第23章 朝焼けの匂い
朝。
商店街には、まだ人が少なかった。
シャッターの閉まった店。
掃除をする店主。
遠くで鳴くカラス。
そんな静かな時間。
ソレアだけが、もう火を入れていた。
ジュウ……
肉の焼ける音が、小さく響く。
「……早ぇな」
ハルノは、時計を見る。
まだ開店一時間前。
なのに——
店の前に、人影があった。
少年。
エプロン姿。
しかも今日は——
寝ぐせ付き。
「……お前」
ハルノが呆れた声を出す。
少年は、少し眠そうに言う。
「起きちゃった」
——遠足前のガキか。
「ああ……」
ハルノは、小さく笑う。
「学校は?」
「まだ」
「なら寝ろ」
「もう起きたし」
妙な会話。
だが——
悪くなかった。
少年は、慣れない手つきでエプロンを結び直す。
「今日は何やる?」
ハルノは、肉を確認しながら答える。
「まずは火を見る」
「火?」
「店は、火が死ぬと全部ズレる」
少年は、真剣に聞く。
ハルノは、コンロを指差した。
「強すぎると焦げる」
「弱いと香りが立たねぇ」
「でも、一番ダメなのは」
少し間。
「見てない火だ」
少年が、静かに火を見る。
揺れている。
同じように見えて、少しずつ変わる。
「……むず」
「だから面白ぇんだ」
ハルノの声は、いつもより少し柔らかかった。
そのとき。
カラン。
まだ営業時間前なのに、ベルが鳴る。
振り向く。
スーツ姿の男。
初めて見る顔。
「……まだですよね?」
「ああ」
男は、少し困ったように笑う。
「レビュー見て来たんですけど」
少年が、少し反応する。
男は続ける。
「“朝の匂いが好き”って書いてあって」
沈黙。
ハルノは、少しだけ目を細める。
そんなレビューがあったのか。
知らなかった。
男は、店の中を見ながら言う。
「なんか……分かる気がします」
火。
香り。
静かな準備の音。
まだ営業前なのに、“店が生きている”。
そんな空気。
ハルノは、少し考える。
そして——
「……あと十分待てるか」
男の顔が少し明るくなる。
「もちろんです」
店の外で待つ男。
少年が、小さく言う。
「……レビューって、嫌なやつだけじゃないんだね」
ハルノは、肉を削る準備をしながら答える。
「……流れだ」
悪いものも来る。
いいものも来る。
止められない。
でも——
「残るやつは残る」
少年は、その言葉を静かに聞いていた。
やがて。
商店街に、朝の光が少しずつ広がる。
ソレアの火も、安定してきていた。
「やってみるか」
ハルノが言う。
「え?」
「最初の肉、削げ」
少年の顔が固まる。
「オレが!?」
「落とすなよ」
「む、無理!!」
だが——
ハルノは、もう包丁を渡していた。
少年は、恐る恐る肉の前に立つ。
熱。
匂い。
回転。
近くで見ると、思ったより迫力がある。
「……」
緊張で喉が鳴る。
ハルノは、後ろで静かに見ている。
助けない。
だが——
ちゃんと見ている。
少年は、深く息を吸う。
そして——
刃を入れた。
ぎこちない。
薄さもバラバラ。
それでも——
ちゃんと、“削いだ”。
肉が落ちる。
少年が目を見開く。
「……できた」
ハルノは、小さくうなずいた。
「まあ、食えなくはねぇ」
「褒めてる!?」
「ギリな」
店の中に、小さな笑い声が広がる。
外では、朝の光が強くなっていく。
ソレアの一日は、また静かに始まろうとしていた。




