08・元国王と元公爵と元王宮女官の偶発的な茶会
何故一生添い遂げなかったか?
そんなものは、私もあれも望まない。
証拠にあれは、王妃の立場がなくなると知ると、さっさと離縁を申し出て田舎へ引っ込むことを決めた。
「真実の愛」などと言っていても、あれは最初から野心に溢れた女だった。
上へ上へ、強欲に突き進む。
その前には、愛などそよ風に舞う枯葉並みの重さしかない。
外面はそれはもう清らかで慈悲深い聖女の仮面を被っていたが。
大衆はそれで誤魔化されても、我々はそんなものには惑わされない。
何故ならば、そういう教育を受けて育っているからだ。
あの女はそれを知らなかった。
私はあの頃の情勢を鑑み、あの女を利用する事にした。
あの女の演技に付き合い、心から愛しているふりをする事など容易かった。
あの女は、私を陥落させたとほくそえんでいただろうが、私も裏で事の容易さに笑っていた。
お互いに騙しあっていたのだ。
私は、一生を添い遂げるなら、元婚約者、エルヴィエラと決めていた。
賢く、優しく、優雅で、本当の意味で慈愛に溢れていた。
だから、早急に情勢を整えた後は、さっさと王位を退いて、エルヴィエラと余生を過ごそうと思っていた。
今思えば簡単に考えていた。
聖女は王妃の座を手に入れ、地位を確立してしまえばそれで満足だろうと思っていた。
一体、何故、全ての力を失ったエルヴィエラを襲わせたりしたのか。
「前の王妃殿下、聖女は、権力欲が強かったですが……」
元女官がじっと私の様子を見ていたが、口を開いた。
「愛も諦めてはいない女でしたよ、恐らく」
「愛だと?」
あまりにも意外な事を聞かされ、一瞬、ぽかんと口を開いてしまって慌てて表情を取り繕った。
やはり気づいておいででなかったのですね、と元女官は溜息をつく。
「愛ですわよ。あなたが馬鹿にした、平民の文化だと嘲笑った、そんなものは貴族社会にないと切って捨てた」
「……事実だろう」
「あなたの中ではそうなのでしょう。でも、聖女にとってはそうではなかった。貴族家の女と違って家や情勢の為にそれを「諦める」という考えも持たなかった」
可能であれば、「全て獲る」。そういう女でしたでしょう?
「あなたが聖女を真実愛しているふりをしていても、どこかに疑いがあったのでしょう。それに、それ以前にあなたは、婚約者である私の姉をとても大事にしていたのも事実。真に愛されたいと思えば、気づくものなのでしょう」
あなたの気持ちは自分とは別の女に向いている。
確実に、それは気づかれていたと。
単純な女だと思っていたのに。
「実際、あの聖女はある意味では賢かったと思いますよ。自分が政務に手を付けるよりは、向いた人間にやらせる方が間違いがなく早い。その上、そちら方面は無能のふりをして一切手を触れなければ、面倒な輩は侮っても変に関わってこない。その分私が色々と苦労させられましたが、私には公爵様の後ろ盾という権力がありましたからね。あの人は、私には野心がない事も見抜いていました。本当に強かな女でしたよ。ですが、目標に真摯でもありました」
「どういう意味だ?」
「聖女業務には手を抜かなかったではありませんか」
それこそが、己の立場を堅牢に守るただ一つの手段だったから。
それこそが、寄って立つ自分の自尊心の全てだったから。
「後年具合を悪くしながらも、決してやめるとは言わなかったでしょう?」
そして、力がなくなったと認めた時には、去る事を決意した。
己の価値が何によるものかよく理解していたからだ。
「業績を思えば、引退後も王宮内で安穏と暮らす事に反対する者はいなかったと思いますが。恐らく、最後まで、あなたの愛を確信できなかったのでしょう」
大事にしていた。
間違いなく王妃として聖女として。
折に触れ、贈り物をし、労わり、大概の望みは叶えてやった。
疑われる隙がどこにあった。
「私が、真に愛さなかったから、あの女はエルヴィエラを襲わせたのか。あんな、むごい……」
聖女の慈悲深い顔の裏で、無慈悲な襲撃の指示をする。
「聖女引退と同時に離籍を決めたのも、辺境へ去ったのも、全てはあなたの愛を得られなかったと思ったからでは?」
恐らく、勝ったと思った人生の後半で、実は負けていたと気づいたのではないか。
聖女の力を失うに至って、敗北を認めて姿を消したのだ。
「それと、疲れたのかもしれませんわね」
上辺だけで愛し合う演技を続けるのも。
「私の、せいなのか」
漸く、絞り出した結論。
認めたくはない。認めたくはないが、そういうことなのか。
「あなたのせいといえば、あなたのせいではあるのでしょうが、今それを言った所でどうしようもないではありませんか」
元女官は微笑む。
「あなたはあなたの信じる王族の理論に従って、周囲の人間を駒として扱い、そして、自分自身も駒とした」
自分自身も、と言われ、何かがことんと胸の奥に落ちた。
顔を上げると、叔父と目があった。
叔父は話を聞いているだけで、口を挟もうとはしていなかったが、その視線が痛ましげにこちらを見つめていた。
「駒であった事が不満であったように見受けられますが、己を盤面に置いたのはあなたご自身でございますよ」
駒と扱われた人間は、抗議くらいはする権利があるとは思いますが、と、どうしようもない生徒を見るような目で元女官は言った。
その目は、幼い子供に対するそれと同じように思えた。
そう、理不尽に抗議する権利が駒にはある。
が、私は一体誰に抗議する?
自分自身にか?
「当たり前ですが、人には心がございます。あなたと同じように。よくよくそのことをお考えくださいませ」
そう言ってほほ笑む元女官のもとへ、侍女が遠慮がちに近づいてきた。
視線を向けると、侍女の後方に更に遠慮がちに幼女の姿が見えた。
元女官は、幼女へ向かって柔らかい微笑を向けた。
上面だけの、貼り付けた笑みではなく。
「申し訳ありませんが」
こちらへ向かって頭を下げた。
「時間かな?」
叔父も幼女へ視線をやった。
「今日は、お昼を一緒に頂く約束ですの。マナーの確認も兼ねて」
「ああ、そうか」
「失礼します」
席を立って、美しいカーテシーを見せる。
止めることが出来なかった。
侍女は明らかにほっとしたような顔をし、幼女は歩み寄ってくる元女官にこれ以上ない笑顔を見せた。
陽光に金の髪が光って、霞んで見えた。
駆け寄ってこようとして、ぐっと思いとどまったように立ち止まり、ゆっくりと小さな歩幅で元女官に近づく。
二言三言、言葉を交わし、幼女は元女官の差し出した手を嬉しそうに掴んだ。
くるりと背を向け、植え込みの向こうへ消える瞬間、ちらりとこちらを見る。
そして小さな手を振ってきた。
叔父はそれに答えるように手を振りかえした。
それで幼女は満足したようにまた笑みを浮かべ、今度こそ元女官とともに茂みの向こうへ姿を消した。
「随分と……懐かれているようですね」
そう、口に出していた。
公爵家の娘であれば、そのうち上級貴族か、あるいは王族へ嫁入りする可能性もある。あのように甘い顔をしていては……
「親が忙しくてあまり家にいないものでな」
それは当たり前ではないのか、と思う。
「咄嗟に思いついた孫の行儀教師だったが、まあ正解だったようだ」
幼い者の扱いは元より得意なわけだし、と叔父は言う。
わけが分からず目を向けると、
「私から見ると、あの聖女も似たようなものだったよ」
と言って苦笑した。
考えが幼いまま、歳をとってしまった可哀想な子、と。
「それにしては、やることが悪質ではあったが」
むしろ、狂気じみていると言った方がよいか、と。
「狂気……?」
「幼いがゆえ、そうなったのか。とはいえ、実際の年齢は成人を過ぎていたわけだし。己が望めば、周囲は何でもしてくれる、と知った事が良かったのか悪かったのか」
神殿は、あの聖女をそのように扱ってきただろう?と叔父は言った。
「伯爵令嬢、エルヴィエラの襲撃について知る者は、隠されてはいてもいないわけではない。首謀者は神殿の住人だったわけだし、あの、いつもエルヴィエラについていた護衛は、なかなかの行動力を見せたのだが、知らぬか?」
首を横に振るしかない。
現場にいた聖騎士を捕えて殺し、聖女が下賜した剣帯飾りを聖女の枕もとへ置いた事をつい先日知ったが。
「王都神殿の大司教の枕もとには、生首が置かれていたそうだ」
言葉を失う。
「隠されてはいたが、大騒ぎではあったそうだ。その後呼ばれた聖女は、周囲が止めるのも聞かず、それを見た。静かなものだったそうだよ」
大司教は狼狽え怯え、直接指示を出した聖女の信奉者である司祭を罰したが、いつ報復されるか判らない状況で心身を病んで、早くに辞任したという。
「聖女を取り巻いていた神殿の勢力は少しずつ削がれていったが、それは、そなたの采配だけではなく、あの護衛の行動もあったのではないかと思うぞ」
曰く、罰された司祭は、その後姿を消したが、惨殺されて神殿の中庭で見つかった。
曰く、王都の河川敷では、数人のごろつきの死体が見つかったが、その中の一人がどういうわけか神殿の騎士が持つ短剣を懐に隠し持っていた。
曰く、何処かの護衛の身なりをした男達が、やはり惨殺死体となって、王都の中で点々と見つかった。どういうわけか服の下に聖騎士の鎧をまとって。
「関係者が次々に、時間を置いて、始末されていく様に、大司教は震えあがって参ってしまったようだが、聖女は平然としていた。少なくとも、そう見えた」
それだけでも、狂気、と思えないか、と。
「身近にいた、被害者の腹違いの妹にも平然と接していた。まともな精神状態ではなかろう」
エルヴィエラは「壊れている」と、その子供達、そして、腹違いの妹は言う。
だが、聖女も当たり前に壊れていたのではないか。
「兄やそなたを含め、王家が重用していた魔法伯爵だが、今どうしているか知っているか?」
ふと、全く関係のない話をされ、戸惑う。
「療養所に入ったと、先ほど、その息子に聞きました」
「ああ、すれ違ったのか」
叔父は何とも言い難い視線を向けてきた。
「一度、話してみるのを勧めるよ」
「何故です……?」
王宮を辞し、隠居生活に入ったが、愛人は去り、長年放置してきた家族とは何やら裁判沙汰になっていると聞いた。
「そなたらに、得体のしれない装身具を渡してきたのはあの男だろう?」
息が詰まる。
あの腕輪と指輪に関しては、当時の国王夫妻と私しか知らない筈。
叔父は私の左手を見て、溜息をついた。
「外れている所を見ると、効力は消えたか。聖女の方はどうなったのだろうな」
見に来てくださってありがとうございます。




