです。
指輪の制限式が壊れたんでしょうな」
「爆発的に魔力が増大する……?」
「力の強い魔法使い等に稀に起こる現象だそうですが、命に係わるほどの危機的状況に陥った際、防衛本能が魔力を高速で作り出し、魔力量も一気に増えるとか。噂程度に聞いた話ですが、王都郊外で賊に襲われたとか。その際の事でしょうかね」
今度は私が目を見開く番だった。
噂程度、だと?
おや、と老魔法使いは瞬きした。
「単なる噂でしたか?」
「そうではなく、何故、そなたがそんな噂を知っているのだ」
ああ、と老魔法使いは思い至ったようだった。
「あの頃少し、魔法塔がざわついたのですよ。王都郊外から、強い魔力の弾ける反応がありましたので。調査に向かった者が発見したのは焼け落ちた馬車のみだったそうですが、それを一応警備隊に報告したにも関わらず、大した問題にもならず、無かったことのように処理されてしまったと。
深堀りするとまずい事ではあるのだろうと予測は出来たのですが、魔力反応の事がありますので、魔法塔としても独自に少し調査したのですよ。
魔力反応のあった地点に同日同時刻あった筈の馬車は、王都街門の記録を見れば判る事ですしね。勿論、衛兵に問い合わせなどしていませんよ。ですが、出入り記録の魔法道具は、魔法塔が提供しておりますし」
点検とでも言って、確認したのでしょう、と何でもない事のような顔をして言った。
「何故、報告しなかった……?」
「私としてもいささか慌てはしたのですが、聖女殿の指輪の効果を見る限り、エルヴィエラ様の生存は間違いない事でしたし、騒ぎ立てる必要があるとは思わなかったのですよ」
「そうではなく、私に知らせる必要を感じなかったのか?」
声が上ずるのが自分でも判った。
「ええ。事件のもみ消し方からして、力のある貴族か組織が関わっているのは明らかでしたし、それが王家の可能性も充分にありました。魔法塔の住人は、魔法の研究さえできればそれでいいのですよ。わざわざ面倒な事件に関わったりはしません」
研究の時間が削られてしまいますしね、と。当たり前の様な顔をする。
それは言外に、「首謀者があなたの可能性だって充分考えられた」と言われているようなものだった。
「そんな、馬鹿なはずがあるか。あの腕輪をエルヴィエラに嵌めたのは私だ。殺しては意味がないだろう」
「ええ。ですが、殺さないように痛めつける事が警告となるなどありがちですしね。貴族なのですから。まして、その後エルヴィエラ様死亡の話など聞きませんでしたし」
「私がそんな事をする意味がないだろう」
老魔法使いは肩をすくめた。
「我々には与り知らない事情がおありであれば、余計な口は挟めませんし」
老魔法使いは一応は貴族ではあったが、貴族の常識からは外れた存在でもあった。だが、最低限の処世術は理解してもいる。その振舞いから世間一般、いや、多少貴族階級に近い者が、王家や上級貴族に対してどういう考えを持って接しているのかを、私は改めて思い知った。
こちらには判らない理屈で、どんな無情な事でもやる恐ろしい特権階級。
下手に関わると己の命も危ない。
それはある意味真実であり、私にとっては当たり前の事でもあったが、しかし、それを感付かれてはならない。
感付かれてはならないのだ。
出来る限り裏で速やかに済まさなければならない。
「……しかし、そうなると……」
老魔法使いは私の顔色などお構いなしで、魔法印に目を向け続けている。
「連鎖的に色々な制限機構が壊れていったのかな……」
ぶつぶつと呟く。
「魔力蓄積は、万が一腕輪が外された場合の保険だったから影響は少なかっただろうが……。
恐らく、聖女殿の指輪が吸い上げようとすると、際限なく魔力が流れ込んでしまうようになったのかもしれませんね。それでも、聖女殿が最初言った通りに「三割程度」で控えて下されば、破綻はなかったと思いますよ」
エルヴィエラ様は何度も瀕死になる事もなく、聖女殿もここまで急速に魔力を減衰させる事もなかった。
「どういう事だ?」
「己の魔力に他者の魔力を同調させるには三割程度が適量だと私は思いますよ。それ以上は、暴れ馬を無理やり押さえつけるようなものだ。存在を確認されてはおりませんが、恐らくほぼ間違いなく存在すると考えられる魔力器官を傷つけてしまう可能性は高い」
魔力器官。
解剖しても見当たらないが、百年以上も昔から身体のどこかに存在すると言われている、魔力を身体に巡らすための器官。
魔法士の中でも信じるものと信じない者は半々だが、この男は信じているらしい。
「瞬間的には、エルヴィエラ様の膨大な魔力を出力して術の行使は出来ます。むしろその魔力量に応じて増強されさえする。その規模が大きくなった分だけ過剰に聖女殿の魔力器官に負荷をかけることになる。出力に見合った器官の許容量がないのだから。いうなれば、細い溝に無理やり大量の水を通そうとするようなものです。そうすると、水は溢れ、やがて溝は耐えられずひび割れ壊れてしまいます」
魔力器官とは脆いものですよ。
ささいな事で傷つく可能性が高い。
聖女殿の魔力が大幅に減衰していったのは当たり前です。
「とはいえ、それ以前から減衰の兆しは見られたのですがね」
そう、そう言われたから、この男の差し出す魔法道具を使用することにしたのだ。豊富なエルヴィエラの魔力をあてにして。
「その件に関しては、まあ……」
老魔法使いは珍しく言葉を濁し、私は不審に思う。
「何か言えない事でもあるのか?」
つい責めるような口調になり、老魔法使いは一瞬顔をしかめた。
「神聖魔法と言うのはかなり特殊なのですよ。多くは神殿が秘匿していますし、恐らく詳細は未だ解明されてもいないのだと思いますが、なんというか……信仰がかかわってくるのです」
「信仰……?」
予想外の話に、私は呆気にとられた。
この男とは対極にあるような言葉だ。
「要するに「聖なる力」なわけですから。実利で生きる人間には理解できないでしょうが、実際、今までのどの聖女聖人を見ても、都市から離れた田舎の純朴な平民の子が多い。純粋に「神に祈る」事に何の疑問も抱いていない者たちです。あの聖女殿ももとはそういった少女だったと聞きますよ。辺境の小さな神殿で、毎日祈るような子だったと。つまりは、「神と言う存在を純粋に信じ祈る」という行為は神聖魔法を発現させる為の最大の要因であるわけです」
「つまり、力が衰えたのは、祈る事、あるいは信じることをやめたから、か?」
「そう単純な話でもありません」
老魔法使いはいやいやと首を振って見せた。
「恐らく発現装置は信仰、とはいえ、そうしているのは聖女に目覚めた少女だけではないはずです。となれば、差はどこにあるのか」
楽しげに老魔法使いはこちらを見てきた。
「元々魔力を持ち、それを信仰によって神聖力に変換できる子が、聖女なり聖人なりとなるのではないかと。ここまでは魔法塔の仮説です」
「変換、か?」
「ええ、変換です」
老魔法使いは頷く。
「もとより、聖女が持つのは「魔力」です。通常の魔法士とそこは変わらない。が、発現する際は「神聖力」となる。ここが一般の魔法使いとは異なる部分です。それで得られる力は、浄化や治癒に対して信じがたいほどの効力を発揮する。その増幅は神殿によれば「信仰」によって得られるとされる。では、つまるところ「信仰」とは何なのか」
老魔法使いは指を立て、それを振る。
「そこにあるのは「強い思念」です。神に対する一途な思い。それが変換の制御装置だと考えられています」
「いや、しかし、それであれば、もっと聖女は現れてもよくはないか?辺境の方に」
「ええ。ですので、その「強い思念」は、どういったものか、という話になるわけです。
もともと魔力を持っている、魔法が使えるはずの子供、ですが、貴族階級にないため、それに気づかず、また、魔法が身近でもない。
多くの聖女、或いは聖人が言うには、幼い頃、同じ聖女、聖人の「奇跡」すなわち、行使する魔法を近くで見た事があると言います。その際、それまで感じたこともない波動を全身に受けた、と。その「奇跡」とは、「浄化」であった、と。これに関しては例外がありません」
そこまで話して、老魔法使いは、少し咳き込んだが、サイドテーブルのコップに水差しから水を注いで一気に仰いだ。
「「浄化」は少し変わった魔法です。瘴気を消す。その為に何をしているかと言うと、神聖力を発して、満遍なく瘴気に塗れた土地へ馴染ませる。
要するに瘴気に混ぜ込んで、変質させるわけです。ま、それは置いておいて。つまり、まずは神聖力を周囲にばらまくのです。その過程で、周囲に人間がいればそれに触れる。魔力に敏感は子供はどう感じるか」
「ああ……」
「魔力には波長があると考えられています。そして、神聖力とはその波長が変化した物と私は考えます。その波長に、同調し、共鳴する事が出来る子供達が一部に存在する。それは子供たちにとって「神聖なる体験」であり、「一途な思い」は加速する」
つまり、それが、神聖力の目覚め、と考えます。
体調が悪いとはとても思えない程に老魔法使いの言葉は熱を帯び、頬は紅潮していた。
「その同調、共鳴状態は、ある種のトランス状態です。恍惚として、まさしく法悦。皆そう語ります。それは、術を行使する聖女自身もそうです。神の存在を身近に感じるのだそうです。つまり」
声が掠れ、老魔法使いは、またテーブルのグラスを掴んで水を煽った。
「一度その状態に目覚めてしまえば、後は繰り返す度、その心境に至るのです」
神の存在を身近に。
「そうやって、信仰という一途な思いは補強されていくと考えられます。逆に言えば、神の存在を感じられなくなれば、その補強はなく、徐々に衰えていく、とも考えられます」
「つまり、妻はそうなっていた、と?」
老魔法使いは意味ありげににっと笑った。
「現世に関わってこない神を知って、信じ続ける、という事は難しい事かと思いますよ。辺境の素朴な神殿に居続けるならともかく、都会へ出てきた以上、無菌状態でいられるわけではありませんからね。ましてあの方は、自ら王子へ手を伸ばし、手に入れた。神の意思よりは神殿の思惑で物事が動く事も知ってしまった」
王都へ出てきたこと、神殿本部へ引き取られたことそのものが、聖女の力を衰えさせる原因となった、ということか。
「そもそもが、都市に連れ出すような事をせず、田舎にそっと置いておくのが本来であるのでしょう」
老魔法使いはらしくない事を言い出した。
「だが聖女の力は置いてはおけない。神殿と王家と貴族の三者が皆同じ考えであればまだしも」
「そう、誰かが出し抜こうとするのは世の常。であれば、仕方ない。出来るだけ、悪意の少ない者が保護し、聖女の力を保持し続けさせるように仕向けるしか。今までは資料も情報も少なすぎましたが、今回の事でだいぶ色々な事が判りました。次回に生かすべきでしょう」
きちんと記録を残し、将来の王家で役立ててください、と老魔法使いは言って黙り込んだ。
田舎で育まれた穢れのない魂に宿る聖女の力。
だが、その魂は穢れやすく、壊れやすく、儚い。
考えてみれば当たり前の事なのかもしれない。
「母君の術を間近で見ておられ、母君によく似た気質をお持ちだった第一王女殿下には期待していたのですがね。あの方が聖女の力に目覚められれば、母君が力を失っても問題は無いですし。しかし、やはり、王室にいらっしゃる方ですから、無理でしたね」
老魔法使いはふと残念そうに首を振った。
それは彼だけでなく、私を含め周囲の人間皆が残念に思っていた事だった。
「母君も、王女殿下方に信仰心を育てさせようとはなさらなかったですし」
そして、ふと思いついたように顔を上げた。
「そういえば、第二王女殿下はどうされています?我々が期待していたのは第一王女殿下でしたが、母君が近い魔力を感じていたのは第二王女殿下の方だったようで、ある時期から、術後の魔力枯渇を補う為に、第二王女殿下の魔力が欲しいとおっしゃいまして」
「は……?」
「エルヴィエラ様の腕輪の魔法印と同じものを殿下の背中へ刻みました。接続先は同じく指輪にしたのですが、制御式が壊れていたとすると、殿下もまた一気に魔力を吸い上げられたかもしれません。虚弱であるとされていましたが、そのせいだったかもしれませんね」
「は、いや、待ってくれ……」
つらつらととんでもないことを言う男。
「何だそれは。第二王女の身体に刻んだだと。聞いていないぞ」
「聖女殿のたっての願いでございましたから。勿論施術の際は、聖女殿に立ち会って頂きましたよ。二人きりにはなっておりません」
「そんなことを聞いているのではない。いや、何故、妻はそんな事を言い出したんだ。娘の体だぞ……」
「聖女殿は、「術の行使に支障を来さないため」とおっしゃいましたので。私としましては、王妃殿下のご指示に逆らうわけにも参りませんし」
依頼されたので、施術しただけです、と。
相手は王妃だ。確かに。
「王女殿下方は、王家の人間にしては魔力量が少なくておいででしたが、第二王女殿下は、聖女殿に結果として無制限に魔力を奪われても生命に別条はなかった、ということは、いつの間にか魔力量が増えておいでだったのでしょう。確認させていただきたかったですが、施術の後は、王妃殿下が王女宮へ近づけて下さいませんでしたので」
あの方も、あの頃は必死のご様子でした。
男は何かを含んだ物言いで笑った。
この男は、魔法塔の住人として、全てを面白がって見ていたのではないかと気づく。
私の視線にそれを感じ取ったわけでもあるまいが、男は両手を目の前で軽く振った。
「あの頃、私の方も自動人形の試作実験に入っていましたので」
経歴の後半において最大の発明の実験が佳境に入っていたが故に、その他の事には手が回らなかったのだと言う。
「そういえば、王妃殿下は何故第二王女殿下を隠遁先へお連れになったのでしょう。こう言っては何ですが、もう必要ではない方ですのに」
不思議そうに男は言う。
「あれだけ遠征に連れまわしていたのだ。流石に一人でいるよりは、傍に置いておきたかったのだろう」
「そうですか……?そうかもしれませんね」
納得はしていないようだったが、大した問題でもないと思ったのか再び老魔法使いは口を閉ざした。
気分が高揚した反動か、眠気が襲ってきたらしく、うつらうつらし始めた老魔法使いを見て、席を立った。
看護人を呼び、半身を横たえさせるよう指示して病室を出た。
離宮へ戻ると、珍しくも娘から手紙が届いていた。
王都にいる元第一王女からだった。
大して関わってこなかった娘でもあり、お互いに親しみがあるとは決して言えないが、以前も一度、母親と妹が無事辺境へ到着したのかどうか問い合わせてきた事がある。
現状確認程度はしておくべきと考えているのだろうか。
昼間、老魔法使いと娘の事を話したばかりだったので、不思議な気もした。
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お元気でお過ごしでしょうか。
辺境の妹へ何度か手紙を出しているのですが、返事が来ません。
お母様からは「長距離の移動で体調を崩して、手紙を書けるような状態ではない」とお返事が来ます。
お見舞いに行きたいと言っても、とても受け入れられる状態ではないと断られます。
妹の病状について何かご存じありませんでしょうか。
こんなに長引くのであれば、良い医師を派遣したいと考えております。
私の申し出より、お父様のお申し出の方が受け入れられるかと思います。
ご協力いただけませんでしょうか。
ご検討下さいませ。
春の嵐でした。
この辺の桜の満開予想は昨日でしたので、ぎりぎり、という所でしょうか。
(一応昨日秘密の穴場へ見に行きました)
久しぶりに激しく雨が降りました。
少しはダムに水がたまるといいけれども。




