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18・聖女とは

 ひゅっと喉が音を立てた。


 何かが胸に突き刺さり、思わず娘の顔を睨みあげる。


 「その、指輪」


 睨んだところで何の効果もなく、娘は平然と扇を私の左手へ向けた。


 「お父様に何と言って嵌められたのかは存じませんけれど、それ、魔力を増強するのではなく、それと対になった物を付けた人物から問答無用で魔力を吸い上げる道具ですわよ」


 左手を見る。


 いつの間にか随分と黒ずんだ指輪が目に入る。石に至っては真っ白になっていた。こんなものは出来れば外してしまいたかったが、どうあっても外れない。離籍の際に外してくれるよう申し入れようかとも思ったが、石に刻まれた呪いの際の文言が気になって言い出せなかった。


 小さな石に刻まれたそれは例えば拡大鏡で見てももう見えない。夫にも見えないだろう。だが、魔法道具とあらば、作成者の老魔法使いに処分を依頼する事になるだろう。そうなれば、ああいった人間は、どんな風にしてか見つけ出してしまうだろう。ここまで変質していればなおのこと。


 それが見つかった時、これは何かと問われるのが怖かった。白を切っても、魔法士は、分析する方法を知っている。


 黙って辺境まで持ち込むしかなかった。


 神殿の元私室にあった机と同じように。


 あの机は今、部屋の隅に置いてある。


 どれも一級品の調度の中で、その古びた机は目立たぬように置かれていても異質ではあった。


 「そのご様子だと、なんとなく勘付いてはいらっしゃったのでしょう?」


 ぼんやりとしかけた思考を引き戻される。


 そう、今は指輪の話だ。


 私は、この症状が出始めてから、何度も己に治癒の魔法をかけた。呪い返しときいてからは、浄化を試した。


 だが、残り少ない私の魔力は直ぐに尽き、ではと指輪を試したが、あれほど私を救ってくれた指輪は、もう何の反応も示さなかった。


 そもそも、もう最後の頃は、細く薄い魔力しか得られなくなっていたのだったが。


 てっきり「増強」というからには、もとになる己の魔力がすり減った為にそうなったのだろうと漠然と思っていた。


 とはいえ、確かに、以前は、「溢れる程に」魔力を供給してくれていたのだ。


 まるでどこかに別に泉があるかのように。



 対になる相手から、魔力を吸い上げるとは考えてもいなかったが……



 「……その対って、お父様……?」


 ついに娘は大きな声を立てて笑った。


 「まさか」


 おかしくてたまらないとばかりに娘は扇を広げて口元を覆った。


 「もっと魔力量がありあまっている方、心当たりがありますでしょう?」


 血の気が引くのを感じた。


 「お父様、あなたに指輪を嵌めたように、あの方にも問答無用で装着したそうですわよ。あちらは腕輪だったそうです」


 ぱたぱたと扇で首元を優雅に仰いだ。笑って暑くなったとでも言いたげに。


 「誰かさんが遠慮なく魔力を奪っていくので、酷い事になったそうですわ。それで、ある時思い切って自らの腕を切り落としたのですって」


 唇が震えて声が出ない。


 娘はふ、と笑顔を消した。


 「あの方の魔力量を惜しんで妙な魔法道具を作ってよこした老魔法使い、それを差し出されて平然と使う事を決めたお父様、誰が酷いかと言えば、やっぱりお父様ですわよね。お母様もあの方も、それが何かとは知らされずにつけられたのですもの」


 それについては、お母様には責任はない、とも言えますわね。


 娘は、何の救いにもならない慰めを白々しく口にした。


 私はそれどころではなく、心の中は予想外の事実に荒れ狂っていた。


 私の術の大半は、あの指輪に支えられていた。


 後年はほぼ頼りきりだったと言っていい。


 それが、あの女の魔力だったと……?


 「そう言えば、お母様ったらあの方を呪ったのですって?あの方何度も心臓が止まりかけたそうですわよ。魔力供給源でしたのに」


 そう、私は、二度もあの女を殺そうとした。


 もし、成就していれば、私は今頃どうなっていたのだろう。


 「やっぱりお母様も有罪ですわね」


 娘は優雅にまた微笑を浮かべた。


 聖女が人を呪うなんて事、可能とは思いませんでしたわ、と。


 「それに、指輪とは違って、妹の背中に妙な魔法紋を刻んだのはお母様自らのご依頼だったのでしょう?」


 お父様を責められませんわよねえ、ところころと笑う。


 結局、やっていることは同じではありませんの、と止めを刺された。



 私は、夫と同じ……


 そう、確かにその通り。


 私たちはお互いを利用し合い、生きてきた。



 「でもそれによって、この国が豊かになったのも確か。わたくしだって、その恩恵にあずかってきたのですから、あなた方を責められる立場ではございませんわね。むしろ、最も安全圏にいたのはわたくしだった」



 溜息のように娘は零した。


 扇を下して、深く息をつく。


 「わたくしは、あなた方夫婦の欺瞞にうっすらと気が付いていて、それに利用されないように振る舞っていました。我ながらうまくやっていたと思います。あなた方は子供には殆ど興味がなかったですしね」


 やはり、無邪気なようでいて、計算づくだったのだ。私とよく似ていると言われる事さえ利用して。


 「あなた方が無関心な分、同じように無関心になってしまったのが妹でした。あの子はあの子で大人しく振る舞っていましたが、根がわたくしと違って素直だったせいで、あなたに利用される羽目になってしまった。うまく王家から逃れた身で言うのもなんですが、あの子に対してだけは心苦しいというか申し訳ない気持ちでいます」


 娘の顔から笑みは消えていた。


 私は重苦しくなり始めた胸を軽く抑えた。


 「お父様からのお薬は、よく効いているようですわね」


 それを見て、ふと、娘は言った。


 そう、元夫の齎した薬はどれもよく効いた。


 今までこちらで手に入る限り手に入れていた良質なはずの薬とは格段の差だった。


 「王都でも滅多に捉まらない多忙な腕利き薬師の薬房作だそうですわよ」


 夫は常に、私には最上級なものを贈ってくれていた。


 別段それは愛情の証と言うわけではなく、外面を取り繕う為であり、王家としてそれ相応の物を取り扱う必要があったがために過ぎない。


 今回もまた、それに則っただけの話なのではあろうが、正直、これだけは、効果があった事に、私は安堵し感謝もしていた。


 発作が今以上の頻度で起こらなければ、随分楽に生きてはいける。


 「それにしても不思議ですわよね。一般的な症状を抑える物はさておき、呪い返しの苦しみを軽減させる薬なんて、一体どうやって作るのでしょう」


 そう言われて、それもそうだとふと思う。


 私が残り少ない自分の聖力で精一杯発動させた治癒も浄化も、殆ど効果は無かったのだ。


 今まで、請われて強い呪いを浄化した事は何度かあるが、幾ら力が衰えたとは言え、これほどに効きが悪い物だっただろうかと思う程。


 それもこれも返された呪いだからだろうか。


 変質して、呪いとはまた別のものになってしまっているが故なのだろうか。


 「上王陛下のお召しで離宮へ参内した際、件の薬師と顔を合わせる機会がございまして、尋ねてみましたの。勿論、秘術であるなら答えなくとも良いとは言いましたのよ?でも簡単に答えてくれましたわ」


 娘の瞳に緑が浮かぶ。


 それに呼応するように、左手の薬指にぴりりと痛みが走った。


 「呪いって、相手の身体にある時は、相手の魔力を打ち消す波動を帯びるのですって。で、それが返ってくると、異物となって苦しみを生む。なので、一番簡単なのは、その波動と反転している筈の相手の魔力をぶつけて中和させる事なのですって」


 「は……?」


 私の頭はその説明を理解する事を拒んだ。


 「その薬の作成者は、件の薬師のお弟子さんだそうですわ。材料はそのお弟子さんが特殊な環境で手ずから育てた魔力がたっぷり含まれた清浄草の花と、勿論、そのお弟子さんの豊富な魔力だそうです。緻密な魔力操作で練り上げられたその薬は師匠の薬師から見ても良い出来だそうです。良かったですわね。ただ、お弟子さんもお暇ではないそうですし、材料の希少性もあって、量産は出来ないそうですわ」


 薬師の弟子……?


 神殿が雇った闇組織も、神殿の情報網も、そんな存在を嗅ぎ当てたことはない。


 一体、どこに、いや、そもそもその薬師とは一体どこの誰だ。


 薬師は神殿ともかかわりがあるはず。だが、そんな薬師の存在など、私は知らなかった。


 「聞けばお弟子さんは、長い事療養生活をなさっていたそうですが、最近漸く復調なさって、精力的に活動を始められたそうです。良かったですわね。そうでなければ、薬など作っていられなかったそうですわよ」


 娘はにっこりと微笑んだ。


 良かった、ではない。


 呪いが返されたからこそ、私は苦しみ始め、あの女は復調したのだ。


 息苦しさが襲ってきて、ぐっと胸元を掴んだ。


 「あら、長く話しすぎましたわね」


 そうではない、この胸苦しさは呪い返しのせいではない。


 私は軽く喘いで、娘のにこやかな顔を睨みあげる。


 「あなた、私を嬲りに来たの?」


 「まあ、とんでもない」


 娘は心外だ、という顔をした。


 「上王陛下の名代で参りましたと申し上げましたでしょう?」


 「では、あなたの言は、あの人の言だとでも?」


 ふふ、っと娘はまた笑みをこぼした。


 「お弟子さんは、事情を知って、快く薬を作ってくださったそうですわ。あなたや父に対して、恨みつらみは薄いそうです」


 「え……」


 私は、信じられない思いに目を瞠る。


 同じ目に遭えば、私ならそれこそ呪い殺そうとでもするかもしれない。


 「今となってはどうでもいい。関心が薄いのですって。薬に関しても、値段がつけられないとして報酬は受け取らなかったそうですわ」


 あり得ない話だ。


 一体、何をどうしたらそのような考えに至るのか。


 ふと気が付くと、一度は立ち去りかけた筈の娘が、寝台のわきへまで近づいていて、覗き込むように私を見下ろしていた。


 私は思わず、身をのけぞらせた。


 瞳の冷徹さは相変わらずで、それは色こそ違えど夫に本当にとてもよく似ていた。


 「あの方自身は今後安穏とした生活が続けばそれで良いだけなのですって。ただ、あの方を支えてきた人達は収まりがつかない。せめても、あなたに伝える事を報酬として申し出られたそうです」


 「……?」


 「あなたを補助し、救い続けた、そして、今後も救い続けるのは、あなたが貶め排除しようとしたエルヴィエラ様。あなたが少しでも苦しみから逃れる為には、死ぬまであの方の慈悲にすがっていくしかない。その事実をきちんと伝えて欲しい、そうですわ」


 息をのむと同時に、ばちん、と指輪が音を立てた。


 同時に部屋の隅からも、ぴしりと何かにひびが入るような音が響いた。


 言わずもがな、古い執務机のある場所だった。


 そろりと指に目をやると、石が弾け、地金に小さな穴がぽつりと開いていた。かけらが当たったのか、薬指から出血している。


 「そう言えば、お父様の指輪は、塵になって消えたそうですわ」


 それを見ながら、娘は言った。


 「お父様の指輪も飾りではなく、連動はしていたそうですわ。呪い避けだったのですって。あの方が腕輪を壊したと同時に崩れたそうです。お母様のはどうして残っているのでしょうね」


 不思議そうに娘は言う。 


 そんなことは私が知りたい。


 崩れて消えるなら今すぐにでもそうなってほしい。


 だが、まるで、罪の証のように、真っ黒に染まって私の指からは離れない。


 「結局、その指輪もどうにかできるのは、エルヴィエラ様だけなのかもしれませんわね……」


 ふと呟くように娘は言った。


 見上げると目が合う。


 「お願いすれば聞いて下さるでしょう。もし外したいのなら頼んでみてはいかがです?」


 からかうように娘は言った。


 「老魔法使いに頼むわよ」


 睨みつけると娘は半身を伸ばして扇を開いた。


 「残念ながら、体調を崩して施設へ入ったそうですわ。あまり長くは無いと診断されたとか。無理ですわね」


 「……なら、このままでいいわ」


 「ま、お好きになさるとよろしいでしょう」


 ふ、と息を吐いて、娘は寝台から離れた。


 私は僅かにほっとして、息を吐いた。


 娘にずっと気圧されていたのだと気が付いた。


 「伝言は以上です。確かに申し伝えましたわ」


 そうして姿勢を正すと、すっと見事な礼を見せた。


 優雅に整った見事な一礼だった。


 そして、くるりと背を向けると、扉へ向かい、最後にもう一度振り返った。


 「この屋敷の使用人は総入れ替えの後、人員を少し増やします。王家の意向ですから、お母様に拒否権はございません。ご承知おきください」


 それだけ言うと、扉に手をかけて出て行った。

長かった……

それでもまだ終わらない。

すんません。


見に来てくださってありがとうございます。

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