10・元伯爵令嬢は回復傾向
古い傷口を冷ややかな感触がなぞる。
不思議な心地で目を向ける。
厳めしい顔をした魔法医は、「うん」と何かを確認して頷いた。
ひんやりとした指先は、ゆっくりと上がって、私の頬に触れ、右側に垂れている髪を撫でつけるように耳の後ろへ梳きやった。
近くなる顔に思わず視線を背後の壁へ逃す。
魔法医はするりと既に乾ききっている傷を撫で、衣服を脱ぐよう指示した。
病衣の紐をほどき、片袖を落とした。
顔は鏡でもない限り自分では見えないが、身体の半分が黒く染まっているのは目に入る。
己でも最初は悍ましいと思った傷跡だが、今ではそれが誇らしい。
身体に残る傷は全て、己が初めて戦った痕だ。
「うん、だいぶ薄くなっているね」
なので魔法医の言が少しだけ惜しい。
「なんだい。少しは喜んでもいいだろうよ」
魔法医は僅かに不機嫌を浮かばせた。
「ごめんなさい。でも、私にとっては勲章のようなものだから」
そう言うと、苦笑がこぼれる。
「ディートに言ったら泣かれるよ」
どこまでも忠実な護衛は、今は部屋の外だ。
別に私は気にしないが、彼は相変わらず私の診察時は席を外す。
怪我の手当ても、意識が戻らない身体の世話も、全て彼任せだったのだから、今更見られた所で私は全く気にならないのだが。
「半身の黒ずみは、ほぼ呪いの影響だから、あんたの言う勲章とは違うだろう。まったく……やっかいな腕輪だったよ。さっさと壊してしまえばよかったものを」
どういうわけか、王の指輪が弾いた呪いは、呪いの主ではなく、エルヴィエラの元へ飛んできていた。
魔法医曰く、これもまた、あの老魔法使いの余計な心遣いだろうということだった。
呪い主はどんな相手か判らない。立場上急に病に倒れたり死亡したりすれば、政に支障をきたす恐れもあるだろう。
であれば、膨大な魔力量を持つエルヴィエラへ擦り付けておけば、どうにでもなるだろうと。
「……薄くなっているということは、今度こそ呪い主の所へ返っているのかしら?」
「そうだね」
「でも古いものは二十年物ですよ?呪い主が亡くなっている可能性はないかしら?」
その場合はどうなるのだろう。
「呪い主が死ねば、呪いは消えるよ」
「ああ……そういえばそうでしたね」
基本的な話だった。
呪い主の死の瞬間、呪いは返って、呪い主の身体を黒く染め上げる。
その一瞬が地獄の苦しみであるとか、悪魔が魂を持ち去るとか言われている。
正確なところは誰にもわからない。
いずれにせよ、遺体にそんな異常があれば、家にとっては結構な醜聞である。人目に曝せない事情を適当にでっちあげて誤魔化すしかない。そうやって密かに埋葬されてしまえば、呪いの反動も秘されて終わる。
「あんたに張り付いている呪いは、間違いなく呪い主の所へ返るから、一向消えなかった傷もこれで綺麗になるだろう」
魔法医はそっともう一度右頬に触れてきた。
「呪いが傷に張り付くなんて、初めて見たよ。本当にまったくあの男は……」
「わざわざそんな仕掛けを仕込むとも思えませんし、それに関しては偶然なのでは?」
「まあそうだろうけど……あの男のすることだからねえ……」
逆の意味で信用があると言うべきか。
するりと傷のない左側の腕をすべりおりた手は、義手を外した傷口へももう一度触れた。
「こちらも、時間は多少かかるだろうが、恐らく徐々に再生するだろう。あんたの魔力が、左手の形を憶えているようだから」
「十年経っておりますのにね」
不思議な気持ちで、なくなってしまった部分を見る。
「右足は流石に無理だろうけどもね……」
「どちらも魔力を通して義手義足に接続しておりましたのにね。やはり細かい作業をする手の方が記憶が残りやすいのでしょうか」
「足は二十年だからね……。そういう意味でも難しいと思うよ」
義手も義足も、この魔法医が開発したゴーレムの機能を使って作られていた。
エルヴィエラが豊富な魔力を持っていたからこそ可能な事だった。
その魔力で、ぴたりと接続され、間接は滑らかに動いた。
そうする事で、記憶を保ったとも言えた。
「最初の頃は私のゴーレム技術もあんたの魔力制御も未熟だったしね……」
「そうでしたわね……」
その上、なかなか体力も戻らず、歩行訓練も出来なかった。
「まあでも、手が戻るだけでも僥倖です」
にっこり笑って見せた。
実を言えば、義手でもあまり不便を感じてはいなかった。
師のゴーレム技術は一級品だった。
夫である老魔法使いは自動人形を開発したと聞くが、それは最近の話だ。
世間で評価されている老魔法使いより、師の方が魔法士としては優れているのではと思われてならない。
風邪をひく前に衣服を戻せと指示されて、袖を元通りに通しながら、ぼんやりと考える。
紐を結ぶという繊細な動作でさえ今となっては容易だ。
「お薬をどうぞ」
薬湯を差し出してきたのは、最近師が迎え入れた弟子。
その昔はある種見慣れていた金の髪と翡翠の瞳を見た時は驚いたものだった。
手渡された薬湯をまず色を確認し、一口含んで味を見る。
丁寧な仕事だった。
性格が表れているように思う。
「だいぶ慣れましたか?」
尋ねると、妹弟子は頷いた。
「はい、御蔭様で」
素直に頷いた。
「正式に弟子にしたのは最近だが、教えていたのはだいぶ以前からだからね。腕に問題は無いよ」
尋ねたのは、恐らくは使用人もいない庶民の生活の事だったのだが。
とはいえ、師の言葉に多少呆れる。
以前聞いた時も同じく呆れたものだったが。
師は類まれなる魔法の使い手ではあったが、転移を利用して王宮内にまで入り込んでいるとは思わなかった。
「無茶をなさる方ですわねえ……」
「大したことじゃない」
師の口ぶりは本当に、大したことではないと思っているようにうかがえる。
思わず笑ってしまう。
王宮の厳重な警備を知っているだけに。
笑いながら、サイドテーブルから義手を取り、左手に装着する。
師の言うように、少しずつ再生しているらしく、左腕が伸びたような感触があった。
魔力を義手に伸ばして行き渡らせ、調整する。
「手入れも上手にやっているようだね」
様子を見ていた師が確かめるように言った。
義足を用意された時から教えを受け、細かい調整や手入れなどは自分で出来るようになっていた。
教えの集大成として、ゴーレムを一体作りさえした。
ディート一人では大変だっただろう家の維持などの役に立っている。
「先生程の腕前ではありませんけれども」
「謙遜しなさんな。充分だよ」
師がやんわりと頭を撫でてきた。
子供の頃でさえ誰かから頭を撫でられたことなどない。
この歳でそんなことをされると、どう反応してよいのか戸惑う。
「それで、何のお話でしたかしら」
戸惑いを誤魔化す為に、私は、師が診察の最初に告げた事を蒸し返す。
「詳細は、まあ、この子の手紙をごらん」
師が視線で妹弟子の方へ指示し、彼女は分厚い手紙を封筒ごと渡してきた。
私は、封筒の宛名と差出人を確認した。
宛名は、妹弟子の名前。姓は無い。
差出人は、先ごろ結婚した筆頭侯爵家夫人。
既に開けられている封筒の中から分厚い紙の束を取り出し、中身を確認する。
……元第一王女殿下は随分と愉快な性格をしておいでのようだった。
「ついに元第一王女殿下は父君に手紙を出したそうだよ」
最後まで読み終わった辺りで、師は溜息をつきつつ言った。
「こちらです」
遠慮がちにもう一通、妹弟子は封筒を差し出してきた。
その内容を見て、私は呆れて笑ってしまった。
「笑いごとじゃないんだよ」
師がしかめ面をしてきた。
「この派遣される医師として、なんでか私が指名されたんだよ」
おやまあ、と思わずこぼれた。
「忙しいとでも言って、お断りすればよろしいのでは」
「どういうわけか、現国王陛下からも連名で依頼が来たんだよ」
勘弁してほしい、と言いたげに師は天を仰いだ。
「それでは行くしかありませんわねえ……」
「事前に顔を見せろと言われて王宮に行って来たよ」
もう話はある程度進んでしまっているらしい。
前王と顔合わせすることになってしまった、とうんざりしたように師は言った。
魔法伯爵の妻として、目通りした事はあったが、随分昔の事だと聞いていた。
魔法伯爵の本分は魔法であり、その特殊性から社交をせずとも問題なく、勢い妻である自分もその必要はなかった、と。
元より窮屈な王宮は苦手としており、その点だけは夫婦共通していたようだ。
「代役の子を診察して帰ってくるだけでは済まなさそうですの?」
「「見たことをそのまま報告するように」と言われたよ」
「あら……」
いかに興味がなくとも、流石に何かおかしいと気づいたのか。
「王宮の方はそれでよくとも、辺境の方はそうはいかないだろうよ」
「まあ、多分そうですわね……」
代理の娘は健康的に問題があるわけではない。
素知らぬ顔で診察して帰ってくる事ができればいいが、恐らくそれは通らない。
診察を拒否されるか、或いは、病状を誤魔化すよう脅しつけられるか。下手をすると事故を装って害される可能性もある。
「王から派遣された医師をそんなに簡単に拒否するかしら……?」
「あの元聖女殿とその取り巻きしかいないんだよ。王家の権威なんか塵みたいなもんだ」
「ああ、そういえば、そうでしたわね……」
私は二十年前の宮廷の様子を思い出す。
突然現れた無邪気で美しい聖女。
見た目の可憐さのみが理由ではないと思われるが、王族も驚くようなカリスマ性を発揮して平民は元より、神殿内、王宮内でも多数の信奉者を生み出していた。
男女問わず。
それ故、私は王宮内で常に聖女の間諜に見張られていた事になるのだが、あの頃はそれを気にしても仕方がないと思い込んでいた。
今思えば、もっと貴族らしく対処する方法はあった筈だと思う。
少なくとも、こんな目に遭わずに済む道はあったのではないか。
本当にあの頃の私は純粋で……愚かだった。
「ディートをお貸ししましょうか?」
扉の方を見やると、忠実な護衛が入ってきた。
私と彼の意識は、恐らく魔法的な何かで結ばれている。
この家の敷地内であれば、お互いの居場所はなんとなくわかるし、声に出さなくとも意思が通じる事もよくあった。
この繋がりは、私が長い事意識が混濁している間に、つきっきりで世話をしてくれていた彼と、事故のように魔力が同調してしまった際に出来てしまった。
どういう理屈かはよくわからない。
私は朦朧としているだけだったし。ただ、彼は本当に献身的に寝る間も惜しんで看病してくれていたせいで、私の制御できずに漏れ出す魔力を浴び続け、彼自身も睡眠不足で朦朧としていた瞬間に、ぴたりと波長が合ってしまった、ようだ。
彼はそう話した。
私に記憶はなかったので、そうなのだろうなと思うだけだ。
「あんたの傍を離れて平気かね」
胡乱げに師はディートを見やる。
「わたくしはもう問題ありませんわ。この頃は本当に体調も良いですし、義手も義足も調整して頂けましたし」
にっこり笑うと師はますます眉を寄せた。
「いや、あんたの事じゃなくてね……」
「エルヴィエラ様のご命令であれば、何処へなりと参りましょう」
言いさした師に護衛の声が被さった。
師は言葉を止め、ちらりと男を見て溜息をついた。
「彼は一騎当千ですわよ」
何か不都合でもあるのかと首をかしげながら師に請け負う。
「そりゃ判ってるよ」
「なら、ぜひお連れになって下さいな。ディート、先生を守ってね」
男は「かしこまりました」と一礼した。
見に来てくださってありがとうございます。
昼間はあったかくなったなあ、と思っていたら、昨日今日はなんだか天気が悪くて肌寒いです。
米が切れていたので、仕方なく買いに言きました(引きこもり)。
スーパーに行く度に、普段使用している品が高くなっているので驚きます。
老後は二千万の貯えが必要、と聞きますが、この分だと二千万じゃ足りないんじゃないか。
米の値段は落ち着いてきたようですが。
先行き安心、とはなかなかいかないものですねえ。




