17・聖女とは
つまるところ私は、聖女であるが故に全てを許されていた。
面倒な政務や社交の煩雑な差配や王族にあるまじき無邪気な言動やぞんざいな振る舞いや。
殺人までも。
『呪いは、半分。祝福も、半分』
神もまた同じ。
いや、神の場合は許されるというよりは棚上げ、時限装置だったのか。
聖女であることを退いた途端、全てがこの身に返ってきた。
あの文言の真の意味は未だに分からない。
聖女であった私の望みであるから、呪いも半分は成就させてやった。そのかわり、祝福も半減させた、という事なのか。
もっと単純に祝福の半分で呪いの発動を半減させたということなのか。
中途半端だったのは何故なのだろう。
神という存在があるならば。
私はあの瞬間、罰されていても不思議ではなかったと思う。
いっそ死んでしまえば楽なのではと思うが。
夫が手配してくれた薬には鎮痛剤や栄養剤などもあり、田舎で手に入るそれらとは質が違ってよく効いた。
効くとは言っても、症状を抑えるだけで治るわけではない。
痛みも半減する御蔭でなんとか寝台に起き上がる事が出来る程度。
だがそうなると、途端に生に対する執着が顔を出すのだ。
とはいえ、漸く落ち着いて状況を確認できる程度にはなった。
そして、そうなった途端、私は現実を知る事になった。
「見舞いに来る」と言っていた長女はとっくに訪れていた。
「妹」には面会済みであり、私の両親とも話してすっかり親しくなっていた。
屋敷の者達は私の味方とはいえ、私と意思確認が出来る状態でない間にやってきた王家と近衛の組み合わせには抵抗できなかったようだ。
そう、娘は元夫である上王の使いとしてやってきた。
そもそも元聖女の身内の見舞いを使用人が断るのもおかしな話だ。
私が寝込んだ初期に、傍仕えと医者以外は部屋へ入れないように命じていた為か、娘が私室へ見舞いに来る事はなかった。
私は受け答え出来る状態ではなかったし、出来たとしても何を言えばいいのかお互いに判らない。
私も下手な事を口には出来ない。
そう思っていたが、薬が効いて私の体調がやや持ち直したと聞きつけた娘は堂々と部屋へやってきた。
止め立てしようとする侍女たちを扇でぴしりと押しのけて。
その様は、庶民生まれの私には全く似ておらず、正しく生まれながらの上級貴族の所作だった。
私であれば、同じ事をするにも聖力でごり押しする。
王家につけられた近衛と侯爵家につけられた護衛を十人程従えて、娘はずいずいと部屋の中へ入ってきた。
寝室の扉はたまたま半分開いていて、その様がよく見えた。
私の傍で薬湯の器を片付けようとしていたメイドは驚いて立ち尽くしている。
女性の寝室へ殿方がお入りになるのは、と必死で侍女が止め立てする。
娘は寝室の扉から私の姿を確かめ、頷いた。
ひらりと扇を揺らした。
「あなた方は侍女を連れてちょっと外へ出ていて」
背後を見もせず命じる。そして、立ち尽くしているメイドへも目をやって、また扇を振った。
「あなたもよ。母と二人だけにして」
そう言って、視線と扇で扉の外を示す。
メイドは空の器を持ったまま、やや覚束ない足取りで出て行った。有無を言わさぬ命令に我知らず従うように。
寝室の扉はぱたりと閉じられ、私と娘の二人きりになった。
「お久しぶりですわね。多少はお具合が持ち直されたと聞いて参りました」
娘は寝台からやや離れた場所、半身を起こした私の斜め前に立って話しかけてきた。
艶のある髪は結い上げられ、小さいが高価そうな髪飾りが一つつけられている。
ドレスは意外にも飾り気がなく、だが使用されている布地は一級品と見て取れた。深緑がよく似合っている。
幼い頃の印象しか残っていなかった為、大人になって貴族家夫人の貫録を醸し出す娘にかなり驚かされた。
自分が結婚したのも同じ年頃の筈だったが、果たしてこんな風だっただろうか。
「強引だこと……。治ったわけではないのよ」
私はそう答えるにとどめた。娘の出方を見る為に。
「私は上王陛下の名代で来ております。他者の耳目のない所でお伝えするよう承った言伝もございますの」
「文書でもよかったのではないの?」
「形にする事を良しとせぬお考えです」
背を伸ばし、凛として立つ娘の茶の瞳には、宮中の雀たちがさえずる無邪気さも明るさも暖かさもなく、冷ややかだった。
私も少し、背筋を伸ばした。
「元第二王女はどうしました?」
「……」
「私とお母様のやりとりした手紙は、上王陛下へお渡ししました。あれをもってして「知らない」とはおっしゃいますまいね」
娘の瞳は茶一色ではなく、緑が浮く。
きらりきらりと光を弾いて。
私を追い詰める。
「ご心配なさらずとも」
その瞳が細まった。笑ったのだと気が付いた。
「王家の醜聞に繋がるような事は、あの父が表沙汰にはしません。今更、この状態のあなたをどうこうする事もございませんでしょう」
そして、夫と……、父親と同じ眼差しを向けるのだ。私に。
「あなたの口からお聞きしたい。妹をどうしたのです?」
扇には繊細なレースと細かな刺繍がほどこされている。娘の指が戯れのように動いてそれが軽く開かれると、微かに込められた香りが立った。
私は結局最後まで扇をうまく使う事が出来なかった。夜会の時などもただ持っているだけだった。
贅を凝らしたそれを手にした時は、それは心躍ったものだったが。
「妹は、あの方に似ておりましたわね」
ぼんやりとそれを眺めていると、そう言って私の意識を引き戻した。
娘はにっこりと笑った。
「血筋の特徴そのままの髪色と瞳の色を持ち、大人しく控えめで読書好きで勉強熱心。私が知っている限りの上王陛下の元婚約者の方の特徴とそっくりです」
視線が合う。
娘は笑んだまま目をそらさない。
「上王陛下は不思議がっておられるだけですよ。どうしてあなたがこんなことをしたのか」
本当に少しも理解出来ていらっしゃらないのです、と娘はやはり笑う。
「わたくしの予想は外れておりますかしら?」
ぱしりと扇は閉じられた。
私は溜息をついた。
「いえ、外れてはいないわね」
そして伸ばしていた背筋を弛緩させた。体力が落ちているせいもあってとても姿勢を維持できない。
「私は彼女を追い落として陛下の婚約者に収まったけれど」
首を振る。
「勝ったと思ったのはほんの一時だけだったのよ。ずっと、劣等感とも違う、焦燥感とも違う、それらに似た言い表しようのない感情にさいなまれていた」
誰も何も言わない。態度で示すこともしない。夫は常に優しい気遣いのみを見せる。
それでも。
「常に比べられているのは間違いなかった」
「……聖女として多大なる貢献をしておいででしたでしょうに」
「ええ、それでもよ」
「欲張りすぎでは?」
いつのまにか俯きかけていた視線をはっと上げる。娘はどこか呆れたように腕を組んでいた。
「誰もあなたに完璧であることなど求めてはいなかったと思いますわよ?」
「生まれた時から特権階級にいたあなたには判らないでしょうね」
思わず娘を睨みつける。
「平民生まれが君臨するのであれば、誰よりも優れていなければならない。ほんの些細な失敗も命取り。その緊張を避けるために結局は政務には手を付けなくなり、誰にもできない聖女業だけに集中したのよ」
「思惑通りになったではありませんか。何が不満だったのです?」
誰もが、あなたの思う通りになるように動いていた筈、と娘は小首をかしげた。
「「偉大なる聖女」でいつづける他ないということよ。それ以外には私の価値は無かった」
「自ら望まれた事でしょうに」
「他には何一つ彼女より優れたものがなかった。それが苦しかったの」
そう、苦しかった。
力の減衰を感じた時の絶望。
それを押し隠すように指輪の力を多用し、魔力器官が傷ついて更に力は衰えていく。
誰にもそれを打ち明けられない。
夫は言葉では労ってくれるだろうが、心の内では静かに使い物にならなくなった聖女を見限るだろう。
「それで溜まった鬱憤を彼女に似た妹にぶつけたとおっしゃる?」
ぱちんと扇を閉じる音にまた意識を戻される。
ふわふわとしていて、思考が散漫になる。
「そんなつもりではなかったの。あなたたちには、あまり、興味がなかったし」
正直すぎただろうかと娘を見やるが、表情は笑んだまま変わらない。
「ただ、あの子は、特権階級の無邪気さを持っていた。それはあなたにはなかったわね。そして私はそれを過敏に感じてしまった」
どういうことだと娘は眉を寄せ、私はそれを見て少し笑った。
「例えば、あの子、魔力が見えたのよ。知ってた?」
「……聞いたことはあります」
「あなたたちの魔力量が少ないと判った時、皆があからさまにがっかりしたの。私は驚いたわ。平民では考えられない事だから。それでもあの子のそれは、とても珍しい能力なのだそうよ。王家の血であればそういった力も出やすいのかもしれないと老魔法使いは嬉しそうに言ったわ。そしてあの子はその稀な能力で私の力の発動を見て、私が魔法道具で魔力を水増ししている事を見てとって、何でもない事のように指摘した」
無邪気に。
王と製作者の老魔法使いの他は誰にも知られぬように隠していたかったそれを。
「何か決定的な事があったわけではないのよ。ただ、そうね、色々積み重なった結果としか言いようがないわ」
「全ての憎悪が妹へ向いた……?」
「……そうね」
それだけではなかったはずだが、そうとしか言いようがない。
「恵まれた環境に恵まれた資質を持って生まれ、無邪気にそれを誇示する妹が憎らしく、まずはその地位から引きはがし、そして命まで奪おうとした?」
「そうね」
「父の元婚約者と同じように辱めて嬲り殺すよう指示した?」
私は黙り込んだ。
何故知っているのか、とはもう思わなかった。
補佐官が知っている以上、どこかで情報は漏れている。
実行犯達を徐々に殺していったあの専属護衛の存在もある。
そういえば、その専属護衛を始末するよう大司教が裏組織に依頼して結局成功しなかった。どこに隠れているのだろう。国外に出たという噂もあったが、それも確実ではなかった。大陸中に張り巡らされた神殿の情報網にも引っかからなかったようだ。
「肯定と取ってよろしいですわね?」
応えない私に、娘は確認を取るように尋ね、私はやはり口を開かなかった。
「お分かりでしょうけど、上王陛下は事を公にするおつもりは毛頭なく、ただ何があったかの確認をしたいだけでいらっしゃいます」
そんな事は判っている。だが、本当にそれだけで終わるのか。終わらせられるのか。あの夫が。
「実際にあの子が殺されたかどうかは判らないわ。馬車には何も残っていなかった」
私は事実だけを答える事にする。
襲撃を依頼した盗賊もおらず、争った跡も残っていなかった。何が起こったのかを見ていた者は誰もいない。確認の為に残した騎士も姿を消していた。仕方なく、事前によく言い含めていた身代わりの娘をその馬車へ乗せてここまで来たけれど、後に、街道沿いの森の中で点々と賊の死体が見つかったと報告を受けた。
遅れて、騎士の死体も見つかった。
魔物に食われ、首だけが
彼女の時とほぼ同じだ、と思った。
であれば、あの子もどこかで生きているのだろう。多分。
「あの子がどこへ行ったのかもわからないわ」
馬車には一人きりで乗っていた筈だが、どうにかして協力者を得て脱出したのだろう。どこでどうやって出来た繋がりかは判らないが。
「判りました」
娘は組んだ腕を解いて、ぱたりと半開きの扇を閉じた。
「あなたは引退した大聖女で、崇拝されながらもここで病を得て療養中。伴った娘は体調を崩していたが、今は復調して、祖父母とあなたを案じている」
私はぱちりと瞬きして顔を上げた。
娘はにっと笑った。
「今まで通り、何も変わりない、ということです」
くれぐれも、これ以上余計なことはなさいませんよう厳にお願いいたします。
そう言って、くるりと踵を返す。
「待って……」
思わず呼び止めた。娘は足を止めて半分振り返った。
「あの人はともかく、あなたもそれで納得するの?」
ふ、と娘の瞳が細まった。
「するわけございませんでしょう」
見下ろすそれは相変わらず冷ややかだった。
「ですが、わたくしは妹と連絡を取る術が残されてございますのでね」
「え……」
呆然と見上げる。
「手紙で申し上げましたでしょう?わたくし、妹とは結婚の直前に親しく交流を始めたのです。いざと言う時の為の符牒など色々決めておいたのです」
まさか使う時が来るとは思いませんでしたわ、と感慨深げに娘は呟いた。
「では、あなたがあの子を助けたの?」
血の気が引く心地がしたが、娘は苦笑して首を振った。
「いえ、わたくしも、あの子がどうやって襲撃を避けたのかは存じません。ただ、元気でやっている、という連絡は来ました」
「宮殿の外に出たこともない子が……?」
娘は閉じた扇で口元を隠して少し声を立てて笑った。
「平民暮らしが存外合っているようですわよ。あの子、元々王女宮にいるころから、身の回りのことは自分でやっていましたしね」
目を見開く。
そんな話は聞いていない。
「それに、宮殿の外にはしょっちゅう出ていたではありませんか。他ならぬ、あなたがお連れになって」
私が、連れて……
確かに、遠征には必ず伴っていた。
だが、傍仕えや護衛に囲まれて、どこにいてもそれ以外の人間と交流する機会などなかったはず。
なかった、はず。
目を向けると娘は肩をすくめた。
「皆、貴方の事ばかりを気にして案じていた為、あの子の周辺はしょっちゅう無人になっていたそうです。おかげで気楽だったと言っていましたね」
「そんな、はずは……」
「ないとおっしゃる?興味のない娘の事などひとかけらも気にしていらっしゃらなかったでしょうに」
意地の悪い笑みを浮かべる。
だが、そう、その通り。
傍仕えも警備もちゃんと王女用に人員は配置されているはずで、それ以上は私の関知するところではない、と思っていた。
遠征中、話しかけるどころか、顔を合わせる事も殆どなかった。
実際、自分の事で精一杯でそれどころではなかった。術の前後の緊張感と虚脱感で。
「術後の魔力を供給してくれさえすればそれで良かっただけですものね」
私はまた息をのむはめになった。
この子はどこまで知っているのだろう……
そして、誰がそれを知っているのだろう。
「お母様って、常に誰かから何かを奪って自分の立場を保っていましたのね」
ひゅっと喉が音を立てた。
長い……
終わらない。
今回は、半分にぶった切りました。長すぎる。
後半は推敲して明日にでも上げます。
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