第18話「朝倉義景、二千石からの逆襲宣言!? 五歳児・万丸と運命の初対面! 浅井長政『天は我に味方せず、されど地に生かすか……!』」
元亀三年(西暦1572年)十月十六日〈旧暦〉 晩秋
近江国坂田郡 虎御前山・織田方本陣
「朝倉義景を、宮部継潤に預ける」
織田信長の一言に、木下藤吉郎は目を瞬かせた。
「宮部に、でございますか?」
「そうじゃ。ただし、身柄の責任はおぬしが負え」
「ははっ!」
「義景の妻子も一緒じゃ。勝手に越前へ戻らせるな。されど、粗末に扱うことも許さぬ」
「承知いたしました」
信長は、机上の書状を指で叩いた。
「二千石の知行は追って定める。それまでは宮部村で養わせよ」
「はっ。宮部殿に申し伝えまする」
「それから、猿」
「何でございましょう?」
「義景は元朝倉家当主じゃ。顔を知る者も多い。景鏡が何を仕掛けるか分からぬぞ」
藤吉郎の笑みが消えた。
「護衛を付け、出入りする者を改めまする」
「うむ」
信長は、にやりと笑った。
「それに、宮部には例の童がおるであろう」
「……万丸でございますか?」
「義景と会わせてみよ」
「は?」
「二千石にまで落ちた元国主と、田んぼに夢中の五歳児じゃ。何を話すか、聞いてみたいものよ」
「上様、万丸を見世物にせんといてくだされ!」
「ははは! おぬしも見たいであろう!」
「……少々」
「正直でよろしい!」
笑いが収まると、信長は別の書状を取り上げた。
朝倉景鏡が差し出した、浅井家との絶縁状である。
「長秀とともに、小谷城へ赴け。長政にこれを見せ、降伏を勧めよ」
藤吉郎は深々と頭を下げた。
「御意!」
「義景を生かしたのじゃ。長政にも、生きる道を示してやれ」
信長の視線は、北の小谷山へ向いていた。
「……ただし、わしの慈悲を甘く見るなと伝えよ」
同日 午後
近江国坂田郡 宮部村・宮部城
秋風に、刈り取った稲の匂いが混じっていた。
宮部城の門前に、牛車が止まる。
「朝倉義景殿、ご到着!」
宮部継潤が出迎えると、牛車から一人の男が降りてきた。
朝倉義景。
かつて越前一国を治めた名門の当主である。
だが、今の姿に往年の威厳は薄かった。
頬はこけ、目の下には隈ができている。
その後ろから、妻の小少将が幼子の手を引いて降りてきた。
「愛王丸。足元に気をつけなさい」
「はい、母上!」
さらに娘たちが続く。
※本作では、義景の妻子の構成に創作設定を含みます。
「義景殿、宮部継潤にございます」
「……世話になる」
義景は、力なく頭を下げた。
「信長殿の命により、しばらくこちらでお過ごしいただきます」
「承知した」
「ご家族の部屋も用意してございます」
「……かたじけない」
義景の声には、覇気がなかった。
小少将は、そんな夫の横顔を見つめていた。
同日 夕刻
宮部城・朝倉義景一家の居室
「……二千石か」
義景は、庭を見つめながらつぶやいた。
「越前一国を治めたわしが、二千石……」
小少将は、黙って茶を差し出した。
「あなた様」
「……何じゃ」
「お茶が冷めます」
「……今は、飲む気になれぬ」
義景は、拳を握った。
「景鏡め……!」
その声が震えた。
「わしの従兄弟でありながら、わしを朝倉家から追い出しおった!」
「……はい」
「此度の戦は、すべてわしの独断だと申したそうじゃ!」
「……存じております」
「家臣たちも、わしを見捨てた!」
義景は、歯を食いしばった。
「……わしは、何をしてきたのじゃ」
小少将は、静かに夫の隣へ座った。
「あなた様」
「……何じゃ」
「二千石では、足りませぬか?」
義景は、思わず顔を上げた。
「……何?」
「私と愛王丸、娘たちが暮らすには、十分すぎるほどではございませぬか」
「……しかし!」
「越前一国を失ったことは、確かに悔しゅうございます」
小少将は、義景の手を握った。
「ですが、あなた様」
「…………」
「私たちは、誰一人失っておりませぬ」
義景は、息を呑んだ。
「……お前」
「愛王丸も、娘たちも、あなた様のお帰りを待っておりました」
「…………」
「私も、あなた様が生きていてくだされば、それでよいのです」
その言葉に、義景の目が揺れた。
「……わしは」
「はい」
「……朝倉家を失った」
小少将は、静かに首を振った。
「家名は、まだございます」
「……何?」
「あなた様が生きておられる限り、朝倉の名は消えませぬ」
義景は、妻を見つめた。
「……小少将」
「二千石から、やり直しましょう」
「…………」
「家族を守り、忠臣を大切にし、いつか景鏡殿に見せて差し上げましょう」
小少将は、微笑んだ。
「朝倉義景は、まだ終わっていないのだと」
義景の唇が震えた。
そして。
「……景鏡め!」
ぎりり、と歯を鳴らした。
「わしを見捨てたこと、必ず後悔させてやる!」
小少将は、穏やかに頷いた。
「はい」
「二千石から、もう一度始める!」
「はい」
「家族を守り、忠臣を養い、必ずや見返してやる!」
そのとき。
「父上!」
愛王丸が駆け寄ってきた。
「父上、元気になった?」
義景は、我が子を抱き上げた。
「……ああ!」
「ほんと?」
「本当じゃ!」
義景は、久しぶりに笑った。
「父は、まだ負けておらぬぞ!」
愛王丸は、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日も一緒に遊んでくれる?」
「……もちろんじゃ!」
小少将が、くすりと笑った。
「まずは、父親としての務めからでございますね」
義景は、苦笑した。
「……それが、一番難しいやもしれぬな」
元亀三年(西暦1572年)十月十七日〈旧暦〉 秋・朝
宮部城・田畑
「弥兵衛じいちゃん! ここの土、少し固いがね!」
「左様でございますな、万丸様!」
「来年は、もっと水はけをよくしたいんだわ!」
俺は、畦道にしゃがみ込んでいた。
木下治兵衛。
宮部家では万丸。
数え五歳。
元・京都大学農学部四回生。
そして、後の豊臣秀次。
史実どおりなら、一五九五年に高野山で切腹。
……絶対に嫌だ!
俺は八十歳まで生きる!
農業を研究し、盆栽を育て、三毛猫の美々と昼寝する!
そのためにも、目立たず、出世せず、平穏に暮らす!
「……万丸!」
背後から、宮部継潤の声がした。
「……お父さん!」
「客人を紹介しよう」
「……客人?」
振り返ると、そこには見覚えのない一家が立っていた。
痩せた中年の男性。
上品な女性。
幼い男の子。
そして、娘たち。
「……万丸」
宮部が言った。
「こちらは、朝倉義景殿じゃ」
「…………」
俺は、固まった。
……え?
朝倉義景?
あの、朝倉義景!?
越前一国を治めた名門の当主!
史実では、一五七三年に滅亡するはずだった人物!
……それが。
目の前にいる!?
「……はじめまして!」
俺は、慌てて頭を下げた。
「宮部万丸です!」
義景は、少し驚いた顔をした。
「……おぬしが、万丸か」
「はい!」
「……五歳と聞いたが?」
「数え五歳だがね!」
「……だがね?」
義景が首を傾げた。
俺は、にこにこ笑った。
「尾張生まれなんだわ!」
小少将が、くすりと笑った。
「まあ、可愛らしい」
「ありがとうございます!」
俺は、さらに笑顔になった。
「おばさまも、とっても綺麗だがね!」
「まあ!」
小少将が、嬉しそうに頬を染めた。
義景が、思わず眉を上げる。
「……おぬし、なかなか口が達者じゃな」
「えへへ!」
そのとき。
「……ねえ!」
愛王丸が、俺の袖を引いた。
「……何?」
「お前、何してるの?」
「田んぼの勉強だがね!」
「……田んぼ?」
「うん!」
俺は、胸を張った。
「来年、もっと米を作りたいんだわ!」
愛王丸は、目を輝かせた。
「……すごい!」
「一緒に見る?」
「うん!」
俺は、にこにこ笑った。
……よし!
友達ができた!
しかも、朝倉義景の息子!
……いや。
ちょっと待て。
俺、また歴史を変えてないか!?
「……美々!」
「にゃあ?」
足元の三毛猫が、顔を上げた。
「俺、また何かやらかしたかもしれんがね!」
「にゃあ!」
……お前、ちょっとは心配してちょう!
同日 午前十時頃
宮部城・庭先
「……万丸殿」
朝倉義景が、俺に声をかけた。
「……はい!」
「おぬし、兵糧について詳しいそうじゃな」
「……え?」
俺は、思わず固まった。
……やばい。
その話、もう広まってる!?
「……少しだけです!」
「少し?」
「はい!」
俺は、慌てて答えた。
「津島にいた南蛮宣教師のデマ・ライヤー先生に教えてもらったんだがね!」
「……南蛮宣教師?」
「はい!」
「……農業を?」
「農業も、商業も、算術も、ヨーロッパの歴史も!」
義景は、目を丸くした。
「……随分と博識な宣教師じゃな」
「すごい先生だったんだわ!」
……もちろん、架空の人物である。
前世の知識を説明するため、俺が作り上げた設定だ。
義景は、少し考えた。
「……では、兵法は?」
「それは、金城師匠だがね!」
「……金城?」
「琉球から来た、空手の先生!」
「……ほう」
「武芸も、兵法も、中国の歴史も教えてもらったんだわ!」
義景は、感心したように頷いた。
「……なるほど」
俺は、真剣に続けた。
「金城師匠、三国志演義が大好きだったんだがね!」
「……三国志?」
「はい!」
「……どのような人物じゃ?」
俺は、少し考えた。
「……めちゃくちゃ、お酒を飲む人だった!」
「……酒?」
「いつも酔っぱらっとった!」
義景が、思わず吹き出した。
「ははは! それで、兵法を教えられるのか!」
「教えられるんだがね!」
俺は、真剣に頷いた。
「酔っぱらってても、強かったんだわ!」
義景は、久しぶりに声を上げて笑った。
「はははは!」
小少将が、少し離れたところからその様子を見ていた。
「……あなた様」
「……何じゃ?」
「楽しそうでございますね」
義景は、少し照れたように笑った。
「……ああ」
そして、俺の頭を撫でた。
「万丸」
「……はい!」
「おぬしは、面白い童じゃな」
「えへへ!」
……よし。
朝倉義景と仲良くなれた!
……でも。
俺は、心の中で叫んだ。
頼むから、出世にはつなげんといてちょう!
同日 午後
近江国浅井郡 小谷城
「丹羽長秀殿、木下藤吉郎殿、ご到着!」
小谷城の広間に、声が響いた。
浅井長政が、静かに顔を上げた。
「……通せ」
「はっ!」
丹羽長秀と木下藤吉郎が、広間に進み出た。
「浅井長政殿」
長秀が、深く頭を下げた。
「織田信長様の使者として参りました」
「……承知した」
長政は、静かに答えた。
「用件を申されよ」
長秀は、書状を取り出した。
「まず、朝倉家についてでございます」
長政の目が鋭くなった。
「……義景殿は?」
「織田方に捕らえられました」
「…………」
長政の顔が強張った。
「……生きておられるのか?」
「はい」
「……そうか」
長政は、ほっと息を吐いた。
しかし。
長秀は、続けた。
「朝倉家は、織田家との和睦を申し入れております」
「……何?」
「朝倉景鏡殿が、家中の実権を握られました」
「…………」
「そして、浅井家との同盟を破棄すると」
長政の顔から、血の気が引いた。
「……何じゃと?」
長秀は、書状を差し出した。
「こちらが、朝倉家からの絶縁状にございます」
長政は、震える手で受け取った。
書状を開く。
そこには、朝倉家が浅井家への援助を打ち切り、今後一切の軍事支援を行わない旨が記されていた。
「…………」
長政は、しばらく動かなかった。
そして。
「……景鏡」
低い声が漏れた。
「……朝倉景鏡め」
拳が震えた。
「……義景殿を、見捨てたか」
長秀は、静かに頷いた。
「朝倉義景殿は、織田家に召し抱えられることとなりました」
「……何?」
長政が顔を上げた。
「……義景殿が、織田家に?」
「はい」
「……石高は?」
藤吉郎が答えた。
「二千石にございます」
「…………」
長政は、目を見開いた。
「……二千石?」
「はい」
「越前一国を治めた義景殿が……?」
「……二千石からの再出発にございます」
長政は、しばらく黙った。
そして、ゆっくり息を吐いた。
「……そうか」
その声には、深い疲労が滲んでいた。
同日 午後三時頃
小谷城・広間
「……長政殿」
丹羽長秀が、静かに口を開いた。
「織田信長様は、降伏を勧めておられます」
「…………」
「ご家族と、兵の命は保証いたします」
長政は、顔を上げた。
「……兵も?」
「はい」
「……家臣たちも?」
「武器を置き、降伏する者については、命を助けるとのお考えにございます」
長政は、しばらく黙った。
「……領地は?」
長秀は、静かに答えた。
「浅井家の領地は、織田家に召し上げられます」
「…………」
「しかし、長政殿ご自身は、二千石から再出発する道がございます」
長政の目が揺れた。
「……二千石」
「はい」
「……義景殿と同じか」
藤吉郎が頷いた。
「左様にございます」
長政は、ゆっくり目を閉じた。
朝倉家との同盟。
織田家との決裂。
姉川の戦い。
そして、小谷城の籠城。
これまでの歳月が、脳裏を駆け巡った。
「……わしは」
長政の声が震えた。
「……何を守ろうとしていたのじゃ」
誰も答えなかった。
長政は、静かに立ち上がった。
そして、窓の外を見つめた。
北近江の山々。
琵琶湖へ続く田畑。
浅井家が治めてきた土地。
「……天は」
長政が、小さくつぶやいた。
「……天は、我に味方せず」
その目から、涙がこぼれた。
「……されど」
長政は、拳を握った。
「……我を、地に生かすか」
丹羽長秀は、静かに頭を下げた。
「……長政殿」
藤吉郎も、深く頭を下げた。
「どうか、生きる道をお選びくだされ」
長政は、しばらく黙っていた。
そして。
「……考えさせてくれ」
低い声で答えた。
「……わし一人の命では、ない」
長秀は頷いた。
「承知いたしました」
長政は、静かに続けた。
「家臣たちにも、家族がある」
「……はい」
「わしの決断で、あの者たちの運命が決まる」
長政は、目を閉じた。
「……一晩、考えたい」
長秀は、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
同日 夜
小谷城・浅井長政の居室
「……お市」
浅井長政は、妻を呼んだ。
「はい、あなた様」
お市が、静かに姿を現した。
「……話がある」
「……何でございましょう?」
長政は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……朝倉家が、我らを見捨てた」
お市の顔が強張った。
「……何と?」
「義景殿は、織田家に降り……」
長政は、言葉を詰まらせた。
「……二千石で、召し抱えられたそうじゃ」
「…………」
お市は、しばらく黙った。
そして、静かに尋ねた。
「……では、あなた様は?」
長政は、目を閉じた。
「……わしにも、降伏の道が示された」
「…………」
「領地は、すべて失う」
「……はい」
「だが、お前と子供たち、家臣の命は助けられる」
お市は、長政を見つめた。
「……あなた様」
「……何じゃ?」
「私は、あなた様と子供たちが生きていてくだされば、それでよいのです」
長政の目が揺れた。
「……お市」
「領地がなくとも、家族は家族にございます」
「…………」
「どうか、生きてくださいませ」
長政は、静かに涙をこぼした。
「……わしは」
「……はい」
「……お前を、幸せにできたのだろうか」
お市は、優しく微笑んだ。
「あなた様」
そして、長政の手を握った。
「これから、幸せになればよいのです」
長政は、深く俯いた。
「……そうか」
そして。
ゆっくりと、頷いた。
「……そうじゃな」
同日 深夜
宮部城・万丸の自室
「……美々」
「にゃあ?」
俺は、布団の上で三毛猫を撫でていた。
「朝倉義景様、元気になったみたいだがね」
「ごろごろ……」
「よかったぁ」
俺は、小さく笑った。
……史実が、変わった。
朝倉義景は、生きている。
家族も、生きている。
そして。
浅井長政にも、生きる道が示された。
……よし!
これなら、もっと多くの人を救えるかもしれない!
「……美々」
「にゃあ?」
「俺、八十歳まで生きるんだがね!」
「にゃあ!」
「田んぼを作って、盆栽を育てて、昼寝する!」
「ごろごろ……」
「……絶対に、関白にならん!」
「にゃあ!」
……お前、分かってる?
俺は、美々を抱きしめた。
そして、静かに目を閉じた。
朝倉義景、二千石からの再出発。
浅井長政、降伏か抗戦かの岐路へ。
そして、田んぼを愛する五歳児は、また一つ歴史を変えようとしていた。




