第17話「朝倉義景、家族の前で心が折れる!? 魔王信長『全部お前の独断だってよ!』大爆笑! まさかの二千石で再就職!」
元亀三年(西暦1572年)十月十五日〈旧暦〉 秋
近江国坂田郡 虎御前山・織田方本陣
「丹羽長秀殿、一乗谷よりご帰還!」
秋晴れの虎御前山に、使番の声が響いた。
織田家の重臣・丹羽長秀が、越前国一乗谷から戻ってきたのである。
その後ろには、朝倉家の使者。
さらに、牛車と数頭の馬が続いていた。
牛車の中から、幼い声が聞こえる。
「……父上は、どこ?」
女房衆が、優しく答えた。
「もうすぐ、お会いできますよ」
「……ほんと?」
「はい」
その声を聞いた長秀は、胸の奥が重くなるのを感じた。
朝倉義景。
越前一国を治めた名門の当主。
織田信長に敗れ、生け捕りとなった男。
そして今。
その家族まで、朝倉景鏡によって織田方へ差し出された。
……戦国の世とはいえ、何とも非情な話よ。
長秀は、小さく息を吐いた。
「まずは、義景殿にご家族を会わせよ」
「はっ!」
「子供たちを、怖がらせるでないぞ」
「承知いたしました!」
同日 午前十時頃
虎御前山・朝倉義景の滞在所
「……父上!」
襖が開いた瞬間、幼い声が響いた。
朝倉義景が顔を上げる。
「……おお」
そこには、妻と幼い子供たちが立っていた。
「……お前たち!」
義景は、思わず立ち上がった。
「父上ぇ!」
子供が駆け寄り、義景の胸に飛び込んだ。
「……おお!」
義景は、我が子を強く抱きしめた。
「無事であったか……!」
「父上、怖かった!」
「……そうか」
「知らないお侍さんが、いっぱい来たの!」
「……そうか」
小さな身体が、震えていた。
義景は、その背中を何度も撫でた。
「もう大丈夫じゃ」
「……ほんと?」
「ああ」
「父上、もう離れない?」
義景の喉が詰まった。
「……離れぬ」
妻が、静かに膝をついた。
「あなた様……」
「……すまぬ」
義景は、顔を歪めた。
「わしが不甲斐ないばかりに……」
「そのようなことを、仰せにならないでください」
妻の目から、涙がこぼれた。
「生きて、お会いできたのです」
「…………」
「それだけで、十分にございます」
義景は、幼子を抱いたまま俯いた。
越前の名門。
朝倉家の当主。
かつては、幾千もの兵を動かした男。
しかし今、その腕の中にあるのは、小さな我が子だけだった。
「……父上?」
「……何じゃ?」
「おうちに、帰れる?」
義景は、答えられなかった。
一乗谷。
朝倉館。
越前の山々。
あの場所へ、もう戻れるのだろうか。
「……父上?」
幼子が、不安そうに顔を覗き込む。
義景は、無理に笑った。
「……もう少し、待っておくれ」
その声は、ひどく弱々しかった。
同日 午前十一時頃
虎御前山・織田信長本陣
「長秀、ご苦労であった」
織田信長は、真剣な表情で長秀を迎えた。
「はっ!」
「越前は、どうなっておる?」
「朝倉景鏡殿が、家中の実権を握っております」
「……うむ」
「義景殿の帰還を望まぬ重臣たちも、景鏡殿に従っております」
「……なるほど」
信長は、北近江の絵図を見つめた。
「和睦の条件は?」
長秀は、書状を広げた。
「第一に、朝倉家は織田家と和睦し、今後敵対せぬこと」
「……うむ」
「第二に、浅井家との同盟を破棄し、今後一切の援助を行わぬこと」
「……ほう」
「第三に、越前国敦賀郡を織田家へ譲渡すること」
信長の目が鋭くなった。
「敦賀郡を、丸ごとか?」
「はっ!」
「……敦賀湊も含めてか?」
「その申し出にございます。ただし、現地の諸将や港の管理については、引き渡しの確認が必要にございます」
信長は頷いた。
敦賀湊。
日本海交易の重要な港。
近江と越前を結ぶ道を押さえるうえでも、極めて価値が高い。
「……悪くない」
信長は、静かに笑った。
「景鏡は、なかなか思い切った条件を出したのう」
「……それが、上様」
長秀が、少し困った顔をした。
「まだ、続きがございます」
「……何じゃ?」
「景鏡殿は、此度の戦について……」
長秀は、一度咳払いした。
「すべて、朝倉義景殿の独断であったと申しております」
「…………」
信長の動きが止まった。
「……何?」
「朝倉家中は、織田家と争うことなど望んでおらず……」
「……うむ?」
「義景殿が、勝手に兵を出し、勝手に戦を始めたとのことでございます」
「…………」
広間に、妙な沈黙が落ちた。
藤吉郎が、そっと顔を伏せる。
小一郎は、唇を噛んだ。
柴田勝家は、眉間に深い皺を刻んだ。
信長は、ゆっくり長秀を見た。
「……長秀」
「はっ」
「朝倉義景は、朝倉家の当主であったな?」
「はい」
「朝倉家の兵を率いて、近江へ来たのだな?」
「左様にございます」
「その命に従って、朝倉の家臣どもは戦ったのだな?」
「はい」
信長は、しばらく黙った。
そして。
「……ぷっ」
小さな音が漏れた。
藤吉郎の肩が震えた。
「……くくっ」
信長は、口元を押さえた。
「つまり、朝倉家は何も悪くないと?」
「景鏡殿は、そのように申しております」
「義景が勝手にやったと?」
「……はい」
「朝倉家とは、もう関係ないと?」
「……そのとおりにございます」
「ぶははははははっ!」
ついに信長が吹き出した。
「何じゃ、それは!」
腹を抱え、畳を叩く。
「当主が捕まった途端、全部あやつのせいか!」
「上様、お笑いになりすぎでは……」
小一郎が遠慮がちに言った。
「これが笑わずにおられるか!」
信長は目尻を拭った。
「朝倉義景、見事に家中から勘当されておるではないか!」
「……上様」
長秀は困った顔をした。
「景鏡殿は、義景殿とそのご家族の処遇も、すべて織田家に委ねると申しております」
信長の笑いが、ぴたりと止まった。
「……家族もか」
「はっ」
「女子供まで、差し出すと?」
「はい」
信長は、しばらく黙った。
そして、低く言った。
「……景鏡め。徹底しておるのう」
その声音に、先ほどまでの陽気さはなかった。
同日 正午頃
虎御前山・朝倉義景の滞在所
「……父上」
幼子が、義景の膝の上で眠りかけていた。
義景は、小さな背中を撫でていた。
妻は、隣で静かに座っている。
「……あなた様」
「……何じゃ?」
「これから、どうなるのでしょう」
義景は、答えられなかった。
そのとき。
「……義景!」
聞き覚えのある声が響いた。
織田信長だった。
「……信長」
義景の顔が強張った。
「家族との再会は済んだか?」
「……ああ」
「それは、よかったのう」
信長は、にやりと笑った。
「……ところで、義景」
「……何じゃ?」
「景鏡から、面白い知らせが届いたぞ」
「……景鏡?」
「うむ」
信長は、口元を押さえた。
「ぷぷっ」
義景の眉が動いた。
「……何を笑っておる?」
「いや、すまぬ」
信長は、笑いを堪えながら続けた。
「此度の戦は、全部おぬしの独断だったそうじゃ」
「…………」
義景の顔が止まった。
「……何?」
「朝倉家は、織田家と争うつもりなどなかったそうじゃ」
「……は?」
「おぬしが勝手に兵を出し、勝手に戦い、勝手に捕まったのだと」
「…………」
信長は、とうとう耐えきれなくなった。
「ぷぷぷっ!」
「……信長」
義景の声が震えた。
「……それは、まことか?」
「まことじゃ!」
信長は、腹を抱えて笑った。
「ぶははははは!」
「……景鏡が?」
「そうじゃ!」
「……わしの従兄弟が?」
「そうじゃ!」
「……朝倉家とは、もう関係ないと?」
「そうじゃ!」
義景の顔から、血の気が引いた。
「…………」
腕の中の幼子が、眠そうに顔を上げた。
「……父上?」
「…………」
「……どうしたの?」
義景は、答えられなかった。
その目から、涙が一筋こぼれた。
「……父上?」
幼子が、小さな手で義景の頬に触れた。
「……泣いてるの?」
義景は、唇を噛んだ。
「……泣いてなど、おらぬ」
しかし。
声が震えていた。
「……父上」
「……何じゃ?」
「……だいじょうぶ?」
その一言で。
義景の心が、折れた。
「……すまぬ」
義景は、幼子を強く抱きしめた。
「……すまぬ……!」
妻が、そっと背中に手を添えた。
「あなた様……」
義景は、肩を震わせた。
「……わしは」
「…………」
「……わしは、何のために戦ってきたのじゃ……」
その声は、かつて越前一国を治めた男のものとは思えぬほど、弱々しかった。
信長は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……義景」
「……何じゃ」
「家臣に見捨てられた気分は、どうじゃ?」
義景は、顔を上げなかった。
「……最悪じゃ」
信長は、にやりと笑った。
「ぷぷっ。そうであろうな」
「……笑うな」
「いや、すまぬ」
信長は、少しだけ表情を和らげた。
「……だが、義景」
「……何じゃ?」
「おぬしを見捨てぬ者も、おるではないか」
義景は、ゆっくり顔を上げた。
信長は、幼子と妻を指さした。
「……そこにな」
義景は、腕の中の子供を見つめた。
「……父上」
幼子が、義景の袖を握った。
「……いっしょに、いてね」
義景は、涙を拭った。
「……ああ」
そして、強く頷いた。
「……もう、離れぬ」
同日 午後一時頃
虎御前山・織田信長本陣
「朝倉景鏡との和睦を認める」
信長の宣言に、諸将が頭を下げた。
「ははっ!」
「ただし、条件を守らせよ」
信長は、丹羽長秀を見た。
「敦賀郡の引き渡し。浅井家との絶縁。織田家への不敵対」
「承知いたしました」
「景鏡には、書状を改めて出させよ」
「はっ!」
信長は頷いた。
「そして、猿!」
「ははっ!」
藤吉郎が進み出る。
「長秀とともに、小谷城へ向かえ」
「……小谷城でございますか?」
「浅井長政に、降伏を勧めよ」
広間が静まり返った。
信長は、朝倉景鏡から届いた書状を掲げた。
「これを見せてやれ」
藤吉郎が受け取る。
「……浅井家との絶縁状」
「そうじゃ」
信長は、冷たく笑った。
「長政は、朝倉を頼みにしておった」
「……はい」
「その朝倉が、浅井を見捨てた」
「…………」
「もはや、小谷城に援軍は来ぬ」
信長は絵図を指さした。
「長政に選ばせよ」
「……何を、でございますか?」
「降伏して生きるか」
信長の目が鋭くなった。
「それとも、城とともに滅びるか」
藤吉郎は、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
丹羽長秀も頷いた。
「浅井長政殿に、和睦の道を示してまいります」
信長は、静かに言った。
「ただし、長政の妻子には手を出すな」
「……はっ」
「お市は、わしの妹じゃ」
広間に、重い沈黙が落ちた。
浅井長政。
織田信長の義弟。
かつては、信長とともに天下を目指した男。
しかし今は、敵として小谷城に籠もっている。
信長は、遠く小谷山を見つめた。
「……長政」
その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
「今度こそ、間違えるなよ」
同日 午後三時頃
虎御前山・朝倉義景の滞在所
「……義景」
信長が、再び姿を現した。
義景は、幼子を膝に抱いたまま顔を上げた。
「……何じゃ、信長」
「おぬしの処遇を決めた」
「…………」
義景の妻が、息を呑んだ。
「……殺すのか?」
義景が尋ねた。
信長は、鼻で笑った。
「馬鹿を申すな」
「……何?」
「おぬしを、織田家に召し抱える」
「…………」
義景の目が、大きく見開かれた。
「……は?」
「二千石じゃ」
「…………」
「二千石を与え、家族とともに暮らすことを許す」
義景は、言葉を失った。
「……二千石?」
「不服か?」
「……わしは、越前一国を治めておった男じゃぞ」
「今は、何も持っておらぬ」
信長は即答した。
「…………」
「二千石あれば、妻子を養える」
「……しかし」
「おぬしに従って残った忠臣も、必要な範囲で召し抱えよ」
義景は、顔を上げた。
「……忠臣?」
「そうじゃ」
信長の声が、少し低くなった。
「おぬしを見捨てず、最後まで守ろうとした者たちじゃ」
「…………」
「家臣に裏切られたからといって、すべての家臣を疑うな」
義景は、唇を噛んだ。
「……信長」
「何じゃ?」
「……わしに、何をさせるつもりじゃ?」
信長は、にやりと笑った。
「まずは、生きよ」
「…………」
「家族を大切にせよ」
「……ああ」
「そして、忠臣を大切にせよ」
「…………」
「おぬしには、それが足りなんだのやもしれぬ」
義景は、深く俯いた。
「……そうかもしれぬ」
信長は、わざとらしく肩をすくめた。
「まあ、同情するに、やぶさかではないぞ」
「……同情?」
「従兄弟に全部押しつけられ、家まで追われた男じゃ」
信長は、口元を押さえた。
「ぷぷっ」
義景の眉が跳ね上がった。
「……信長!」
「はははは!」
信長は、腹を抱えて笑った。
「義景! おぬし、なかなか面白い男になったではないか!」
「面白くなどないわ!」
「いやいや、越前一国から二千石への大出世じゃ!」
「大出世ではない! 大減俸じゃ!」
「ぶはははは!」
信長の笑い声が響いた。
そのとき。
「……父上?」
幼子が、義景の袖を引いた。
「……何じゃ?」
「……おうち、あるの?」
義景は、息を呑んだ。
信長が、静かに答えた。
「あるぞ」
幼子が顔を上げた。
「……ほんと?」
「うむ。父上と母上と、一緒に暮らせる家じゃ」
「……やった!」
幼子が、嬉しそうに笑った。
義景の妻も、涙を浮かべた。
義景は、しばらく黙っていた。
そして。
「……信長」
「何じゃ?」
「……恩に着る」
信長は、にやりと笑った。
「うむ」
「……わしは、もう一度、生きてみようと思う」
「それでよい」
義景は、深く頭を下げた。
「……これより、織田家に仕える」
「よかろう!」
信長は、豪快に笑った。
「朝倉義景、二千石で再就職じゃ!」
「……その言い方は、やめてくれ!」
「ははははは!」
同日 夕刻
近江国坂田郡 宮部城・田畑
「……よし!」
俺は、畦道にしゃがみ込んでいた。
「弥兵衛じいちゃん!」
「はい、万丸様!」
「来年は、ここの田んぼを少し広げたいんだわ!」
「それは、ようございますな!」
俺は、胸を張った。
木下治兵衛。
宮部家では万丸。
数え五歳。
元・京都大学農学部四回生。
そして、後の豊臣秀次。
史実どおりなら、一五九五年に高野山で切腹。
……絶対に嫌だ!
俺は八十歳まで生きる!
農業を研究し、盆栽を育て、三毛猫の美々と昼寝する!
そのためにも、目立たず、出世せず、平穏に暮らす!
「……万丸!」
背後から、宮部継潤の声がした。
「……お父さん!」
「知らせがある」
「……何?」
宮部は、少し笑っていた。
「朝倉義景殿が、織田家に召し抱えられることになった」
「…………」
俺は固まった。
「……え?」
「二千石じゃ」
「……二千石!?」
俺は、思わず立ち上がった。
「……ほんと?」
「うむ」
「……義景様、生きられるん?」
「そうじゃ」
俺は、ほっと息を吐いた。
「……よかったぁ」
宮部は、静かに微笑んだ。
「おぬしの望みが、叶ったのう」
「……うん!」
俺は、美々を抱きしめた。
「……美々!」
「にゃあ?」
「朝倉義景様、助かったがね!」
「にゃあ!」
「……よかった!」
美々は、俺の腕の中で丸くなった。
「……ごろごろ」
俺は、空を見上げた。
……史実が、変わった。
朝倉義景は、一五七三年に滅亡するはずだった。
しかし、この世界では。
織田信長の家臣として、生きることになった。
……よし!
これなら、俺の未来も変えられるかもしれない!
「……お父さん!」
「なんじゃ?」
「俺も、八十歳まで生きるんだがね!」
宮部は、豪快に笑った。
「ははは! それは、よいことじゃ!」
「……でも」
「なんじゃ?」
「出世は、したくない!」
「……また、それか!」
「絶対に、関白にならん!」
「……関白?」
宮部が首を傾げた。
「なぜ、そんな話になる?」
「……あっ」
俺は、慌てて口を押さえた。
……しまった!
また、余計なことを言ってしまった!
「……美々!」
「にゃあ?」
「俺、またやらかしたがね!」
「にゃあ!」
……お前、ちょっとは心配してちょう!
同日 夜
虎御前山・織田信長本陣
「……ふふふ」
信長は、酒盃を手にしていた。
「朝倉義景を生け捕りにし、越前と和睦した」
「……はっ」
小一郎が頭を下げる。
「敦賀郡も手に入りましょう」
「……うむ」
信長は、静かに笑った。
「そして、次は浅井長政じゃ」
「……はい」
「長政が降れば、北近江は静まる」
信長は、盃を置いた。
「……それにしても」
「……何でしょう?」
「朝倉義景を、二千石で召し抱えることになるとはな」
小一郎は、苦笑した。
「……万丸が聞けば、喜びましょう」
「……そうじゃな」
信長は、楽しそうに笑った。
「……あの童」
「……はい?」
「また、面白いことを言い出すやもしれぬ」
小一郎は、静かに頷いた。
「……そうでございましょうな」
信長は、遠く宮部城の方角を見つめた。
「……万丸」
その口元に、笑みが浮かんだ。
「おぬしには、まだまだ働いてもらうぞ」
そして。
遠く離れた宮部城では。
「……くしゅん!」
五歳児が、盛大にくしゃみをしていた。
「……美々」
「にゃあ?」
「……なんか、嫌な予感がするがね」
「にゃあ」
「……俺、田んぼが欲しいだけなんだがね」
「ごろごろ……」
「……頼むから、出世させんといてちょう!」
朝倉義景、家族と再会。
織田家二千石で、まさかの再出発。
朝倉景鏡との和睦成立。
そして、丹羽長秀と木下藤吉郎は、浅井長政の小谷城へ。
戦国の歴史は、また一つ、大きく変わろうとしていた。




