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07・元国王と元公爵と元王宮女官の偶発的な茶会

 「お久しぶりでございます」


 目の前で優雅に頭を下げる男は、叔父の長年の側近だ。


 叔父の引退後も引き続き仕えているらしい。


 叔父も高齢だが、この男もそれだけ年を取っている筈。


 それにしては、髪は昔のまま艶があり、多少白髪は混じっているが、若々しく見える。


 穏やかな微笑も変わらず繊細だ。


 「約束には少し早かったかな」


 面会時間はまだ先だった。


 叔父は公爵位を退いてもそれなりに忙しいらしく、今日も午前中は別の面会が入っていると聞いた。


 本来であれば、少し遅めに到着するのが礼儀だが、暇にあかせて早めに出てきたせいで、予想外に早く辿り着いてしまった。


 「前のお客様もそろそろお帰りになるかとは思いますが、少しお待ち頂きたく存じます。申し訳ございませんが」


 「いや、こちらの落ち度なので気にしないでくれ」


 「とりあえずこちらへ」


 案内された部屋へ入ろうとした所で、奥から一人の男が歩いてきた。


 男はこちらを見ると立ち止まり、廊下の端へ寄って頭を下げた。


 「こちらへどうぞ」


 その男へ頷いて見せると、叔父の侍従は私を本来待たせておくべき部屋の中へ誘導しようとした。


 「いや、待て、そなた、確か……」


 廊下に立ち止まったまま、頭を下げた男の顔を思い出そうとする。


 「……魔法塔の土木魔法士ではなかったか」


 「……さようでございます」


 叔父の侍従が答えた。


 私は、少し首を傾げ、そして思い至る。


 「顔を上げよ。直答も許す。今は私的な場なので、堅苦しい作法は良い」


 そう言うと、男はやっと顔を上げた。


 「以前、王都外壁の補修案件で顔を合わせて以来だな。今日はどうした」


 「御屋敷の点検に参りました。暫く国境へ参りますので」


 「国境……。共同事業か」


 「さようでございます」


 「着工予定は二年後だった筈だが、やはり事前準備が大変なのだな」


 派手な事業の裏方の働きは見えない。


 「仕事でございますれば」


 男は淡々と答えた。


 まだ三十そこそこのこの男は、土木魔法というものを確立させた立役者だ。


 魔法学校の学生時代、卒業課題に屋敷を丸ごとひとつ一人で建てて首席で卒業した破天荒な男でもある。


 貴族家の息子とはいえ、資金もコネも持たなかった学生が、王都近郊とはいえ、広大な土地を利用できたのは、叔父が面白がって提供したからだ。


 叔父と学生に面識はなかったようだが、学生が魔法学校を通して協力者を求めた所、そんな馬鹿げた話に唯一乗り気になったのが叔父だったらしい。


 そうやって建てられたのがこの屋敷だ。


 叔父はすっかり気に入り、学生が卒業してからも折に触れては呼んで手を加え、爵位を退いてからはこの屋敷に住みついた。


 叔父は先日、公爵位を後継者に譲った。


 今は気楽な隠居生活を送っている。


 「父君は元気か。我々も長い事世話になったが」


 そしてその学生の父は、私にとっても馴染みのある男だった。


 「完全看護の療養院へ入りました」


 「……そうか。体調はあまりよくないのだな」


 「高齢でございますからね」


 「そうか。大事にな」


 「有難く存じます」


 母親の事も尋ねようかと思ったが、つい先日聞いた話を思い出して、思いとどまった。


 夫に長い事愛人がいて、ずっとそれに気が付いて黙っていたという母親。


 「次の予定が迫っておりまして、申し訳ございませんが」


 男はもう一度頭を下げた。


 「ああ、呼び止めて悪かった」


 失礼いたします、と男は言って、去って行った。


 「悪い事を聞いたかな」


 案内された部屋で、茶を出されながらつい叔父の侍従に零した。


 侍従は軽く首をかしげた。


 「父親にはあまり良い感情を抱いていないだろうから」


 侍従は微かに目を見開いたが、直ぐに微笑を取り戻した。


 「気にしてはいらっしゃらないと思いますよ」


 「そうか?」


 「殆ど会ったことが無い男なので、会っても親とは思えない、他人と同じだ、とおっしゃっていましたから」


 「……そうか」


 だが、貴族にとってみれば、親子などそんなものではないのか。


 子供を育てるのは乳母であり、世話をするのは使用人。その後は家庭教師に任せる。


 かつての妻が言っていた、「庶民における家族関係」は貴族階級では、特に上級貴族ではありえない。




 私はつい先日までこの国の王だった。


 在位期間は十八年。


 短いが、それなりに国力は増し、王家の力も増したと思う。


 常に政に横槍を入れてくる神殿の力も削いだ。


 国民に絶大な人気を誇った聖女を妻として。


 妻は二人子を産んだがどちらも女子だった為、弟の息子を後継者と決めた。


 優秀な家庭教師をつけ、優秀な側近を選び抜き、本人も優秀であった為、後顧の憂いなく王位を譲り渡した。


 最初から、長く王でいるつもりはなかった。




 私には、十年にわたって婚約していた貴族令嬢がいた。


 大人しく、控えめで、銀の髪と青い瞳が美しい娘だった。


 優秀ではあったが、素直すぎて少し心配になる娘だった。


 王妃教育をそのまま受け入れ、己を犠牲にしても未来の夫である私と王家を第一に考えよ、というそれを、そのまま信じていた。


 私たちは、いや、私はそれを利用した。




 持ちこんだ本を、読むでもなく開いて物思いにふけっていたが、退屈になって椅子から離れた。


 窓の外は、丹精された庭が見える。


 先ほどの男は、建物の面倒は見ているが、庭には関わっていないと聞いている。


 殆ど庭師の仕事だ。


 この部屋から見える庭は、大輪の花ではなく、色とりどりの小花が咲いている。


 勿論、薔薇が中心の庭もある。


 部屋によって見える表情が違うのだ。


 普段、庭になど全く関心のない私だったが、その時は、どうにも慰めが欲しかったのだろう。


 掃きだし窓の扉をあけ、テラスに出た。


 鳥の声が響くだけの静かな庭だった。


 花は小振りだが、香りは強いのか、薔薇とは違った野草の香りがする。


 ゆっくりと小道へ足を踏み出した。




 「おじい様、おじい様、あの鳥が見えましたわ!」


 どこからともなく、幼い少女の声が聞こえてくる。


 「どれ、ああ、翡翠鳥だね」


 「翡翠鳥というのですね!青くて緑で綺麗です!」


 少女の駆けまわる気配がする。


 「そっちの庭へはあまり行かないでおくれ。別のお客様がいるからね」


 そう言われて、私のいる方へ声が近づいているのに気が付く。


 叔父の先客とは孫の事だったのか。


 「でも鳥が……!」


 澄んださえずりが風に乗って飛来する。


 青とも緑ともつかない色が陽光を反射し、小花の庭の上空を旋回すると、木立ちの中へ結構な速さでつっこんでいった。


 同時に植え込みをかき分けて幼女が飛び出してきた。


 金の髪、碧の瞳。


 王家の特徴そのままの幼女が。




 「おきゃくさま……?」


 幼女は突然現れたと見えた私にきょとんとした目を向ける。


 後ろを負ってきたらしき使用人たち、そして叔父は、明らかに渋い顔をしていた。


 「申し訳ありませぬ」


 叔父がそう言って詫びて、私は我に返った。


 「叔父上、私はもう王位を退きました。前のように名前で呼んで下さい」


 「では、イェレミアス、申し訳ない」


 叔父は言い直し、孫らしき幼女を抱き上げた。


 「おじい様、お客様?」


 無邪気に尋ねる幼女。


 叔父は仕方なく、といった風に、幼女を抱いて私の傍へ歩み寄ってきた。


 「この方は前の国王陛下だ」


 「おうさま……?」


 「私の兄の息子でもある。お前にとっては、大伯父の息子か、なんというのだろうな」


 「しんせき、ね?」


 「まあ、そうだな。親戚だ」


 実を言えば、現公爵は叔父の息子ではない。叔母の息子だ。


 叔父は妹の子を後継者とした。私と似たようなものだ。故にこの子は本当の意味では孫ではない。


 親戚であることに違いは無いが。


 幼女は叔父の腕を叩いておろさせると、軽くスカートをつまんで達者なカーテシーを見せた。


 「はじめまして。ユリアンマリエともうします」


 にっこり微笑んで教科書通りの挨拶を見せた。


 「初めまして、イェレミアスだ」


 私も形式に則って返事をした。


 幼女の微笑は深くなった。


 そしてくるりと振り返った。


 「ねえ、先生!どうだった?」


 無邪気に呼びかけた先には、見慣れた女が立っていた。




 女は長く王妃補佐として王宮に勤めた女官だった。


 書類周りは殆ど王妃の代わりに捌いていた。


 主に王妃の管轄であった医療、福祉、慈善事業においては、何かあれば全てが彼女の元に集まり、彼女が判断し、決裁していた。


 王妃は聖女としてしか関わらず、王都にいる時は会議に参加もしたが、この女官を隣に置いてにこにこ微笑んでいただけだ。


 それでも聖女は許されていたが。


 私の退位に伴って、王妃も退いたと同時に、女官も職を辞した。


 そして、「形だけの」夫婦であった公爵、叔父とも離縁したと聞いた。




 「こんなところに、いたのか。探した……」


 私は思わず、元女官に数歩、歩み寄った。


 彼女は養女と同じくすっとスカートを持ち上げて頭を下げた。


 「お久しぶりにございます」


 昔と同じ、淡々と。


 いや、昔はきっちり結い上げていた髪を緩やかに結い、服装ももっと柔らかい印象のデイドレスに、化粧の仕方も変わっているのではないか。


 「随分、印象が変わった、な」


 「幼い方のお相手でありますれば、それなりに」


 私は、思わず叔父を見る。


 「臨時で孫の行儀教師をやってもらっている」


 「わたくしの先生です」


 幼女は自慢げだ。


 この元女官は、ついこの前まで、叔父の書類上の妻だった。




 「君を探していた。実家の伯爵家に問い合わせても、家には帰っていないとしか……」


 「帰っていませんから」


 女官時代と印象は違うが、それでも話し方は淡々としていた。


 「何故……」


 場所を変え、中庭のガゼボに三人で座った。


 元女官は最初恐れ多いと拒絶したが、私が強引に座らせた。


 「帰っても楽しい場所ではないからですわね」


 微かに笑んで、元女官はティーカップを持ち上げた。


 「暫くゆっくり旅行でもして、それから落ち着く先を決めようと思っていたのですが、前公爵様が……」


 元女官は叔父を見る。


 叔父も苦笑いする。


 「あのまま君を送り出すのも危険かと思ったものでね」


 「危険……?」


 何がだろうか。


 女官時代であればともかく、辞した後の彼女を害して利がある者がいるとも思えない。


 「わたくしの王位継承権が復活してしまったのです」


 「王位、というと、母君の国のか?」


 「ええ」


 何時の時も表情を変えなかった元女官が見るからにうんざりした顔をした。


 元女官の説明によると、母の母国で王族同士のいさかいが起こり、王族の人数が減ってしまったと。


 婚姻で他国へ出た人間の王位継承権は消滅すると王室典範に定められているが、その子に関しては記述がなく、恐らくは今までは王位継承権を失った者の子については同じく王位継承権は無い、という解釈で運用されていたのだろうが、この度に関しては特例で子は復活となったそうだ。


 そもそも母親は、王位継承権が発生するなら子を作るつもりなどなかったという。


 王族内において、母は側妃腹で劣勢側。いつ暗殺されるか判らないぎりぎりの精神状態で本国を脱出したという。


 無事に外国の貴族と婚姻を結べてほっとして暫く、本国が不穏になってきた。


 自分はともかく、娘が巻き込まれるのは避けたいと思っていた所に、己の娘が女官として王宮へ上がる話になった。


 元々母の事情もあり、結婚願望がなく、女の身ではあるが文官試験を受けようかと思っていた所に降ってわいた話に母も子もこれ幸いと乗り気になった。


 公爵家の書類上だけの妻、というのも都合が良かった。


 「婚姻で他国へ出た人間の王位継承権は消滅する」というのであれば、めでたく問題は解消する。


 子を産めば、また今回のように「特例」を発動される可能性もあるので、それも避けられる。


 そう思って、二十年近く王宮に勤めた。


 「もう影響無いと思っていたのですよ。ですが、まだ王族内の争いは続いていたらしく」


 離婚を聞きつけた王家が「王位継承権復活」を告げてきたと言う。


 「とはいえ、年齢的にもう少しすれば、その手の話は関係なくなると思います」


 ふう、と元女官は息をついた。


 子を望めなくなる年齢。まだ可能性はある。


 「そういう事情なのでな。まかり間違って母の国へ攫われていく可能性も考えて、暫くはかくまう意味もあって孫の行儀教師を引き受けてもらったのだ」


 叔父はそう言った。


 事情は分かったが、「書類上のみの関係」だった「元妻」である。


 「どうしてですか」


 私は思わず、叔父の顔をじっと見つめた。




 「あなた方は実質上は夫婦ではなかった。それどころか叔父上にはずっと別にお相手がいらした。それなのに、どうしてそんなに関係が良好なのです」


 叔父と元女官が思わず、といった風に顔を見合わせた。


 「先ほど廊下で魔法伯爵の子息とすれ違いました。あの男の両親もまた、ほぼ書類上のみの関係だったと聞いています。波風は立たないが、関係は最悪だったと」


 それに……


 次の言葉を飲み込んだ私を見て、叔父は笑みを深めた。


 「我々に関しては、お互い、事前によく話し合ったからとしか言いようがない」


 「そうですわね」


 元女官も頷いた。


 「事情を何もかも、お互いに打ち明けて話し合いました。そして、きちんと契約書を取り交わしていました」


 「契約書?」


 「起こり得る様々な事態を想定して、細かな条件を盛り込みました。それがあったからこそ、わたくしは安心して生きてくる事ができました」


 ふ、と溜息が漏れる。


 「これらは、若手を後援するのが趣味の公爵様と、もっとずっと前から知り合いだったからこそ築けた信頼関係だったと思います。それでなければ、あの頃の私は、貴族社会というものに疑心暗鬼になっていたのでとてもとても……」


 「貴族社会に?」


 元女官はこちらをまっすぐに見た。


 柔らかくなっていた表情が、王宮時代のように厳しくなった。


 「あの頃の姉の状況を見ては、そうなっても致し方ありませんでしょう」


 口ごもるしかなかった。


 いわれなき誹謗中傷は、恐らく神殿が撒いたと思うが、私は敢えてそれを諌める事をしなかった。


 姉妹は特に仲が良いようには見えなかったが、逆に険悪であるとも聞いていない。


 母親は義理である事に遠慮があるらしく、敢えてあまり接点を持ってこなかったとは聞いていた。


 当時の婚約者は「私は気にしていませんのにね。むしろ母国の事など色々知りたいとも思いますのに」と微笑んでいた。


 うっすらと、遠い国への憧れを滲ませていた。


 青い瞳が宙に止められ、私の知らない場所を見つめていた。


 いつもは控えめな眼差しが、きらめいていたのを覚えている。


 いずれ婚姻を結び、一生隣にいると誓っていても、憧れは遠くにあり、胸苦しくなった事を覚えている。


 「姉は日に日に憔悴していきましたが、常に微笑を浮かべていました。普段、親しく接する事はなかったのですが、思い余って姉の部屋へ押しかけた事がございます」


 遠い日を思い出すように、元女官は視線を外した。


 その眼差しが、似ていないようで姉と似ていた。


 外見はこんなに違うのに。


 「一体、現状をどう考えているのか、逃げ出す方法はないのか、と詰め寄ったのを覚えています」


 そして眼差しはこちらへ戻ってきた。


 「姉はあなたと王家を信頼している、と答えました。きっと考えがあるのだろう、と」


 笑みが皮肉に歪む。


 「ええ、立派なお考えがおありだったのですよね。姉一人を犠牲にして、現王家を盤石にするという」


 元女官はティーカップをソーサーへ戻した。


 指先に力がこもっていた。


 「深淵の森で、姉に会えまして?」


 黒瞳の視線に刺されて、私は頷いた。


 「鍵は開いたのですね……」


 「一ヶ月、毎日、通った」


 言葉は途切れ途切れになる。


 元女官の瞳はじっと探るように私を見てきた。


 「その様子ですと、姉はまともに対応出来たのですね」


 元女官はふ、っと息をつき、それで緊張がわずかに解けた。


 「わたくしが姉に会った時は、事件から一年近く経ってはいました。それでも一度完全に壊れてしまった人間は、なかなかこちらの世界には帰ってこないものなのですよね」


 心身共に壊れてしまった姉は、床から起き上がるのにも一苦労のようだった。


 姉の護衛が献身的に世話をしていたが、姉は他者の存在を目に入れていないようだった。


 ふわふわと漂う幽鬼のようだった。


 どういう関係かその時は不明だったが、魔法医がつきっきりで治療に当たっていた為、療養の環境としては悪くないと見てとれてほっとしたが、それだけだ。


 姉は右足を膝下から失い、失った体力は戻らず、一年経ったその頃であっても、油断すると心臓の鼓動が弱くなる事があると聞いた。


 気力がない、というよりも、生気がどこかへ吸い取られているように感じられた。


 それでも、一日のうち何度かは、短い時間、こちらの世界へ戻ってくる事があって、それを待った。


 姉と話をした。


 何があって、現状がどうなっているのかも話した。


 姉は現実にいる時は冷静で、理性的な瞳をしていた。


 正確に状況を理解していた。


 話した後、姉はもう二度と来るな、と言った。


 会うべきではないと。


 その通りと思ったので、以来、二度と訪れていない。


 姉は、そこで初めて、家族も王家も切り捨てたのだ。



 ……元女官は淡々とそこまで話した。



 「あの時、いっそ王宮勤めを取りやめて、私も隠遁しようかと考えたのですよ。ですが、公爵様との契約と、母の母国の事がございましたしね」


 自分自身も身動きが取れない状況だったのだと話した。


 「公爵様の事は尊敬しておりましたが、貴族社会の在り方はわたくしには合いません。二十年近くも王宮に勤めていてそれを言うかとおっしゃるでしょうが、仕事の内容は医療や福祉や慈善事業など、ある意味「外面」に関する事ばかりでしたから、やってこれたのですよ」


 暗部には関わらずに済んだ。


 そう言って、見せた微笑には、疲労が滲んでいるように思えた。


 「というように、陛下がご想像なさるような「良好な」関係にも、色々な変遷がございましたのですよ」


 最初は、実家の力が強いとは言えない姉のために引き受けようと思った契約婚でしたのに。


 気が付くと、あなた方王家を盤石に保つための婚姻になっておりました。


 伏魔殿でございますわね。


 そう言う元女官に、叔父は苦笑した。


 「済まなかった。私も状況を利用したのだから、言い訳出来ない」


 「いえ。まさか聖女の暴走まで予想は出来なかったでしょうし」


 そう、箍を外して状況を最悪にしたのは聖女の企みだった。


 そして実の父が、娘の命よりも、家の興隆を望んでしまった。


 「ですのであの家にわたくしは戻りません」


 元女官はきっぱりと言った。


 いつ母の母国に懐柔されて差し出されるか判らない。


 そう、一度信頼を失えば、もう二度と信用はされない。




 私自身、それをよく知っていた筈だった。




 裏切りは、即切捨ての対象。


 「姉は変わった」とこの元女官は最初に言ったではないか。


 私はどうして、元婚約者が昔通り、私を受け入れてくれると思ったのだろう。



 判っている。


 元婚約者は従順だったからだ。


 優しく、いつも微笑んでいたからだ。


 私が何をしても、許してくれると思っていたからだ。



 

 「あなたは良い王でした。諍いばかりで乱れている母の母国などとは比べ物にならない程平和に国を治めて参られました。それが望みでいらしたのでしょうし、それで充分ではございませんか」


 これ以上を求めるのは、贅沢だ、と言いたげだった。


 「だが、私の気持ちは……」


 言いかけて、それを言う権利もないのだと口をつぐんだ。


 私とて、穏やかに静かに、愛する者と余生を過ごしたかった。


 それを言う事さえできないのか。



 自分を殺して、国を第一に考える。


 そう教育されてきた。


 それが正しいと信じてきた。



 私は、ほんの少しも見返りは望めないのか。



 

 「愛する奥様と、何故一生添い遂げなかったのです?そうなさるのが一番でございましたでしょうに」

タブレットは相変わらず黄昏色です。

お話は予想外に長くなっていきます。

さっと終わらせる予定でしたのに。


読んでくださってありがとうございます

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