11・密かな病
「今更だけど、よかったのかい?」
私は本から顔を上げずに、前の座席に座っている男に問う。
「何がです?」
男も視線は窓へ向けたままなのは判っている。
「エルヴィエラの傍を離れる事だよ」
男は漸くちらりとこちらを見たようだが、直ぐに視線を戻した。
「腕輪を壊してからは、本当に体調が嘘のように回復なさっていますから、私が付きっきりでいる必要もなくなりましたので」
「まあ、そりゃそうなんだけどさ。あんたの気持ちとしてはどうなんだい」
「……多少心配な面は流石にありますが、まあ、あの家に侵入できるような者はいませんでしょうし、エルヴィエラ様も身の回りの事には不自由なさらなくなりましたし、子供達もそれなりに役立つくらいには成長しましたし」
「確かにねえ……。だが自己防衛で押しこめている記憶が蘇る可能性もないわけじゃないし」
「確かにそうなんですが……」
男は続く長閑な山道をぼんやりと見つめる。
この男がエルヴィエラを慕っている事は、エルヴィエラ以外には明らかな事だった。
少年の頃に、行き場をなくした男爵家の三男。
貴族とは名ばかりの貧しい家で、三男はスペアとすら考えられず放置され、飢えたあまりに家を抜け出して道端に倒れていた所を偶然エルヴィエラに拾われたらしい。
連れ帰って、自分の従僕としたいと父親に告げると、あまりいい顔はされなかったが、丁度再婚が決まって家内が色々な事で立て込んでいた為、どさくさに紛れて雇用を決めてしまったという事だった。エルヴィエラは大人しい性格ではあったが、人の顔色をうかがって物事をするりと自分の思う方向へ持って行く事が意外とうまい人間ではある。
拾われた恩を返したい、と男は言う。
だが、エルヴィエラは、誰よりも努力して、長年仕えてくれただけで、もう充分恩は返してもらっていると言う。
特に襲撃事件から数年は、住処はあれど、無給で世話をさせてしまった事を申し訳なく思っていると。
私から見れば、この男が女主人の世話をするのは喜びでしかないのでは、と思うのだが。
気づいていないのか気づいていない事にしているのか。
「あの子の危うい部分を安定させられるのは、あんたぐらいじゃないかと思うんだがね」
「……」
男は黙る。
使用人の立場では、身動きできないとでも思っているのか。
少し揺れが酷くなった馬車に眉をしかめながら、私は魔法で尻の下に一層風の膜を作った。
「わかっちゃいたけど馬車移動は疲れるね……」
男は無言で頷く。
男の普段の移動手段は馬だろうし、私は馬か転移魔法だ。
短い距離ならともかく、長距離移動で馬車など選ぶ事は殆どない。
「陛下も馬車を貸し出してくれるなら、もうちょっと年寄に配慮した座席にしてくれればいいものを」
現在、乗っている馬車は、依頼主である前王が用意したものだった。
道中の護衛も二名つけてくれた。
辺境への移動には危険も伴う。当たり前の心遣いではある。
とはいえ、普段から薬草採取に辺境をうろついている身からすれば、自由に移動させてくれた方が楽ではあった。
下手すれば道中何かがあるかと気を張っていたせいで疲れ果てた頃、辺境の街に到着した。
何事もなく、順調な旅だった。
元聖女の隠遁先は、この街から少し離れた村の外れである。
湖の畔の、元は貴族の持ち物だった古い別荘を改築した屋敷だと聞いている。
元聖女の別荘に滞在するつもりはなく、街で宿を予約していた筈だったが、そこにはいかめしい顔をした騎士が二人待ち構えていて、「お待ちしておりました」などと言う。
「どちらさんだい」
マントからちらりとのぞいている銀の胸当てには見覚えがあったが、敢えて尋ねた。
「我々は聖女様の使いです。遠路はるばるお疲れ様でございました」
無表情な顔をした男たちではあったが、どちらの容貌も整っていた。
あの元聖女に侍る男達は皆そうだった。
「そうかい。御屋敷へは明日伺うつもりだよ。今日は疲れているので部屋で休みたいんだがね」
「いえ、是非とも屋敷へお泊り下さいとの聖女様のお申し出です」
「折角だが宿も取っているし」
断りにかかったが、騎士はぐいと身体を押し出してきた。
「勝手ながら宿の予約は取り消させていただきました」
「はあ?」
「既に話はついております」
いかにも不愉快だと顔をしかめてやるが、男たちは表情を変えない。
「先生、ここはご招待に応じましょう」
もう一言何か言ってやろうと思った所に、ディートが横から割って入った。
「気が休まらないよ」
「……従っておきましょう」
目くばせに、私は溜息をついた。
村は景勝地としてこの辺では知られた土地らしく、湖の畔には、点々と屋敷が建っている。
どれも、貴族や裕福な家の別荘らしく、一帯は綺麗に整備されてもいた。
聖女の隠遁先にはふさわしいとも思えた。
それらの中でも一番奥になる場所に、丈高い塀に囲まれた一際広大な屋敷があった。
騎士たちの馬に先導され、馬車は開かれた鉄柵の門に入った。
土地は広大だが、屋敷そのものはこじんまりとしている。
入口ではメイドたちが出迎えた。
「おや……」
前王が派遣した医師である。体裁だけでも女主人の出迎えがある筈と思ったが、元聖女の姿は無い。
ディートにエスコートされて馬車を下りると、少し年かさのメイドが頭を下げ、屋敷の中へと案内する。ここへは気心の知れた同じような年齢の使用人だけを伴ったと聞いているが、メイド長は母親世代らしい。
私たちにつけられた護衛二人は別部屋へ連れて行かれ、私とディートの後ろには街へ出迎えに来ていた騎士二人がついている。
ディートも別室へと離されそうになったので、この男は助手だと言って引きとめた。
必要な道具なども全て彼に持たせているので、別部屋へ案内する前に一度自分の部屋へ一緒に連れて入りたいと言った所、騎士たちは渋い顔をしたが、メイド長が何か目配せでもしたらしく、黙って引き下がった。
案内された部屋は、客間で応接室でもなかった。
広々とした空間に、高価な家具がしつらえられ、もう一つある扉の先には、豪華な天蓋つきの寝台。
カーテンは下されているが、メイド長はそっとそこから声をかけた。
「聖女様、王都からお医者様がいらっしゃいました」
予感はあったが、その先にいるのは王女ではなく……
メイド長がカーテンを人一人通れる程度に開き、私は促されるまま中へ入った。
横たわっていたのは、元聖女だった。
良く手入れされていた筈の髪は乱れて艶を失っており、枕に沈む顔は青く、そして、額から頬にかけて右側がどす黒く染まっている……
「……私は、元王女殿下の診察の為に来たんだがね……」
メイド長を見やる。
「ひと月ほど前から急にこのようにおなりあそばしたのです」
こちらの言を聞く様子もなく、メイド長は話し出す。その眼差しは元聖女に向けられて外れない。
「密かに街の医師に診察させても原因不明と言うばかり。王都から高名な医師を呼ぶべきかと思った所にあなた様がいらっしゃるとのお話があり、これも神のおぼしめしかと存じます。どうか一刻も早く診察をお願いいたします」
「いや、だから、元王女殿下を先に……」
「聖女様以上に優先されるべきお方はいらっしゃいませぬ」
メイド長は視線をそのままに言い放つ。
私は溜息をつくしかない。
「では、まずは着替えと手を洗わせておくれ。いくらなんでもこのまま病人を診るわけにはいかないよ」
四十近くになってもまだ可愛らしさを備えていた筈の元聖女は窶れきって、十も歳を取ったように見えた。
艶を失った髪には白い物が混じり、目の下には隈が浮き、呼吸は苦しげだった。
顔にかかった髪をどかし、黒ずんだ痣を見る。
上掛けをめくって、首から下も確かめる。
主に身体の右側に黒い痣は浮かんでいた。
「呪いだね」
一通り見て、私はメイド長へ告げた。
メイド長は眼を見開いた。
「聖女様に呪いなど……。ありえませぬ」
譫言のように否定する。
「そうは言ってもね……」
私は肩をすくめる。
「通常の病変ではないんだよ。呪いの魔力反応もある。そして私は、他にも同じようなものを見たことが何度もある」
「そんな……。聖女様を呪うなんて、一体誰が……」
それでも信じられないようにメイド長は首を振る。
聖女様はつい先日まで王妃だったわけで、呪われる可能性はいくらでもあるのだが、それについては考えも及ばないのか。
「誰かにかけられた呪いじゃないね」
「は……?」
私は大きく息をついた。
「これは返ってきた呪いだよ」
「恐らく先方が呪いを解いたのだろう」
元聖女の黒く染まった首元に手を当てて纏いつく魔力を確かめる。
それが覚えのある波長であった為、溜息をつくほかなかった。
「聖女様が誰かを呪うなど、あるはずがありません」
メイド長が不愉快げに言った。
「そうかい。見立てが気に入らないならそれでいいよ。私の目的は元王女殿下の診察だからね」
私は答えて聖女の寝台を離れた。
「元王女殿下の部屋はどこだい?」
カーテンの外にいたディートに尋ねる。
ディートはカーテン内には入らず外で待っていた。
「こちらのようです」
ディートはまるで我が家のように先に立って歩き出した。
「お待ちください!屋敷内を勝手に歩かれては!」
メイド長が慌てて出てきたが、私は軽くその両足に重力の魔法を纏いつかせた。メイド長は何かにぶつかったように立ち止まり、狼狽えた。
その隙に私たちは部屋を出た。
部屋の外にいたはずの護衛の姿は無かった。
足早にディートに案内されて目的の部屋へ向かう。
先ほど手を洗って着替えている間に、ディートは屋敷内を手早く探ってくれていたらしい。躊躇いのない足取りだった。
元聖女の部屋は二階だったが、元王女の部屋は三階の東端だった。母親の部屋と違って警備の人間も使用人の気配もなく、しんとしていた。
私は扉を叩いた。
「王都から来ました医師です。扉を開けてもよろしいでしょうか」
声をかける。
扉が細く開かれた。
覗いたのは無表情を貼りつかせた三十そこそこの侍女らしき女だった。
「申し訳ありませんが……」
「お入り頂いてください」
何か断りの言葉を発そうとしたらしいが、それに被せるように別の女の声が聞こえた。
侍女は無表情を歪めたが、後ろから扉の隙間に手を入れて間隔を開いたのは大きな男の手だった。
侍女の背後から手を伸ばしていたのは、私と同年代と思われる男だった。
その更に後ろには更に同じ年頃と思われる女が立っていた。
「孫はこちらです」
どうやら元聖女の両親らしかった。
侍女が何か言おうと口を開いたが、「後は私たちが引き受けますので、あなたは娘の所へ行ってください」と言って退室を促した。
「娘」と言われて、侍女は表情を変え、いそいそと部屋を出て行った。
ディートはそれを眉をひそめて見送った。
「こちらへどうぞ」
元聖女の父親が奥の寝室へと我々を誘った。
寝室の扉を開くと、そこは開かれた窓から日差しが注ぐ、明るく小さな空間だった。
寝台のカーテンは元聖女とは違って全開で、そこには柔らかな金茶の髪の少女が少し緊張した顔で半身を起こして待ち受けていた。
髪は金髪と言えば金髪、瞳は緑と言えば緑だが、どちらも茶の色味が濃い。
年齢が進むと、金も緑も薄れていく可能性が高く、「外見的特徴は王家そのもの」と言われた王女の替え玉としてはいささか物足りない。
とはいえ、孤児の中からここまでの外見の子供を見つけるのは苦労したことだろう。そういう意味でも元聖女の信奉者たちの献身を推し量れる。
彼らは元聖女の為ならば何でもする。
異常なほどだ。
「さて……申し訳ないけど座らせてもらいますよ。何しろ到着して一休みもさせてもらえていないので」
私はそう言って椅子を引き寄せ、少女の傍に腰を下ろした。
「はい……。あの、お連れの方も、どうぞ」
躊躇いがちに、離れて立つディートにも声をかけたが、
「私は助手ですので」
そう言って、寝台の片側のカーテンを私を中へ入れるように引き、自分は中が見えない離れた場所、扉の脇へ立った。
「あの……」
少女は、寝台の足側、カーテンに半分隠れた小さなテーブルに座す先ほど部屋へ案内してくれた夫婦らしき二人を見やった。
二人は頷いて立ち上がった。
「お初にお目にかかります。我々は、娘……元聖女の両親です」
実直そうな顔をした夫婦だった。
カーテンの影から出て、私に顔が見える位置まで移動して頭を下げた。妻の方の顔立ちは元聖女によく似ていた。
「上王陛下からの依頼で参りました魔法医です」
私も立ち上がって礼をした。
「長くお孫様のお加減が回復されないという事で、王都のお姉さまやお父様がご心配なさいまして」
そう言うと二人は表情を陰らせた。
「さようでございますか。孫は……、ご覧の通りでございます」
そう言って、寝台の反対側へ行き、思いやりに満ちた顔で少女の手を取った。
「娘がどのように知らせていたのかは存じませんが、孫はひどく悪いというわけでもなく、このように身を起こす事も出来ますし、調子が良ければ庭を散策する事も出来ます」
「手紙を出しても返事がないとお姉さまは大層ご心配でしたよ」
私も大概意地が悪いとは思いつつそう水を向けてみた。
少女ははっと顔を上げた。
「あの、手紙は、私の手元には来ていなくて……」
気まずそうに答えるが、実際そうなのだろう。
「そのご様子でしたら、短いお手紙程度であればお書きになるのも可能でございますね」
そう言って、私は身に着けていた鞄から一通の封書を取り出した。
「お姉さまからです。……字はお読みになれますか?」
少女は事ここにいたってはっと顔を上げた。
私は頷いてやった。
「はい、得意ではありませんが……」
少女は小さな声で答えた。
私があらかたの事情は知っていると気が付いたのだろう。
本来の元第二王女は身体は弱いが、読書を好む早熟な子として知られていた。そもそも王族の子女に対して間違っても「字が読めるか」などと尋ねるなどありえない。
少女は微かに震える手で封筒から一枚の紙を取り出した。
じっくりと文章を目で追い、やがて溜息をついた。
「気づく方は気づいている、ということですか?」
少女がこちらを向いて尋ねる。私は頷く。
「そもそも大分無理がある企てだと思いますよ。一人でも第二王女殿下と関わりを持ち続けようとする人間がいれば即座にほころびが露呈する」
母親である元聖女は、その関わりがあるとは知らなかったのだろう。
あるいは、自分が連れまわすことで、他者との繋がりを全て切ったと思い込んでいたのか。
そして、自分がそうであるように、第二王女には誰も関心を持っていないとも思い込んでいた。
「実際一度、お姉さま、元第一王女殿下は、こちらにおいでになって、お庭の柵越しにあなたをご覧になっておいでです」
少女は直ぐに思い当たったのだろう、はっと口元を押さえた。
私は隣にいる老夫婦へ視線を移した。
「お二方もご記憶ではありませんか?領主館の客だと思われたようだとおっしゃっていましたよ」
二人は顔を見合わせた。
そして、夫は苦笑を浮かべた。
「やはりあの貴族のご婦人はそうでしたか……。娘によく似ていましたから」
首を振る。
「普段は柵の方へは近寄らないように言われているのですよ。ですが、遠目にお見かけしましてたまらず……。この屋敷の敷地に対して警備や使用人の人数は足りておらず、しかも彼らは娘以外には興味が薄いのでその気になれば別段止め立てしてくる者もいません。ふらふら近づいた私たちに、優しく微笑んで、「こんにちは、綺麗なお庭ですね」とおっしゃった。私たちには見る事の叶わなかったあの年頃の娘は、あのように笑ったのかもしれないと思いましたよ」
子供の頃親元を離れてから、王都の神殿へ行ったきり、この歳になるまで面会もかなわなかった一人娘。
「不思議だったのですよ。娘と連絡を取りたくて、私たちは読み書きを必死で憶えて手紙を出しましたが、十通出して一通返ってくる程度。その文章もそっけなく、故郷を懐かしむふうでもない。私たちは、もう田舎には興味がないのだなと思っていました。突然帰ってくると言い出して逆に驚いたくらいです」
「最初は忙しいから仕方がないと思っていたのですが、あの子は、私たちに気づかず通り過ぎました」
ふ、と妻の方が零した。
顔を向けると、妻も苦笑した。
「娘が王都へ行ってから数年経った頃の事ですが、隣の領で瘴気が発生し、聖女一行が浄化に来た際、見に行ったのです。遠目にちらりとでも顔が見られたらと思って。運の良い事に、森の手前の広場で、最前列に立てました。端の方でしたが。そこで森へ入っていく聖女一行を見たのですが、あの子はこちらを確かに見たにも関わらず、無表情に通り過ぎて行きました。まあ、浄化前で緊張していたのかもしれませんが」
「今回こちらへ住まいを用意されると聞いた時も、最初は断ったのですよ。私たちには小さいが長年住み慣れた家もある。まだ農作業も出来る。今更娘と同居した所で何が出来るわけでもない。一人は寂しいからどうしても、と言うが、正直言ってそれを信用する気にもなれない。ですが、孫を伴うと言われて……」
ひと目会いたいと思っていたのです、と悲しげに言う。
二人の間には元聖女しか子がおらず、孫は元王女の二人だけなのだ。
「ごめんなさい……」
小さな声が少女からこぼれた。
夫婦は宥めるように優しく少女の腕を叩いた。
「お前は良い子だよ。おじい様おばあ様と言われて嬉しかった」
そう言って優しく微笑む夫妻に少女は瞳に涙を浮かばせた。
「さて、見た所」
私は三者の中へ割り込んだ。
三人ははっとこちらへ目を向けた。
「お嬢様は身体に異常はございません。多少魔力の流れに乱れも見えますが、まあ、規則正しい生活をして、適度に身体を動かせば整えられる程度です。病弱なふりをして横たわってばかりいると本当に体調がおかしくなりますから、お気をつけください。お姉さまによれば、三人で庭仕事をなさっていたとか。大変身体に良いと思います」
そう言ってやると、少女は小さく笑みを浮かべた。
「お二人とする作業は楽しいのです」
私は改めて少女の手を取り、魔力の流れを確かめつつ頷いた。
「お手を」
そして寝台の反対側へ移動し、老夫婦にも促した。
二人は不思議そうに手を出した。
私は二人の魔力の流れも診た。
「お二人も健康ですね。このまま無理なく庭作業をお続けになると良いと思います」
そして、三人に向き直った。
「御三方とも、元聖女殿の病状についてはご存じですか?」
少女は首を傾げ、夫婦は表情を歪めた。
「この所、体調が悪いと言って部屋から出ないとは聞いていますが……。我々にはあまり関係がないのです」
純朴なはずの夫婦の、夫の顔が皮肉に歪む。
「あの子は「一人はさびしい」と言った割に、我々とはあまり関わろうとしません。暇なあまり、庭を整え始めた我々が気に入らないのかもしれません。もう生きる世界が違うので、仕方ないと思っています」
全肯定してくれる取り巻きにのみ囲まれて過ごすのが良いのでしょう。虚しくならないのかと思いますが、と。
娘が神殿へ引き取られてから読み書きを学んだと言う夫婦は、理知的な瞳をしていた。
恐らく、娘が特異な地位を得たがために、常人には与り知らぬ苦労があったのだろう。
「元聖女殿の身体は呪いに侵されています」
ひゅっと息をのんだのは少女だった。
老夫婦は予想外に落ち着いていた。
「しかもその呪いは、返ってきたものです」
呪い返しと聞いて、流石に老夫婦も表情を変えた。
「聖女が呪い、ですか……?」
俄かに信じがたいと言いたげだった。
「取り巻きは信じる気が無いようでしたよ。そう言われてしまえば、私としては引くしかないので、もう関わる気はありません。私はあくまで、元第二王女殿下の体調を診る為に派遣された魔法医ですから」
私は幾つか鞄の中から装身具を取り出した。
「庭仕事などなさるなら、指輪や腕輪よりネックレスがいいでしょうかね」
そう言いながら、魔法銀で作られたそれをまずは少女の首にかけた。石は磨かれた鉄隕石でこれもまた銀色に輝いている。
「呪いは本人に返るものですが、周囲にいる人間も余波を被る可能性がないわけではないので」
「え……」
少女が不安そうな顔になる。
「魔力が少ない人間は、呪いの負の気の影響を受けやすい。これはその呪気とでもいうべきものを避ける魔法道具です。あなた方はこの屋敷の人間の中でも魔力が少ないですから」
そう言って老夫婦にも同じネックレスを渡した。常に服の下につけておくように言い含める。
「返ってきた呪いは、消える事はありません。元聖女殿はあれを抱えて生きるしかありません」
私は老夫婦へ告げた。
二人は沈鬱な顔でそれを聞く。
「呪いとはそういうものです。覚悟も無しに使うようなものではないのです。あの方がその身に受けている筈の神の加護がどのように作用するかは判りませんが……」
私は元聖女の娘である弟子が常に見ていたという、「金色の魔力」の事を思い出す。
誰もそんな色の魔力を持っていないという。
輝かしく、豊かで、心地よい魔力であると。
私は、神が直接的にこの世に関与するとは思っていない。様々な悲劇を「人に与えられた試練」だと神殿は説くが、職業柄色々な人間を見てきた身としては、「神は存在するのかもしれないが、人間を特別扱いはしていない」と思っている。虫や動物と同等にしか見ていないのではないか。或いはとっくの昔に興味をなくしているのかもしれない。
聖女、聖人の発動は、ずっと昔に設定された単なる装置であって、今はそれが自動で動いているだけなのではないか。
私はゴーレムを作る過程でそう思った。
そして私は、ゴーレムを人に近い姿に作る事は避けるようになった。
何かが心の中に忌避感を生ませたからだ。
元夫は平然と人の姿を模した自動人形を開発したので、感じ方が違うだけなのかもしれないが。
私のゴーレムづくりの腕を知っていたら共同開発したものを、と息子に言ったらしいが、冗談ではない。
早速金満家の貴族の中には外側を好みのままに美しくした自動人形を作って楽しんでいる者もいる。
それによって何が起こるかを、私は考えたくない。
人は神にはなれないのだ。
定められた禁忌は確かにあって、大分緩いが、それだからこそ、ある時突然作動するように見えるのではないか。
人が人を作ろうとした時。
聖女が呪いを発動した時。
「あなた方が娘である元聖女殿を助けたいとお考えになるのであれば止めはしません。ですが、私の個人的な意見を申し上げれば、近づくべきではないと思います」
神の怒りに触れた者……。神殿風に言えばそのように名指されるのだろうか。
金の魔力を失った事は、天罰。
だが、発動するのであれば、もっと早くともよかっただろうに。それもまた人の感情か。
老夫婦は悲しげにお互いの手を握り合っていた。
「どうにもならないのだとは分かっています。ですが、最後まで見守りたいとは思います」
私は頷いた。
二人は既に、覚悟をしている。恐らくこの屋敷で娘を待ち受けている時から覚悟は出来ていたのだろう。
私はその後すぐに屋敷を出た。
用は済んだ。
後始末はディートに任せた。
「元」をつけたタイトルが思いつきませなんだ。
見に来てくださってありがとうございます。
いいね、評価、ブックマークありがとうございます。
締め切った部屋に出る蚊の穴をようやっと特定しました。
亡き父が作った掘りごたつを塞ぐ上蓋の隙間です。
以前は上にジョイントマットを敷いていたのですが、端の方がボロボロになってきたのでその部分だけ取り除いて面積が狭くなり、隙間が露出するようになったのです。なんてこったい。親父が掘りごたつなんて掘るから(私はこたつが嫌いなので冬でも上蓋を開けません)。




