第25章 選ぶ側
夜。
営業を終えたソレアには、静かな疲労が残っていた。
肉の匂い。
熱の余韻。
洗った鉄板の水滴。
少年は、椅子に座り込んでいた。
「……こわかった」
ぽつりと漏れる。
ハルノは、黙って片づけを続けていた。
「クガって人」
「ああ」
「シドウさんよりヤバい?」
少し沈黙。
やがて——
「違う」
ハルノが答える。
「シドウは、店を潰してた」
包丁を拭く。
静かな動き。
「クガは、“街の流れ”を決めてる側だ」
少年は、意味を考える。
完全には分からない。
だが——
重さだけは伝わった。
「……じゃあ、勝てないじゃん」
その言葉に。
ハルノの手が、少し止まる。
火は落ちている。
静かな店内。
やがて——
「勝つとかじゃねぇよ」
低い声。
少年が顔を上げる。
ハルノは、窓の外を見る。
商店街。
いろんな店。
明かり。
閉まったシャッター。
その全部を見ながら言った。
「ここで焼くって決めるだけだ」
短い言葉。
だが——
妙に重かった。
そのとき。
カラン。
ベル。
二人が振り向く。
シドウだった。
黒シャツ。
今日は少しだけ疲れた顔をしている。
「……また閉店後か」
ハルノが言う。
シドウは、小さく鼻で笑う。
「客少ねぇ時間の方が好きなんだよ」
少年は、少し複雑な顔。
まだ完全には許していない。
だが——
前ほどの敵意もない。
シドウは、カウンターへ座る。
「クガ来ただろ」
単刀直入。
ハルノは、うなずく。
「来た」
「……何て?」
「危ない店だと」
その瞬間。
シドウが、小さく笑った。
「言いそうだ」
だが、その笑いは苦かった。
少し沈黙。
やがて——
シドウが、ぽつりと言う。
「俺、昔はクガみたいになりたかったんだよ」
少年が、少し驚く。
シドウは、視線を落としたまま続ける。
「全部、流れで決まるって思ってた」
強いやつが決める。
弱いやつは流される。
それが現実。
だから——
流れを握る側に行こうとした。
「でも」
少し間。
「気づいたら、“場所”を潰す側になってた」
静かな声だった。
後悔。
疲れ。
色んなものが混ざっている。
ハルノは、何も言わない。
責めない。
慰めない。
ただ聞いている。
それが逆に、重かった。
シドウは、ゆっくり顔を上げる。
そして——
少年を見る。
「お前」
「……え?」
「なんでここ来てる」
少年は、一瞬止まる。
だが——
前みたいに詰まらなかった。
少し考えて。
ちゃんと答える。
「……落ち着くから」
「あと」
店の中を見る。
火。
鉄板。
ハルノ。
「ここ、ちゃんと見てくれるから」
沈黙。
シドウの目が、ほんの少しだけ揺れる。
昔。
潰したラーメン屋。
泣いていたガキ。
一瞬、それが重なった。
「……そうか」
小さな声。
そのとき。
ハルノが、ぽつりと言った。
「お前は、どうする」
シドウが顔を上げる。
「クガ側に戻るのか」
真っ直ぐな問い。
逃がさない。
シドウは、しばらく黙っていた。
長い沈黙。
やがて——
小さく笑う。
「……分かんねぇよ」
本音だった。
流れに乗ってきた人生。
だが今、初めて——
“自分で選ぶ側”に立たされていた。
店の中は静かだった。
火は消えている。
だが——
ソレアの熱は、まだ残っていた。




